海からの使者 −港町の守護巫女・番外編−
                                

 梅雨の合間を狙って稲穂市を襲った嵐は、早い夜明けに押し    
出されるようにして去っていった。
 空は近づく夏を予告するかのように晴れ渡り、じっとしてい    
るだけで汗が浮かんでくる程だった。
「はあ……」
 目の前に広がる景色を一通り見回して。
 漆黒のセミロングの髪を持つ少女は溜息をついて小さな肩を    
落とした。        
 今時の高校生にしては地味な私服姿だったが、丸みのある瞳    
が印象的な少女である。
 本人が思っているよりは存在感を漂わせていたが、溜息をつ    
いたのは何も全てについて控え目な自分の身体に対してという    
わけではなかった。
 今日は日曜日。
 何もなければ隣にいる<先輩>と、面白そうな映画でも見て    
一緒に食事をするつもりだったからである。
「うーん……。ボクまで呼び出されたから只事じゃないと思っ    
 たけど、これは酷いな」
 呆れ半分、黒髪の少女の横に立つ少女がつぶやく。
 短めに切った髪に明るい色の瞳、そして少年のような服装越    
しにも分かる見事なプローポーションが目立つ少女である。
 声も少年のようにどこか中性的だったが、外見と相まって違    
和感が無かった。
「半日はかかりますよ、これだと……」
 何かを訴えるかのような目で、黒髪の少女……石川佳奈は隣    
に立つ<先輩>こと高田琴美に話しかけた。
「半日は大げさとしても時間はかかりそうだね。ま、ボクも手    
 伝うからさ」
「昨日は大雨で外に出られなかったのに今日は流木の片づけな    
 んて……。こんな時ぐらい業者にやらせればいいのに。そう    
 思いませんか?」
「まあまあ。ボクたちがやれば安上がりだからね。それに一カ    
 所に集めればいいんだから簡単だよ」
 宥めるように琴美は言うと、佳奈の肩を軽く叩いた。
 今年の守護巫女は真面目な性格だったが、たまに不平が表に    
出ることがあった。
 でも、これは酷いな。昨日の嵐凄かったからなあ……。
 そう思いながら、琴美は周囲を見回す。
 二人の少女が立っているのは、稲穂市の中心街に通じる海沿    
いの県道だった。
 眼下の砂浜は夏休みになれば海水浴客で賑わうのだが、この    
日は昨夜からの嵐によって打ち上げられた流木だらけだった。    
「二人ともご苦労さん。今日は宜しく頼むよ」
 いつもより軽い声で呼びかけてきたのは、稲穂市役所の守護    
巫女担当職員の田畑だった。
 耳にイヤホンをしたままなのは、競馬中継を聞く為である。    
「田畑さん……。今日は宝塚でしたっけ?」
「もちろん。春最後のG�だから今日ぐらいはいいだろう?」    
「当てたら少しは奢って下さいよ」
 競馬を知らない佳奈がきょとんとするのも構わず、琴美は話    
を終わりにすると、目を大量の流木に戻した。
 守護巫女が二人もいれば片づけるのは難しくなかった。
「さてと、とっととやっつけよう。うまくいけば田畑さんがご    
 馳走してくれるからさ」
「いいですけど……。ハヤトたちがまだ来てないんです」
「あ、そっか。ボクたちだけ石川さんのお父さんに送ってもら    
 ったからね。もしかすると、竹尾君たちがいないと落ち着か    
 ない?」
「玉木君から恨まれるんです。守護巫女としての活動を全部映    
 像にする気ですから」
「そうだったね」
 いつもデジタルビデオカメラを手放さない、<将来の映像作    
家>を思い出して、琴美は苦笑した。
「じゃ、しばらく待とう。すぐに片づくよ、この程度なら」
「集めればいいんですからね。どこに集めます?」
「そうだね……」
 何十トンもの流木を目の前にして、佳奈たちはそれを片づけ    
る手順を話し合っていた。   
 何も知らない人間が見たら異様な光景だったが、二人にして    
みれば当たり前の事に過ぎなかった。
 一見普通の少女にしか見えなかったが、彼女たちは稲穂市の    
守護巫女として特殊な能力……着ている服ごと約三十倍サイズ    
に巨大化できる能力を持っていたからだった。
「ま、そんなに面倒じゃないと思うけど、転ばないようにだけ    
 はしないとね。いつも言うけど余計な騒ぎが起きるかもしれ    
 ないからね」
「……気をつけます」
 生来の性格からか、危ない場面が二、三回あった佳奈が神妙    
な顔で頷いた時だった。
「へえ、これを君たちが片づけるんだ」
 聞き覚えの無い少年の声が耳に届いた。
                                
 からかうような響きが混じるその言葉に、今年の守護巫女は    
すぐに反応した。
 子供っぽい髪飾りで一部を束ねた黒髪を揺らして、声の方向    
へと顔を向けたからである。
 もし生意気な近所のガキだったら軽く注意しようと思ってい    
たのだが……。
「……え?」
 そこにいたのは、時代絵巻から抜け出してきたような水干姿    
がよく似合う少年だった。
 歳は佳奈たちより少し下だろうか。
 歩道と車道を隔てるガードレールにちょこんと腰掛けて、や    
んちゃな笑みを浮かべていたが、周囲の景色と比べると明らか    
に浮いていた。
「あの……」
「待って待って。言わなくてもいい。オレはただの通りすがり    
 だからさ。名前はそうだな……今の季節に合わせて若夏とで    
 も呼んで欲しいな」
「……先輩、知り合いですか?」
「どうしてボクにふるの? ボクの友達にコスプレ好きはいる    
 けど女の子だよ」
「ですよねえ。……暑くなるとこんなのも出るのね」
「おいおい。こんなの呼ばわりするなって。……まあ、怪しい    
 のは認めるけどさ」
「……そこは認めるんだ」
「そりゃこんな格好だもんな。オレだって少しは洒落た格好を    
 したいけど、色々あってさ」
 そう言って少年……若夏は大げさに肩をすくめてみせた。
 気障な態度だったが、なぜか厭味には思えず、佳奈は口許に    
笑みを浮かべる。
「変な子だけど……悪い子じゃないみたい」
「そうかな? ちょっと危なそうに見えるけど?」
「考え過ぎですよ。先輩にそっくりじゃないですか。口が減ら    
 ないところとか」
「……佳奈ってボクのことをそういう目で見てたんだね」
「そういうところが口が減らないって言うんですよ」
 いつの間にか勝手にやりとりを始めた二人の少女をきょとん    
とした顔で見ていた若夏だったが、少年らしいやんちゃな笑み    
を浮かべると、ガードレールから飛び下りた。
 両手を腰に添えて守護巫女たちを眺め回す。
「ふむ。今回の守護巫女は頼りになりそうだな……。よし、さ    
 っそく流木の片付けを頼むよ」  
「なっ……。偉そうだな」
「まあまあ。田畑さんからも頼まれてるんですからそろそろ始    
 めませんか?」
「でも、玉木君たち来てないじゃない」
「あ、今来た所ですね。ハヤト! 玉木君! こっちこっち」    
 親しくしている二人の少年の姿を見つけて、佳奈は周囲に響    
き渡るような大声で呼びかけた。
 不意を突かれたのか、若夏はびっくりしたようだったが、少    
年たち……竹尾速人と玉木晶は県道を渡って佳奈の元へと駆け    
寄ってくる。
「石川さん、抜けがけはずるいよ。オレは守護巫女としての活    
 動を全部撮るつもりなんだからさ」
 開口一番文句を言ったのは晶だった。
 言うまでもなく、手にはデジタルビデオカメラが握られ、今    
年の守護巫女である佳奈の姿を捉えていた。
「ごめん。ちょっと連絡が遅くなっちゃったのよ」
「まあいいけどさ……。ところで、こいつは?」
「会っていきなりこいつ呼ばわりかよ。オレは若夏。この流木    
 の片付けを頼んだんだ」
 謎の少年の言葉に、さすがの晶もびっくりしたようだった。    
 デジタルビデオカメラから目を離すと、軽く眼鏡を上げて上    
から下まで眺め回したからである。
「……。あ、そういう事か」
「へ? 玉木君、今何て言った?」
「あ、い、いやなんでもない! 格好は変だけど気にしなくて    
 もいいんじゃないかな。ほら、暑くなるとたまにいるから。    
 こういう奴……」
「本当なの?」
「親父から聞いた事がある。この近くの神社に祭られてる神様    
 は海の守り神で、たまに人間の姿を取って出てくる……と。    
 そいつは<海からの使者>とも呼ばれるらしい」
 前置きも無く速人が口を開いたので、幼なじみの佳奈を含め    
た全員が驚いた。
 他称硬派で、自分から口を開く事も滅多にないだけにちょっ    
とした異変だったからである。
「へえ、オレの事を知ってる人間がまだいるなんて思わなかっ    
 たな。さすが守護巫女がいるだけあるな」
「って事は貴方は……神様?」
「まあね。それはとにかく、オレの神社に通じる橋にも流木が    
 引っ掛かって迷惑だから片づけて欲しいんだ」
「神社って、もしかしてあそこ?」
 海岸の隅に小さな社があった事を思い出して、佳奈はその方    
向を見た。
 海岸からわずかに離れた島にあるものだったが、そこに通じ    
る橋の橋脚にも大量の流木が散乱していた。
「ああ。悪いけど一緒に頼む」
 そう言って、やんちゃな少年のような<海からの使者>はに    
やりと笑った。
 およそ屈託の無いその表情に、佳奈は少年に対する警戒心が    
消えていくのを感じる。
 なーんか裏がありそうだけど一応合わせておいた方がいいわ    
ね。玉木君もカメラ回してるし。
 根拠は無かったが、守護巫女の少女は謎の少年の登場に多少    
の作為を感じていた。
 晶が何かを隠してるのは明らかだったし、速人の発言もあま    
りに不自然だったからである。
 でも一番変なのは先輩ね。疑問があると必ず問い詰めるのに    
何も言わないし。
「先輩、何か言わなくてもいいんですか?」
「この少年が誰でもいいじゃない。ほら、佳奈も言ってたじゃ    
 ない。悪い人じゃなさそうだって」
「なんかさっきと言ってる事が違うんですけど?」
「気のせい気のせい。さ、流木片づけ作戦始めるよ」
 笑いながら言うと、琴美は佳奈の肩を大げさに叩いた。
 ちょっと痛かったので不平の声が洩れたが、まずは言う通り    
にする事にしたのだった。