エピローグ 夏の終わりに

 神社の屋根が見えてくる所まで石段を登っても、まったく涼    
しくならなかった。
 それどころか、かえって汗が吹き出してきて、佳奈は手の甲    
で額にこびりついた髪を軽くかき上げる。
「こんな所で待ち合わせなんかするんじゃなかった……」
 思わず口に出してしまったものの、後悔先に立たずだった。    
 自分から言い出したことを思い出して、今年の守護巫女は小    
さく溜め息を漏らしたが、再び歩き始める。
 拝殿に続く石畳の参道が見えてきたのは、思い出したように    
吹いた弱い風が、佳奈の髪の一部を束ねた子供っぽい髪飾りを    
揺らした時だった。
 その右手、初代守護巫女・蒲原妙の銅像の前には、清楚なサ    
マーワンピースに細身の体を包んだ瑞穂が立っていた。
「ごめん。待った?」
「いいえ。私が早く来過ぎただけです」
 少しぎこちない発音で、瑞穂が答える。
「ストルーヴェさんの店に行くのは初めてですし、久しぶりに    
 みんな揃うと思うといてもたってもいられなくて……」
 十年以上ぶりに言葉を取り戻した少女の声は、可憐そのもの    
だった。
 鈴を転がすような声とはこういうものかと、佳奈が心から感    
心した程だった。
「ところで、心の中にダールの気配は感じられる?」
「いいえ、全然。あの夜を最後に消えました。それからなんで    
 す、私が話せるようになったのは」
「やっぱり帰ったのね……。でも、この神社にはアルダの気配    
 がわずかに感じられるわね」
「ええ。分身は残ここに残ってるのかもしれません」
「ま、そんなところだろうね」
 突然、第三の声が割り込んできて、佳奈と瑞穂は本気で驚い    
た。
 蒲原妙の銅像の背後から、ボーイッシュな服装の琴美が颯爽    
と登場したからである。
「アルダはずっとこの港町を護ってくれる。そう、永遠に……    
 あ痛たた……」
「左腕怪我してるのに格好つけるからですよ」
「ここは格好つける場面じゃない。先輩としては」
「どうでもいい時でも格好つけるんですね、先輩は」
「言うようになったねえ、佳奈も。あたしゃ悲しいよ。最初は    
 尊敬の目で見てくれたのにさ」
 あまりにわざとらしい口ぶりに、佳奈も瑞穂も思わず大笑い    
した。
 こういう先輩だから大好きで、尊敬しているのだ。
 それだけに、あの夜巨大化していない状態で崩れた山の下敷    
きになったと知った時、佳奈は半乱狂になったのだった。
「でも、本当にその程度の怪我で済んで良かったです」
「瑞穂ちゃんはいい子だねえ。ちゃんとボクの事を気づかって    
 くれるんだから」
「でも、真面目な話アルダが助けてくれなかったら今頃……」    
「まあ、終わった事だからそれは無し。佳奈もボクも守護巫女    
 としての活動は続けられるんだからそれでいいんだよ」
 崩れた山の下敷きになった琴美を神の力で助けた後、アルダ    
は妹神であるダールと共に故郷であるタンギスタンに戻って行    
った。
 そこで再び、人間たちを見守る生活に戻るということだった    
が、守護巫女の為に分身を残していった。
 最初の理由はどうであれ、この街を護るという約束を違える    
わけにはいかないというからだった。
「でも、そうなるとダークポラリスのことが心配です。また、    
 石川さんたちを狙ってくると思います」
「そうなんだよねえ。あの歩く鉄面皮が手先のままじゃ、ボク    
 たちも落ち着かないけどね」
「うるさい。俺は反対したんだ」
 石段を上がりきるなり、速人は琴美の言葉に反論した。
 その後ろには、ビデオカメラを構えた晶が、速人の肩ごしに    
三人の少女たちを映している。
 佳奈が守護巫女を引退する時まで撮り続けると言ってたので    
まだまだ被写体になる日々は続きそうだった。
「お父さんが反対したのね」
「ああ。ただ、石川と高田さんには手を出さないと約束したら    
 しいぜ。あんな事件が起きたら当然だけどな」
「大騒ぎでしたからね、色々と」
「でも、よく誤魔化せたよなあ。結局、突発的な山崩れを守護    
 巫女たちが救ったってことになったし……痛っ! だから撮    
 影中にオレの頭を叩くな、速人!」
「馬鹿。ダークポラリスがマスコミを操作したからに決まって    
 るだろ。それだけ奴らの力は巨大なんだ」
 速人はもはや諦めているようだった。
 人の動きを監視し、報告すれば、報酬が得られて生活も楽に    
なると分かっていても、良心の疼きは抑えられなかった。
 しかし、これしか選択肢は無かったのだ。
 父親に抵抗したのも、せめて佳奈たちだけには手を出させな    
いようにする為の苦肉の策だった。
「しかし……ハヤトも口数多くなったわね。別人みたい」
「硬派の看板は下ろしたんだ」
「お前らが勝手にそう思ってただけだろ? 俺は元から俺なん    
 だぜ。石川ならわかるだろ?」
「もちろん」
 自信と共に言い切ると、佳奈は速人の目線の先を確かめた。    
 静かに会話を見守っている瑞穂を見ていることに気づくと、    
心の中だけで大笑いする。
 幼なじみの少年は、瑞穂に心を寄せているのだった。
 ハヤトが好きそうなタイプだもんね。わたしには分かるんだ    
から。
「とりあえず、神社にお参りしてからストルーヴェさんの店に    
 行こうか?」
 その場を仕切るように琴美が言った。
「そうですね。準備して待ってるはすですから」
「でも、来年の春にはいなくなるんだよなあ。あそこの料理、    
 親父も絶賛してたのに」
「仕方ないじゃない。ストルーヴェさん、軍を辞めるって言っ    
 てたんだから。アルダとダールが揃うんだったらしなきゃい    
 けないことがあるんだって」
「革命、だろうな。タンギスタンは独裁制で不満を抱いてる人    
 間も多いって聞いたぜ」
「それはないと思います」
 ふわりと、下ろしただけの髪を揺らしながら、瑞穂が速人の    
言葉を否定した。
「革命は簡単ではありませんし、ダールたちは力を貸さないと    
 言ってたんです。もっと穏やかな方法を使うと思います」
「それはきっと信仰の力だな」
 片目を閉じて、琴美が得意気に言う。
「ストルーヴェさんの家は代々女神を司ってきたんだ。ゆっく    
 りと意識を変えてけば、後は自然と変わってくはずだ」
「そうかもしれませんね」
「そうよねえ」
 先輩の少女の言葉に、佳奈と瑞穂は顔を見合わせて頷きあっ    
た。
 あの時、アルダは言っていた。
 神は人間同士の争いに介入してはならないと。
 護るべきものがある時だけ力を発揮する、というのがタンギ    
スタンの姉妹女神の間に交わされた新たな約束だった。
 だからアルダは守護巫女としての力を残していったのね。わ    
たしたちはこの街を護る為に巨大化する能力を授けられたんだ    
から。
 とりとめなく考えている内に、拝殿の前まで来ていた。
 祭られているのは街の名前に相応しい農業の女神・豊受媛神    
(トヨウケビメ)だったが、その後ろに異国の女神が存在する    
事を知る人はごくわずかだった。
 佳奈たちは明らかにしてもいいと思っていたのだが、この神    
社の宮司である羽田が反対したのだった。
「やっぱり、三百年も隠してきたからいまさら言えないのかも    
 ね。羽田さんも」
 その時の事を話していた佳奈だったが、ふと思いついたよう    
に言った。
「いや、違うな。手品のタネと同じで明らかにしたくなかった    
 だけだろうね」
「そういうものですか……?」
「私も高田さんの言う通りだと思います。ずっと外から見てて    
 思ってたのですけど、巨大化できる守護巫女たちにはやっぱ    
 り神秘的な何かが感じられました」
「自分も巨大化して散々大暴れしたのによく……うっ! い、    
 今のは痛かった……。いつもの倍以上だったぞ速人!」
「小泉さんは自分の意思で巨大化したわけじゃない」
「そりゃそうだけど……あの時は本気で怖かったんだぜ……」    
 涙目の晶に少しだけ同情しながらも、佳奈は琴美と並んで前    
に進み出た。
 一瞬視線を交わし合うと、予め決めていた言葉を二人同時に    
唱える。
「アルダ様、ダール様。これらも、わたしたちに続く守護巫女    
 たちに力を貸してください。守護巫女たちは街を護り続ける    
 と約束します。以上」
「平成二十一年度守護巫女、高田琴美」
「平成二十二年度守護巫女、石川佳奈」
 しばらくの沈黙の後。
 守護巫女の少女たちは堪えきれなくて吹き出した。
 改めて誓いを立てるというアイデアは良かったと思ったが、    
実際にやってみると想像以上に恥ずかしかった。
「俺なら絶対やりたくないな。こんな事なんかやらずに黙って    
 やればいいんだ」
 さっそく速人が横やりを入れる。
「もう、ハヤトったら。これでも真面目に考えたんだから。で    
 も先輩、これじゃ選手宣誓じゃないですか」
「賛成したのは佳奈の方じゃない。ボクは言っただけだよ」
「乗り気だったのは先輩の方です」
「……。お二人とも、大丈夫です」
 可憐な笑みを浮かべて、瑞穂がそっとフォローする。
「今、私の心に二柱の女神からの<声>が聞こえました。約束    
 は確かに聞き届けた。叶える為に我々も力を尽くすと」
「ほらね。ボクの言った通りじゃない。こうすれば聞いてくれ    
 るって」
「わたしだってアイデア出したじゃないですか。選手宣誓は先    
 輩ですけど」
「それが良かったんだよ、きっと」
「そうでしょうか……?」
 とりとめなく言葉を交わした後、守護巫女たちとその仲間は    
一礼して神前から離れた。
 セミの声を聞きながら石畳の参道を歩くと、海に抱かれた港    
町・稲穂市の市街地が見えてくる。
 突然、琴美が右手を肩に置いたので、佳奈はびっくりした。    
 慌てて顔を向けると、いつもの少年のような笑みが視野に入    
ってきた。
「これからも頑張っていこう」
「……。はいっ!」
 心を通じ合わせた二人の少女にはそれで十分だった。
 役割を終えるその日まで、この港町を護ってみせる。
 佳奈は改めて、心に誓っているのだった。

                      (終わり)