第42話 港町の守護巫女
                                
 マツキがその情報を受け取ったのは、稲穂市の沖合に停泊す    
るダークポラリス保有の原子力潜水艦に入った直後だった。     
 日本の領海に潜入しながらも、自衛隊の最上層部も存在を黙    
認しているその潜水艦は、ヘリを格納するとすぐに潜行する。    
「……本当か? 今年の<巨大妖精>が意識を失って倒れ、市    
 街地の方向に山を崩した?」                  
「情報の内容は未確認ですが、もし本当なら大災害になるでし    
 ょう。しかも、守護巫女がやったとなると色々と大事です」    
「しかし、私たちは何も関与していない。そういう事になって    
 いるから問題はない」
 狭い通路の壁に手をかけて、マツキは平然と言い切った。
「全ては守護巫女たちが勝手にやった事。私たちの存在が表に    
 出る心配はないからそれ以上気にする事はない」
「ただ、残念です。結果的には失敗でしたから。この潜水艦を    
 動かすのにボスは随分奮闘したと聞いてますよ」
 稲穂市を襲っているかもしれない大災害の事を忘れて、情報    
を持ってきたマツキの同僚は、眼鏡を上げて軽口を叩いた。
「まあ、今回はたっぷりとお小言を頂戴するしかないな。予算    
 も少しオーバーしてしまったし、早く次の任務で埋め合わさ    
 ないとまずいな」
「<巨大妖精>は欲しかったんですけどね」
「おいおい。この程度で諦めるなんてらしくないな」
 壁にかけていた手を同僚の肩に置いて、マツキは自信に満ち    
た笑みを浮かべた。
「次は手を変えてやるだけだ。守護巫女の裏側にある色々な事    
 実を掴んだだけでも収穫だと思わないか」
「そうですよね。ボスも「今回は失敗ね」とは言ってましたけ    
 ど、諦めるつもりはないようですよ」
「ならいいんだ。さてと、私はしばらく休ませてもらう。目的    
 地に着いたら起こしてくれ。すぐに本社に戻る」
「相変わらずタフだな、お前も」
「私には働き蜂な日本人の血が流れてるからな」
「だったな。その間に情報収集は続けておくからな」
 情報収集と分析を専門とする同僚を見送って、マツキは狭い    
通路をベッドの方へと歩き始めた。
 潜水艦特有の狭苦しく臭いの染みついたベッドで寝るのは好    
きではなかったが、贅沢は言ってられなかった。
 失敗だな、今回は。しかし、もしさっきの情報が本当ならば    
守護巫女の存在自体が危うくなるか。……どちらに転んでもい    
いように手は打っておくべきか。
 失敗は失敗として、本社に戻ってからレポートにまとめてお    
けば済む話だった。
 次の<作戦>の布石を思いつき、マツキは踵を返した。
 本社と直接連絡が取れる通信室に着くまでに、「いつか」へ    
の布石は固まっていたのだった。

 巨大化したまま気を失った佳奈が突然倒れたことによる衝撃    
は、想像を絶するものだった。
 既に巨大化していた琴美を除いて、全員地面に叩きつけられ    
るように転んだからだった。
 その為、最悪の事態に気づいたのは、琴美だけだった。
「まずい!」
 瑞穂が半分崩した山が、佳奈の全体重を受け止めて崩壊しか    
けていると理解した瞬間、昨年の守護巫女は本能だけで行動し    
た。
 敏捷な運動神経を生かして、山が崩れるのを体で阻止するか    
のようにその場に覆い被さったからである。
「佳奈! 目を覚まして!」
「石川! 寝てる場合じゃねえんだ! 早く起きろ!」
「石川さん!」                         
 速人を始めとする、<守護巫女の仲間たち>は必死になって    
呼びかけたが、佳奈は地面に横になったまま動こうとしない。    
 死んだように眠るだけで、意識があるかすらも判断がつかな    
い状態だった。
「先輩! そっちは大丈夫ですか!?
「これが大丈夫に見えるか、普通!」
 晶の呼びかけに、琴美は苛立ちをあらわに怒鳴り返しただけ    
だった。
 なんとか市街地への被害は防いでいるものの、一人だけでは    
とても支えられそうになかった。
 となると、頼りになるのは……。
「アルダ! なんとかならないのか!?
 速人たちが耳を塞ぐ程の大声で、琴美は自分の中にいる異教    
の女神に対して怒鳴った。
<今、今年の守護巫女を治療してる。しかし、中にいるはずの    
 妹……ダールも応じぬ。あれだけ暴れた後だから力を使い果    
 たしたのかもしれぬ>
「そんな……!あんたたち神様だろ!? その程度でダウンする    
 のか!」
 返事は返ってこなかったが、琴美は肯定と受け止めた。
 本当は、故郷からはるかに遠い土地にいるため、力が制限さ    
れていたのだが、琴美に考えている余裕は無かった。
 少しずつ、山の亀裂が大きくなり市街地の方へと崩れようと    
していたからである。
「……私たちはここから離れよう」
 ストルーヴェが決断を下したのは、その時だった。
 思いがけない言葉に、全員が耳から手を離してタンギスタン    
出身の軍人の顔を見る。
「ここにいても何もならない。邪魔をしないためにも少しでも    
 離れた方がいい」
「石川たちを見捨てる気か? ここまできて……!」
「違う。崩れる山を押し戻す場所を確保するのだ。ここなら誰    
 も住んでいないから被害は及ばない」
 上官をフォローするかのように、イワノフ大尉が冷静な口調    
で口を挟む。
「でも、石川さんは……」
「巨大化しているから問題はずだ。上手くすれば目を開けるか    
 もしれない」
「ただの賭けじゃねえか! そんな危ない作戦じゃ駄目だ!」    
「他に方法は無い。少なくとも、私たちがここから離れない限    
 り守護巫女たちは自由に動けない」
 一瞬だけ、速人は気を失ったままの佳奈、そして山を押さえ    
続ける琴美の方を見た。
 二人の少女たちは三十倍に巨大化しているので、普通サイズ    
の人間たちの動きには細心の注意を払う必要がある。
 しかし、自分たちがいなければ……。
速人は瞬時にその事を理解した。
「今すぐ離れる。晶、親父さん!」
「お、おい……」
「わかった。来い、バカ息子。全力で離れるぞ!」
 苦しそうな表情を浮かべていた琴美が、一瞬だけ笑みを浮か    
べたのを、速人は見逃さなかった。
 琴美は全員が離れるのを待っていたのだ。
 これでいい。後はボクたちが役目を果たすだけだ。この港町    
の守護巫女として。
 また山が崩れかけて、琴美は慌てて押し戻した。
 速人たちが離れたら、少しずつ市街地とは逆の方向に山を崩    
すつもりだった。

<目覚めなさい、今年の守護巫女>
<……。あ、あなたは? もしかして、アルダ?>
<私たちの不注意の為に、この街は今最大の危機に陥りつつあ    
ります。惨劇は私たちが阻止します。ですから、あなたはこ    
こから離れるのです>
<あれ? 先輩は? それに惨劇って……>
<起こってしまった以上どうでもいい話しです。後でゆっくり    
 と確かめなさい。とにかく、ここを離れるのです>
 ようやく佳奈が呼びかけに答えた事に安堵しながら、アルダ    
は冷静さを装って指示した。
 もはや残された時間はほとんど無かった。
<嫌です。わたしは守護巫女です。街を護ります>
 気配だけで、アルダが首を横に振ったのが感じられた。
 予想もしなかった態度に、佳奈の心は熱くなる。
<それじゃ意味がないじゃないですか!  街を護れない守護巫    
 女なんて……>
<あなたは十分に役割を果たしました。もう、力は残っていま    
 せん。私があなたを仲間たちの元に送ります。それから、姉    
 妹で力を合わせて惨劇を防ぎます>
<先輩は?>
<まだ力が残っているので残りたいと言って聞かないのです。    
今、ダールが説得してますが、うまくいくかどうか……>
 アルダは焦りを隠せなかったが、佳奈にしてみれば、要領を    
得ない話しだった。
 気を失う直前のことまでしか覚えていないのだから当然の事    
だったが、もしここで本当のことを知ったら絶対に言うことを    
聞かないだろう。
 女神はそう予想して、何が原因で惨劇は起こりつつあるのか    
説明しなかった。
<先輩は……大丈夫なんですか?>
<神としての最大の力を使います。……今言えるのはそれだけ    
 です>
 アルダが絶対の自信を抱いていないのは、気配だけでも十分    
に感じ取ることができた。
 しかし、佳奈に残された選択肢は一つしかなかった。
<わたしも……わたしも残らせてください! このまま役目を    
 果たせなかったら何のために守護巫女になったか分かりませ    
 ん!>
<それは無理です。はっきり言います。足手まといは必要あり    
 ません>
<足手……まとい……>
<それが今のあなたなのです。あなたの役割は終わりました。    
後は仲間のもとに戻って吉報を待ちなさい。あなたは私の巫    
女。指示は守りなさい>
 思ってもみなかった言葉に、佳奈の思考が一瞬停止した。
 その隙をアルダは見逃さなかった。
 残っていた力を振り絞り、神だけに許された特別な力で、佳    
奈を仲間たちの元に届けたからである。
 同時に、巨大化も強制的に解除したので少しだけ自分に力が    
戻ってきたが、アルダは安心できなかった。
 時間が無かったので、すぐに崩れそうな山を支える昨年の守    
護巫女……琴美の心の中へと戻ったからである。
<姉様、やっぱり昨年の守護巫女は言うことを聞きません>
<危険ね。でも、依代が無くては力が完全に発揮はできないの    
も事実。……やるしかないわね>
<姉様……>
<反省は全て終わってから時間をかけてやるもの。今は行動あ    
 るのみ>
<ってわけで、ボクも力を貸すからさ。よろしく頼む>
 この期に及んでも恐怖を感じていないのだろうか?
 琴美の言葉はいつも通りだった。
 あまりの強心臓に、神であるアルダの方が驚く。
<格好いいじゃない。山崩れも阻止した守護巫女なんてさ。タ    
ンカーを動かした時よりも伝説になりそうだしね>
<……それでは、始めます。もうあなたも限界のはず。崩れか    
けた山を市街地と反対方向に押し返します>
<了解!>
 琴美の返事を最後にして、昨年の守護巫女と二柱の女神によ    
る山体崩壊阻止作戦は始まった。
 既に気力も体力も限界にきていた琴美だったが、口元に笑み    
すら浮かべると、女神たちの力を借りて、押さえつけていた山    
を動かし始めたからである。
 三つの力が一つになり、市街地の方へと崩れかけていた山は    
少しずつ、押し戻されていく。
「いい感じだ……。この調子!」
 既に全身が悲鳴を上げ、足腰にまったく力の入らない状態だ    
ったが、琴美は士気を鼓舞するかのように叫ぶと、残っていた    
気力を全て集中させて、崩れゆく山を一気に押した。
 それは、神の力を借りていたとはいえ奇跡だった。
 佳奈が倒れた時には今にも崩れそうだった山が、正反対の方    
向に押し返されて、原形を留めずにただの土砂や木々の塊とな    
ったからである。                        
 しかし、その下には人家も無かったし、人もいなかった。
「う、うまくいった……な。これでボクもヒロイン……だな」    
 思っていた通りの結末を見届けて、琴美はいつものようにや    
んちゃな少年のような笑みを浮かべた。
 そのまま、朽木のように崩壊した山の上に俯せになって倒れ    
る。
 同時に巨大化も解除されたが、その背後に。
 最後まで残っていた山の一部が崩れ落ちつつある事にはまっ    
たく気づいていなかったのだった。