第41話 封印に込められた意味

                                

 ヘリのローダーがたてる轟音を耳にして、マツキはようやく    

自分の勝利を確信した。

 思ったよりも手間がかかったが、最大の目標だった<巨大妖    

精>の捕獲に成功したからだった。

 これでいい。後はどうやって彼女を<兵器>に仕立てるか考    

えればいい。こんなに巨大で扱い易い兵器なら、どの国でも欲    

しがるだろう。それに……。

 前途への夢は広がるばかりだった。

 普段はうるさいだけのヘリの音も、自分の未来を祝福する音    

楽にさえ聞こえてくる程だった。

 ヘリのサーチライトが自分たちを捉えた。

 操縦手も同乗している工作員たちもマツキの知り合いで、万    

一の時にはすぐに駆けつけてくれることになっていた。

 その約束が果たされたことを確認した瞬間。

 マツキにほんのわずかな隙が生じた。

 もし、人質が佳奈だったら、ただ絶望するだけで、まったく    

気づかなかっただろう。

 しかし、マツキが腕を掴んでいたのは、勘も身体能力も優れ    

た昨年の守護巫女だった。

 身体が多少動ける事を確かめて、琴美は長い足でマツキの急    

所を思い切り蹴り上げたからだった。

「うっ……」

 小さなうめき声が合図となった。

 男性にしか理解できない独特の痛みが脳に届いた途端、マツ    

キは両腕の力を緩めてしまったからである。

 自由を得た琴美は地面を蹴ってマツキから離れ、伸ばされた    

手も簡単に振り払う。

「こ、この野郎……!」

 罵倒の言葉を英語で洩らしながら、再び守護巫女の少女を取    

り戻そうとしたマツキだったが、今度は横から強烈なタックル    

を受けて簡単に地面を倒れてしまう。

 怒りを全身にみなぎらせた速人が後先考えずに攻撃を仕掛け    

たのだった。

「お前のせいでみんな不幸になる! この野郎!」

 普段は滅多に感情を露にしない少年の激しい声が耳に届いた    

が、琴美は近づいてくるヘリのサーチライトから逃れるように    

走った。

 このまま巨大化して、佳奈の助けに入ろうとしたのだが、外    

の敵はかわしても、内側にいる敵は諦めていなかった。

<土壇場で裏切るとは……! 巨大化などさせぬ!>

「いい加減にしろ! お前が一番悪いんだ! 妹に罪を被せて    

 追放したのはお前だろ!?

 アルダからの<声>に、琴美は大声で怒鳴り返した。

 今までは尊敬の念も抱いていたのだが、真実を知ってからは    

騙された自分への腹立たしさもあって、完全に嫌いになってい    

た。

<私は妹と違って間違いなど決して犯さぬ! 妹は間違えたか    

 ら罰を与えただけのこと>

「戯言はそこまでだ。このままじゃ、アルダは街を破壊してし    

 まう。その責任は……お前にあるんだ!」

<なぜそうなる!? 妹が全部勝手にやったこと……!>

「ボクが言いふらすからに決まってるだろ? 実体のないあん    

 たと違って、ボクは昨年の守護巫女として少しは信頼されて    

 るからね!」

 計算も何も無いただのハッタリだった。

 実際、被害に遭った街の人たちがすぐに信じてくれるとは思    

えなかったが、自らへの<信仰>を存在の拠り所とする女神は    

多少揺らいだようだった。

<そ、そんな馬鹿な! 信じるはずなどない!>

「賭けてもいい。もし、責任があんたに降りかかってきたらど    

 うなる? 存在自体が危うくなるんじゃないか?」

<この国では大した信仰など得ておらぬ。その時は故郷に戻る    

 だけのこと>

「残念だけど、ストルーヴェさんたちも真実を知ってるんだ。    

 あの人の事は詳しく知らないけど、あんたを祭る一族の人間    

 で間違いないんだろう?」

 正鵠を射たのか、返事は無かった。

 この時琴美は気づいていなかったが、既にダークポラリスの    

ヘリコプターは着地しており、そこから出てきた工作員たちと    

タンギスタン国軍情報局の軍人は鋭く睨み合っていた。

 このままでは状況の再逆転もありえたが、琴美はアルダの説    

得に全力を尽くすしかなかった。

 心身ともにぼろぼろになった佳奈は倒れたまま動かず、ダー    

ルに操られる瑞穂は、市街地に通じる山を崩しつつあった。

「今ならまだ間に合う。ダールに謝るんだ。そうすれば全て丸    

 く収まる!」

<なぜ私が妹に謝らなくてはならないのか! 最初に間違えた    

 のはダールの方だというのに!>

「その妹さんは、佳奈に髪飾りを託した。それが和解の合図な    

 んだ。ダールはその時言ってた。佳奈はきっと守護巫女にな    

 れると」

<それは知っている! おかしな事をすると思ったがあえて何    

 もしなかった。しかし……>

「ほら、あんたも心のどこかで期待してたんだ。あんたが力を    

 貸して守ってきた街が壊されるのを見るのは嫌なはずだ。三    

 百年も見守ってきたんだからね」

 琴美は気づかなかったが、アルダの脳裏には守護巫女たちに    

力を貸してからの出来事が鮮やかに浮かんでいた。

 最初は、妹の封印が解けた時の対策だけのつもりだった。

 しかし、いつの間にか守護巫女たちを通じて街の人たちから    

も深く感謝され、尊敬されるようになっていくにつれて、女神    

としての本来の役割を思い出し、積極的に力を貸すようになっ    

ていた。

 もちろん、守護巫女が普通の少女である以上限界もあったし    

アルダも自分の力の限界を感じた事があった。

 それでも稲穂市はずっと護られてきた。

 献身的な少女たちと、西から来た女神によって……。

「未熟な妹に思い知らせる為に、あえて好きにさせようと思っ    

 てたが……。気が変わった。やはり守護巫女に選ばれるだけ    

 のことはある」

「どういう意味……え?」

 急に琴美の身体が軽くなったように感じられたのは、その時    

だった。

「アルダ……?」

<……。力を貸す。街を護るのだ>

「了解! それでこそ女神だぜ!」

 いつものやんちゃな少年のような笑みを浮かべて、琴美は返    

事すると、心を込めてアルダに祈った。

 琴美の身体が巨大化し始めたのは、その時だった。

 全身を揺さぶられたような気がして、佳奈はゆっくりと目を    

覚ました。

 記憶も意識も混乱して、目に入ってきた顔すらもぼんやりと    

して認識できなかったが、それが先輩守護巫女の琴美であるこ    

とに気づいた瞬間、一気に意識が戻った。

「せ、先輩! どうしてここに……!」

「言いたい事は山ほどあるけどまずは一言だけ。ボクが全部悪    

 かった。ごめん」

「え? えっと、その……」

「まずは小泉さんを止めるのが先だ。街を護るのが守護巫女の    

 役目だからね」

「あっ……小泉さんを止めないと!」

 慌てて身体を起こした佳奈だったが、全身に針を刺すような    

痛みが走って悲鳴にならない悲鳴を上げた。

 その時になってようやく、自分がどうしてこんな状態になっ    

たか思い出す。                         

「佳奈は少し休んでて。ボクが止めてみせる」

「そうはいきません。今年の守護巫女はわたしですから……」    

「そんな苦しそうな顔で言われてもねえ。とにかく、動けるよ    

 うだったら加わって。もし駄目なら言葉だけでいい。小泉さ    

 んの中にいるダールを説得するんだ」

「アルダは……?」

「心配しなくていい。ボクが巨大化できたのは説得に成功した    

 からだからね」

 片目を閉じ、笑って答えると闇の中に琴美は身を翻した。

 全身の痛みが消えず、ぼんやりとその姿を見送るしかなかっ    

た佳奈だったが、山を崩して市街地に向かおうとする瑞穂を止    

め始めたのを見て、ようやく言葉の意味を全て理解する。

「先輩……」                          

 一度は完全に離れたと思っていた少女がまた自分の元に戻っ    

てきた事に、佳奈は少しずつ力が沸き上がるのを感じていた。    

 身体の痛みが徐々に薄れていく。

 後になって知ったのだが、琴美の中にいるアルダが、その力    

を使って今年の守護巫女を癒していたのだった。

「あっ……。先輩! ダークポラリスは!?

 瑞穂の反撃を受け止めながら、琴美は首を横に振った。

 詳しく説明している余裕は無かったが、佳奈は視線を動かし    

闇の奥に速人たちやストルーヴェなどがいるのを確かめる。

 全員無事なのはわかったが、マツキだけはいなかった。

 逃げた……? この土壇場で?

「佳奈、早く! 少しでもいいから力を貸してくれッ!」

 琴美の怒鳴り声に、佳奈はすぐに我に返った。

 さっきよりもずっと身体が軽くなっているのを確かめると、    

立ち上がる。

 琴美は瑞穂を力任せにはがい締めにしていた。

「先輩! それでは駄目です! 何とか説得しないと……」

「だったらどうすれば……うわっ!」               

 琴美の返事は途中で切れた。

 瑞穂が振り回した腕が命中して、吹き飛ばされたのだった。    

 既にここと市街地を隔てる山は半分崩されており、急がなく    

ては被害が発生する可能性が高かった。

「小泉さん……ううん、ダール! お願い! もう止めて!」    

「そうは……いかぬ」

 佳奈の呼びかけに、瑞穂の口を借りてダールは答えた。

 反応があった事に佳奈は安堵したが、手は止まっていなかっ    

たので、事態の悪化を食い止める事は出来ないままだった。

「本当はこんな事をしたくないのでしょう? あなたは故郷で    

 は女神として慕われてきたんだから」              

「それとこれは関係ない!」

 いきなり、瑞穂が何かを掴んだかと思うと投げつけてきた。    

 とっさに手で庇ったものの、岩や折れた木が混じった山の一    

部だったので、上半身で受け止める羽目になる。

 新たな傷が増えたが、佳奈は引き下がらずに言葉を続ける。    

「私は自分を陥れた姉に復讐したい。ただそれだけ。その前に    

 姉が護ってきた街を破壊してやる!」

「ダール、姉……アルダは謝りたいと言ってるんだ。話を聞い    

 たらどうだ?」

 ようやく琴美が立ち上がった。

 かなり激しく突き飛ばされたのか、着ている服も汚れ、身体    

のあちこちに傷があったが、その瞳の輝きはいつもとまったく    

変わらなかった。

「幸い、ボクの意識の中にはアルダがいる。今なら直接話せる    

 はずだ。……アルダ。謝るなら今だ」

「……。全て私が悪いわけではない」

 琴美の唇から発せられた低い女性の声……アルダの言葉は、    

その場の空気を一段と険悪にしただけだった。

 今になっても自分の非を認めない女神に、琴美は本気で腹が    

立つ。

「おい、ちょっと待て! どういう意味だ!?

「最初に悪事を働いたのはダールの方ではないか。人間たちの    

 争いを止めようとしたからこんな事になったのだ」

「アルダ姉様、その論理は目茶苦茶です。私を無理やり引き止    

 めたのは貴方の方ではありませんか?」

 瑞穂の手が止まったかと思うと、その口から少女の面影が残    

る声が反論する。

 姉神の言葉に、妹神がついに応えたのだった。

 いよいよ最後の勝負が始まったことに気づいて、アルダとダ    

ール、両方から力や使命を託された佳奈は拳をぐっと握りしめ    

てやり取りに耳を傾ける。

「私はあの時言った。<神は人間たちの争いに加わるな>と。    

 その場は収まっても後に災いを招くだけだと」

「その意味は……ようやく理解できるようになりました。私も    

 少しは学んだのです。神の名を借りて争う愚かな人間がここ    

 までいるなんて……思いませんでした」

「それならばいい。もう二度と、あの時のような事はしてはな    

 らぬ。神は中立でなくてはならぬ。護るべきなのは、全ての    

 人間なのだ」

 アルダの言葉には、風格さえ感じられた。

 その力を一部ながらも受け継いでいる佳奈は、改めて神の存    

在の凄さに感心したが、琴美は騙されたりしなかった。       

「ご高説はそれまでだ。言ってる事はもっともだけど、あんた    

 は妹を陥れてここに封じた。それはどう言い訳するんだ?」    

「アルダ姉様、貴方は人間たちから<どうして争いを止めなか    

 ったのか>と問われた時に、責任を全部私に押しつけて、こ    

 こに封印したではありませんか! それはどういう事なんで    

 すか! しかも監視役まで送り込んで……」

「……。封印はしなければならなかった。もう気づいているの    

 ではないか? その理由に」

「え? そ、それは……」

 ダールがなぜか口ごもったので、佳奈はびっくりした。

 藍色の女神は姉の策略で封じられたのではなかったか?

「確かに認めるわけにはいかないであろうな。自らの未熟さ故    

 にこうなった事を。あの頃のダールは舞い上がっていたから    

 な。未熟故に人間たちの争いに勝手に介入しようとし、未熟    

 故に封印されたのも当然」

「ど、どうなってるんだ……? 話が違うんじゃ……?」

 アルダに続いて琴美が疑問を投げかけたが、佳奈も全く同じ    

気持ちだった。

 今までダールは哀れな犠牲者だと思っていたのだが、アルダ    

の話ぶりからすると、何かが違うような気がしてきた。

「まさかと思うけど……。逆恨み?」

「いや、そんなはずはないだろう。だったらなんでここまで大    

 暴れするんだ?」

「守護巫女たちよ。私たちはは完全な存在ではない。感情もあ    

 るし、失敗もする。それ故に人間たちから信仰される矛盾し    

 た存在なのだ」

 巨大化した瑞穂の身体を借りるダールが、ゆっくりとその場    

にへたり込んだのはその時だった。

 瞳には光が無く、放心しているのは明らかだった。

 当面の危機が去った事に佳奈は安堵したが,アルダの言葉の    

意味は理解できなかった。

 アルダもダールも人間に近い女神様ということなのかしら?    

確かにそうみたいだけど、もしかしてダールは本当に封印され    

なければならなかったのかしら?

「……ありえるかもしれない」

 琴美がぽつりとつぶやいたのは、しばらく沈黙が続いた後の    

ことだった。

 瑞穂が動かないのでとりあえず安心したのだろう。

 顎の先に指を当てて考え込んでいたが、佳奈の視線に気づく    

といつもの笑みを浮かべて言葉を続ける。

「女神の力はとてつもなく大きい。しかし、未熟で勝手な行動    

 ばかりしてると人間に対する影響も計り知れない。だから仕    

 方なく、アルダはここにダールを封じたんじゃないかな?」    

「そういうことですか……? アルダ……様」

「私に対しては呼び捨てでよい、守護巫女よ。その通り。乱暴    

 だったが、これしか方法は無かった」

「だから監視役も必要だったのですか?」

「そういうことだ。……しかし、思ったより早く封印が解けて    

 しまった故に騒ぎが大きくなってしまった。ダールはまだ未    

 熟者。だから無関係な少女すらも巻き込んでしまった」

「それは……小泉さんのことですか?」

 琴美の姿をとるアルダは苦々しく頷いた。

 まるで、自分の不手際を認めるかのように。           

 だからわたしと先輩も意見が違ったのね。わたしは純粋に可    

哀相だと思ったけど、先輩はもう少し冷静に見てたから……。    

「優しいな、そなたは」

 琴美の表情で笑いながら、アルダが声をかけてた。

「結果的にはダールの暴走を止めたのだから良いではないか。    

 そなたも、私が身体を借りている守護巫女も本当によくやっ    

 てくれた。心から感謝する」

「そ、そんな事はありません。わたしはただ、慌ててばかりで    

 何も……」

「それでいいのだ。人間も女神も大して変わらぬ」

 その言葉を合図にするかのように。

 巨大化していた瑞穂の身体が急速に縮んでいった。

 びっくりした佳奈だったが、すぐにアルダが言葉を続ける。    

「力を使い過ぎただけのことだから心配は無い。いずれにして    

 も、全て終わった。ダールは私が責任を持って故郷に連れて    

 帰る。故郷でしなくてはならないこともあるのでな」

「ストルーヴェさんたちに力を貸すのですか?」

 琴美……アルダはゆっくりと首を横に振った。

 ダールと同じ間違いを犯しそうになった事に気づいて、佳奈    

は赤面する。

「私たちは見守るだけ。人間の事は人間が決めなくてはならぬ    

 のだ。ダールにはそれが理解できていなかった」

「そうですね。でもそれでは……」

「争いには力は貸さぬが、天災などには力を貸す。守護巫女も    

 そうだったではないか」

 ようやく納得がいって、佳奈は頷いた。

 守護巫女の力は非常に強い。

 だからこそ、<街を護る>事に役目は限定されているのだ。    

「あっ……」

 ようやく全てが解決したと思い、安心したのだろうか。

 佳奈は軽い目眩を感じた瞬間、その場に崩れ落ちた。

 巨大化している時ならば絶対に避けたい事態だったが、瑞穂    

を止めるのに全ての力を使った佳奈に、そこまで考える余裕は    

無かった。

 アルダこと琴美も慌てて助けに入ろうとしたが、あまりに急    

な事で間に合わなかった。

 佳奈が倒れた先にあったのは……瑞穂によって半分崩された    

山だった。