第40話 終末の瞬間

                                

 夜間に巨大化したのは初めてではなかったが、周囲にほとん    

ど光の無い状態では初めてだったこともあり、すっかり慣れて    

いた佳奈もさすがに少し面食らった。

 しかし、瑞穂の姿に気づくと足元も気にせずに駆け寄る。

 かつては見捨てられた集落のあった場所だったが、巨大化し    

た守護巫女たちと瑞穂との戦いでほぼ壊滅し、瓦礫も撤去され    

たので思い切って行動できるのが数少ない利点だった。

「小泉さん! 小泉さん!」

 呼びかけても、藍色の女神に操られる少女は何の反応もしな    

かった。

 その瞳に光は無く、意識を完全に乗っ取られているのは明ら    

かだったが、佳奈は何も考えずに正面に立ち塞がる。

「これ以上は駄目! 気持ちは分かるけど、復讐しても何もな    

 らない……あっ!」

 胸元に強烈な痛みを感じたかと思うと、視野が揺れた。

 何が起きたのか分からないでいる内に、背中に強烈な痛みを    

感じて、ようやく自分が突き飛ばされたと気づく。

 ……力の差が大き過ぎる? ダールが完全に復活したから?    

それとも、アルダの力の一部しか受け継いでないから?

 正確には両方だったのだが、瑞穂が西の方向……稲穂市の市    

街地の方へと向かっているのに気づくと、痛みに顔をしかめな    

がら何とか立ち上がった。

 ここと市街地の間には小さな山が連なっているが、採石場に    

隠された核シェルターを破壊した程の力があれば、そんなに時    

間はかからずに突破できるだろう。

 それを阻止できるのは……守護巫女だけだった。

 その姿を見つめながら、もう一人の守護巫女である琴美は自    

らの選択を激しく後悔していた。

 自分が犠牲になれば、街も瑞穂も救われるはずだった。

 しかし、現実は……。

「無理だな。一人で立ち向かうには力の差が大き過ぎる」

 琴美の腕を掴んだまま、マツキは冷徹に言い切った。

 その瞳には、何もできずにいる速人たちの方を捉えたままで    

警戒を解いていないのは明らかだった。

「だったらボクを解放しろ! 二人でなら止められる!」

「ジョークにしては質が悪過ぎるな。キミをここで巨大化させ    

 たら迎えのヘリを叩き落としかねないからな。ま、最悪自衛    

 隊に頼む手もある」

「自衛隊……」

「我々は世界中の軍隊にネットワークを持っている。今回の一    

 件も後始末は我々がするから君たちが気にすることはない。    

 ちょっと大事になったが、なに君さえ連れ帰れば十分すぎる    

 ほどに採算は取れる」

「お前、仕事の事しか頭に無いのか!?

 たまりかねたように速人が叫ぶ。

 かつては<他称硬派>とまで言われた少年も、かなり正直に    

自分の気持ちを押し出すようになっていた。

「君も大人になれば分かる。上司の命令は絶対なんだ。このよ    

 うな組織の場合は特にだ。ま、その代わりアフターフォロー    

 は世界一充実してるから問題ない」

「くそっ……。速人、言われっぱなしじゃないかよ」

「馬鹿。お前が先輩の味方なんかするからこうなるんだ」

「オレが先輩に逆らえると思ってたのか!? 姉貴分だぜ!」

「この野郎!」

 溜めこんだ怒りがついに爆発したのだろう。

 拳を握りしめ、晶を本気で殴ろうとしたその時だった。

 立っていられない程激しい衝撃が襲ってきて、速人たちは地    

面に倒れた。

 巨大化した瑞穂を後ろからはがい締めにしようとした佳奈が    

簡単に突き飛ばされたのだった。

 既に着ている服も埃まみれで、表情は苦悶に満ちていたが、    

それでも何とか立ち上がろうとする。

「佳奈……」

「石川……」

「わたしが止めなくちゃ……。今年の守護巫女なんだから。ダ    

 ール……わたしの話を聞いて!」

「くそっ! オレたちは何もできないのかよ!」

「せめて先輩さえ動ければ……」

「いや、それでも無理だ」

 口許に薄ら笑いを浮かべながら、マツキは言い切った。

 人質を抱えたまま、あれ程の衝撃を受けても倒れないのは訓    

練を受けているからだろうか。

 依然として隙は無かった。

「コトミもアルダの力の一部を受け継いでるだけだ。女神その    

 ものに勝てるわけがない」

「やってみなきゃわかんねえだろ!」

「……残念ながら、その男の言葉は正しい」

 玉木の冷静な言葉が届いたのだろうか。

 琴美の唇から、今まで聞いた事が無いような低い声が紡がれ    

たのはその時だった。

「今年の守護巫女がダールに味方したのは誤算だったが、今の    

 ままならダールは本当に罪を犯す事になる。そうすれば、も    

 う女神とは呼ばれなくなる」

「お前はまさか……アルダか!?

 ダールの姉神の気配が、稲穂神社に漂っているという話を思    

い出して、速人がとっさに問いかける。

「いかにも。私はアルダ。正確にはその一部。昨年の守護巫女    

 の意識を一時的に借りている」

「だったら止めろよ! お前の妹だろ!?

「そうはいかぬ。ダールは女神失格。それを証明する為にも止    

 めるわけにはいかぬ」

「何が言いたい!」

「邪魔で目障りな妹を女神の座から引きずり下ろしたい、って    

 ところだな」

 したり顔でマツキが話に加わる。

 利害関係が一致するならば、たとえ女神や悪魔が相手でも手    

を組む。

 それがダークポラリスだった。

「その通り。そなたには感謝している」

「女神に感謝されるのは初めてだな。一応プロテスタントだが    

 神の声なんか聞いた事もないからな」

「神は信じる人の数だけ居る。この街の人間たちも、守護巫女    

 を通じて私を崇めていた」

「そういう仕掛けだったのか……」

 悔しげに速人が吐き捨てる。

 一見するとこの街に恩恵のある話だったが、それと引き替え    

に、別の女神の復活を阻止していたのだ。

 今更、約三百年前の選択を呪っても後の祭だった。

 再び、地面が大きく揺れた。

 巨大化した佳奈の何度目かの挑戦が挫折したのだった。

 体のあちこちに傷を負い、口許からは血が流れても立ち上が    

ろうとする幼なじみに、速人は鬼気迫るものを感じる。

 石川……。頼りになるのはお前だけだ! 頼む!

 心の中だけながらも、生まれて初めて佳奈に深々と頭を下げ    

た、その時だった。

 西の方角からヘリの音が聞こえてきた。

    
アルダに意識を乗っ取られたまま、瑞穂は自分の心の中を彷    

徨っていた。

 全ての始まりは三百年前だった。

 現在、海外にいる両親の話によれば、当時の稲穂市に守護巫    

女が誕生した前後に、<西から来た女神>が東相沢の集落に現    

れた。   

 当時からその地のまとめ役だった瑞穂の先祖が応対したが、    

その内容は驚くようなものだった。

 四方を山に囲まれたこの集落の地下深くに、<邪悪な女神>    

を封印したので監視を続けて欲しい。

 そして、万一の時には守護巫女を頼るように、というものだ    

った。

 まだ科学などが幅を利かせていなかった時代の事であり、瑞    

穂の先祖は正直にその言葉を実行した。

 東相沢集落を見下ろす北側の山の中腹に神社を設立し、そこ    

に女神から授けられた邪悪な女神を封じる為の封印を御神体と    

して祭ったからである。

 そして自らの一族はそこの管理を担当する事が定められたの    

だが、今になってその結末が自分に降りかかってくるとはさす    

がに思わなかった。

 ……私は最初からダールに操られる運命だったのね。だから    

封印を解いて言葉を失い、ダールの巫女となった……。

 ぼろぼろになりながらも、なおも立ち向かってくる今年の守    

護巫女……佳奈を自分の意思とは無関係に振り払う。

 今度は前の戦いでも倒れなかった林の木々を派手に薙ぎ倒し    

ながら巨大な佳奈は地面に転がったが、ダールは嘲笑さえして    

いるようだった。

 ……駄目。このままでは本当の邪神になってしまう。そうし    

たら、もう絶対戻れない。

 ダールが元々、優しく慈悲深い女神である事は、巫女となっ    

てから知った。

 神社の封印を解かれたダールは勝手に話しかけてくることが    

あったのだが、そこから浮かび上がってきたのは、その優しさ    

が反転し、復讐の女神となったという悲しい事実だった。

 お願い。今なら間に合うから何もしないで。石川さんに髪飾    

りを託したのは、自分を止めて欲しいからじゃないの?

 佳奈から髪飾りの話を聞いた時、瑞穂は少しだけ希望を感じ    

た。

 復讐で我を忘れていると思っていたのだが、最後に残されて    

いた良心が、佳奈に暴走を止める事を託したのだとすぐに確信    

した。

 だからもう、石川さんに攻撃しないで! ダール、あなただ    

ってこんな事はしたくないはず! お願い! 目を……覚まし    

て!

 最後は半ば涙声になりながらも、瑞穂は心の中で叫んだ。

 届けばきっとダールは分かってくれる。

 そう信じて。

 しかし……。

 最後の防衛線というべき西の低い山々を背景に組みかかって    

きた佳奈を、巨大化した瑞穂……ダールは口許に笑みさえ浮か    

べながら真後ろに放り投げた。

 佳奈の攻撃は、もはや攻撃にすらなっていなかった。

 そんな……! こんな程度の山、すぐに崩れる。それだけで    

大変な被害が……。

 あまりに絶望的な状況に、瑞穂が目を伏せた時だった。

 西の方向から、ヘリの音が聞こえてきた。

     
絶望的な抵抗を続ける佳奈を、琴美は正視できなかった。

 可愛くてたまらない後輩をここまで追い込み、ぼろぼろにし    

たのは自分のせいだと思っていたからである。

 しかも、気がついた時には自分に巨大化能力を授けた女神・    

アルダが意識の殆どを乗っ取っていて、琴美は言葉すら封じら    

れていた。                           

 そんな状態でも、自分の腕を掴むマツキは速人やアルダと何    

かを話しているようだったが、それすらも耳に入らなかった。    

 くそっ……。肝心な時に佳奈を信じないからだ! 今までず    

っと信じてきたじゃないか! それなのにボクは……。

 もし、自分が佳奈に味方していたら、状況は多少好転してい    

ただろう。                           

 かつてここで戦った時も二人だったし、夢の中でも同じよう    

に戦い、いずれもダールを撤退に追い込んでいたからだった。    

 しかし、もうそれは望めなかった。

 マツキの呼んだヘリが到着すれば、自分はそのままダークポ    

ラリスの潜水艦でアメリカに連れて行かれ……おそらく、二度    

と日本に戻る事はないだろう。

 覚悟はしていたが、守護巫女としての役割も果たせないまま    

ではなんのために犠牲になったか分からなかった。

 ……少しでも隙があればいい。今はマツキしかいない。竹尾    

君たちの側にはストルーヴェさんたちもいる。ボクが自由にな    

ればまだ機会は……ある。

 マツキが実力者なのは分かっていたが、ストルーヴェたちも    

プロの軍人である。

 実際、イワノフ大尉も、昼間ナイフを取り出した武闘派のラ    

ティマ大尉も隙を窺っているように見えた。

 ……。駄目だ。やっぱり無理だ。

 一瞬の内に頭の中で作戦を考えて、琴美はすぐに逆転の可能    

性は無いと判断した。

 ヘリには操縦者だけでなく、ダークポラリス所属の工作員も    

複数乗り込んでいるはずだった。

 それにヘリ自体が武装している可能性も十分にあった。

 こいつらはボクの命以外、なんとも思っていない。ヘリが来    

た時点で終わりだ。それまでに隙を見つけないと……。

 速人などのやり取りの間も、琴美は少しでも体を動かそうと    

したが、マツキに隙はまったく無かった。

 むしろ、速人たちと話をすることで時間を稼いでいるように    

さえ思えた。

 それに味方するかのようにアルダも琴美の意識を抑えていた    

ので、琴美は体も心も動かせなかった。

 どうしたらいいんだ? 早く、早くしないと街も……佳奈も    

無事では済まない!

 巨大化した佳奈が、簡単に瑞穂の後ろに投げ飛ばされた。

 もはや余力が残っている状態とは思えなかった。

 終わり、か……。ボクはダークポラリスに連れてかれて、稲    

穂市はダールによって滅ぼされる。この為に守護巫女になった    

わけじゃないっていうのに……!

 心の中で激しく叫んだ時だった。

 西の方向から、ヘリの音が聞こえてきた。