第36話 巫女たちの決断と行動

                                

 佳奈たちが石段を降り始めたのは、おおよそ三十分ほどして    

からのことだった。

 守護巫女の少女が完全に放心してしまい、元に戻すのにかな    

り時間がかかったからだった。

「それにしても……。ハヤトがわたしの事を調べてたなんて思    

 わなかった。守護巫女に選ばれたあたりから前より話をする    

 ようになったと思ってたけど……」

「悪い。どうしても言えなかった」

 いつもなら悪態の一つでも返ってくるところだったが、速人    

の言葉はいつもの態度からは想像もつかないものだった。

「俺だって嫌だったんだ。お前とは長い付き合いだからさ。で    

 も、止める事はできなかった」

「相手が悪いもんね。ダークポラリスってかなり凄い組織みた    

 いだし」                           

「でも、本当に大丈夫なの? わたしたちに全部打ち明けて」    

「奴らにとっては予想通りの動きだと思うぜ。実際、何もして    

 こなかっただろ」

「そうだけど……」

 開き直ったのか、速人は平然としているように見えたが、佳    

奈の心配は消えなかった。

 琴美が最後に残した言葉の意味はもしかすると……。

「ねえ、ハヤト。先輩はもしかして……ダークポラリスと手を    

 結んだの?」

「おそらく、そうだろうな。だからダークポラリスは石川には    

 興味が無くなったんだ。奴らにしてみれば、守護巫女は一人    

 いれば十分みたいだからな」

「そんな……」

 速人は何も言わずに首を振った。

 琴美の事は別に恨んでいなかった。

 外見はちゃらちゃらしてるものの、街を救う為ならば自分の    

身を犠牲にする事すら厭わない性格なのは、短い付き合いで察    

する事ができた。

 そういう意味では佳奈と同じだったが、街を救う為の手段が    

完全に食い違った結果が、今回の別離だった。

 嫌な感じはしてたけどな。先輩はどうしても小泉さんの事を    

信じようとしなかったからな。石川が何を言っても駄目だった    

し。でも、だからといって……。

 考えをまとめきれないでいる内に、石段を下りきって神社の    

駐車場まで来ていた。

 昼間は参拝客などで賑わうのだが、街灯の頼り無い明かりに    

浮かぶのは玉木の車だけだった。

「時間も時間だし、二人とも送ろう」

「済みません、お願いします」

「……ああ。頼む」

 玉木の勧めに素直に応じて、車に乗り込む。

 最後に運転席に玉木が身体を滑り込ませた時だった。

 携帯電話の無機質な呼び出し音が車内に響き渡った。

「……マツキからだ。くそっ。やっぱり全部お見通しだったん    

 だな」

 携帯を取り出すなり、悔しそうな声でつぶやいたのは速人だ    

った。

 このまま無視を決め込もうとしたが、佳奈たちの視線に気づ    

くと着信ボタンを押して、いつもの愛想のない声で応じる。

「俺だ。こんな時間に何の用だ?」                

<ご挨拶だね、親戚同士だっていうのに> 

 携帯のスピーカーを通して、マツキの声が車内に響き渡る。    

「お前の事を親戚だなんて思った事は一度もない!」

<まあまあ。君たちの動きは全部把握している。しかし、我々    

 は手出しをしないと約束しよう>

「本当なの?」

 後部座席から身を乗り出して、佳奈が問いかける。

<約束を平気で破ると思われるのは心外だが、正直タンギスタ    

 ンの連中とは事を荒立てたくない。我々にとってみれば大事    

 なクライアントだからね>

「……それだけか?」

<もちろん、理由は色々あるが、今言えるのはそれだけだ。い    

 ずれにしても、この街を犠牲にする事はない。コトミが許す    

 わけないからね>

「やっぱり、高田は……」

<健気なものだ。我々の正体を知っても協力すると断言してく    

 れた。その為にも我々はこの街を守る。但し、君たちとは方    

 法が違うけどね>

「どうするのかしら……?」

「知るか。話はそれだけか?」

<今のところはそれだけだ。あと、君の役割はまだ終わってい    

 ない。報告さえあげてくれれば多額の報酬を……>

 速人は何も言わずに通話を終了した。

 思いがけない行動に、佳奈も晶も、玉木も驚く。

「そんな事していいのか……?」

「こっちに手出ししてこないなら放っといてもいい。ただ、手    

 段が分からないのが気になるな」

「……。小泉さん、大丈夫かしら?」

 ぽつりと佳奈がつぶやいたのは、その時だった。

 左手で小さな髪飾りに手をやりながら言葉を続ける。

「また、何か聞こえたような気がしたの。小泉さんが危ないっ    

 て」

「どういうことだ?」

 佳奈は何も言わずに首を振った。

 今の言葉は女神ダールからの救援要請かもしれなかったが、    

相手の動きが分からなくては何をすればいいのかも分からなか    

った。

「とにかく、小泉さんには気をつけるように連絡しておくわ。    

 本当はこっちに来てもらうのが一番いいんだけど……」

「だったら今からでも行こう。人一人なら私の仕事場にでも匿    

 えるからな」

 そう言うなり、玉木は車を急発進させた。

 身を載り出していた佳奈は後部座席に押しつけられる形にな    

り、晶と衝突する。

「い、石川さん……大丈夫?」

「う、うん……。と、とにかく連絡しておかないと」

「どうやって知らせるんだ?」

「メルアド教えてもらってるから。……車酔いしそう」

「ばか。俺によこせ。入力は俺がする」

 言葉は乱暴だったが、速人は心の底から瑞穂の事を心配して    

いた。

 それに少しだけ安心しながら、佳奈は自分の携帯を速人に渡    

したのだった。

<……というわけで、高田先輩の動きには気をつけて下さい。    

 小泉さんは女神ダールに仕える第三の守護巫女です。何かし    

 てくるかもしれません。            佳奈>

 携帯に着信したメールを読み終えて、瑞穂は複雑な気分にな    

った。

 何度も罠にかけ、襲った相手に助けられるというのはなんと    

も言えない程、複雑だった。

 でも、石川さんはアルダの力を受け継いでるのにダールから    

のメッセージも受け取れるみたいだわ。それに、タンギスタン    

の人たちが協力してくれるなら、もしかすると……。

 弱々しい希望だったが、瑞穂としてはそれにすがりつくしか    

なかった。

 このままでは、アルダは姉への恨みを抱いたまま覚醒し、街    

を滅ぼしてしまうからだった。

 私が不用意に封印を解いたりしなければこんな事にはならな    

かったのに。だからこんな事になってしまうのね……。

 幼い日の誤りを改めて思い出し、目頭が熱くなってきた時だ    

った。

 玄関のチャイムが鳴り響いて、瑞穂は飛び上がらんばかりに    

驚いた。

 ……誰? 石川さんたちのはずはないわね。まだこっちに向    

かってるはずだから。とすると……。

 可能性は一つだけだった。

 いよいよダークポラリスは自分を狙って動き始めたのかもし    

れなかった。

 出たら駄目。石川さんたちが着くまで粘ってないと。でも、    

どうしたら……。

 守護巫女たちと違って、瑞穂は自分の意思で巨大化する事は    

できなかった。

 いつも勝手にアルダに意識を乗っ取られ、その時の記憶の記    

憶すら曖昧なまま操られるからだった。

 少しでも玄関から離れようと、二階にある自室へと階段を駆    

け上がろうとした時だった。

「小泉さん! 小泉さん!」

 玄関の扉の向う側から琴美の声が聞こえてきて、足が止まっ    

た。

 彼女は確か、ダークポラリスに味方してるはず……。

「もうすぐここにダークポラリスの連中が来る! その前に逃    

 げるんだ!」

 どういうこと……? 高田さんは……。

「信じてないと思うけど、これも作戦だったんだ! ボクがダ    

 ークポラリスに味方して、情報を探り出したんだ! 早く!    

 佳奈たちもこっちに向かってるんだろ!?

 佳奈からのメールの内容を思い出し、そのまま階段を駆け上    

がろうとした瑞穂だったが、足が動かなかった。

 敵を欺く為に味方すらも騙したかもしれない。

 その可能性が瑞穂の心を縛りつけていた。

「奴らはキミを監禁してしまうつもりだ! アルダはキミがい    

 ないと完全には復活できないんだ!」

 その可能性はある……。

 瑞穂は心の中だけでつぶやいた。

 そもそも数百年前にこの地に封じられたアルダに完全な肉体    

があるとは思えない。

 とすれば、第三の巫女というべき自分が狙われる……?

「時間がない! 早くこっちに来るんだ!」

 琴美の呼びかけにも、瑞穂は動けなかった。

 二つの可能性の間に挟まれて、身体が分裂しそうだった。

 このまま自分の部屋に逃げ込んで、佳奈たちの到着を待つ?    

 それとも、琴美を信じて玄関を開けるか……。

 自分の判断が稲穂市の未来を決めると思うと、足が震えてそ    

の場に崩れ落ちそうになる。

 嫌! もう……嫌! 封印を解いたからってこんな目に遭う    

なんて……。私は、私は……悪くないのに!

 思考が空回りしていた。

 少女の心は螺旋を描いてどこかへと落ちていき、理性的な行    

動すらもとれなくなっていた。

 そのまま、階段の上に座り込むと泣き出してしまったからで    

ある。

 決断を拒否した少女に出来るのはそれだけだった。

「小泉さん! 小泉さん!」

 琴美の声が焦りを増していた。

 しかし、なぜそんなに焦っているのか想像もつかない。

 私は関係ないわ。私は……何もしてないし、できないのに、    

どうしてみんな私の事を……。

 それが、瑞穂の言葉にならない最後の言葉となった。

 気配を殺して忍び込んだダークポラリスの工作員が、瑞穂の    

口と鼻にクロロフォルムの染み込ませた布を押しつけて、一気    

に眠らせたからだった。

 意識を失った瑞穂が工作員に担がれて玄関から出てきた時、    

琴美は自分が越えてはいけない一線を越えたのを悟った。

 このまま警察に捕まれば、誘拐罪に問われるのはまず間違い    

ないだろう。

「見事な演技だったよ、コトミ。アカデミー賞なら助演女優賞    

 ぐらいは取れたかもしれないな」

 作戦の第一段階が成功したのを確かめて、指揮を取っていた    

マツキが姿を現す。

「まさか、玄関に現れたらそのまま逃げるつもりだったから、    

 必死だったのかな?」

「違う」

 言下に否定したが、琴美の本心は見抜かれていた。

 佳奈と決別し、別の方法で稲穂市を救うと決意したものの、    

その作戦自体が<犯罪>そのものである事に気づいて、俄に恐    

ろしくなってきたからである。

「でも、もう賽は投げられた。キミはずっと私たちに従うしか    

 ない。そう決意したはずだ」

「……分かってる」

 気がつくと、眠らされた瑞穂は地味な国産車の中に押し込め    

られていた。

 その場に残っているのは、琴美とマツキだけだった。

「急ごう。今年の守護巫女たちが来ると厄介な事になる」

 昨年の守護巫女は何も言わずに、マツキに従った。

 最早、後ろを振り向いている余裕は無かった。

 稲穂市の破滅の時は想像していたよりもずっと近づいていた    

し、佳奈と二度と顔を合わせたくなかった。

 いざとなったらボクが全部罪を被ればいい。佳奈には迷惑を    

かけられない。

 一瞬だけ、後輩の少女がいるであろう西の方向を見やってか    

ら後部座席に乗り込む。

 同時に車は静かに発進し、神社のある山を下りていく。

 その行き先を、琴美はまだ聞かされていなかった。