第35話 出会いの場所での別離

                                

「なあ、親父。どーすんだよ。肝心の守護巫女が仲違いするな    

 んて思わなかったぜ」

 その日の夜。

 居間のソファーに腰掛けるなり、晶は父親に向かって心に溜    

めていた不平をぶつけた。

「どっちにも電話してみたけど、話し合ってる様子も無いんだ    

 ぜ。このままだと……」

「分かってる。分かってるから考えるんじゃないか」

 著名な映像作家である父親は言葉通り腕組みしていた。

 夕食の後はいつもなら、仕事部屋に入り浸りなのだが、この    

日はさすがに守護巫女の事が心配でたまらないようだった。

「こうなったら無理やりにでも引き合わせるか? 顔を合わせ    

 れば少しは……」

「うるさい。お前は黙ってろ。だいたいそれでも解決しないの    

 は目に見えてるじゃないか。帰りの車の中でもお互い目を逸    

 らしてたのを見ただろ?」

「だよな……。でも、ヤバくないか? また今日も陥没事故が    

 あったんだぜ。もし死者が出て守護巫女とダールって女神の    

 関係の事が……」

「だから黙ってろって言ってるだろ? あの二人が力を合わせ    

 ないとどうにもならないっていうのに……」

「……。親父に話しても無駄か」

 いつもなら賑やかな程の口喧嘩になる場面だったが、晶は諦    

めて立ち上がった。

 こうなったら自分で何とかするしかない。

 そう決意を固めると、自分の部屋に戻り、速人の携帯に電話    

をかける。

「竹尾、悪いな。そっちの状況はどうだ?」

<お前は高田の味方だろ。話す事なんか無い>

「おいおい、待て待て。確かにそうだけど、先輩オレにも何も    

 話してくれないんだ。今までこんな事なかったっていうのに    

 さ。……で、石川さんは?」

<例の料理店の連中と組むと決めたらしいぜ。うまくいけば街    

 は救われる>

「本当か!? だったらそれでいいじゃないか!」

<馬鹿。このままだと石川はタンギスタンに行って帰ってこれ    

 なくなるんだぞ>

「って、それどういう意味だ!?

 興奮する晶に構わず、速人は冷静な口調で昼間の事を説明し    

た。

 ダークポラリスの事についても触れるべきか迷ったが、佳奈    

の顔が浮かんだ瞬間に止めた。

 結局、佳奈には自分の家の<裏稼業>の事を話していなかっ    

たからだった。

「そういう事か……。こっちの方が可能性は高そうかな?」

<先輩はどうしてる?>

「何も。別れてからそれっきりだ。とにかく黙り込んでてさ、    

 オレが何を聞いても答えてくれないんだ」

<俺は石川を信じてる。最悪、あいつはタンギスタンに行く事    

 になると思うけど、解決できそうな気がするんだ>

「石川さんが犠牲になったって解決なんかしないぜ」

 珍しく、晶は突き放すように言った。

 今は琴美の味方をしていたが、おおらかで明るい性格の同級    

生である佳奈も大好きだった。

「もしそれで解決しても、石川さんがいなくなるんだったらオ    

 レは反対だな。石川さん一人が被れば済むって問題じゃない    

 だろ?」

<それぐらい分かってる!>

 速人もまた、かなり苛立っているようだった。

 やはり、街は救われても佳奈は救われないという事実が引っ    

掛かっているのだろう。

 そう考えた瞬間、晶は最後の賭けに挑む決意を固めた。

「ちょうどいい。お前は石川さんと連絡が取れるんだな? オ    

 レは先輩を何とか引っ張り出す。無理やりにでも引き合わせ    

 て解決策を探そう」

<無茶だな。失敗したらどうするんだよ>

「今更失敗とかどうとかって問題じゃない! やらないで何も    

 かも終わったら、オレは一生お前を恨むぜ!」

<……お前も言うようになったな>

「お前とか先輩と一緒にいたから少しは鍛えられたんだよ。と    

 にかく、石川さんの方は頼むぜ」

<分かった。先輩はお前に任せる>

「いざとなったら親父にも動いてもらうさ」

 その後、待ち合わせ場所と時間を決めて、晶は速人とのやり    

取りを終えた。

 この話し合いに生まれ育った街の未来がかかっていると思う    

と、恐くて仕方なかった。

 もうこうなったらやれる事をやるしかない。うまくいけば誰    

も犠牲にならずに済む。

 自分でも楽観的過ぎると思っていた。

 しかし、そう考えていないと緊張と重圧で押し潰されそうだ    

った。

 市内の飲み屋街を除いて人気のほぼ絶える午後十時。

 佳奈は速人と共に稲穂神社に通じる長い石段を上っていた。    

 突然携帯で呼び出されて、階段の下まで駆けつけたところ幼    

なじみの少年が待っていたのである。

「これからなにをする気? まさか、街を救う方法が分かった    

 とでも言うの?」

 意図を読みきれず、今年の守護巫女は速人に問いかけた。

「いや、違う。色々大事な話があるんだ」

「大事な話?」

「全員集まってから言う。二人きりの時には話したくない」

 速人はダークポラリスの<連絡員>として、自分がしてきた    

事を打ち明ける決意を固めていた。

 それならば、少しでも人数が多い方がいい。

「でも、先輩は……」

「高田先輩は晶から呼んでもらう。あいつの言う事なら聞くか    

 もしれないからさ」

「……ごめん」

「なんでお前が謝るんだ。お前は別に悪くないだろ?」

「うん。でも……」

「お前は自分の役目を果たせよ。今言えるのはそれだけだ」

「ハヤト……」

 普段は無口でぶっきらぼうなのにらしくないなーと佳奈は思    

ったが、もちろん口には出さなかった。

 生まれ育った街に迫る危機を目の前にして血が騒いでいるか    

らかもしれないと勝手に考えながら、石段を上りきる。

 かつて守護巫女としての力……女神アルダの力を授けられた    

神社の本殿は真夏の闇に沈んでいたが、初代守護巫女・蒲原妙    

の銅像の周囲だけは、頼り無いながらも水銀灯が照らし出して    

いた。

「ここの前で、初めて先輩と話をしたのよね」

 誰に言うわけでも無く、佳奈はつぶやいた。

「その時は一年間、憧れの先輩と一緒に守護巫女として活動で    

 きるって喜んでたのに……まさか、こうなるなんて」

「俺は……何となく予想してた。嫌な奴らが動いてるんだ」

「誰? ストルーヴェさんたちの事じゃないんでしょう?」

「あいつらより百倍も酷い奴らだ」

 速人が吐き捨てるように言うのに合わせるかのように、複数    

の人影が神社の石段を上ってきた。

 琴美・晶、晶の父親である玉木の三人だった。

「竹尾、何とか連れてきたぜ。オレでも断られたけど、親父が    

 説得したら何とか動いてくれたんだ」

「しかし、竹尾君から話があるとは思わなかったな。何を言い    

 たいんだ」

「……。今からする話は俺の家の恥に関する事だ。それには俺    

 も加わってた。でも、全部話す」

 佳奈が何かを言うよりも早く。

 速人はダークポラリスと竹尾家の繋がりについて全てを打ち    

明けた。

 もちろん、自分が情報収集を担当していた事、マツキが組織    

の人間である事も話した。

「……そんな。ハヤト、どうして言ってくれなかったの!?

話の後に訪れた深い沈黙を破ったのは、佳奈の泣きそうな声    

だった。

 口許に手を当て、ただ呆然としているようだった。

「ばか。本当の事が言えるかよ。俺はお前を売り飛ばしてたん    

 だぜ。幼なじみのくせに……」

「竹尾、見損なったぜ。お前がそんな奴だったなんて……」

「玉木君、違うわ。ハヤトは逆らえなかった。それだけよ」

 速人に全ての非難が集中するのを阻止するかのように、佳奈    

は叫んだ。

「そうでしょう? ハヤト」

「……お前に庇われるなんて思わなかったぜ」

「別にいいじゃない。幼なじみなんだから。で、ハヤト。今こ    

 んな話をしたって事はその……ダークポラリスって組織にも    

 動きがあったんでしょう?」

「ある……と思う。ただ、マツキは何も言わないんだ。しょせ    

 ん、オレはただの使い走りだからさ」

「ダークポラリスか……。噂には聞いた事がある」

 映像作家として世界を飛び回っている玉木が、慎重な口調で    

口を挟む。

「昔は死の商人とも呼ばれてたが、最近はより深く各国の軍隊    

 に食い込んでいるらしい。アメリカ政府……いや、軍は彼ら    

 の言いなりだという噂も聞いた事がある」

「そんなに巨大な組織なんですか?」

「らしいが、私にもよく分からない。正体を突き止めようとし    

 たジャーナリストは皆、姿を消すからだ」

 断定された言葉に、佳奈は心の底から震えた。

 平凡に暮らしていたら絶対に見る事のない深淵を覗いてしま    

ったかのような恐怖と後悔が、一度にこみ上げてくる。

 そんな組織にまでわたしたちは狙われてたの……? 巨大化    

できる能力を持つからって。わたしたちはこの街を守る為に力    

を授けられたのに。

「先輩……」

「佳奈」

「え? はい……」

「ボクたちは稲穂市を守る守護巫女だよね?」

「ええ。そうですけど……」

 琴美のどこか他人事のような言葉にも、佳奈はいつも通りに    

頷いた。

 鈍いところのある少女なので、先輩の変化にも勘づいてはい    

ない。

「だったらボクはこれから別行動をとる。街を救う方法が見つ    

 かったんだ。それも確実にね」

「え……? ストルーヴェさんたちに協力するんですか!?

「違う。もっと確率の高いやり方が分かったんだ。ボクはそれ    

 に賭けてみる」

「どういう方法ですか!?

 琴美はゆっくりと首を振った。

 今まで見せた事のない表情と態度に、ようやく変化を悟った    

佳奈の心は凍りつく。

「先輩……」

「別に佳奈のやる事は止めたりしない。佳奈も守護巫女だから    

 役目を果たすのは当然だからね。でも、あの軍人たちに協力    

 しても見込みは無いと思う」

「おい、待てよ。なんで先輩がストルーヴェたちの正体を知っ    

 てるんだ?」

 今日の昼に初めて聞かされた事実を既に琴美が知っている事    

に気づいて、速人は声を荒らげた。

 猛烈に嫌な予感がしたが、今更止められないのは心のどこか    

で分かっていた。

「ちょっと考えれば分かる事だと思うけどね。……それじゃ、    

 ボクはこれで。話は聞かせてもらったからね」

 突然琴美が背中を向けたので、佳奈は反射的にその背中にし    

がみついていた。

 ずっと追い続けてきた立派で格好いいその後ろ姿が、どこか    

に消えていこうとするのを本能だけで悟ったからだった。

「……佳奈」

「先輩、どうして話せないんです? わたしが嫌なんですか?    

 それとも力不足なんですか?」                 

「……違う。別に佳奈の事が嫌いなったわけじゃない」

 ゆっくりと振り向いて、琴美は佳奈の細い肩に手をかけた。    

 水銀灯の光に浮かぶどこか少年のような横顔は、儚く、そし    

て人形のように固かった。

「でも、やり方が違う事はあるんだ。佳奈は佳奈で全力を尽く    

 して。ボクに言えるのはそれだけだ」

「先輩!」

 佳奈の涙混じりの絶叫は、琴美には届かなかった。

 先輩守護巫女は何かを吹っ切るかのように身体の向きを変え    

ると、そのまま石段を駆け降りていったからだった。

 大好きだった頼りになる後ろ姿が、ゆっくりと闇の奥へと消    

えていく。

「……先輩」

「どうなってるんだ!? 先輩が石川さんを裏切るなんて!」

「裏切ったんじゃない。別のやり方を見つけただけだ」

「冷静になってる場合か!?

「うるさい! こうでもなきゃやってられるか!」

 速人の感情に満ちた声が、闇を貫く。

「先輩はダークポラリスと手を結んだんだ。間違いない。あい    

 つらなんかに解決できるわけがないのに……!」

「ハヤト、それ本当なの!?

「いい加減な事を言ったらお前でも許さないからな!」

 佳奈の叫ぶような声、そして晶の絞め上げにも、少年はいつ    

ものように無表情だった。

 証拠はまったく無かった。

 しかし、今までの事実を積み上げていくと、これしか結論は    

出なかった。

「先輩……。どうして……」

 激しい感情が尽きたのだろうか。

 佳奈の弱々しい声が唇から紡がれる。

 それはまるで、危機の迫る街に対する悲壮な予言のように周    

囲の人間には聞こえたのだった。