第34話 振り向けば一人

                                

 佳奈と速人、瑞穂が料理店「アルダ」を後にしたのは、それ    

から一時間ほどしてからのことだった。

 佳奈が目を覚まし、冷めてしまったとはいえ美味な料理をご    

馳走になった後のことだった。

 真夏の日差しが容赦なく照りつけ、近くの公園からはセミの    

鳴き声が盛大に聞こえてきたが、三人の少年少女は無言のまま    

だった。

 速人と瑞穂は、佳奈の決断に依然として驚きを隠せないでい    

たし、当の佳奈はそれに触れることなく歩き続けていたからだ    

った。

「石川……。どこかに寄らないか?」

 たまりかねたように速人が口を開いたのは、公園の横を過ぎ    

て、中央商店街まで来た時だった。

「このままだと俺はとにかく、小泉がバテるぜ」

「あっ……。ごめん。気づかなくて」

 瑞穂は小さく首を振っただけだった。

 暑いのは事実だったが、佳奈の決断の衝撃が大き過ぎて、あ    

まり意識していなかったからである。

「じゃ、そこでいい?」

「ああ。任せるぜ。……石川。お前、本気なのか?」

「わたしは稲穂市を守る守護巫女。街の壊滅を食い止めるには    

 それしか方法が無いじゃない」

「しかし……」

「その話は後。もう決めたけど」

 佳奈の態度には微妙な変化が生じていた。

 いつもならば余計なぐらいに言い訳染みた事を言うのだが、    

この日はただ黙っているだけだったからである。

 これしか方法が無いから開き直ったってことか? どうした    

らいいんだ? ダークポラリスの奴らがどう動くか……。

 おそらく、自分たちの行動も監視されているだろう。

 それに、家に戻ったら昨日からの顛末をマツキに報告しなけ    

ればならない。

 その後に何か動きがあるのは間違い無いだろう。

 守護巫女争奪戦になるかもしれないな。でも、その間にこの    

街は……。

 そんな事を速人が考えている内に、三人は商店街の中にある    

ハンバーガーショップに入った。

 前に佳奈が琴美と来て、ストルーヴェと<偶然>会った店で    

ある。

「で、どうしてあんな事を言ったりしたんだ?」

 料理店で食事をしたばかりなので、アイスコーヒーだけを載    

せたトレーをテーブルに置いて、速人は問いかけた。

「このままだとお前はタンギスタンに連れてかれるぜ。あそこ    

 は危険な国だ。幾ら守護巫女といっても……」

「だったら、それ以外の方法はあるの?」

 佳奈の淡々とした反論に、速人は言葉に詰まった。

 ストルーヴェは言っていた。

 自分たちに協力すれば、この街を守る為に力を貸すと。

 その言葉に嘘があるとは速人は思っていなかった。

 ダークポラリスからの情報によれば、ストルーヴェの家は実    

際に女神を司る家系であり、何らかの切り札を握っている可能    

性は高かったからだった。

「……。高田先輩に相談しなくてもいいのか?」

「罠だと言われるだけよ。まさか、あんなに信じないなんて思    

 わなかった」

<それは私の責任です。何度もあなたたちを罠にかけましたか    

 ら>

「小泉さん、違うわ。ダールも必死なのよ。実の姉に無実の罪    

 を被せられてこんな所に封印されたんだから。しかも、姉は    

 分身……守護巫女を置いてるんだから」

<姉妹で話し合って解決しないでしょうか?>

「出来るとすれば、ストルーヴェの力を借りないと無理だ。俺    

 たちはアルダ側に属してると思われてるぜ」

「……そうでもないかも」

 ぽつりと佳奈が言ったので、速人は飲みかけていたアイスコ    

ーヒーでむせそうになった。

 反射的に睨みつけると、守護巫女の少女は髪の一部を束ねる    

子供っぽい髪飾りに手をやって答える。

「速人、覚えてる? わたしがこの髪飾りをするようになった    

 日のこと。一緒にいたじゃない」

「……。覚えてねえな。お前とは小学校以前からの付き合いだ    

 けどな」

「小学校二年生の時だったけど、知らない女の人から貰ったの    

 よ。これを持ってれば必ず守護巫女になれるって言われて。    

 最初は力を貸してくれるアルダだと思ってたんだけど……」    

 まったく証拠の無い仮説を口にするのを躊躇って、佳奈は口    

を閉ざしてしまった。

 しかし、既に<事実>は存在しているので言葉を続ける。

「今思うと、ダールの方だったかも。昨日からダールの話にな    

 ると引っ張られるような感じがするの」

<ダールが? そんなはずありません。あの女神はとにかく身    

 勝手ですから>                        

「実はさっき、軍人さんにナイフで脅された時にも引っ張られ    

 たような気がしたの。だから……賭けてみることにしたの」    

「無茶苦茶だな。気のせいだったらどうすんだよ」

「気のせいじゃないと思うわ、たぶん……。わたしはアルダの    

 力を借りて守護巫女になったけど、ダールからも助けを求め    

 られてるのかも」

「矛盾だらけだぜ。そのダールは昨日も石川たちを罠にかけた    

 んだからな」

<もしかすると、最後の作戦が失敗したので手を変えたのかも    

 しれません>

「小泉さん……」

<ダールは姉のアルダが憎くてたまらないはずです。でも、ど    

 うしても守護巫女を倒す事が出来なかったから、正体を打ち    

 明けたのかもしれません>

 スケッチブックに書かれた文章を読んで、佳奈は昨日の夢の    

中での事を思い出した。

 残念ながら、瑞穂の言葉はまったく的外れだった。

「それは違うかも。わたしたちは倒される寸前だったの。それ    

 なのに勝手に攻撃の手を止めたんだから……。もしかして、    

 小泉さん、あなたが何かしたんじゃないの?」

 瑞穂は小さく首を振った。

 今朝話を聞いた時にも、夢の内容については覚えていたもの    

の、途中でダールらしき<存在>に意識を乗っ取られてしまい    

その後の記憶はあやふやだったからである。

 小泉さんも鍵を握ってるのかもしれないわね。ダールに利用    

されて巨大化できる小泉さんも第三の守護巫女なんだから。わ    

たしとは立場が違うけど。

 色々と考えないといけない事が出てきたような気がして、佳    

奈は混乱していた。

 こんな時はいつも隣にいる先輩守護巫女を頼るのだが、この    

日は……誰もいなかった。 

 琴美が駅前にある英会話学校「FRASH」の前に来たのは    

夕方になってからのことだった。

 晶の家で車から下りた後に、一度家に戻って一休みしてから    

再度外出したのである。

 にしても、佳奈があそこまで強情だなんて思わなかった。少    

しはボクの言う事を信じてくれると思ったのに。

 教材の入った小さなカバンを肩にかけたまま、自動ドアを通    

り抜けて、琴美は心の中だけで不平を洩らした。

 小泉さんに悪気が無いのは分かるけど、その背後にいるダー    

ルって女神はどうしても信じられない。そもそも小泉さんをあ    

んな目に遭わせてるぐらいだし、何をしてくるか分からないし    

さ。いざとなったら幾らでも卑劣な手を使ってくるはずだ。

 明るい雰囲気の漂うロビーの隅に張られた案内で、今日の教    

室を確かめる。

 琴美がこの英会話学校に通うようになったのは、つい最近の    

ことだった。

 来年は受験だったが、一年の時からこつこつと勉強を続けて    

きたお陰で東京の大学に推薦で合格する見込みも立ち、さらに    

自分を鍛えようと思ったのである。

 やっぱり英会話ぐらいはできないとマスコミには入れそうに    

ないからなあ……。でも、やっぱり難しいよ。

 佳奈や周囲の女の子からは「勉強もスポーツもできる格好い    

い守護巫女」と思われていたが、琴美自身にしてみれば、かな    

り誇張されたイメージだった。

 確かにスポーツは得意だったが、それは元々身体を動かすの    

が好きだったからだし、勉強が出来るのも毎日欠かさず机に向    

かっているからだった。

 ま、そんなものかな。ボクだってわざとそう思われるように    

振る舞ってるからね。

 そんな矛盾がどこかおかしくて、口許に笑みを浮かべながら    

歩き始めた時だった。

「おや、君は確か昨年の守護巫女の高田さんじゃないかな?」    

 横から声をかけられて、琴美はびっくりした。

 つい最近会った事がある青年……速人の遠い親戚だというマ    

ツキだった。

「え? はい。そうですけど。……そう言えばここで先生をし    

 てるって言ってましたね」

「ええ。なんといってもお祖父さん(グランパ)が生まれた街    

 ですからね。それに、君のような不思議な存在もいると聞い    

 て興味が沸いたんです」

「ボクは昨年の守護巫女です。今年の守護巫女は佳奈……石川    

 さんです」

「でも今は仲違いをしてると聞いてますよ」

 急激に、周囲の空気が冷え込んだような気がした。

 佳奈と本格的に不仲になった事を知るのは身内しかいないは    

ず……。

「竹尾君から聞いたわけではありません。調べはついてるんで    

 す。色々と揉めてるとか」

「……何者だ?」

 カバンの把手を握りしめ、琴美は低い声で問いかける。

 猛烈に嫌な予感がして、この場から逃げたかったが、マツキ    

にさりげなく回り込まれ、退路を失ったことに気づく。       

「詳しい事は話せませんが、守護巫女が欲しい存在とだけ言っ    

 ておきます。竹尾君は私の為に情報を集めてくれています」    

「……あいつ!」

「あなたたちはもう私たちの手の中にいます。その気になれば    

 人間の一人や二人、消し去る事は難しくありません」

「そんな……馬鹿な……」

 琴美の反論は、自分で思っていたより弱々しかった。

 口の中が渇いて、言葉がうまく出てこない。

 自分たちはダールという女神以外にも狙われていた……?

「信じるも信じないも貴方の自由です。ただ、私は……いや、    

 我々はこの街を破滅から救う方法を知っています」

「本当か!?」」

 マツキは大きく頷いた。

 一番信じたい事実を投げかければ、人並み以上に勘のいい少    

女でも籠絡するのは簡単だった。

「ただし、一つだけ条件があります。あなたは私たちの元に来    

 て欲しいのです。守護巫女としての力を持ってです」

「そんな事だと思った。……すぐには答えられないな」

「いいのですか? 私たちの予想ではこの街に残された時間は    

 あとわずかしかありません。昨日の陥没事故は<終わりの始    

 まり>と言ってもいいでしょう」

 琴美の背中を冷たい汗が流れた。

 後輩で、今年の守護巫女である佳奈は、最悪の事態を起こそ    

うとしている女神ダールの言葉を信じている。

 それを止められるのは……同じ守護巫女の自分だけだった。    

「少しだけ、考えさせてくれないかな?」

 しばらくの沈黙の後、琴美はようやくそれだけ言った。

 相手がただの英会話学校の講師だとは思えなかった。

 おそらく、最低でも国家レベルの組織の構成員である事は予    

想がついた。

 守護巫女の強大な力を狙う存在はいると、今は東京にいる先    

輩からも聞かされていたが、まさか自分が巻き込まれるとは思    

ってもみなかった。

「そんなに時間はありませんがいいでしょう。決心がついたら    

 連絡して下さい」

 それが最後の言葉だった。

 マツキは何も無かったように講師控室に戻っていったからだ    

ったが、琴美の手には携帯電話の番号が書かれたメモが握られ    

ていた。

 ……どうしたらいいんだ? 本当に誘いにのっていいのか?    

何者なのかも分からないっていうのに。              

 はっきりしてるのは、速人がマツキの命令を受けて情報を集    

めていた点だけだったが、手がかりになるとは思えなかった。    

 ……調べるだけ調べてみよう。でも、時間が無かったら……    

ボクが決断するしかない。

 それが街を救う為の唯一の手段だと思いながら、振り向く。    

 いつもならそこにいるはずの後輩守護巫女の姿は無く、ただ    

寒々とした空気だけが漂っているのだった。