第33話 佳奈の決意

                                

 稲穂市の中心街から少し外れた場所にあるタンギスタン料理    

店「アルダ」。

 その玄関先には「臨時休業」という紙が張られていた。

 料理店の従業員たち……タンギスタン国軍情報局(TIA)    

の軍人たちの間に深刻かつ不毛な対立が生じたからだった。

「もう我慢できません。急がないとダークポラリスの連中に先    

 を越されてしまいます。あの守銭奴どもに聖なる女神たちを    

 渡すわけにはいきません!」

 客のいない店内に、ラディマ大尉の大声が響き渡る。

 ストルーヴェ少佐の副官であるイワノフ大尉と階級は同じだ    

ったが、何かにつけ急進派であり、強硬論ばかり唱えるのでス    

トルーヴェにはあまり好かれていなかった。

「こうなったら<白い女神>だけでも拉致するべきです。そう    

 すれば、大統領閣下からの命令にも従えます。幾らダークポ    

 ラリスといえど、一国の大統領と軍隊を敵に回す程、愚かで    

 は無いでしょう?」

「いや、そうとは思えないな」

 ストルーヴェの考えを代弁するかのように口を開いたのは、    

イワノフだった。

 少しばかり小心な一面があるとはいえ、冷静な慎重派で、軍    

人としては脇の甘いストルーヴェにしてみれば頼りになる副官    

だった。

「ダークポラリスはあらゆる国の軍や政治家に深く食い込んで    

 いる事を知らないのか? 実際、我が軍にもダークポラリス    

 製の武器は流入してるのだぞ」

「そんな事を言ってたら大統領閣下の命令には従えないんだ!    

 我々の目的は女神の力を持つ少女を連れて帰る事。そして、    

 その力をタンギスタンの為に生かしてもらう事。忘れたとは    

 言わせないぞ!」

「もちろん、忘れてはいない。しかし、目的を達成するには手    

 段が大事だ。拉致なんかしたりしたら国際問題になってしま    

 う。なんとか自分で決断させるのだ」

 ラティマ大尉は口ごもって返事をしなかった。

 反論したイワノフ大尉と同様に生粋の軍人だったが、視野が    

狭く放っておくと何をするか分からない一面すらあった。

「とにかく、状況をもう一度整理しよう。<白い女神>は<藍    

 色の女神>から偽りの真実の書かれた文書を受け取った。そ    

 して、<藍色の女神>の元に仲間たちと出向いた。問題はそ    

 こで何が起きたかだ」

「ボルジャからの連絡では、<藍色の女神>と共に市内に戻っ    

 てきているとさっきも話した通りだ。<白い女神>を失うと    

 いう最悪の事態は避けられたんだ」

「でも、我々の知らない所で何が起きたのか……」

「それについては私がまた接触してみる。幸い、<白い女神>    

 は私の事を信頼してるからな」

 脳裏にごく普通の高校生にしか見えない少女の姿を思い浮か    

べながら、ストルーヴェがその場を収めようとした時だった。    

 イワノフ大尉が俄に目を鋭くしたかと思うと、鍛えられた動    

作で立ち上がり窓際に身体を寄せた。

 変事を悟り、他の軍人たちも身構えたが……。

「臨時休業……? どうなってるの?」

「参ったな。これじゃ話も聞けないか」

「出直す? あ、でも小泉さんが……」

「いざとなったらお前の家にでも連れてけよ」

 少年と少女の声が入り口の扉の外から聞こえてきた。

「少佐……」

「ボルジャはどうした?」

「おそらく、<白い女神>たちを尾行しているはずです」

 わずかな沈黙の後。

 窓際に身体を寄せて外の様子を窺っていたイワノフがかすか    

に笑みを浮かべた。

 期待通りの展開になったからだった。

「おや? あななたちは……?」

「え? あなたは?」

「ここの店の従業員だな? 臨時休業なのに外にいるのはどう    

 いうことなんだ?」

「まあまあ。中に入って下さい。ここまで来たんだったら私が    

 料理長に掛け合って何か出してもらいますから」

 今回はボルジャの軍人らしからぬ人の良さが裏目に出ないで    

済んだようだった。

 ストルーヴェがほっとするのと同時に、イワノフ大尉が鍵を    

開けて<白い女神>たちとボルジャを迎え入れたからである。    

「お久しぶりです。ちょっと全員で店の模様直しの検討をして    

 いました」

 白い女神……佳奈が何かを言うよりも早く、ストルーヴェは    

微笑を浮かべて先手を取った。

「……おや? もう一人の守護巫女はどうしたのですか?」

 入ってきたのが佳奈と<藍色の女神>……瑞穂と速人だけだ    

ったので、料理長でもある軍人は少し驚いてみせた。

「あ、先輩は……ちょっと用事があるとかで……」

「そうですか……。ま、座って下さい。今日は私が奢ります。    

 故郷からいい食材が入ったので腕試しをしようと思ってたと    

 ころなのです」

「それもいいんでけど、お聞きしたいことがあります。今、い    

 いですか?」

「……。いいですよ」

 一瞬の沈黙の内に、ストルーヴェは決断を下した。

 <白い女神>と<藍色の女神>が揃って来たという事は、よ    

うやく本当の真実にたどり着いたのかもしれない。

「ま、その前に時間もいいのでお昼にしましょう。特製の料理    

 を用意しますよ」

「いいんですか?」

「私たちの国では女神は特別な存在なのです」

 速人が目を鋭くしたのを、ストルーヴェは見逃さなかった。    

 やはり真実を求めてここに来たのだろう。

 いよいよ勝負どころだった。

 二人の<女神たち>たちと少年、そして<女神>を狙う軍人    

たちの対話は、店内で一番広いテーブルを囲んで行われる事に    

なった。

 普通ならば緊迫した空気が流れる場面だったが、ストルーヴ    

ェ特製のタンギスタン料理から流れる湯気と香りが、殺伐とし    

た雰囲気を巧みに打ち消していた。

「で、私に聞きたい事というのは、なんですか?」

 軍人にはとても見えない、人のよい笑みを浮かべて、ストル    

ーヴェは話を切り出した。

「ストルーヴェさんの国に伝わってる女神伝説の事です。わた    

 したち守護巫女と関係ある事は分かったんですけど、真実が    

 二つ出てきてしまったんです」

「真実が二つ。それは大変ですね。ですが、真実は一つしかあ    

 りません。そして、私はその真実を知っています」

 いきなりストルーヴェが勝負に出たのを、速人は気配だけで    

悟った。

 ダークポラリスの連絡員・マツキの言葉によれば、彼らはタ    

ンギスタン国軍情報局の軍人たちであり、ダークポラリス同様    

守護巫女を狙っているという。

 しかし、真実を知らなくてはマツキに対抗する事もできない    

以上、ここは佳奈に任せるしかなかった。

「やっぱり……。あなたたちはわたしたちと会いたくてこの街    

 に来たんですね」

「その通りです。正体はまだ明かせませんが、少なくともあな    

 たたちを悪い事に利用するつもりはありません。むしろ、全    

 ての人たちの役に立つはずです」

 ただ、それも大統領の気持ち次第ですけどね。

 ストルーヴェは胸の中だけで付け加えた。

 タンギスタン共和国の大統領は独裁政治で悪名高く、守護巫    

女の力……女神の力を手に入れると何をするのか、予想もつか    

なかった。

 その為にも私は彼女と信頼関係を築き続ける必要がある。故    

郷に本当の安らぎをもたらす為にも。

「……。まずは、真実を教えて下さい。ここにいる小泉さんは    

 アルダの妹・ダールに利用されています。ダールはもう復活    

 寸前みたいなんです」

<ダールが復活するとこの街は壊滅します。私たちはそれを阻    

 止したいのです>

 佳奈の発言に、瑞穂もスケッチブックに書いた「言葉」で続    

く。

「俺も本当の事が知りたい。守護巫女はアルダの力を借りて巨    

 大化する事はわかった。そして、ダールが復活するのを阻止    

 する役目もあると聞いた。しかし……」

「昨日、わたしは夢の中で小泉さん……ダールからまったく正    

 反対の事を聞かされました。アルダは妹に無実の罪を被せて    

 ここに追放したらしいんです」

 ストルーヴェは言葉を返そうとしなかった。

 テーブルを囲む従業員たちも口を閉ざし、場の空気が一段と    

重苦しくなる。

 ……まさか、頼る相手を間違えた? そんなはずないわね。    

ストルーヴェさんたちなら何か知ってるはずなのに。

 苛立ちと焦りを焦りを抑えようと、佳奈はテーブルの下でぎ    

ゅっと拳を握った。

 それでも、異国人たちの反応に変化は無い。

 瑞穂も空気の重さにただ俯いていたが、速人は局面の展開点    

が近づいている事に気づいていた。

 間違いない。やっぱりこいつらもダークポラリスと同じよう    

に石川たちを利用するつもりだ。しかし……。

「私は、遠い昔から女神たちを司る家に生まれました」

 沈黙を破ったのは、ストルーヴェ自身だった。

 驚いた様子で従業員たちが目線を動かし、佳奈は話がついに    

核心に入ったと悟る。

「正直に言います。私……いや、私たちはタンギスタン国軍の    

 情報局に配属されている軍人です。大統領閣下より、アルダ    

 の力を受け継ぐ少女を連れ帰るように命じられています」

 突然自分が、未知の世界に放り込まれたような気がして、佳    

奈は一瞬呼吸が止まった。

 国軍? 情報局? 大統領閣下……?

「私たちは守護巫女と深い絆を築く機会をずっと窺ってきまし    

 た。しかし、<藍色の女神>……ダールの復活が近づいてい    

 る以上、模様眺めは許されなくなりました」

「……そうですね」

 佳奈の返事に感情はこめられていなかった。

 頭の中は真っ白で、ただストルーヴェの言葉だけが無限に乱    

反射していたからだった。

「この街には危機が迫っています。それを解決できるのは、女    

 神たちを司る家に生まれた私と、アルダの力を持つ守護巫女    

 たちだけです。その点はお分かりですね?」

「……はい」

「私たちはあなたたちに協力したいと思います。しかし、条件    

 が一つだけあります」

「……」

「守護巫女としての力を持ったままで、私たちの国に来て欲し    

 いのです。そして、現代に蘇った女神として活動して欲しい    

 のです」

「そんな馬鹿な話があるか!」

 必死になって感情を抑えてきた速人が叫んだのは、まさにそ    

の時だった。

「この街を救う為に石川が犠牲になれっていうのか? そんな    

 話願い下げだ! 石川、帰るぞ!」

「ハ、ハヤト……」

「こいつらはお前を利用する事しか考えてないんだ。そんな奴    

 の為なんかに守護巫女としての力を使う必要なんかない!     

 守護巫女は稲穂市の守護巫女だからな!」

「小僧。ここまで来て帰れると思ってるのか? お前の裏の顔    

 だって知ってるんだ」

 料理店の従業員としての仮面をかなぐり捨てて、ラティマ大    

尉がゆっくりと立ち上がった。

 その手にはいつの間にか軍用ナイフが握られている。

 ラティマは元々、国軍の精鋭部隊に配属されていた戦闘のエ    

キスパートだった。

「ハヤト、どういう意味?」

「その話は後だ。今はこの場をどう切り抜けるかだ……」

「……。その話、少しだけ、考えさせてください」

 守護巫女の少女の唇から紡がれた言葉は、その場の殺伐とし    

た空気を崩すのに十分な力を持っていた。

 びっくりした速人も瑞穂も、佳奈の顔を見たが、その漆黒の    

瞳には今まで見た事が無い程強い意志が感じられた。

「もう一度、確かめます。わたしが守護巫女としてタンギスタ    

 ンに行けば、あなたはこの街を守ってくれるのですね」

「約束する。女神アルダ、そして女神ダールにかけて」

「ありがとうございます……」

 佳奈が椅子から滑り落ちるようにして気を失ったのは、その    

時だった。

 自分自身が押し潰されるような緊張感から開放されて、全身    

の力が緩んだのだろうか?

 慌てて瑞穂が介抱する。

「石川の奴、何を考えてるんだ……? いや、それ以前にそん    

 な卑劣な事をして女神が喜ぶと思ってるのか?」

「少年、君には理解できないかもしれないが、我が国では大統    

 領閣下の命令は絶対なのだ。少佐の家族は人質同然の状態で    

 監視されて……」

「イワノフ大尉! 余計な事を言うな! 我々は命令にさえ従    

 えばいいのだ」

「少佐は中途半端なんです。言うべき事は言わないと彼も納得    

 しません」

 イワノフ大尉が嘘をついていない事は、速人にも分かった。    

 ストルーヴェはそれ程悲壮な覚悟でこの国……女神ダールが    

追放された東の島国に来たのだろう。

 とはいえ……。

 理屈では納得していても、感情はまったく納得していなかっ    

たのだった。