第31話 女神の妹

                                

「先輩! 今助けます!」                    

 佳奈の心の中で何かが吹っ切れたのはその時だった。

 今自分たちが壊している稲穂市は<架空の>稲穂市のはず。    

 それならば幾ら壊しても実際の被害はまったく発生しない。    

 根拠は無かったが、無理やりその論理で自分を納得させると    

躊躇わずに瓦礫を踏み潰し、半壊した建物を蹴散らしながら琴    

美と瑞穂が組み合う<戦場>に足を踏み入れる。

 先輩の少女は、半壊した市役所の建物を背中で壊しながら、    

瑞穂の攻撃を受け止めていた。

「小泉さん……もう止めて!」

 言葉で説得しても意味がないと知りながらも、佳奈は叫ぶと    

めちゃめちゃに壊された市役所前の広場を足場に瑞穂の背中に    

掴みかかった。

 無理やり引き剥がそうとしたのだが、瑞穂が振り向くことな    

く振り回した腕が腹部に命中した途端、目の前が一瞬暗くなっ    

て物のように突き飛ばされていた。

「あっ……!」

 体勢を立て直す事もできなかった。

 制服姿のまま巨大化した佳奈は、足元でまだ壊していなかっ    

た建物を盛大に破壊しながら後退すると、マンションを真っ二    

つにしながらに倒れ込んだからである。

 殴られた腹部に重い痛みが走って佳奈は顔をしかめたが、状    

況がまったく好転していないのを確かめると、マンションを無    

造作に壊しながら立ち上がった。まったく躊躇うことなくさら    

に建物を壊し、戦場と化している市役所付近に戻る。

 その時には何とか琴美は立ち上がっていたが、体格で劣る瑞    

穂に押し込められて、市役所の近くにある商店街をアーケード    

ごと壊しつつあった。

「佳奈……。何でもいいから攻撃して!」

「何でもいいからって……」

「こーやってやるんだ!」

 琴美を追い詰めようとしていた瑞穂が、不意を突かれたかの    

ように突き飛ばされたのはその時だった。

 無表情のまま後退し、ローファーに包まれた足で住宅を派手    

に蹴散らしたが、琴美の次の行動は佳奈を驚かせるようなもの    

だった。

 巨大化した昨年の守護巫女は壊したばかりの商店街からアー    

ケードを引き抜くと、それを両手で持ったからである。

「先輩、それを……まさか……」

「言ってる暇があったら攻撃して!」

 短い髪とスカートを翻し、琴美は地面を蹴った。道路に大穴    

を残し、車をスクラップに変えながら瑞穂にアーケードを叩き    

つける。力で勝るはずの相手が怯んだのを見ると、もう一度叩    

きつけて足払いをかける。

 予想していなかったのか、瑞穂はその場に崩れるようにして    

転び、黒を基調とした制服の下で住宅をさらに破壊する。

「小泉さんが……」

「油断したら負ける。力では負けてるんだから。武器を手に入    

 れて反撃するしかない」

「でも……」

 琴美の言葉は声にならなかった。

 いきなり、瑞穂が立ち上がったかと思うと、スカートを翻し    

て蹴りを浴びせてきたからである。とっさに手にしたアーケー    

ドで受け止めた琴美だったが、力負けして後退する。

 そこに隙を見たのだろうか。今度は巨大な黒い魔女が反撃に    

出た。瓦礫の上から半壊したビルを持ち上げると、不気味な笑    

みを浮かべて投げつけたからである。かろうじて琴美は受け止    

めたが、間合いを詰めた瑞穂には対応できなかった。

「先輩!」

 佳奈が止めに入る間も無かった。

 瑞穂の体当たりを正面から受け止めてしまった琴美は、何も    

できずにその場に倒れ込んだからである。激しい土埃が舞い上    

がり、一瞬何も見えなくなったが、琴美が気を失っているらし    

いことに気づいた瞬間。

 佳奈の心がすっと冷たくなった。

「先輩……」

 もはやどうしたらいいのか分からなかった。

 先輩を助けたかった。

 しかし、この街を守るべき守護巫女が、街を破壊し尽くしな    

がら戦っていいとはやはり思えなかった。

 わたし一人で小泉さんを止める……? でも、どうやって?    

 空虚な心の中に問いかけた、その時だった。

 新たな<獲物>を見つけ出したかのように瑞穂が襲いかかっ    

てきた。あっと思う間も無く、両肩を掴まれてそのまま押し込    

まれていく。

 道路を壊しながら踏み止まろうとした今年の守護巫女だった    

が、瑞穂の力は想像以上だった。

 ローファーに包まれた足で住宅を壊したかと思うと、そのま    

ま倒れ込んでしまったからだった。

「こ、小泉さん……。もう、止めて。こんな事をして何になる    

 っていうの……」

 琴美の助けも期待できず、佳奈は混乱していた。

 このまま訳も分からないまま殺されてしまうのだろうか?

 根源的な恐怖が少女の心をきつく締め上げ、抵抗する力すら    

も失わせていく。

「ねえ、小泉さん……小泉さん……」

 両肩を押さえ込まれ、両膝で足を固定された最悪の状態では    

もはや、か細い声しか出なかった。

 ……どうして、わたしは守護巫女なんかに選ばれたの? こ    

んな目に遭うため? ううん、……意味があったはずなのに。    

 <邪悪な存在>のことを知った時にはそれに立ち向かう為だ    

と思っていた。

 しかし、今はそれに操られる少女の手によって、完全に追い    

込まれていた。

 力負け……ね。巨大化できるっていっても所詮は人間。人間    

以外の存在なんかに勝てるわけが無いんだから……。        

 少しずつ、全身から力が抜けていく。

 もうこれて終わりかもしれないと思ったが、構わなかった。    

 街を守るべき守護巫女が街を破壊した罰だとさえ思っていた    

からだったが……。

「……」

 体を押さえ込んでいるため、向かい合う形になっている瑞穂    

の唇がかすかに動いたのは、その時だった。

                                

 最初、佳奈は自分の目を疑った。

 言葉を全く話せないはずの少女が、何かを言うはずが無い。    

 そんな思い込みがあったからだったが、初めて聞くか細い少    

女の声が耳に届くのと同時に。

 佳奈は自分の認識を改めた。

「小泉さん……?」

「私は……ダール……。遙か西より流されてきた……」

「ダール?」

「アルダに騙された……。私は何もしていない……無実なのに    

 追放された!」

 両肩を締め上げる力が一段と強くなって、佳奈は思わず顔を    

歪めて抵抗した。

 振り回した手がさらに建物を壊したが、さすがに構っていら    

れなかった。

「小泉さん! 落ち着いて! ……何が言いたいの?」

「私は……ただ故郷に帰りたいだけ……。それなのにアルダが    

 ここでも邪魔をする! 憎い! アルダが……憎い!」

「アルダ……ってわたしたちに力を与えてくれた女神様……?    

 騙されたって、どういうこと? 教えて!」

「アルダの力を持つお前たちが憎い……。どこまでも私の邪魔    

 をする気か!」

「落ち着いて!」

 長い髪を生き物のように振り回し、恨みを果たそうとする瑞    

穂に対して佳奈が叫んだのはその時だった。

 頭が混乱して、訳がわからない状態だったが、声を上げずに    

はいられなかった。

「何が……何が言いたいの! はっきりして!」

「……」

「貴方は誰なの? 小泉さんじゃないんでしょう?」

「……。私は……ダール。アルダの妹……」

「え?」

 思いがけない言葉に、佳奈は目を見開いた。

 アルダの妹ということは、ダールも女神なのだろうか?

 しかも、騙されてここに流された……?

「私は何もしていないのに姉……アルダに罪を被せられ、この    

 東の果てに流された。しかも、姉は監視の為に分身を送り込    

 んできた……」

「まさか、わたしたちの力は……」

「お前たからはアルダの力を強く感じる……憎き姉・アルダの    

 力が!」

「止めて!」

 その時、佳奈は自分でも思いがけない行動に出た。

 肩を押さえ込まれている状態なのにも関わらず、右腕に力を    

込めて瑞穂を殴ったからだった。

 まったく反撃を予想していなかったのか、黒い制服姿の巨大    

少女は簡単に突き飛ばされて、車を壊しながら転がる。

「もっと……落ち着いて話して! 何が言いたいかさっぱりわ    

 からないじゃない!」

「……」

 瑞穂……正確には彼女に憑依しているらしい謎の女神は何も    

言わずに佳奈を見つめ返すだけだった。

 最初の頃のような空虚な表情は最早消えており、戸惑ってい    

るようにさえ思えた。

「最近、稲穂市を騒がせているのはあなたでしょう? そして    

 小泉さんを操ってるのも……あなたなんでしょう?」

「……この少女はわたしの封印を解いた者。巫女がいなければ    

 何もできない……」

「わたしたちを狙ったのも、復活に邪魔だから?」

「そうだ。アルダが邪魔するからだ。私を無実の罪で追い出し    

 ておいてさらに邪魔をするなど言語道断!」

 ……なにがどうなってるの? 巻物に書かれてた<邪悪な存    

在>はダール……という女神のことみたいだけど、その本人は    

アルダに騙されたって……。

 ようやく体を起こした瑞穂の背後で、琴美が立ち上がった。    

 自分を散々痛めつけた少女が背中を向けていることに気づい    

たのか、激しい怒りの表情を浮かべて飛びかかろうとしたが、    

佳奈が目で合図して止める。

「先輩、待って下さい。何か……話がおかしいんです」

「おかしいのは元からだよ。今更なんだい?」

「もしかすると、わたしたちも騙されてるのかもしれないんで    

 す。何が正しいのか分からなくなってきて……」

「ちょっと、佳奈! どうしたんだ!」

「小泉さん……ううん、ダール……さん? 話して下さい。あ    

 なたがどうしてここに来たのか……」

「……」

「話して下さい!」

 瑞穂の返事はなかった。

 それどころか、瞳からゆっくりと光が失われていったかと思    

うと、瓦礫の上に崩れ落ちるように倒れたからだった。

「あっ……」

 予想外の事態に慌てながらも、佳奈ははっきりと見た。

 瑞穂の体から、漆黒のもやが抜け出していくのを……。

 それが一瞬だけ、佳奈の方を<見た>かと思うと、一気に空    

へと消えていった。

「あっ……。小泉さん! 小泉さん!」

 思わず見送ってしまった佳奈だったが、瑞穂が倒れたままな    

のに気づいて慌てて駆け寄った。

 瓦礫を蹴散らし、助け起こす。

 すぐにただ目を閉じているだけなのに気づいて、心の底から    

ほっとする。

「佳奈……。何がどうしたんだ?」

 放っておかれた琴美が少し怒った様な口調で問いかける。

「今、小泉さんが……ううん、小泉さんに取り憑いてた何かが    

 話しかけてきたんです。そしたら何が何だか……」

「落ち着いて最初から話して。小泉さんは何を話したんだ?」    

「それは……」

 琴美の迫力に負けて、佳奈が思わず口ごもった時だった。

 突然、視野が大きく揺れたかと思うと、佳奈の意識はそのま    

ま闇の奥へと吸い込まれていった。