第30話 最悪の二者択一

                                

 その後、特に大きな動きは無いまま夜になった。

 夕飯は瑞穂の手作りだという食事をご馳走になり、のんびり    

とした空気を漂わせたまま、佳奈たちはあてがわれた部屋に入    

った。

「なんか……合宿みたいになっちゃいましたね」

 パジャマに着替え、布団の上にぺたんと座り込んで佳奈は本    

音を口にした。

「うん……。まさかここまで何も無いなんて思わなかったから    

 ね。正直拍子抜けだったかな」

 考え違いを認めるように琴美が答える。

 ちなみにパジャマ姿ではなく、Tシャツに短パンという姿だ    

ったが、本人曰くこれが<夏の寝間着>らしい。

「襲撃してくるっていうからずっと警戒してたんだけど、お風    

 呂に入ってる時も何も無かったしさ」 

「そうでしたね。とすると、寝てる時……?」

「可能性はありそうだけど、小泉さんの部屋からはかなり離れ    

 てるよね、ここ。それに一つ離れた部屋には竹尾君たちもい    

 る。狙いにくいんだよね」

「まさかまた巨大化して襲ってくるとか……」

 琴美は苦笑して小さく首を振った。

 それなら昼の内にやっているというのが先輩守護巫女の考え    

方だった。

「わかりませんね……」

 ぼてっと布団に横になって、佳奈はぼやいた。

 心配はしていても合宿気分は抜けないのだろう。

 そんな様子が琴美には少しおかしくもあり、微笑ましくもあ    

った。

「諦めたわけじゃないと思います。でも、今日はもう何も無い    

 ような気がします」

「明日、かな? 油断してると帰り道が危ないかもしれない。    

 この周囲に人はいないからね」

「でも、わたしたちがいます。巨大化能力を持つんですよ、わ    

 たちたち」

「うーん……。そうなんだよねえ」

 琴美も眠くなってきたのだろう。

 横を向いた佳奈と向かい合うようにして布団に転がった。

 いつものように少年のような笑みを浮かべる。

「最悪、また小泉さんが巨大化して襲ってきても大丈夫ってわ    

 けだね。そういう考え方は悪くないと思うよ」

「でも、一番心配なのは……それ以外の方法を使ってきた時で    

 す。もし、まったく新しい手で襲ってきたら……」

「それを言い出すときりがないから止めよう。それじゃ、お休    

 み。ボクはそろそろ寝るよ。電気消してね」

 佳奈が返事するよりも早く。

 先輩の少女は軽く片手を上げてから身体の向きを変えると、    

そのまま目を閉じてしまった。

 きょとんとした佳奈だったが、やがて発育のいい胸がかすか    

に上下しているのを確かめると、小さく溜息をついて明かりを    

消す。

 小望遠島でも小さなテントの中で二人きりの時間を過ごした    

りもしたのだが、すっかり拍子抜けしてしまった。

 せっかく合宿みたいだったのに……。先輩ももう少し空気読    

んで欲しいわね。

 自分たちに迫っているはずの策略とはまるで無関係なことを    

考えながら、佳奈もまた身体の向きを変えた。

 今まで何の動きも無いのが不気味だったが、何も無いまま終    

わるとはとても思えなかった。

 明日かもね。危ないのは。でも、何をしてくるのかまったく    

分からないのよねえ……。

 何とか考えようとはしたものの、疲れていたのだろう。

 数分後には琴美と同じようにかすかに寝息をたて始めていた    

のだった。

                                

 風が頬に当たったような気がして、佳奈は目を開けた。

 視野に入ってきたのは、巨大化している時によく見る稲穂市    

の中心部を見下ろした光景だった。

「えっ……?」

 一瞬、自分がどこにいるのか、何をしようとしているのかま    

ったく分からなかった。

 頭の中が真っ白になり、思考が完全に停止する。

 えっと、わたし巨大化してる? でも確か小泉さんの家で寝    

てたはずなのに、どうして……?

 時刻は昼頃だろうか。

 真上近くから真夏の太陽が照りつけて暑い程だったが、眼下    

の街並みに人影はまったく見当たらなかった。

 おかしいわね……。でも、道路には車もあるし。あっ、ここ    

って市役所のすぐ近くじゃない。

 景色に見覚えがあるのも当然だった。

 少女は五月に守護巫女の「お披露目会」が開かれた時の会場    

となった道路に立っていたからである。

 いつもように三十倍に巨大化し、学校の制服であるセーラー    

服を身につけたままで……。

 どうなってるの? これって夢? それとも現実なの……?    

「佳奈!」

 不意に、背後から聞き慣れた声が飛んできた。

 慌てて振り向いてみると、焦りを顔に出した琴美が同じ通り    

に立っているのが目に入ってきた。

 佳奈同様に三十倍サイズに巨大化し、お洒落なブランド制服    

ですらりとした肢体を包み込んでいたが……。

「先輩! これってどういうことですか!」

「ボクにもさっぱり分からないよ。寝てたはずなのに気がつい    

 たから佳奈の後ろ姿が見えたからさ」

「先輩、足元気をつけて下さい。車ありますから」

「おっと。守護巫女が壊したら洒落にならないからね。でも、    

 ここは……稲穂市だよね?」

 佳奈は無言のまま頷いた。

 同時に、とある可能性が心に浮かんでくる。

「先輩、これが……罠じゃないですか?」

「どうして?」

「分かりません。でも、なんかそういう気がしたんです」

「意味わかんないなあ……。でも、これって本当に夢の中なの    

 かな? なんか現実みたいに思えるけど?」

「そうですね……。ちゃんと感覚もありますし、リアル過ぎて    

 恐いぐらいですから。でも……」

 <何が狙いなのかわかりません>

 正直な言葉は、発せられる前に霧散した。

 巨大化していても驚く程の轟音がすぐ近くで聞こえたかと思    

うと、足元に埃が絡みついてきたからである。

 びっくりして目線を戻した佳奈だったが、その光景の意味す    

ることを理解した途端。

 自分の想像が最悪の形で当たったことを知った。

 ついさっきまで車が密集していた交差点を足場にして、巨大    

化した瑞穂がワンピース風の制服に身を包んで立っていたから    

である。

 その瞳にはいつものような光は浮かんでいなかった。

「小泉さん……。小泉さん!」

「駄目だ。操られてるみたいだ。あの時と……同じだ」

「まさか、罠って……」

「この街のど真ん中で巨大化した小泉さんに襲わせることだっ    

 んだ!」

 琴美の言葉が佳奈の心に染み込んだ瞬間。

 巨大化した瑞穂が虚無的な笑みを浮かべたかと思うと、いき    

なり間合いを詰めてきた。

 黒のローファーに包まれた足が道路上の車を容赦なく蹴散ら    

し、電線を断ち切って火花を散らす。

 建ち並ぶビルの正面のガラスが全て砕け、看板なども為す術    

無く吹き飛んだが、それらは始まった大破壊劇のごく一部にし    

か過ぎなかった。

 何が起こったのか分からず呆然とする佳奈の両肩を掴んだか    

と思うと、いきなりすぐ横に建つビル目掛けて投げ飛ばしたか    

らだった。

「あっ……!」

 巨大化した守護巫女に抵抗することは不可能だった。

 制服に包まれた背中が建物に当たったかと思うと、そのまま    

倒れ込んでしまったからである。たったそれだけでビルは完全    

に崩壊し、凄まじい程の埃が舞い上がる。

 とっさに伸ばしてしまった足は通りの反対側にあった建物を    

蹴破り、一部を崩壊させる。

「佳奈ッ!」

 激しい感情を込めた声で琴美が叫んだが、足元に車があって    

は動けなかった。

 守護巫女は「街守りの巫女」。

 安易な破壊行為は問題外だった。

 思わず琴美が拳を握りしめるのと同時に、笑みを崩さないま    

ま瑞穂が動いた。

 ビルを潰して動けないでいる佳奈目掛けて、周囲の壊した建    

物の一部を叩きつけたからである。痛みを感じているのか、制    

服に包まれた佳奈の巨体がもがくように動いたが、操られた少    

女は容赦しなかった。

 ビルをさらに壊し、瓦礫を踏みつけながら佳奈の身体を簡単    

に起こしたからである。

 一時的に気を失っているのか、今年の守護巫女は制服に包ま    

れた身体から瓦礫を落としながらも、反応しようとしない。

「佳奈に……何をする気だッ!」

 血の滲むような琴美の叫びにも、瑞穂は反応しなかった。

 それどころか、無理やり立たせた佳奈をまるで物でも扱うか    

のように琴美目掛けて投げつけてきた。

「うわっ……!」

 運動神経と反射神経の優れた少女でも、あまりに乱暴な攻撃    

に何もできなかった。

 とっさの判断で佳奈の巨体を受け止めたものの、まったく踏    

み留まることができず、無造作に道路上の車を蹴散らしながら    

後退した挙げ句、我慢できなくなったかのように交差点の真上    

にしりもちをついてしまったからである。

 佳奈は守ったものの、背中を交差点に面した建物に打ちつけ    

てしまい、瓦礫やガラス片が制服の上に派手に降り注ぐ。

 短めのスカートから伸びる足は車を全てスクラップに変えて    

しまい、三人の巨大少女たちの周囲に無事な建物や車は完全に    

無くなる。

「佳奈、佳奈……!」

 こみ上げてくる激しい怒りと後悔を堪えながら、琴美は必死    

になって後輩の少女に呼びかけた。

 一瞬最悪の事態も心をよぎったが、やがて佳奈が目を開けた    

のでわずかに安堵する。

「先輩……?」

「大丈夫? 痛いところは?」

「わたしは……平気です」

「無理しなくてもいい。小泉さんの相手はボクがする。絶対に    

 許さない……!」

 琴美の激しい言葉に怯えるように、ふらつきながらも佳奈が    

離れた。

 自分たちが巻き起こしつつある惨劇に気づいたのか、両手で    

口を押さえて目を見開く。

「先輩……」

「最悪の舞台だな……。ボクたちが守らなくてはいけない街が    

 戦場になるなんて。でも……」

 琴美が立ち上がった事に気づいたのだろうか。

 長い髪を大きく揺らして、瑞穂が間合いを詰めてきた。また    

もや車が蹴散らされ、瓦礫がさらに散乱したが、琴美は難なく    

回避する。足元では車を踏み潰していたが、気にしているよう    

には見えなかった。

「先輩、壊してるんじゃ……」

「そんな事言ってる場合じゃないって。ほら見て。小泉さんの    

 後ろ……黒いもやのよう見えない?」

「あっ……あれってこの前も……」

「まったく同じだ。小泉さんは邪悪な存在に操られてる。とに    

 かく止めるしかない」

「でも、この街は……」

「今更遅いよ。佳奈だって盛大に壊してるんだから」

 琴美の言葉には凶悪な脅しすら含まれていた。

 しかし、自分の壊した建物に足場を置いていた佳奈は反論で    

きなかった。

 こんなのって……ないじゃない。わたしたちは街を守らない    

といけないのに。本物じゃないかもしれないけど、壊したくな    

んか……ない。

 佳奈の切実な思いは、琴美の行動によって破られた。

 なぜか瑞穂が動きを止めた事に気づくと、今度は自分から仕    

掛けたからである。スパッツが見えるほど丈の短いスカートを    

思い切り翻し、巨大なお嬢様少女の腕を掴んだからである。邪    

魔な建物は足だけで壊しながら、組み伏せようとする。

「先輩……」

「佳奈も手伝って! この前みたいに二人で押さえないと絶対    

 に勝てるわけない!」

「でも……」

「躊躇ってる場合じゃ……うわっ!」

 不意に、琴美の制服に包まれた巨体が浮いたように見えた。    

 力だけで投げ飛ばされたと分かった時には、大破壊という名    

の惨劇は新たな段階を迎えていた。

 まったく受け身も取れないまま転がった琴美は、町の中心部    

を盛大に破壊した挙げ句、市役所の建物にぶつかってようやく    

止まったからである。

 巨大化した少女とほぼ同じぐらいの高さのある建物が大きく    

揺らぎ、ガラスが砕けて日の光を反射する。瓦礫が制服の上に    

落ちてきたが、琴美はすぐに体を起こす。

「先輩!」

 一部が崩壊した建物に背中を預けた巨大少女に、瑞穂が襲い    

かかったのはその時だった。黒を基調としたワンピース風の洒    

落た制服に身を包んだその姿は、黒い魔女のようにしか見えな    

かった。

「くそっ……。佳奈! 早く!」

「でも……」

「躊躇ったらボクたちの負けだ! それが狙いなんだ!」

 巨大化した三人の少女たちの戦場となっている街の中央で、    

佳奈は呆然と立ちつくしていた。

 最悪の二者択一だった。

 このまま先輩を見捨てて、町を守るのか。

 それとも、先輩を助けて守るべき街を壊し尽くすのか。

 その答えは……。