第29話 操られし巫女の話

                                

 佳奈と琴美、守護巫女たちと二人の少年、そして保護者兼運    

転手の玉木がその神社を訪れたのは、数日後の午後だった。

 かつて東相沢集落のあった小さな盆地を望む山の中腹にある    

神社の境内は、蝉の鳴き声も聞こえずただ静まり返っていた。    

「ここに何の神様が祭られてるか、玉木さん知りませんか?」    

 大きなバッグを肩から下げた琴美が、真面目な表情で晶の父    

親に質問する。

「いや。調べてみたんだが、何も分からなかった。ただ、稲穂    

 神社とは関係は無さそうだな」

「そうみたいですね。……鳥居があるだけで何も書かれてませ    

 んし。ハヤト、何か聞いてる?」

「俺も知らない。関係あるのか?」

「あるに決まってるから聞いてるんだけどね。小泉さんは邪悪    

 な存在と関係あるんだし、とすればこの神社にも何かあると    

 思うのが普通じゃないかな」

「先輩、そこまで言わなくてもいいと思います。小泉さんに聞    

 けば済む話じゃないですか」

 琴美と同じぐらい大きなバッグを持った佳奈が少し強い口調    

で反論する。

 最近、瑞穂のことになると琴美が感情的になるのが気になっ    

て仕方なかった。

「まあ、そうだけどね。だけど、ただ話を聞くだけなのに一晩    

 泊まってくれなんて言われると露骨に警戒したくなるよ」

「確かに変な話だよな。怪談話でも聞かせてくれるのかな?」    

「馬鹿なことを言ってると置いてくぜ」

 晶の軽口に、速人はまったく反応しなかった。

 まるで軽蔑するような目つきで睨みつけると、そのまま神社    

の横にある小さな家の方へと歩いて行ったからである。

 一度来たことがあるので勝手を知っているのだろうが、佳奈    

たちは慌てて後を追いかける。

 何とか玄関前で追いついた時だった。

 扉が開いて、地味な私服姿の瑞穂が姿を現した。

 少女の姿を取る<黒幕>の登場に、速人を含む全員が緊張の    

色を浮かべる。

<こんにちは、皆さん。お待ちしていました。何も無い所です    

 がゆっくりしていってください>

 しかし。

 差し出されたスケッチブックに書かれていた文章は、気が抜    

ける程楽天的なものだった。

 神経を張りつめさせていた琴美は「とてもそんな気分じゃな    

いけどね」とつぶやき、晶もそれに同調するように頷いてみせ    

たが、佳奈は違った。   

 一歩進み出ると、いつものように笑ってみせたからである。    

「ありがとう。ゆっくりさせてもらうから。ここは涼しくてい    

 いわね」

「佳奈……。そういう問題じゃないと思うけど?」

「小泉さん自身は悪くないんです。本当に悪いのは小泉さんを    

 利用してる誰かです」

「ああ。石川は分かってるんだな」

「うそっ……ハヤトに褒められるなんて思わなかった」

「うるさい。……悪いな、こんな大人数で押しかけて。どうし    

 ても話が聞きたいらしいんだ」

<構いません。私も知ってることは全てお話します。ただ、罠    

 は覚悟して下さい。私にも止められませんから>

「罠と分かってて突っ込む方もどうかしてるけどねえ」

 琴美の言葉は皮肉混じりだったが、佳奈は何も言わずに首を    

横に振った。

 罠があるのはもう十分に分かっていたし、それを受け止めな    

ければ真相には迫れないと開き直っていたからだった。

 もう何が起きても驚かないから。前だって巨大化した小泉さ    

んに襲われてるぐらいだから。

 そう思ってふと、背後に目を向ける。

 かつて誰も住んでいない集落のあった平地には、壊された道    

路や建物の土台、小さな瓦礫しか存在していなかった。

 巨大化して襲いかかってきた瑞穂と戦う為に二人の守護巫女    

も応戦し、戦場と化した成れの果てだった。

 ……また、同じようなことになるのかしら? でも、同じ手    

を二度も使ってくるとは思えないけど。

 ぼんやりと考えていると、肩を叩かれた。

 びっくりして顔を向けると、速人と目が合う。

「何してんだ?」

「べ、別に。何でもないわよ」

「……。ま、何とかなると思うぜ。高田も俺も玉木もいるんだ    

 からさ」

「……うん」

 他称硬派の速人らしくない台詞だった。

 それでも、幼なじみの佳奈には少年の気持ちがはっきりと伝    

わってきて、少しだけ嬉しくなるのだった。

                                

 瑞穂が一人で住んでいるという家は、思ったよりも広く快適    

だった。

 とはいえ、招かれた客である佳奈たちは大人しくしているし    

かなく、しばらくはぎこちない雰囲気が漂っていた。

「神社の方を見てきたけど……何も無かったな」

 それでも、一番積極的に動いたのは琴美だった。

 荷物を置くと、さっそく周囲の調査に出かけたからである。    

 特にする事が思いつかず、山腹の景色や神社の境内が見える    

縁側でぼんやりしていた佳奈とは好対照だった。

「玉木君のお父さんにも付き合ってもらったけど、祭ってる神    

 様は分からなかったしさ。ただ、かなり古い神社だった」

「小泉さんに話を聞きたいんですけど、姿を見せないんです。    

 ハヤトもどこに行ったかわかんないそうです」

「何か企んでるのかな……?」

「分かりません。ていうか、小泉さんも操られてるだけです。    

 何度も言いますけど」

 琴美の正直な言葉に、佳奈は語気を強めて反論した。

 幾ら先輩でも、確実な証拠もなく瑞穂を疑ったりしてほしく    

なかった。

「そういう気がするんです。だからこれから何が起こるか小泉    

 さんも知らないと思います」

「複雑だね……。すっきりしないんだよね」

「そういうものだと思いますけど?」

「まあ、そうだね。ボクたちは待つしかないってわけか」

 ようやく琴美が微笑した。

 やんちゃな少年のような笑顔に佳奈が見とれていると、その    

まま隣に腰掛けたので少し驚いた。

 いつものようにすらりとした足がむき出しになったショート    

パンツ姿なので、目のやり場に困る。

 ううっ……。私服姿の先輩って……魅力的過ぎ。すらっとし    

てるし、格好いいし。胸も大きいし……。

「ところで、竹尾君たちは?」

「ハヤトたちも調査するって言ってどっかに行きました。でも    

 わたしは暑いのが苦手なんでここにいるんです」

「まあ、一人は残ってないとね。ほら、お客さんだって来るか    

 らね。小泉さん、こっちに来たらどうかな?」

 琴美のいたずっぽい言葉にびっくりしたのは、佳奈だけでは    

なかった。

 縁側から少し離れた大木の影に立っていた少女……瑞穂も弾    

かれたように姿を現したからである。

 その姿を見ていると、策略でとても人を陥れるようには見え    

なかった。

「話があるんじゃないかな? ボクたちに」

<あります。守護巫女である貴方たちに話したいんです>

「だったらお願いするかな。立ち話もなんだからここに座って    

 座って。ゆっくり話してくれればいい」

 どちらがこの家の主人なのか分からなかったが、琴美の言葉    

に瑞穂は素直に従って縁側に腰掛けた。

 そこは佳奈の隣だった。

<貴方たちの言う邪悪な存在ですが、実は私も詳しいことはわ    

 かりません。ただ、守護巫女を目の仇にしてる事だけは間違    

 いありません>

「知らない? まさか……」

<でも、邪悪な存在を解き放ってしまったのは私です。今から    

 十年以上前……神社の本殿に入ってしまった私は、いたずら    

 半分そこにあった箱を開けてしまいました。その時に封印が    

 解けてしまったのです>

 瑞穂の漆黒の瞳に、深い後悔と悲しみが宿っていた。

 幼い頃の失敗を思い返しているのだろうか。

 佳奈も琴美も何も言わず、次の<言葉>を待つ。

<今思うと、私は最初から利用されていたのかもしれません。    

 ただひたすら、邪悪な存在の為に動かされてきました。そう    

 いう意味では私も巫女のようなものです>

「邪悪な存在って、神様みたいなの?」

<そうかもしれません。<今はこんな姿だが、かつては人々か    

 ら敬われてきた>とよく言うのです。その栄光を取り戻す為    

 に復活したいらしいのです>

「それでボクたちが狙われるなんて……。理不尽じゃないか」    

 琴美の言葉には怒気がこもっていた。

 慌てて佳奈が肩を叩くと、我に返った様子で「ごめん。続け    

て」と謝る。

<でも、復活には貴方たちが邪魔らしいのです。私が貴方たち    

 を狙うのもその為です>

「だから今回も狙われるの? 防ぐことはできない?」

<無理です。私も抵抗してるんです。家にあった巻物を持ち出    

 して渡したのもその為です>

 佳奈の脳裏に、小望遠島で会った時の瑞穂の姿が浮かんだ。    

 琴美に脅されて逃げて行く時に残していった巻物。

 あれがあったから、守護巫女に与えられたもう一つの役割や    

最近の異変に関する手がかりを掴めたのだった。

 と、とすると稲穂神社から巻物を盗んだのは、小泉さんの先    

祖だったのね。もしかして、こうなる事を知ってたとか。

「なるほど。じゃ、今回も襲われるわけか」

「先輩、ストレート過ぎです」

「そう言ったってねえ。なんか気に入らないんだ。わざわざ狙    

 われると分かっててここに来るなんてさ」

「でも、話を聞けたじゃないですか」

「根本的な解決にはなってないよ。小泉さん……いや、邪悪な    

 存在が手を引かないとボクたちは危ないままだ」

 瑞穂は複雑な表情で頷いただけだった。

 否定するわけにもいかず、仕方なく肯定したようだった。

 ……小泉さんの立場って複雑過ぎるわね。狙いたくないのに    

狙ってきたりするし、邪悪な存在について説明してくれるし。    

本当は止めて欲しいのね、きっと。

「小泉さん。邪悪な存在は守護巫女なら止められるの?」

<わかりません。ただ、邪悪な存在は守護巫女を目の敵にして    

 います。守護巫女がいる限り復活できないです>

「その為の守護巫女だからね。わざわざタンギスタンから来た    

 女神様が力を授けたんだから当然かな」

「その女神様と邪悪な存在は関係あるの?」

 瑞穂は何も言わずに首を横に振っただけだった。

 自分を動かしているとはいえ全てを知っているわけではない    

らしい事に気づいて、佳奈は内心溜息をつく。

 どうしても肝心な所に手が届かないのがもどかしかった。

<今夜、襲われても乗り切って下さい。その時に私も知らない    

 事実が明らかになるような気がします>

「……小泉さん?」

「賭だね、これは。分が悪いけど、ここまできたら乗るしかな    

 い。ボクは一口乗らせてもらうけど、佳奈は?」

「え? あ、もちろんわたしもです。真実を知りたいんです」    

「上等。さてと、話はここまでかな?」

「小泉さん、話したいことは?」

<ありません。大事なことは全て話したと思います>

「いや。一つ抜けてる。春頃から市内のあちこちで陥没事件が    

 起きてるけど、あれは邪悪な存在の仕業だよね?」

 瑞穂は小さく頷いた。

 佳奈が今更のように驚いている間に、スケッチブックに言葉    

を続ける。

<少しずつ、邪悪な存在は目覚めかけています。このまま止め    

 ないと……稲穂市は壊滅します>

「えっ……。そ、そんな……」

「まあ、そうだと思ったけどね。そうじゃないと、なんで守護    

 巫女が必要なのか分からないじゃない」

 佳奈の脳裏に、小学生の頃の光景が浮かんだ。

 今も自分の髪を束ねている髪飾りをくれた女性。

 彼女はやはり、全てを知っていてこれを託したのだろうか?    

 ぼんやりと考えていると、琴美が立ち上がった。

 少年のような魅力的な笑みを浮かべて言う。

「さてと、話はここまでにしてちょっとだけ遊びに行く? ボ    

 クと二人きりになりたいんじゃないの?」

「え? あ、はい……。でも小泉さんが……」

<私のことは気にしないで下さい>

「ほら、小泉さんもこう言ってるんだからさ」

 いつもの事ながら琴美は積極的だった。

 座ったままの佳奈の腕を掴んで立たせたからである。

「……だったらいいですけど。小泉さん、話を聞かせてくれて    

 ありがとうね」

 瑞穂が口許にわずかな笑みを浮かべたのを、佳奈ははっきり    

と見た。

 もしかすると、彼女は今の膠着状態を打開する為にあえて自    

分たちを呼んだのかもしれない。

 そんな気がしてくるのだった。