第26話 救助作戦

                                

 J−POPの着メロを耳にして、佳奈は慌てて反応した。     

 隣に座る琴美が吹き出すのを堪えたくなる程どたばたした末    

に、携帯を制服のポケットから取り出して耳に当てる。

「もしもし? 石川です」

<田畑ですが今から出動できますか? あと、高田さんは?>    

「隣にいます。今、玉木君の家に来てるんです」

<あそこか……。だったら今から迎えに行く。どうしても二人    

 の守護巫女の力が必要なんだ>

「何があったんですか?」

<まだニュースにはなってないけど中合町でマンションが大き    

 く傾いて住民の避難が必要なんだ。守護巫女でなければ難し    

 いらしい>

「マンションが……傾いた?」

 思わず聞き返して、佳奈はその言葉があまりに現実的でない    

ことに気づいた。

 欠陥工事でもあったのかと思ったが、今は原因を確かめてい    

る場合ではなかった。

「分かりました。すぐに迎えに来て下さい」

<高田さんにも知らせておくように。すぐに向かう>

 早口に言い切って、田畑からの電話は切れた。

 気がつくと居間の空気はすっかり変わっていた。

「佳奈、現場は? 何が起きた?」

「中合町でマンションが傾いて、そこから住民を助け出す必要    

 があるという話でした……」

「よく分からないな。手抜き工事かな?」

「いや、それは考えにくいな」

 いつの間にか、自分の部屋からノートパソコンを持ってきた    

玉木が真剣な顔で答える。

 その横では息子の晶とその友人の速人がディスプレイを覗き    

込んでいる。

「中合町の辺りの地盤は固い。余程酷い工事をしなければ傾い    

 たりしないはずだ。ただ……気になる事がある」

「まさか、昨日先輩が話してた陥没事故が関係あるとか?」

「それはあるかもしれない。昨日の夜も言ったけど、何かがこ    

 の町の地下にいるのは間違いないないからね」

「え? そんな事言いました? 昨日はただ陥没事故の話をし    

 ただけで……」

「電話を切った後に思いついたんだ」

 佳奈の問いかけに、琴美は片目を閉じて答えると、改めて自    

分の考えを披露した。

 すなわち、今年の春から続いている謎の陥没事故は、さっき    

話に出た邪悪な存在と同一であり、自分たちが何度も狙われて    

いるのもそれが説明がつくと……。

「でも、だとすると小泉さんはわたしたちの敵なんですか?」    

「微妙に違うような気がするけど、邪悪な存在に肩入れしてる    

 のは間違いないんじゃないかな? 忘れちゃいけないけど、    

 ボクたちは一度巨大化した小泉さんに襲われてるんだ」

「そうでしたね……」

 意識して忘れようとしていた事を思い出してしまい、佳奈は    

少し不機嫌そうに答えた。

 元来の性格の為に、どうしても瑞穂を完全に<敵>だと思い    

たくないのである。

「どうやら全部繋がるみたいだな。確かにこの巻物に書かれた    

 邪悪な存在は地下にいるらしいし、実際陥没事故も起きてい    

 る。そして、邪悪な存在から町を守る為に守護巫女がいる。    

 ……おかしな話ではないな」

「ちょっとすっきりし過ぎだけどな」

「だったら晶、お前はどう思う?」

「……そう言われてもなあ」

 晶はどこか疑念が残っているようだったが、父親に指摘され    

ると何も言えないようだった。

 ちなみに速人は玉木の持ってきたノートパソコンを勝手に操    

作するだけで、相変わらず何も話そうとしない。

 ハヤトも何か言いたい事があるの? ……でも、こんな時は    

絶対言わないのよね。

 幼なじみの自分でも本心が読めず、佳奈が思わず小さく息を    

洩らした時だった。

 再び田畑から連絡があって、車が家の前に着いた事を知らせ    

てきた。

                                

 事故の現場は、市役所から近い住宅地の一角だった。

 やや古い建物が建ち並ぶ一角を占領するかのように建つマン    

ションが、ピサの斜塔のように傾いているのをフロントガラス    

越しに確かめて、佳奈は我が目を疑った。

「……本当に傾いてますね」

「原因は分かったんですか? 田畑さん」

「地下にあるマンションの土台が崩れたからなのは間違いない    

 ようだ。ただ、なぜそうなったかは分かっていない」

「変な話ですね……」

「原因を調べるのは後だ。まずはマンションの住民を全員助け    

 出さないと……」

 その台詞に合わせるかのように、田畑の運転するランドクル    

ーザーが急停止した。

 マンションに気を取られていた佳奈はシートベルトで締めつ    

けられて抗議の声を上げたが、後部座席の琴美の行動は素早か    

った。

 非常線が張られていてそれ以上前には進めないと分かると、    

ドアを開けて車から下りたからである。

 突然傾いたマンションを見学に来た野次馬たちの視線が集中    

したが、構ったりせずに非常線を潜って現場へと向かう。

「先輩、待って下さい……。お巡りさんに断らなくていいんで    

 すか?」

 シートベルトで締めつけられた肩などをさすりながら車から    

出た佳奈が、びっくりして声を上げる。

「大丈夫。ボクたちなら顔パスだから。佳奈も早く来て」

「は、はい……」

 周囲の目線を気にしながら、佳奈も黄色いテープで仕切られ    

た非常線を越えた。

 現場が現場なので、速人や晶、田畑とはここで別れるしかな    

かった。

「しっかり頼むよ。ちゃんと映像に撮るからさ」

「石川さん、高田さんの指示をちゃんと聞くように」

「わかってます」

 どうも信頼されていないような気がして、多少むくれたよう    

に佳奈は答えると、二車線の通りに面したマンションのすぐ近    

くで足を止めた。

 比較的新しい建物だったが、建物全体が通りに向かって傾い    

ていて、道路に不気味な影を落としていた。

「ボクが万一に備えてここで巨大化する。佳奈は救助に専念」    

「わたしが……ですか?」

「今年の守護巫女は佳奈だからね。ボクはフォロー役」

 やんちゃな少年のように笑うと、琴美はそっと佳奈の背中を    

押した。

 すぐに巨大化する事に気づいて、今年の守護巫女は慌てて距    

離を取る。

 ボーイッシュな美少女が、ラフな私服姿のまま身長四十九・    

二メートルまで巨大化したのはその直後のことだった。

「佳奈も早く。これ以上傾いたらヤバい」

「あ、はいっ……」

 頭上から降る聞き慣れた声を全身で受け止めて、佳奈もまた    

夏の制服姿のまま巨大になった。

 もうすっかり慣れているので、いつものように辺りを見回し    

て様子を確かめる。

 傾いたマンションは巨大化した佳奈の胸元ぐらいまでの高さ    

だったが、周囲には住宅が密集しており、倒れると大惨事にな    

るのは間違いなかった。

「周囲の住民の避難は完了してるってさ。残ってるのはこのマ    

 ンションの中の人たちだけだ」

「……そうですけど、まだかなりいるんじゃないんですか?」    

「ほとんどの人はすぐに逃げたらしい。残ってるのは……あま    

 り足が丈夫じゃない人とからしいな」

「分かりました」

 地上にいる消防隊員からの言葉を分かり易く伝える琴美に、    

佳奈は髪飾りで束ねた髪を揺らして頷くと、さっそく救助活動    

の準備を始めた。

 琴美がマンションの屋上に手をかけて支えているのを確かめ    

ると、そっと大通りに片膝をついたからである。

 電線や電柱、道路上の車が少し邪魔だったが、何とか手をつ    

いてバランスをとると呼びかける。

「マンションに残ってる皆さん。助けに来ました。慌てずに道    

 路側に出てきてください」

「うーん……。こっちに出てもらうしかないか」

「逆側では回り込めないんです。道路が狭過ぎて……」

「こんなに大きいと仕方ないね」

「身長四十八メートルですからね……」

 暢気な会話を交わしている内に、守護巫女の呼びかけに答え    

て残っていた住民たちが一人、二人と姿を現した。

 高齢者がほとんどだったが、間近に巨大な少女を見てさすが    

にびっくりしたようだった。

「安心して下さい。わたしが救助しますから」

 道路に片膝をついた状態で、セーラー服姿の巨大少女はにっ    

こりと微笑んだ。

 異様と言えば異様な光景だったが、佳奈の爛漫な笑顔はその    

場の緊張を和らげるのに十分だった。

 そっと手を差し出すと、一人二人とその上に乗ってきたから    

である。

「……さすがだな」

 心から感心して、琴美がつぶやく。

「そうですか? わたしはただ、人助けしてるだけです。それ    

 より先輩、マンションをちゃんと支えててください」

「大丈夫。この程度の建物なら片手でも十分だからね」

「先輩って力あるんですね」

「佳奈だって同じ事ができるはずだ。守護巫女にはそれだけの    

 力があるってことだ」

 先輩の言葉に素直に頷いている内に、佳奈は救助した人たち    

を載せたまま、手を道路に下ろした。

 すかさず待機していた救急隊員などが駆け寄り、不運な住民    

たちを保護する。

「思ったよりもいるんだな……。逃げられなかった人」       

「そうですね。少し時間がかかりそうです」

「丁寧にやらないと駄目だからね。気をつけて……うわっ!」    

 琴美のアドバイスは、何かが崩れるような音と同時に短い悲    

鳴に変わった。

 びっくりした佳奈は地面に置いた手を浮かせかけてしまった    

が、救急隊員が慌てたのに気づいて冷静さを取り戻す。

 駄目駄目……。人がいるんだから。それより先輩は?

「先輩……大丈夫ですか!」

「そんなに大きな声を出さなくてもいいよ。ちょっと体勢を崩    

 しただけだからさ……」

 琴美はしりもちをついたかのように座り込んでいた。

 短パンから伸びるすらりとした足が刺激的だったが、佳奈は    

琴美の周囲が陥没した事に気づく。

「先輩、道路が……」

「ボクは何もしてないよ。ただ突然地面が凹んだからさ。油断    

 してたよ」

「まさか、マンションが傾いたのも……」

「同じ原因だろうな。でも一体誰がこんな事をしたんだ?」

 巨大化している事もあって、周囲に気をつかいながら琴美が    

体を起こした。

 電線を引っかけそうになって慌てたが、何とか半身になって    

大きく息を吐く。

 いつもはおっちょこちょいな佳奈の事をからかうのだが、自    

分がその立場になってみると少しばかり情けなかった。

 でも、どうなってるんだ? 急に地面が陥没するなんて。何    

かあるのか……?

 心配そうに呼びかけてくる佳奈を無視して、開いたばかりの    

穴を覗き込んでみる。

 しかし、真夏の日の光も届かない暗闇が広がるばかりで何も    

見えなかった。

「先輩……。この穴、見覚えありませんか?」

「え? どこだっけ……」

「ほら、壊滅した集落の後片付けをした時に、わたしが間違っ    

 て踏み抜いて……」

 救助も忘れて、佳奈がそこまで言った時だった。

 穴の奥で、何かが動いたのを琴美は見逃さなかった。

 運動で鍛えた反射神経で右腕を穴の中に入れると、<それ>    

を掴もうとしたのだが……。

「あっ!」

「えっ……」

 二人の巨大少女たちが見守る目の前で、穴の奥から闇の塊が    

飛び出したかと思うと……そのまま夏の青空へと吸い込まれる    

ように消えていった。

 ほんの一瞬の出来事で、何もできないままだった。