第24話  波紋は広がる 


稲穂市のほぼ中心にあるタンギスタン料理店「アルダ」は、    

休日の昼間ということもあって店内はほぼ満席だった。

 小さな厨房では店の支配人であり料理長でもあるストルーヴ    

ェが、部下の料理人たちに次々に指示を出していた。

「今日は忙しいですね、本当に」

 信頼できる部下の一人であり、ロシア系の血を引くイワノフ    

が人のいい笑顔を浮かべて話しかけてくる。

「雑談はいいから手を動かせ。お客様を待たせるわけにはいか    

 ないぞ」

「分かってます。でもボルジャがいなくては大変でして……」    

「仕方ない。<女神たち>が動いてるからな」

 手では仕入れたばかりのラム肉に下ごしらえをしながら、タ    

ンギスタン国軍情報局の軍人でもある料理長は答えた。

「そろそろ大きな動きがあるはずだ。見逃すわけはいかない」    

「でも……我々はいつまでこんな事をしなければならないんで    

 すかねえ。ちっぽけな料理店を営みながら<女神たち>の様    

 子を探るなんて……」

「局長の命令だから仕方ない」

「結局は大統領閣下の命令なんですね。分かってますけど、や    

 りきれないですよ。私たちは誇り高きタンギスタン軍人なん    

 です。料理人じゃないんですよ」  

 思わずストルーヴェが睨みつけると、忠実ながらもやや小心    

なイワノフは肩をすくめて調理に戻った。それを確かめて、自    

分も下ごしらえを再開した料理長だったが、すぐに自分の置か    

れている立場を思い出す。

 ……無理もない。イワノフは忠実だが生粋の軍人だ。でもだ    

としたら私はどうなるというのだ? 生まれが生まれだったか    

ら軍に入れられ、情報局に配属されて……。

「少佐! 新たな動きがありました!」

 突然、戦場のような忙しさになっている厨房に私服姿の青年    

が駆け込んできた。

 ユーラシア大陸中央に伝わる伝統料理の香りに遠い故郷を思    

いながら、ストルーヴェは静かに口を開く。

「ここでは料理長と呼ぶように何度言ったら分かる? ……何    

 か動きがあったのか? ボルジャ」

「はい。思った通り<藍色の女神>は<白い女神>たちを襲い    

 ました! でも、<藍色>は破れて引き上げました」

 ここでは最年少の軍人の言葉に、厨房内にいた料理人たちは    

一斉に作業の手を止めて、その意味を頭の中で整理した。

 結論は全員同じだった。

「<白い女神>が強かったということだな? <藍色>に怪我    

 は無かったのか?」

「無いと思われます。ただ……例の巻物は<白い女神>に渡っ    

 たようです」

 ほんの一瞬、厨房内の空気が凍りついた。

 経験の浅いボルジャの報告は、一番悪い情報が後回しになっ    

ていた。

「それを早く言え! 悪い情報は早く知らせろと何度……」

「イワノフ大尉、それは後だ。巻物が渡ったのは間違いないの    

 だな?」

「はい。直接確認しました。……まずい事になったのではあり    

 ませんか?」

「予想してた事だ」

 最悪の可能性だったが……。

 ストルーヴェは口の中だけで付け加えると、完全に手が止ま    

っている部下たちを見回して、作業を再開するように促した。    

 報告に戻ってきたボルジャ少尉には監視を続けるように命じ    

て送り出し、自分も調理に戻る。

 やはり、あの少女では荷が重過ぎたか。予想してたとはいえ    

思ったよりも展開が早い。ダークポラリスも動いているし、そ    

ろそろ行動に出るべきか……?

「女神は……本当に復活できるのでしょうか?」

 タンギスタン料理名物・ラム肉のスープを作っていると、イ    

ワノフ大尉が身体を寄せて話しかけてきた。

「偽りの真実を知ったら<白い女神>たちの協力を得るのはま    

 すます難しくなります。巻物を奪いましょう」

「駄目だ」

 イワノフの顔を見ることなく、ストルーヴェは即答した。     

 露骨に不満そうな顔をする副官を諭すように続ける。

「下手に動くとダークポラリスを刺激する。それに、我々の正    

 体がばれた時に信頼されなくなる」

「最悪の場合は実力行使を許可されています。ばれた時には力    

 ずくでも任務を達成すべきです」

「ならばダークポラリスを敵に回して勝てる自信はあるのか?    

 イワノフ大尉」

「……ありません」

 実直な軍人らしく、イワノフは正直に答えた。

 副官が自分の実力と敵の実力を見誤る程愚かではない事を確    

かめて、ストルーヴェは内心ほっとする。

「我々の最大の武器は信頼だということを忘れないで欲しい。    

 とにかく穏便に事を進めて、自分から動いてもらうように仕    

 向けるのだ」

「分かっています。監視を続けて、タイミングを見て介入しま    

 しょう。カードを切るタイミングを間違えないようにして下    

 さい」

 ストルーヴェが無言のまま頷くと、イワノフは口の端に静か    

な笑みを浮かべて離れていった。                 

 副官が自分に全幅の信頼を寄せている事に安堵しながらも、    

料理人でもある軍人は自分の立場の複雑さに内心嫌気がさして    

いた。

 ……仕方がない。全ては女神の為だ。

 いつものように心の中でつぶやくと、部下でもある料理人た    

ちに指示を出すのだった。

                                

 二泊三日の<調査>を終えて、佳奈たちが港に戻ってきたの    

は西に大きく日が傾いてからのことだった。

 チャーターした船から下りると、来た時と同じように玉木の    

車に荷物を詰め込んでいく。

「色々あったけど楽しかったですね、先輩」

 少し日焼けした顔にいつもの無邪気な笑顔を浮かべて、今年    

の守護巫女は言った。

「……佳奈は本当に暢気だねえ。あんな事もあったのに」

「小泉さんの事ですよね。……正直、何がなんだか分からなく    

 て。考えないようにしてるんです」

「佳奈らしいっていえば佳奈らしいけど、もっと考えた方がい    

 いよ。街を守る巫女さんなんだから」

「でも、考えても仕方ないんだよな……。小泉さんが残した巻    

 物の中身も分からないし」

 軽くメガネを上げて、晶が口を挟む。

 ちなみに速人は黙々と荷物を積み込むだけで、佳奈たちに視    

線を向ける風でもなかった。

「ま、親父がなんとかしてくれるかな?」

「玉木さん、お願い……します」

「ああ。分かってる。内容が分かったらすぐに連絡する。重大    

 な意味がありそうな気がするからね」

 瑞穂が残していった古い巻物は、佳奈たちの好奇心を刺激し    

て止まなかった。

 自分たちが知りたい真実が書いてあるのは間違いなかったか    

らだったが、気になる点も無いわけではなかった。

「何度も言ってますけど……」

 速人の横に並んで荷物の積み込みを手伝いながら、佳奈は心    

の中で押さえきれないでいる疑問を口にした。

「小泉さんはどうしてそんなに大事な巻物を渡したりしたんで    

 しょうか? 先輩、分かります?」

「んーボクが脅したからだと思うだけどねえ。ほら、ボクって    

 こう見えても恐いじゃない」

「可愛い男の子みたいな顔して言わないで下さい」

「言うようになったねえ。ま、冗談は置いといてやっぱり何か    

 伝えたかったんじゃないかな」

「ですよねえ……。小泉さんって、わたしたちの事を狙ってる    

 ように見えてそうじゃないような……微妙なんですよね」

「だからやる事がちぐはぐなんだろうな」

 琴美の言葉に頷いて、佳奈は小さく溜息をついた。

 突然巨大化して襲いかかってきたり、大タコに襲われたりし    

たものの、どうしても瑞穂の事は憎めなかった。

 何かを隠しているのは間違いなかったからだったが……。

 駐車場にフォードのセダンが入ってきたのはその時だった。    

 半ば無意識の内に目で追っていた佳奈だったが、自分たちの    

目の前で停まったので少し驚く。

「ハヤト君、迎えに来たよ」

 その場の全員の視線を集めながらセダンから出てきたのは、    

どう見ても外国人にしか見えない長身の青年だった。

 ラフな私服姿でも全身から<有能>という名のオーラを漂わ    

せているように見えたが、初めて見る人物に佳奈たちはただ呆    

気に取られていた。

「チャーリー……、迎えに来るなって言っただろ?」

「ちょっと暇が出来たんで顔を出しにきたんだ」

 不機嫌な速人の言葉を、青年……マツキは受け流した。

 佳奈たちの視線に気づくと、丁寧な口調で自己紹介する。

「初めまして。ハヤト君の遠い親戚に当たるチャーリー・マツ    

 キです。私の祖父はハヤト君のおばあちゃんの兄です」

「え? ハヤトのおばあちゃんってとっくに亡くなったと聞い    

 てたけど?」

「俺も最近知ったんだ。ハワイに渡った親戚がいたんだ」

「ってことは、日系なんですか?」

 軽く眼鏡を上げて、晶が話に加わる。

「ええ。最近、この街に親戚がいると聞いて来たんです。今は    

 駅前の英会話学校で講師をしています」

「そうなんだ……」

 速人の親戚と聞いて、佳奈はすぐに警戒を解いた。

 しかし、隣の琴美は目を細めてマツキを凝視していた。

 まるで何かを疑うかのように……。

「それよりハヤト君、家まで送るが」

「……ああ。こっちの車に全員乗ると狭いからな。俺はチャー    

 リーの車で帰る」

「うん。じゃ、また明日。学校遅れたら駄目よ」

「うるさい」

 佳奈との短いやりとりだけを残して、速人はフォードの助手    

席に乗り込んだ。

 すぐにマツキも続いて、車は大きなエンジン音と共に発進す    

る。

「……なんで来たんだ?」

 ぶっきらぼう極まりない声で速人が口を開いたのは、港を離    

れてからしばらくしてからだった。

「少しでも早く話を聞きたいと思ったんだ。もっとも、君たち    

 の動きは全部モニタリングしてるけどね」

「だったら俺の話なんて必要ない」

「君はれっきとした現地工作員だし、私たちもそんなに近くで    

 モニタリングしてたわけじゃない。特に知りたいのは例の巻    

 物のことだ」

「それなら晶の親父が解読を依頼してる。後で内容は伝える」    

「ありがたい。それだけでもボーナスものだな。さっそくボス    

 に頼んでみるよ」

「……金で何でも買えると思うな」

「たいていものは金で買える。情報は買い易い方だ」

 秘密組織<ダークポラリス>の有力な若手でもある青年はま    

ったく動じなかった。

 思い通りに事が進んでいるので、機嫌もいいのだろう。

 代わりに速人の知りたい情報も提供する。

「そうだった。何度も言うが、タンギスタン国軍情報局の連中    

 には気をつけるように。奴らも守護巫女を狙ってるからな」    

「あの料理店の連中か?」

「そうだ。タンギスタンは大統領の独裁国家だ。守護巫女を味    

 方にして権力を強化するつもりらしい」

「どいつもこいつも……」

「君も同じだからな。この街で平穏に暮らす為には我々の命令    

 に従うしかないんだ」

 マツキの刺混じりの言葉に、速人は一段と不機嫌になって視    

線を背けた。

 小さな港町は夜の帳に包まれつつあったが、その奥に潜む本    

当の闇に誰も気づいていなかった。

 しばらくは言う事を聞くしかない。親父の為にも、石川たち    

の為にも……。

 窓越しに街並みを眺めながら、自分に言い聞かせているのだ    

った。