第22話 海底からの挑戦者

                                

 翌日も朝からよく晴れ上がった。

 まだ梅雨は明けていないはずだったが、今日あたりには梅雨    

明けが発表されるだろう。

 とりとめなく考えながら、玉木手製の朝食を食べ終えた佳奈    

だったが、食器を片づけ終えるのを待っていたかのように琴美    

が水着に着替えたので、少しびっくりした。

「先輩、もう始めるんですか?」

「早く始めないと日が暮れるからね。どこに何があるのかも分    

 かってないんだから」

「そうでしたね。……玉木さん、そろそろ行きますけどいいで    

 すか?」

「ああ。私たちはついて行けないから気をつけて。ま、高田さ    

 んがいるなら安心かな」

「ボクに任せて下さい。佳奈はちょっとだけ頼り無いところも    

 ありますから」

 そう言って琴美は、佳奈の肩を引き寄せた。

 吐息がうなじにかかり、後輩の少女は思わず赤面する。

「しっかし、先輩って平気な顔して女の子誘惑するんですね」    

 ビデオカメラを構えたまま晶が口を挟む。

「佳奈って守護巫女なのに護ってあげたくなるんだよねえ。ま    

 あ、それはとにかく。……そろそろ行くよ」

 何も無かったように琴美が肩から手を離した。

 そのまま波をかき分けて海の中へと入っていくと……一気に    

巨大化した。

 既に見慣れた光景とはいえ、大胆な水着姿のままの変身に、    

佳奈は思わず見とれてしまう。

「凄いなあ……。水着姿の巨大少女をこんな間近で見られるな    

 んてさ。竹尾が出て来ないのもわかるよ」

「こんな時でも出て来ないなんて酷いわね。巨大化したら引っ    

 張り出してやるから」

「まあ、あいつにはあいつの考えでもあるんじゃないかな」

 晶の言葉に、昨夜の事を思い出した佳奈は胸を突かれたよう    

に手を下ろした。

 警告の事は、琴美を含めて誰にも話していなかった。

 信じたくても根拠がまったく無かったからだったが、かとい    

って無視する事も出来なかった。

「佳奈ー。早くしないとおいてくよ〜」

 両手を腰に当て、琴美が呼びかけてくる。

「あ、はい。今行きます! じゃ、後頼みます」

 髪飾りで束ねた髪を揺らして、佳奈もまた海へと走った。

 先に巨大化した琴美が海岸から離れているのを確かめると、    

今年の守護巫女はいつものように巨大した自分の姿を心の中に    

念じる。

 途端にワンピースタイプの水着姿の少女の身体が天に向かっ    

て伸び始め、砂浜を踏みしめる素足も地面にめり込んでいく。    

 今までは影になって見えなかった部分簡単に見えるようにな    

ってきて、改めて島自体が小さい事に気づく。

 上空の風を肌で感じて軽く目を細めるのと同時に、変身は完    

了した。

 軽く腕を振って身体に異常が無いのを確かめると、すぐ隣に    

立つ琴美の方に向き直る。

「……こんなに大きくなると島が模型みたいに見えますね」

「まあ、いつもの事だけどね。……さてと、どこから探そうか    

 な。怪しいのは船では近づけない島の反対側だね」

「どうしてですか?」

「船では近づけなくても巨大化してたら近づけるじゃない」

 謎めいた言葉に、佳奈は小さく首をかしげた。

 昨日の夜、夕食を食べながら全員で話し合った時には確かに    

島の反対側を重点的に調べる事になったものの、その詳細な理    

由までは覚えていなかった。

 速人を除く全員が勝手に話していたので、聞いている内にわ    

けがわからなくなっていたからだった。

「あ、言ってなかったね。普通の人間が行けそうに無い場所に    

 何かを隠したような気がしたんだ」

「つまり……えっと、今みたいに巨大化してたら行ける場所に    

 何かを隠したんですか?」

「可能性はあると思うけどね。でも、あくまでもただの推測。    

 誰が何を隠したのかも分かってないんだからさ」

「でも、小泉さんは何かを知ってるんじゃないんですか?」

「と思うんだけどねえ。何も話してくれないんだったらボクた    

 ちが調べるしかないじゃない」

 そう言って琴美は笑った。                   

 心の底では罠を警戒していたのだが、あえて表に出したりし    

なかった。

「というわけで玉木さん。ボクたちは島の反対側に行ってみま    

 す。その間待ってて下さい」

「ああ。分かった! 気をつけて行ってくるように!」

「分かってます。……しかし、竹尾君がテントから出て来ない    

 けどいいのかな?」

「引っ張り出しますか? この状態ならちょっとテントをつつ    

 けば出てきますよ」

「遊んでる場合じゃないと思うけどねえ……」

「冗談です。そろそろ行きませんか?」

 本当は速人の言葉が気になっていたのだが、守護巫女の少女    

は誤魔化すように答えると砂浜から離れるように歩き始めた。    

 次第に海は深くなっていったが、水深約十メートルでも膝ぐ    

らいまでが水に隠れるだけなので、不自由は無かった。

「気をつけて歩かないと危ないね。うっかり転んだら津波にな    

 りそうだからね」

 少しばかり真面目な顔をして琴美がアドバイスしたのは、拠    

点にしている砂浜を離れてしばらくしてからのことだった。

「でも、陸地とは離れてるから大丈夫かな」

「けっこう遠いんですね。地図で見た時はもっと近いと思って    

 たんですけど」

「何かを隠すんだったら最適だね。しかも巨大化できれば普通    

 なら行けない場所まで行けるからね」

「そうですね……うわっ」

「大丈夫!?

「は、はい……。ちょっと深くなってたんです……」

 大きな水音がしたので琴美は慌てて呼びかけたが、佳奈はそ    

の場に座り込んで呆然としていた。

 単に転んだだけなのだろう。

 高さ十メートル以上の波を起こしながら立ち上がったのを確    

かめて、安心する。

「本当に気をつけてよ。巨大化してるんだから」

 足を少し広げ、両手を腰に当てて琴美は安堵を隠すようにあ    

えて厳しい口調で言った。

「は、はい……。でも今なら大丈夫じゃないですか。それに陸    

 地では一度も転んでませんから」

「転ばれても困るんだけどねえ……。大被害だよ」

「そうですけど……」

 少しばかり刺のある琴美の言葉に、佳奈がすっかり萎縮した    

……その時だった。

 琴美の背後で一気に海面が盛り上がったかと思うと、深い赤    

みのある巨大な島が出現した。

                                

 最初、何が起きたのかまったく分からなかった。

 直接<それ>を目にした佳奈は海の底から突然島が浮上した    

と勘違いしたし、琴美も振り向いた時には突然の闖入者の正体    

を掴んでいなかった。    

 その僅かな空白が、隙となった。

「えっ……?」

 闖入者と目が合った瞬間、ビキニ姿の巨大少女の思考は一瞬    

完全に停止した。

 陸上にいる時には決して見ることができない横に長い長方形    

の瞳、曲線を描く頭部、そして吸盤に覆われた八本の足。

 巨大化したタコだった。

「タ、タコが……こんなに大きいのがいるなんて……」

 佳奈は意識が飛んでしまったかのように呆然としていた。

 口許に手を当てて、うわ言のようにつぶやくだけで凍りつい    

ていた。

「ち、違う……。巨大化させられ……うわっ!」

 現状を分析する事で理性を取り戻そうとした琴美の言葉は途    

中で断ち切られた。

 細長い目をさらに細くした巨大タコが俊敏な動きで、琴美に    

襲いかかったからだった。

 スポーツ万能を自認する少女といえど、野生の狩人相手では    

到底避けきれず、水着に包まれた巨体に足を巻きつけられてし    

まう。

「先輩!」

「く、来るな! 自分で……何とかする! ……っ!」

 巨大なタコの重みを支えきれず、琴美はその場に倒れ込むよ    

うにしてしりもちをついた。

 佳奈が転んだ時よりもはるかに巨大な水飛沫が上がり、周囲    

に海水の雨を振らせる。

 巨大化した少女の体積が全て波に置き換わって、小さな島と    

佳奈に襲いかかる。

「あっ……!」

 降り注ぐ海水を浴びて我に返った時には遅かった。

 今年の守護巫女もまた、大波の圧力に負けて背中から倒れて    

しまったからだった。

 再び巻き起こった大波が傍にある島を容赦なく洗い流したが    

被害を気にかけている余裕は無かった。

 琴美の非常に発育のいい全身に大タコの足が絡みついていた    

からだった。

「……離せ! 離せよ!」

 琴美は辛うじて自由になる右腕でタコの頭部を殴りつけてい    

たが、知能の高い無脊椎動物相手には効いていなかった。

 まるでゴムボールでも叩いているかのような手応えの無さで    

巨大な少女の焦りは深まる。

「先輩……今助けます!」

「来るな! 危ない!」

「危ないのは先輩の方です!」

 普段のおっとしたとした姿からは想像もつかない程の剣幕で    

佳奈は叫ぶと、後先考えずに大タコの足を引き剥がし始めたの    

はその時だった。

 吸盤が絡みついて気持ち悪かったが、怯える心を振り捨てて    

大好きな先輩を助けようとする。

 その気持ちが通じたのか、奮戦の末に八本の足の内二本を引    

き離す事に成功する。

「くっ……こんな奴なんかに……負けるか!」

 少しだけ自分に対する圧力が弱まったのを感じて、琴美も逆    

襲に転じた。

 不毛な頭部攻撃を諦めて、自分の身体を締め上げる足を引き    

剥がしていったからだった。

 かなりの力が必要だったが、年頃の少女にしては筋力がある    

方だった事も幸いして、一本ずつ身体から離していく。

「先輩から離れて!」

 佳奈はいつになく熱くなっているようだった。

 攻撃に恐れをなしたのか、大タコはついに自分の足を切り離    

してしまったが、その足すらも投げ捨てて残った足を引き剥が    

そうとしていたからだった。

「先輩! 今助けます!」

「大丈夫! ボクは平気だから!」

「ええいっ! 先輩から離れて!」

 二人の少女の反撃を受けて、巨大なタコは明らかに劣勢に立    

たされていた。

 軟体動物とは思えない程賢しい頭脳は墨を吐いて逃げる事が    

最善だと判断していたが、自分の意思で巨大化したわけでも攻    

撃しているわけでもないので不可能だった。

 何度も何度も大型ビル並の水柱が上がり、二人と一匹が暴れ    

る度に大波が島に襲いかかる。

 真夏の太陽の下で繰り広げられる戦いは、少しずつ少女たち    

が優位に立っていった。

 佳奈は息もつかせぬ攻撃でタコの足を引き剥がし、琴美もま    

たそれを援護するかのように腕を振ったり暴れ続けた。

 気がつくと、最初は八本全て絡みついていた足は、いつの間    

にか二本だけが琴美のむき出しの腹部に絡みつくだけになって    

いた。

 二人の守護巫女は力を合わせて何とか引き剥がそうとしてい    

たが、さすがに疲れが全身を支配しつつあった。

「先輩、立てますか?」

 息を切らしながら、佳奈は問いかけた。

「……無理。こんなでかいのに寄りかかられてるんだから」

「もう……先輩から離れて!」

 自分を狙った足を弾き飛ばして、佳奈は琴美に巻きつく足を    

排除しようと必死になっていた。

 後先も考えていなかった。

 今はこの危機を乗り切りたいとだけ思っていた。

 二人の少女、そして巨大なタコが暴れるたびに大波が立ち、    

激しい水しぶきが上がっていたが関係なかった。

「……佳奈、後はボクに任せて」

 熱くなる一方の後輩に、静かな声で先輩の巫女が呼びかけた    

のは、激しい戦いも膠着状態に陥り始めた時だった。

 持ち前の落ち着きを取り戻したのだろうか。

 ピンチに陥っているのにも関わらず、口許にはいつもの少年    

のような笑みさえ浮かんでいた。

「後はボク一人でも何とかする。佳奈は離れて」

「でも……」

 琴美の返事は無かった。

 相手の気が緩んだと判断したのか、大タコが足を全て巻きつ    

けてきたからだった。

 佳奈があっと思う間も無く、琴美の巨体は赤黒く柔らかい物    

体によって縛りつけられる。

「先輩!」

「大丈夫。……それより、周囲の様子を探って」

「どういう意味……あっ!」

 過熱していた心がわずかに冷えた途端、周囲の状況が一気に    

視野に入ってきた。

 戦場と化している海に面する小望遠島の高さ二十メートルは    

ある絶壁の上。

 その一角に広がる木立の間に見覚えのある人影があった。

 飾り気の無い私服に身を包んだ少女……瑞穂だった。