第21話 真夏の日差しと迫る影

                                

「……」

 隣に立つ琴美の身体のとある部分を見てから、佳奈は目線を    

落として……盛大に溜息をついた。

「ど、どうかした? そんなに大きな溜息つくなんてさ」

 普段はあまり物に動じない琴美が、珍しく目を丸くして尋ね    

てくる。

「え……? あ、な、なんでもありません! 今日は自由なん    

 ですからまずは泳ぎましょうよ!」

「いや、それはいいんだけどねえ。そんな溜息をつかれるとこ    

 っちだって……まさか、<これ>が気になる?」

 ゆさゆさ。

 ウィンクした琴美が指した先で盛大に揺れているのは、ビキ    

ニからこぼれんばかりの胸。 

 れっきとした現役の高校生のはずだったが、そのプロポーシ    

ョンはグラビアモデル並だった。

「……はい」

「そう言われてもねえ……。こればっかりは仕方ないよ。あ、    

 一応言っとくけどボクのお母さんは普通だよ。けっこう美人    

 だと思うけどね」

「分かってますけど……羨ましくて……」

「佳奈だって悪くないって。普通の水着が十分似合ってるじゃ    

 ない」

「普通過ぎませんか? これだと」

 佳奈はワンピースタイプの水着を着込んでいた。

 柄もそれ程派手てはなく、これといって特徴の無い身体のラ    

インが特に目立つわけでも無かった。

 もっとも、本人に言わせれば「もっと出るところが出ていて    

引っ込むところが引っ込んでいればいい」との事だったが。

「佳奈らしくていいと思うけどね。一見普通なんだけど、どこ    

 か存在感があるじゃん」

「はあ……。本当にそうなんですか? よく言ってますけど」    

「ボクの言う事は信じて欲しいね」

 言い切って、琴美はにんまりと笑った。

 プロポーションを強調するビキニを着用していても少年のよ    

うに見えるその笑顔に、佳奈はなんとも言いようの無い違和感    

を覚える。

 いつも思うけど、もし先輩が男の子だったら本気で惚れてる    

わね。でも、女の子だから気軽に付き合えるのね、きっと。

「……先輩。やっぱりダイナマイトボディですね」

 口を挟んだのは、テントの設営をしていたはずの晶だった。    

 気がつくと小望遠島唯一の入り江に面する砂浜にはテントが    

二つ張られ、守護巫女一行の前線基地となっていた。   

「女の子にその言い方は止めた方がいいよ。まあ、ボクとして    

 は嬉しいけどね」

「先輩にしか言いませんよ。リスペクトしてるんですから」

「変なリスペクトね」

「あ。えっと、石川は……可愛いと思うよ。いや、本当に」

「……え? そ、それよりハヤトはどうしたの?」

「テントの中で寝てる。朝早いのは苦手なんだってさ。ありゃ    

 絶対嘘ついてるぜ」   

 真顔で断言する晶に、二人の守護巫女は顔を見合わせると、    

揃って頷いた。

 他称硬派な少年なので、少女たちの水着を見て正直な反応を    

してしまう事を恐れているのは間違いなかった。

「以外と正直なんだね」

「前から言ってるじゃないですか。根は以外とまっすぐなんで    

 す。ただ、あんな性格なんでみんな誤解してるんですよ」

「でも、水着姿が正視できないのはどうかと思うけどねえ」

「今回の調査は水着でないと無理ですよね?」

「しかも巨大化しないといけないからね。うーん……。濡れて    

 もいい服持ってくれば良かったかな? でもそれだと小学校    

 の時の着衣水泳の授業みたいだし」

「そうですね。でも、あの授業ちょっと面白かったですよね。    

 いつもの服装のままプールに入っちゃったんですから」

「あのねえ……佳奈は変わってるね、やっぱり」

「そうですか? あ、そういえば、去年座礁したタンカーを沖    

 に戻した時はTシャツとか着てたじゃないですか」

「あれはほら、マスコミが押しかけてたからね。それに今だか    

 ら言えるけど、少し寒かったんだ。先輩はよりによって東京    

 行ってるし……」

 初めて聞く裏話に佳奈は興味津々といった面持ちだったが、    

琴美は話しながら海に向かって歩き始めた。

 一泳ぎするつもりらしい事に気づいて、佳奈も無邪気な笑顔    

を浮かべて続こうとしたが……。

 波打ち際で先輩が足を止めたので、顔に疑問を浮かべながら    

肩を並べた。

「先輩、どうかしたんですか?」

「……これ、何だと思う?」

「え? ……ち、ちょっと……!」

 琴美の足元にある<それ>に気づいた瞬間、佳奈は驚きのあ    

まり琴美にしがみついてしまった。

 通常の約十倍の大きさがあるサザエが、波に洗われていたか    

らだった。

 中身は既に無いので不気味さは半減していたが、それでも見    

慣れた物が普通より巨大なのはやはり恐ろしかった。

「こんなに大きなサザエ……初めて見ました……」

「ボクだって初めてだよ。こんなに大きくなるのがあるんだ」    

「……いや。それは無いな」

 冷静な声で話に加わったのは玉木だった。

 そのすぐ後ろでは息子の晶が不安そうな面持ちのままビデオ    

カメラで撮影を続けている。

「突然変異にしても大き過ぎる。水産試験場に知り合いもいる    

 し、後で調べてもらおう」

「は、はい……。お願いします。……先輩、嫌な感じがしませ    

 んか?」

「佳奈が言うとなぜか説得力があるんだよねえ。……それより    

 ボクから離れてくれないかな?」

「え? ……あ、済みません!」

 巨大サザエを見つけた時からしがみついたままなのに気づい    

て、佳奈は赤面して離れた。

 後輩の行動に琴美は呆れたような表情を浮かべていたが、や    

がて気を取り直したように笑う。

「まあいいけどね。とにかく、サザエの件は後回しにして泳ご    

 うか?」

「そうですね」

 一つ頷いて、今年の守護巫女は海へと入っていった。

 穏やかな笑みを浮かべて、琴美もそれに続いたのだった。

                                

 小さな無人島での一日は、特に何も無いまま夜になった。

 昼間は小さな浜辺で海水浴などを楽しみ、夜は焚き火を囲ん    

で玉木手製の野外料理に感激したりした事もあって、疲れを感    

じたのだろう。

 佳奈は女性陣用のテントに入ると、崩れるようにその場に座    

り込んでしまった。

「今日は随分はしゃいでたね」

 先にテントに戻っていた琴美が笑って声をかけてくる。

 キャンプ用のランプの光に浮かび上がるその横顔は、いつも    

と少しだけ違うように思えた。

「はい。……つい遊び過ぎちゃいました」

「明日ちゃんとやればいいよ。……でも、本当に泳げなかった    

 んだねえ。よく水泳の授業切り抜けられたね」

「言わないで下さい。ちゃんと泳げるようになったじゃないで    

 すか。それに水泳自体は嫌いじゃないんです」

「それも変な話だけどね。まあ、いいか。どうせ明日は巨大化    

 して探索するから大丈夫かな」

「……何が出てくるか、気になりますね」

 琴美は何も言わずに頷いた。

 海に入る時に、普通よりもはるかに巨大なサザエを見つけた    

ものの、その後怪しげな物は一つとして出てこなかった。

 しかし、自らの意思で巨大化する能力を持つ二人の少女は晴    

天の中の黒雲のような不気味さを感じていた。

 二カ月前には普通の少女……瑞穂が巨大化して襲ってきた事    

があったからだった。

 琴美は口に出さなかったが、今回のサザエも同じ理屈で巨大    

化したのではないかと思っていた。

「明日も早いし、そろそろ寝ようか?」

「はい。……初めてですね。先輩と一緒に寝るのは。襲ったり    

 しないでくださいね」

「そんなに信頼無い? ボクって」

「その顔でボクなんて言ったりするからですよ」

 思わず自分の顔を指さしてしまった琴美に、佳奈が冗談半分    

言い返した時だった。

「石川、ちょっといいか」

 テントの外から速人の声が聞こえて、守護巫女の少女は座っ    

たまま飛び上がりそうになった。

「な、何? このテントは男子禁制だから入ってきたら駄目」    

「だったら来てくれ。話があるんだ」

 一瞬、佳奈は琴美の顔を見た。

 頼りになる先輩は真顔に戻ると小さく頷いてみせる。

「……いいわよ。でもおかしな事をしたら容赦しないから」

「誰がするかよ。それより早く来いよ」

 少年の声に急かされるようにして、佳奈は外に出た。

 少しひんやりとした夜気が肌に当たり、満天の星空に圧倒さ    

れそうになって、自分がいつもと違う場所に来ている事を実感    

したが、すぐに目を速人に向ける。

 昼間ほとんど口をきかなかった少年は、懐中電灯を手に無表    

情のまま立っていた。

「ここでいいんじゃないの?」

 隣の男性陣用のテントに明かりが灯り、そこから玉木父子の    

賑やかなやりとりが聞こえてくることに気づいて、佳奈は少し    

ふてくされたように言った。

「あまり他の奴には聞かれたくないんだ」

「先輩でも?」

「ああ。……こっちだ」

 不安を感じて足がすくんでいる内に。

 速人は勝手に海辺の方へと歩き始めてしまった。

 追いかけないわけにはいかず、佳奈は躊躇いながら続く。

 砂を踏みしめる二つの足音と、波の音だけが聞こえる静けさ    

静かな夜だった。

 月は出ておらず、明かりは速人の懐中電灯しか無かったが、    

その光すらも闇の前には無力のように思えてならなかった。

「ねえ、ハヤト。ハヤトってば」

「明日……気をつけろ。きっと何かある」

 足を止めた速人が突然口を開いたのは、昼間はしゃいだ波打    

ち際まで来た時だった。

 びっくりして、佳奈は少年の背中にぶつかりそうになる。

「嫌な予感がするんだ。小泉から言われてここに来たけど、罠    

 だったかもしれない」

「罠……どうして小泉さんが……。本気で言ってるの?」

「ああ。正直、失敗したと思ってるんだ。忘れたのか? 小泉    

 は一度俺たちを襲ってるんだ」

 ようやく速人が振り向いた。

 瑞穂を疑っている事に対して感情的な反論を浴びせようとし    

た佳奈だったが、少年が真剣な表情を浮かべている事に気づい    

て言葉を失う。

 一見いつもと変わらなかったが、目線はいつもより鋭く、そ    

してまっすぐだった。

「ここなら誰にも邪魔をされないで済む。だから危険なんだ」    

「だったらどうしろって言うの? 調査を止める?」

「いや、ここに何かがあるのは間違いないんだ。だから石川た    

 ちが危ないんだ」

「……ハヤト。何か知ってるの?」

「俺は何も知らない。ただの勘だ」

 言い切ってから速人は、幼なじみから目線を外して唇を噛ん    

だ。

 その脳裏には、昨日の夜<ダークポラリス>の連絡員である    

マツキから告げられた言葉が反射していた。

<小望遠島には何かがあるからそれを調べて報告するように。    

ついでに言っておくともう一人の巨大妖精……ミズホも動いて    

いるようだ。警戒は怠るなよ>

「……。本当の事を言って欲しいけど、駄目……?」

「そんな顔しても何も出ないからな。とにかく、明日は警戒し    

 ろよ。俺も気をつけるからな」 

「一応気は使ってるのね」

「ほっとけ。幼なじみだから当然だろ?」

 愛想のかけらも無い言葉だったが、佳奈は速人の心の奥に秘    

められた優しさをはっきりと感じ取った。

 口実を作っては近づいてきては何かと口を出してくるのはそ    

の為に違いない。

 少年が秘密組織<ダークポラリス>の手先となっているとい    

う事実をまったく知らない事もあって、佳奈は勝手にそう解釈    

した。

「……ハヤト。ありがとね。先輩も頼りになるけど、ハヤトも    

 頼りにしてるから」

「お前、いつもの事だけど……面と向かって言うなよ。こっち    

 が恥ずかしくなる」

「え? おかしい?」

「……もういい。お前には何を言っても無駄だからな」

「変なハヤトね」

「変なのはお前の方だ。人を信じ過ぎだ」

「そっかな……」

 小首をかしげる佳奈に嫌気がさしたのだろう。

 速人は元の硬派の仮面を被り直すと、「戻るぞ」とだけ言い    

残してテントの方へと歩き始めた。

 幼なじみの態度の豹変にびっくりしながらも、佳奈も引っ張    

られるように歩き始めたのだった。