第17話  遠い昔の記憶

                                

 その日は、いつもよりもはるかに夕焼けが赤かった。

 小学校の校庭の片隅にある鉄棒の支柱に寄りかかって、小学    

二年生の佳奈はその景色をじっと見つめていた。

 夕焼けが好きなので眺めていたわけではなかった。

 幼稚園の時から付き合っている友達の速人が、ほとんど意地    

になって逆上がりの練習をしていて、帰りそうになかったから    

だった。

「はやとー、帰ろうよ」

 佳奈が十何回目かの文句を言ったのは、街並みの奥に太陽が    

消えていった時の事だった。

 周囲は薄暗くなり始めていて、校庭に残っているのは佳奈と    

速人の二人だけだった。

「先生に見つかったら怒られちゃうよ。明日にすればいいじゃ    

 ない……」

「うるさい。出来るまでやるんだ」

 高校生になるとすっかり無口になる速人だったが、当時はま    

だ口数は多い方だった。

 といっても、三言に一言は文句か悪口なので、友達は佳奈以    

外にはいなかった。

「早く帰りたいのに……。テレビ見るの」

「テレビなんてつまらないだろ?」

「しゅごみこのテレビがあるの」

「……またかよ」

 鉄棒から手を離して、小学二年生の速人は呆れたような声で    

唯一の友人を見つめ返してきた。

 佳奈は幼稚園の頃から「しゅごみこ」が好きで、大きくなっ    

たらそれになるのだと何度も言っていたのを思い出したようだ    

った。

「なれるわけないだろ。一人しかなれないんだからさ」

「かなにもなれるってお母さん言ってたんだから」

「そんなわけねえだろ。テストもあるんだぜ」

「そんなの頑張ってやるもん」

「はあ……」

 頬を膨らませて言い切る佳奈に、速人は小学生らしからぬ溜    

息をついてみせた。

 この話をするといつになっても終わらないので、無理やり終    

わらせるしかないのだった。

 余計悪い事に、出来るまでやると誓ったはずの逆上がりの練    

習をする気も無くなって、速人は不機嫌になったようだった。    

「帰る」

「帰るの? もうやらないの?」

「帰るんだよ!」

 原因を作った事にも気づいていない幼なじみに、速人はさら    

に苛立ちを募らせながら支柱の下に置いたランドセルを拾い上    

げた。

 そのまま、校門に向かって歩き始めた時だった。

 校舎の方から母親より若い女性が歩いてくるのが見えた。

 佳奈は先生かと思ったが、見覚えが無かった。

「誰だろう?」

「わかんないって。帰ろ帰ろ」

「……待ってよ」

「ランドセルを引っ張るな……何すんだよ!」

 思わず速人を引き止めた佳奈だったが、先程の女性が目の前    

に来た事に気づいて、俄に怖くなった。

 逆光なので顔はよく分からなかった。

 しかし、その姿には純粋な子供だからこそ感じられる異質な    

何かをはっきりと感じることができた。

「名前は?」

 女性が呼びかけてきたことに気づいて、佳奈は小さな肩を震    

わせた。

 逃げたい程恐いのに逃げる事は出来そうに無かった。

 ランドセルを掴んだままの速人は抵抗するだけで助けてくれ    

るとは思えない。

 諦めて、佳奈は口を開く。

「いしかわかな、小学二年生」

「かなちゃんね。あなたはしゅごみこが好き?」

「うん! 大好き!」

 佳奈の恐怖と警戒心は一瞬の内に消え去った。

 <しゅごみこ>が好きな人に悪い人がいるわけが無かった。    

「将来は守護巫女になりたいの?」

「なりたい!」

「そう。だったらこれを上げる」

 女性がかすかに笑ったのを、気配だけで感じる事ができた。    

 同時に、佳奈の右手に女性の手が重ねられて、何かが手のひ    

らに転がる。

 好奇心だけで確かめてみると、それは小さな髪飾りだった。    

「これを持っていればきっと守護巫女になれるわ」

「ほんとに?」

「だからいい子にしてるのよ。貴方はきっとなれるから」

「うん!」

 見知らぬ大人とはいえ、<しゅごみこ>になりたい気持ちを    

応援してもらえて、佳奈はすっかり嬉しくなっていた。

 貰ったばかりの髪飾りをぎゅっと握りしめて大きく頷いてみ    

せたからである。

「……そろそろ行かないと。またね。いつか、もう一度会える    

 日を楽しみにしてるから」

「はーい!」

 無邪気そのものな返事に、謎の女性は微笑んだような気がし    

たが、確かめる事はできなかった。

 踵を返すと校門の方向へと歩いていき、夕景の中に溶け込む    

ように歩き去って行ったからだった。

「……おい、離せよ。何貰ったんだ?」

「んーとね。髪飾り。かなもしゅごみこになれるんだって」

「なんで分かるんだよ。それより、帰ろう」

「うん」

 さっきよりも薄暗くなってきたような気がして、佳奈は速人    

のランドセルを掴んでいた手を離すと歩き出した。

 すぐに、髪飾りを手にしたままなのに気づいて、そっとポケ    

ットに仕舞い込む。

 いつかしゅごみこになる時まで、無くさないようにしようと    

幼い心に誓いながら……。

                                

「……佳奈、大丈夫?」

 遠いどこかから聞こえてくるような琴美の声に、守護巫女の    

少女は弾かれたように顔を上げた。

 すぐに、自分が田畑のランドクルーザーの助手席に座ってい    

る事を思い出す。

「あ、はい。大丈夫です。……どうかしたんですか?」

「それはこっちが聞きたいよ。ぼーっとしてからまた車酔いに    

 なったのかと思ったんだ」

 後部座席の琴美は珍しく、むくれたような顔をしていた。     

 その隣では晶が二人の少女のやり取りをビデオカメラに記録    

し、速人はその隣で窓の外の景色を眺めている。

 今年の守護巫女とその仲間たちは、田畑の車で東相沢地区へ    

と向かっているところだった。

 正確に言うならば、約一カ月前に繰り広げられた巨大少女た    

ちの激闘によって地区全体が瓦礫と化したので、元というべき    

かもしれなかったが……。

「車酔いじゃありません。ちょっと今朝の夢を思い出してたん    

 です。……小さい時の思い出でした」

「お、それはちょっと聞きたいな。教えてくれるかな?」

「大した事じゃないです。それより田畑さん、本当にわたした    

 ちがやってもいいんですか? 後片付けなんて」  

「この前も話したけど、守護巫女でないと無理でね。業者にも    

 泣きつかれたらしいんだ。<あんな大量の瓦礫、せめて片づ    

 けてからでないと処分も出来ない>ってね」

「あんなに大暴れしたからなあ……。しかも中途半端に壊れた    

 建物も多くて手が出せないんじゃないかな?」

「まあ、そういう事だ。さすがは玉木君だな」

「何度も映像見直したんです。まるで怪獣映画みたいで面白か    

 ……だから突然叩くな竹尾! お前どうしてそんなに……」    

「知るか。お前が変な事を言うからだ」

 手だけを伸ばして友人を叩いたのか、速人は目線を窓の外に    

向けたままだった。

 相変わらず無愛想で不機嫌そうだったが、佳奈は夢の中で見    

た小学校時代の速人の姿を思い出し、内心溜息をつく。

 まったく変わってないんだから……。でも、前より口数も多    

くなったような気がするわね。

 カーブのたびに大きく体が傾くのに閉口しながらも、佳奈は    

幼なじみのかすかな変化に気づいていた。

 最近よくハヤトと話をするわね。玉木君には相変わらず手を    

出してるけど。

「しかし玉木君も懲りないね」

 出来の悪い後輩を茶化すような笑みを浮かべながら琴美が沈    

黙を破る。

「最近、一日一度は叩かれてない?」

「そうですね……。それがオレのポジションなんですかねえ」    

「でも、この前の映像は凄く役に立ったよ。巨大化した小泉さ    

 んの背後に変な影を見つける事が出たしさ。あれの正体が分    

 かればいいんだけど」

「竹尾は悪霊だって言うんですけど、小泉さんとどう関係ある    

 んですかねえ」

「それを調べる為にも今日は行きたかったんだ。もちろん、ボ    

 クも後片付けは手伝うけどね」

「三分の一近くは先輩が壊してましたからね。半分が小泉さん    

 で残りが石川さんかな?」

「ボクはそんなに壊したかな? 佳奈と同じぐらいだと思って    

 たけど?」

「先輩容赦しなかったじゃないですか。豪快に蹴散らしたり小    

 泉さんに突き飛ばされて転がったり……。石川さんなんて控    

 えめな方でしたよ」 

「そういう問題じゃないような気がするけど……」

 一応否定はしてから、佳奈は目を正面に戻した。

 林の間の狭い道の奥に、かつての姿を完全に失った集落が見    

えてきて、少しだけ罪悪感がこみ上げてくる。

 小泉さんも心配ね。退院して家に戻って、また学校に通って    

るって話だけど、ハヤトの店には顔を出してないし。また何か    

起こらなければいいんだけど。

「あ、言い忘れたけど今日はマスコミが来るからね。そのつも    

 りでいて欲しいな」

「田畑さん……。そういう大事な事は早く言って下さい」

「知ってると思ったんだ。守護巫女の活動は絵になるからね」    

「そうですけど……」

 そんなことを言うとまた先輩がでしゃばるんですけれど。

 呆れたように思いながら後部座席に目を移す。

 琴美は片目を閉じてVサインをしていた。

「先輩、大人しくしていて下さいね」

「どうしよっかな……。ボクも守護巫女だってことを忘れない    

 でほしいな」

「今年の守護巫女はわたしです。先輩はサポート担当です」

「でもあんな大量の瓦礫、一人では片づけられないよね」

「……はい」

「というわけでボクの出番だな。ま、任せておいて」

 琴美は少年のように快活だった。

 これ以上何を言っても無駄だと分かっているので、佳奈は溜    

息をついただけだった。