第12話 少女に何が起きたのか

                                

 東相沢に着いたのは、町を出てから約三十分後の事だった。    

 どうにも気持ち悪さがおさまらず、逃げるように車から下り    

た佳奈だったが、目の前に広がる景色を見て思わず息を呑む。    

 そこにあったのは、人の気配がまったく感じられない小さな    

集落だった。

 細い道の両側に古い家々が立ち並び、奥の方にはコンクリー    

ト作りのやや大きな建物が複数あるのが見える。

 電気の通らない電線がわずかな風に揺れ、道路の上に濃い影    

を落とす。

 ちょっと待てばどこからともなく人が出てきそうだったが、    

幾ら待っても猫すらも出て来ない。

 明るい五月の陽光が白々しく思えてくる程、現実感の無い奇    

妙な風景だった。

「これは……初めて見たな。水没する予定になってるから誰も    

 いないんだな」

 デジタルビデオカメラを構えた晶は、佳奈ではなく集落自体    

に目を奪われていた。

「親父の話だとここには数百人の住民がいたけど、みんな移転    

 したらしいぜ。建物を残しているのはどうせ水没するからだ    

 って聞いたな」

「本当ですか?田畑さん」

「ああ。全部本当だ。ただ、今になってダム自体を作らないと    

 いう話も出てるけどね。私に言えるのはそれだけだ」

 直接計画に関わっているわけではないとはいえ、公務員であ    

る田畑の口は重かった。

 それでも、切り替えるかのように話を続ける。

「にしても、小泉さんの住んでいる場所は車では行けない。後    

 は歩くしかないな」

「そうでしたね。でもどうしてこんな辺鄙な場所に住んでるの    

 かしら?ハヤト、何か聞いてる?」

「いや。何か理由があるんだろ?聞いたらどうだ」

「それもそうだな。よし、行くとするか」

 気楽な声と共に、琴美が歩き始める。

 すぐに<弟分>の晶も同調したが、田畑は動かない。

「田畑さん、どうしたんです?」

「ちょっと調べたい事があるんだ。先に行ってていいよ」

 そう言って、田畑は瑞穂の住む神社とは反対方向に歩き始め    

てしまった。

 きょとんとしてしまった佳奈だったが、一瞬だけ琴美の顔を    

見てから口を開く。

「田畑さん、わたしも手伝います」

「……どうするかな……。石川さんはこの前の玉突き衝突事故    

 は覚えているよね?」

「はい。それがどうかしたのですか?」

「ならば事故の原因が何なのか分かるかい?」

「どういうわけか道路が陥没してたからですよね?わたしがや    

 っちゃったわけじゃないんですけれど」

「実は似たような事件が街のあちこちで起きてるんだ。最初に    

 起きたのはこの集落だけど、ここから少しずつ西に広がって    

 いるような感じなんだ」

 先に行こうとしていた琴美が足を止めて振り向いた。

 晶も速人も興味がある様子で田畑の方を見る。

「ここに来たのは調査の為といっても言っても過言じゃない。    

 ここに何かあるような気がするからだ」 

「陥没なら……地下水のくみ上げ過ぎとか?」

「それなら地盤沈下だ。中途半端に穴なんか空いたりしない。    

 だから役所でも警察でもみんな気味悪がってる。原因がまる    

 で分からないからね」

「ダムの建設とは関係ないんですか?」

 カメラのモニターから目を離して、晶が問いかけたが、田畑    

は首を振った。

 工事が始まっていないので原因とは思えないそうだった。

「何だか気になるな……。後でボクたちも調べてみるか」

「オレも手伝うぜ。こういう気味の悪い話、ほっとけないぜ」    

「田畑さん、わたしも後で手伝います。まずは小泉さんの家に    

 行ってもいいですか?」

「かまわないよ。私はここで調べてるつもりだからね」

 速人は相変わらず無言だったが、とにかく話はまとまった。    

 子供っぽい髪飾りで一部をまとめた髪を揺らして、佳奈が歩    

き始めたので、他の三人もそれに続く。

 吹き抜ける風は心地よかったが、住民のいない集落といい謎    

の陥没といい、どうにも居心地が悪かった。

「小泉さんが何も言わないのもおかしいわね。ハヤト、何か聞    

 いてる?」

「全然。にしても、妙な所に住んでるんだな。お嬢様学校に通    

 ってるっていうのに」

「変だな。色々な意味で。会ったら話を聞いてみるか。石川さ    

 ん、ボクが質問しても口を挟まないで」

「先輩……」

 普段よりも真剣味を増している琴美の発言に、佳奈はそれ以    

上何も言えなかった。

 瑞穂に対して何らかの疑いを抱いているらしいと思うと、少    

し悲しかった。

 ただ事情があるだけかもしれないじゃない。先輩はああ言っ    

てたけど、いざとなったら止めなくちゃ……。

 ふと気がつくと、晶の姿が無かった。

 目線を動かしてみると、朽ちつつある古い住宅を熱心に撮影    

しているのが見えた。

「なんかシュールだよな。住む人も無く放置されてる家なんて    

 さ。ほら、あそこなんかガラスが割れてるぜ。何て言うか恨    

 みが感じられるよな」

「恨み?」

「ダムを作る為にこの集落丸ごと沈めるんだぜ。それが今にな    

 って作らないなんて話になったら誰だって恨むだろ?」

「それもそうだけど……。何だか空気が悪いな。ボクの気のせ    

 いかもしれないけど」

 琴美が足を止めたのはその時だった。

 守護巫女の少女が目を向けると、大袈裟に肩を落とす。

「こんな集落に誰もいないんだからね。何だか真昼なのに幽霊    

 でも見そうな気がする」                    

「冗談は止して下さい、先輩」

「半分は本気だけどね。幽霊とまでは言わなくても何か……」    

 怪談や幽霊が苦手な佳奈の気持ちを察することなく、琴美が    

自分の意見を述べていた、その時だった。

 突然、陽光が翳った。

                                

 よく晴れていたのにも関わらず、不意に薄暗くなったので、    

佳奈はほとんど反射的に太陽の方向を見た。

「え……?」

 原因に気づいた瞬間、少女の口から漏れたのは控えめ過ぎる    

驚きの言葉だった。

 正確に言うなら、衝撃のあまり思考が停止したのだが、それ    

は琴美たちもまったく同じだった。

 まるでその場で石像になったかのように、ただ一方向を見つ    

めるだけだったからである。

 空高く昇った太陽を遮ったのは、瑞穂だった。

 お洒落なワンピース風制服姿のまま身長約四十七メートルま    

で巨大化して、佳奈たちを見下ろしていたからである。

 ローファーに包まれた足は道路を踏みしめていたが、周囲に    

ある住宅が模型のように小さく見える。

 その顔には表情が浮かんでおらず、不気味極まりなかった。    

「そんな……。どうなってるの……?」

「ありえない。巨大化できるのは守護巫女だけのはず……」

「竹尾、ヤバくないか?」

「そういう問題じゃないだろ……」

 晶に反論しながらも、速人もまた混乱しているようだった。    

 よく店に買い物に来るたおやかな少女が巨大化して、自分を    

見下ろしている。

 巨大化自体は幼なじみで慣れたはずだったが、どうしても現    

実を受け入れる事はできそうになかった。

 何もできずにいる四人の高校生たちを生気の感じられない漆    

黒の瞳で見据えながら。

 巨大化した瑞穂がゆっくりと足を上げたのはその時だった。    

 思わずあっと言いかけた佳奈に構わず、そのまま足元にあっ    

た住宅を踏み潰す。

 あっけない程簡単に、複数の建物が瓦礫となり、轟音と共に    

埃が舞い上がる。

「逃げるぞ!」

 いち早く決断を下したのは速人だった。

 踵を返すと、有無を言わせぬまま佳奈の腕を掴む。

 それに合わせて晶も、<兄貴分>の琴美を無理やり押すよう    

にして走り出す。

「ち、ちょっと待って!逃げてどうするのよ!」

「馬鹿。潰されるぞ!」

「おかしいと思わないの?小泉さんがまるで小泉さんじゃない    

 みたいだし……」

 震える声で佳奈が言う間にも、瑞穂は破壊を続けていた。

 既に数軒の家が壊滅し、神社に通じる道路も瓦礫に埋もれつ    

つあったが、構う様子を見せずに今度は白いソックスに包まれ    

た足で電線を断ち切る。

 それだけで、電柱もつられるように倒れてしまった。

「危ない……って大丈夫か。電気は通ってなかったか」

「それより逃げてどうするの!小泉さんをこのままにしておく    

 わけ?」

「どうしろっていうんだ!まずは自分の命が大事だ!」

 速人の怒鳴り声は、一段と大きく響き渡った破壊音によって    

かき消された。

 再び瑞穂が、巨大なローファーで家を潰したのだった。

 少女の姿を取る怪獣を前に、二人の守護巫女と少年はただひ    

たすら逃げ続けるしかなかった。

「田畑さん!」

 唯一の逃亡手段を持つ市職員の姿を見つけるなり、佳奈は思    

わず叫んでいた。

「車を……車を出して下さい!」

「分かってる!早く乗るんだ!……何がどうなってるんだ?あ    

 の少女はいったい……」

「話は後だ!急げ!」

 ランドクルーザーのドアに手をかけて、速人も声を上げる。    

 佳奈は助手席に体を入れ、琴美も晶も車まで後一歩の所まで    

来ていたので、多少安心したのだが……。

 巨大な襲撃者は逃げようとする<獲物>を見逃さなかった。    

 半壊させたばかりの住宅を軽々と持ち上げると、何とそれを    

集落に通じる道に投げつけたからである。      

 車に乗り込もうとする佳奈たちの頭上を原形を失った住宅が    

飛び、地面に叩きつけられて瓦礫が周囲に飛び散る。

「そんな……」

 街に通じるたった一本の道が塞がれたのに気づいて、佳奈は    

絶句した。

 このままでは……。

 駄目ね。逃げても捕まるだけ。こうなったら……。

「田畑さん!他に道は無いんですか!」

「あの道だけだ。どうすればいいんだ……」

 一瞬だけ、後部座席の速人と目が合った。

 自他ともに認める硬派の少年が完全に動揺している事に気づ    

いて、佳奈はある決断を下す。

「わたしが巨大化して、小泉さんを止める。ハヤトたちはここ    

 で待ってて。すぐに終わるから」

「馬鹿!止めろ!」

「石川さん、無茶な事はしない方がいい」

「幾らなんでも……」

 それぞれの言葉を、佳奈は最後まで聞かなかった。

 助手席から下りると、来た道を戻って行ったからである。

 その先では制服姿のまま巨大化した瑞穂が、まるで楽しむか    

のように捨てられた集落を破壊していた。

「田畑さんたちはここで待ってて。ボクも行く」

「え?先輩……」

「後輩を見捨てたら先輩なんかじゃない!」

 晶の言葉を強引に断ち切って、琴美も車から下りた。

 短い髪とジャンパーの裾を大きく揺らしながら、佳奈の後を    

追いかけていく。

 特別な力を持たない二人の少年と一人の大人は、ただ見送る    

しか無かったのだった。