第10話 竹尾家の秘密

                                

 瑞穂と共に佳奈たちが帰って行くのを見送って、速人は誰に    

も見られないように溜息をついた。

 本当は、言いたい事があってわざわざ呼んだものの、結局何    

一つとして言えずに終わってしまったからだった。

 これじゃ駄目だ!あいつに話さないと駄目だっていうのに。    

俺は何をしてるんだ?

 思わず床を蹴る。

 それでも自己嫌悪は抑えられそうに無かった。

 俺があいつに近づいているのはちゃんと理由があるんだ。で    

もあいつはまったく気づいていない。このままでは危ないはず    

だ。もうすぐ<あいつら>が来るからな。

 数日前に父親から話を聞かされて以来、速人は自分が避けら    

れない運命に巻き込まれつつある事に苛立っていた。

 道を歩いていても誰かに喧嘩を売りたくなる程だったが、家    

の事を思って我慢を続けているのだった。

 全ての意味で最悪だな。この街で生きていく為に幼なじみを    

売らないといけないなんて……。

 自動ドアが開いて、新たな客が入ってきた。

 スーツにネクタイ姿だったが、日本人にしては彫りの深い顔    

だちと洗練された雰囲気が印象的な青年だった。

「……いらっしゃいませ」

 つい営業用の声を出してしまい、また自己嫌悪に陥る。

 これでは他称<硬派>の看板も形無しだった。

「えっと、古いやつでいいから桐箪笥はあるかな?」

 聞き慣れないアクセントが混じる青年の言葉に、速人は肩を    

震わせた。

 返事が口の中で引っ掛かり出てこない。

 もし言葉に応えたならば……。

「桐箪笥だよ、桐箪笥。古いやつでいい」

「……お客様。箪笥ならば先日修理したばかりのものがありま    

 す。そちらになされてはいかがですか?」

「ならばその新しい箪笥を貰おう」

 青年の言葉に、速人は目を細めた。

 いつものぞんざい極まりない口調で問いかける。

「お前が<組織>からの連絡員なのか?」

「正確には現場担当だな。チャーリー・マツキだ。駅前の英会    

 話学校の講師として赴任してきた事になっている。今後とも    

 よろしく」

 そう言って、マツキは手を差し出してきたが、速人は鋭い目    

で睨み返しただけだった。

 非友好的な態度に、シアトルから来た青年は苦笑する。

「これでも私と君は血がつながってるんだ。私の祖父の妹が君    

 のおばあさんに当たるんだ」

「ばあちゃんは俺が小さい時に亡くなった。ハワイに渡った親    

 戚の事はつい最近知った」

「まあ密航同然だったから無理ないな。それより仕事の話がし    

 たい。お父さんはいるかな?」

「親父はお客さんの所に行ってる。話なら俺が聞く」

「わかった。君にとっても大事な話だからな。まずは話してお    

 くとしよう」

 手を広げて、マツキは降参するようなポーズを見せたが目の    

奥はまったく笑っていなかった。

 そこにいるのは血のつながった親戚ではなく、世界的裏組織    

から派遣されてきた連絡員だった。

「それより、ここではまずい。上がらせてもらえないか?」

「茶は出さないぜ」

「別に客だと思わなくてもいい。仕事の話をしに来ただけだ」    

 やがて、速人は自宅の二階にある自分の部屋でマツキと向か    

い合っていた。

 本当はこんな事をしたくなかったのだが、<仕事>の話とな    

ると人に聞かれるわけにはいかなかった。

「まずは……。<ダークポラリス(DP)>の事は知っている    

 な?この家がDPの支部になっている事も」

「ああ。楽に暮らせるだけの金は出すから命令は聞け、だった    

 な。最初は単なる代理店だと思ってたらまさか超軍事的秘密    

 組織だったなんてな……」

「裏社会と表社会は意外とつながっている。この国にもヤクザ    

 という組織があるだろう?まあ、我々の目的は究極的には世    

 界平和だから穏やかなものだ」

「そうは思えないけどな。それより、目的は<守護巫女>なの    

 か?」

「もちろん。あの<巨大妖精>の力が欲しい。君にはその手伝    

 いをしてもらう」

「断る」

 感情のこもらない言葉だった。

 速人としては精一杯強がったつもりだったが、実力社会での    

し上がってきたマツキにしてみれば、児戯に等しかった。

「ならば家が破産するのを待つだけだな。それじゃ、私は帰ら    

 せてもらう。この時世、代わりは幾らでもいるのでね」

「……その手で親父たちを脅したんだな?」

「脅すよりも前に乗ってきたと言ったら怒るかな?どうしても    

 今の店を潰したくないそうだ。速人君、君に継がせる為だ」    

 少年は何も言わずに拳を握りしめた。

 そんな事は最初から分かっていた。

 しかし、だからといって怪しげな秘密組織の手先になって幼    

なじみを監視するのだけは御免だった。

 でも、あいつは気づいていない。あの先輩は薄々勘づいてい    

るかもしれないけど、それでは駄目だ。

「仕事の話に戻ろう。君には<巨大妖精>の監視を頼む。どう    

 も他にも狙っている人間……組織かもしれない……がいるら    

 しい。気づいた事があったらすぐに報告する事」

 速人はマツキを睨んだまま返事しなかった。

 普通の大人でも言葉に詰まりそうな程負の空気を発していた    

が、日系三世の青年は柳に風とばかりに受け流す。

「いざとなったら君にも<巨大妖精>を仲間に引き入れる手伝    

 いをしてもらう。もし成功した場合には莫大な報酬を約束し    

 よう。私がボスに頼めば孫の代まで遊んで暮らせる報酬ぐら    

 いは出せる」

「俺がどうするかは勝手だ」

「分かっている。ま、最終的には協力<せざるえなくなる>と    

 思うけどね」

 言葉の裏に隠された刃は、正確に速人の胸を貫いた。

 ダークポラリスが<本気>になれば、警察でも政府でも太刀    

打ちできない事は父親から聞かされていた。

 従えば甘い顔をするものの、もし逆らった時には……。

「協力すればいいんだろう?協力すれば」

 この言葉を口から出すだけで、速人は忍耐力の全てを使って    

自分の心を抑えなくてはならなかった。

 誰にも命令されない一匹狼にとって、他人に頭を下げるのは    

不快極まりなかった。

「それでいい。私の連絡先はこの番号だ。<巨大妖精>関連な    

 らば何でも連絡してくれ。いい知らせを早くもたらした時に    

 はボーナスを出そう」

「金で何でも買えると思うな」

「金さえあればたいていのものは買える。これが今の世界の真    

 実だ。その内分かるよ」

 話している内に、忍耐も限界に達しつつあったが、速人は何    

とか堪えていた。

 生活の為に、自分の為に決断を下した両親に顔向け出来ない    

ような事だけはしたくなかった。

                                

 佳奈がその連絡を受けたのは、夕食を終えて自分の部屋で好    

きな小説を読んでいた時だった。

 ベッドに寝ころがり、好きなお菓子を食べながら過ごす至福    

の時間を邪魔されてむっとした守護巫女だったが、内容もまた    

うんざりするようなものだった。

<済まないな。ちょっとだけ出動してもらえないかな?君の家    

 の近くで大型トラックが横転してしまってね。現場検証が終    

 わったらすぐに動かしたいそうだ>  

「夜でも出なければ駄目なんですか?それに大型トラックなら    

 わたしじゃなくても簡単じゃないんですか」

<実は玉突き衝突を起こしてるからかなり厄介な状態になって    

 るんだ。バイパスだから早く片づけたいしね。ここは一つ頼    

 めないかな>

 携帯から流れてくる守護巫女担当市職員・田畑の声に、少女    

は小さく息をついた。

 これではただの便利屋だった。

 でも……。先輩も言ってたわね。<どうせ便利屋ならばバイ    

ト料を稼げばいい>って。乗っちゃおうかな……?

「……わかりました。今行きます」

<助かった。クレーン車を動かすより君にバイト代を方が安い    

 からね。場所は東バイパスの中浜町交差点の近くだ。行けば    

 分かるはずだ>

 指示された場所は思ったよりも遠くなかったので、佳奈は携    

帯を切るとすぐに家を出て現場に向かった。

 夜でも寒くないのを幸いに思いながら自転車を漕ぎ続けてい    

る内に、赤色灯が複数明滅している場所が見えてくる。

「……なにこれ」

 現場の様子が分かってきた途端、佳奈の口から呆れ半分の言    

葉が漏れた。

 玉突き衝突事故とは聞いていたが、十台近くの大型トラック    

に乗用車などが絡んで、バイパスの片側は完全に塞がった状態    

だったからである。

「早かったな。現場検証は終わったから今すぐ始めてくれ」

 野次馬たちの好奇に満ちた目を気にしながら自転車を降りる    

のと同時に、田畑がスーツの裾を揺らして駆けてきた。

「こんなに酷い事故だったなんて思いませんでした。怪我人と    

 かは……?」

「もう全員病院に搬送された。重傷が一人以外は軽傷ばかりだ    

 そうだ。……不幸中の幸いだったな」

「事故の原因は?」

「まだ警察が調べてるから何とも……。それより、頼むよ」

 赤色灯の光を受ける田畑の表情はなぜか冴えなかった。

 何か都合の悪い事実があるのは確かだったが、よく分からな    

いまま事故の起こった車線の反対側へと向かう。

 よく見ると警察は撤収の準備をしており、代わりにレッカー    

車が複数停まっていた。

「前にも一度事故現場の片付けはしたよね?手順はその時と同    

 じだ。細かい指示はあそこにいる人が出すから従って」

「わかりました。……始めていいですか?」

 田畑は頷くと、後は任せたと言わんばかりに離れた。

 周囲や頭上に危険が無い事を確かめてから、佳奈はいつもの    

ように心の中で念じる。

 次の瞬間、白のパーカTシャツにハーフパンツ、黒のオーバ    

ーニーにスニーカー姿のまま、少女の体は巨大化を始めた。

 昼間と違って周囲の様子があまりよく見えない為、大きくな    

っている実感は沸きにくかったが、次第に小さくなっていく周    

囲の住宅などを見るのはちょっとだけ楽しかった。

 慣れたわね……。わたしも。もう十回以上巨大化しているか    

ら当たり前ね。さてと、片付け片付け。

 巨大化が完了するのと同時に、守護巫女は活動を開始した。    

 ゆっくりと道路の上に膝をつくと、まずは事故現場を見渡し    

たからである。

 玉突き衝突事故現場を前景にして巨大普段着少女が座り込む    

光景は何ともシュールだったが、当の本人は気にしたりせずに    

事故を起こした車両に手を触れたりしている。

 ずいぶんトラックが多いわね。時間が悪かったのかな……?    

これを人手でやったら大変そうだけど、わたしなら……。

 さっそく事故処理を担当する人間から指示が出た。

 まずはトラックを反対車線に片づけて、作業をし易くしたい    

との事だった。

「全部いいんですか?」

「ああ。でも壊さんように。前に事故処理でトラックを壊して    

 しまった巫女がいたんだ」

「聞いた事があります。……気をつけます」

 少なくとも先輩とその先輩ではないな……と思いながら、巨    

大化した佳奈は目についたトラックを右手だけで持ち上げる。    

 割れたガラスが落ちて、少しだけびっくりしたが、痛くはな    

いのでそのまま自分のいる車線に置く。

 クレーンでも非常に困難な作業だったが、佳奈にしてみれば    

呆れるほど簡単なことだった。

 片づけ片づけ楽しいな……って歌ったら怒られるわね。でも    

簡単簡単。トラックもミニカーみたいだし、車も……あれ?

 事故現場の一番先頭で横転していたトラックを軽々と持ち上    

げた佳奈だったが、その下のアスファルトが陥没している事に    

気づいてびっくりした。

 やっちゃった……わけないわね。指で穴なんか開けてないか    

ら。もしかすると、これが事故の原因?

 いつもの癖で頭に手をやりかけて、慌てて止める。

 その右手には大型トラックを持ったままだった。

「トラックは全部片づけたから後は車だな。少ししたらこっち    

 の車線に集めてくれ。後はこっちでガラス片を綺麗にすれば    

 とりあえず車は通れる。ちょっと休んでて」

 ほとんど事務的な指示に、佳奈は大きく溜息をつきそうにな    

ったが、我慢して手に持っていたトラックを道路に置いた。

 改めて、事故現場の先頭に目を戻す。

 事故の原因となった道路の陥没は、明らかに不自然だった。    

 こんなに簡単に穴なんか空いたりするものかしら?……あ、    

他にもあるじゃない。よく見えないけど。

 巨大化して視野が広くなっている事もあって、佳奈はすぐに    

似たような陥没が道路のあちこちにあるのを見つけた。

 いずれも小さなものだったが、これにはまり込んで事故が大    

きくなったようだった。

 手抜き工事……?だから田畑さん何も言いたくなかった?

 まさかと思いながらさらに周囲を見回す。

 事故現場に残っていた野次馬たちが自分に注目している事に    

気づいて、ついつい手を振って見せたりしたものの、その中に    

速人の姿を見つけて、手を下ろしてしまった。

 どうしてハヤトがこんな所にいるの?わたしの活動にあまり    

興味無さそうなのに……って、隣に誰かいるわね。知り合い?    

 暗いので顔はよく見えなかったが、背の高い青年だった。

 時折速人と言葉を交わしては、巨大化した守護巫女を熱心に    

見ていた。

 変なの。あんな知り合いいるなんて知らなかったし。問い詰    

めてやろうかな……?

 少し腰をかがめようとした途端、目の前に電線がある事に気    

づいて慌てて止めた。

 ここは大人しくしているしか無かった。

 気になるわね……。ハヤトがまるで別人みたい。突然わたし    

に近づいてきたり、知らない人と一緒だったり。何かあったの    

かしら?

 考えるよりも早く。

 事故処理担当から今度は車を片づけるように指示が出た。

 すぐに従ったものの、胸の奥には小さな引っ掛かりを覚えて    

いるのだった。

                                

 闇に沈む小さな拝殿の内部で、巫女装束に着替えた瑞穂は何    

かに対して祈っていた。

 明かりらしい明かりは無く、格子戸から差し込んでくる星の    

光だけが辛うじて、人形のような少女の背中を浮かび上がらせ    

ていた。

 永遠にも思える程時間が過ぎた後に。

 瑞穂は目を閉じると、心の中だけで何かを唱え始めた。

 唇からは言葉を紡ぐ事が出来ない少女だったが、声にならな    

い声ならば、特定の存在と意思を交わす事が可能だった。

<……。分かりました。仰せのままに>

 不思議な会話は、瑞穂の<言葉>によって終わった。

 祈りの姿勢を解き、無駄のない動作で立ち上がると、格子戸    

から外に出る。

 月の無い深夜なので、視野に入ってくるのは真の暗闇だけだ    

ったが、瑞穂の目はその奥にある<捨てられた村>を正確に見    

据えていた。

 そう遠くない内に。

 住む者のいないこの村は大きな事件の舞台となるだろう。

 その時中心にいるのは瑞穂と……。

 ごめんなさい。

 少女の唇が、声を紡ぐことなく微かに動いた。

 告げたくても、決して届かない言葉が闇夜に消えていくのを    

瑞穂はただ見送るしかなかった……。