第5話  初任務

                                

 大好きな女性アーティストの歌が耳に届いた瞬間、佳奈は驚    

きのあまり足を止めた。

 この歌が着信を告げるのは、守護巫女として出動を命じられ    

る時のみだった。

「もしもし?」

<田畑です。今どこにいますか?>

「学校のすぐ近く……セブンイレブンの前です」

<あそこか。だったらすぐに行く。守護巫女に出動要請があっ    

 てね。初めてだけど頼みます>  

「まさか……火事ですか!?

<港北町の廃工場で大規模な火災が発生して、その現場近くに    

 マイクロバスの十数人が取り残されたらしい。ヘリでは難し    

 いので守護巫女に頼むとのことだ。今そっちに向かう>

 最後は事実だけを告げる口調になって、市役所の守護巫女担    

当職員からの通話は切れた。

 しかし、佳奈はその内容に呆然としたまま、携帯を握りしめ    

ていた。

「今のは田畑さんから?まさか出動要請?」

「はい……。火事の現場にマイクロバスの十数人が取り残され    

 たとか……」

「厳しいな。もちろんボクも手伝うけど……火事は厄介過ぎる    

 な。現場は?」

「港北町の廃工場だそうです」

 その場にいた高校生たちは同時に町の地図を思い浮かべ、速    

人を除く全員が溜息を漏らした。

 かつては工業団地として栄えていたものの、今ではほとんど    

の企業が撤退して、廃墟のような建物が立ち並ぶ地区だった。    

「あそこか……。でも妙だな。どうしてわざわざマイクロバス    

 で乗りつけたりしたんだ?」

「さあ。田畑さんも何も言ってませんでした。でも、初出動が    

 人命救助だなんて……」

「大丈夫。ボクが手伝うから。最初は誰でも恐いからそんなに    

 心配しなくてもいい」

 そう言いながら、琴美はそっと佳奈の肩に手を置いた。

 温もりが伝わってきて、守護巫女である少女は心が鎮まって    

いくのを感じる。

「とすると……。やっぱり制服姿で巨大化してしまうのか。こ    

 れは見物だな」

 それを見ながら、晶は一人で興奮していた。

 今回が佳奈の初任務だと知っていても、映像作家の卵として    

の血が騒ぐのだった。

「二人並ぶと絵になるんだよな……。オレも現場に連れて行っ    

 てもらおうっと。竹尾はどうする?」

「俺も……行く」

「結局行くのか。なんだかんだ言っても石川の事が心配なんだ    

 ろ?」  

「違う。そういう意味じゃない」

 どこか不可解な返事だったが、突然転がり込んできたチャン    

スに浮かれていた晶は気にしたりしなかった。

 佳奈の相手をしていたはずの琴美が何かを気にするような目    

で速人を見ていたのだが、もちろん意識の外だった。

 携帯での連絡から数分後。

 白いランドクルーザーがコンビニの駐車場に入ってきた。

 運転席から顔を出したのは五十代の背広姿の男性……市職員    

の田畑満だった。

「早く乗って。時間が無いから。……高田君も一緒とは都合が    

 いい。二人がかりでないと無理そうだ」

 いつもは<温厚なおじさん>という感じの田畑だったが、緊    

急事態にかなり焦っているようだった。

「田畑さん、オレもいいですか?」

「玉木君か。いいよ。どうせ映像が撮りたいんだろう?」

 お披露目の時に挨拶したのと、父親が稲穂市の有名人という    

事もあって、田畑はすぐに許可した。

 その返事に晶はにんまりとする。

「さすがは田畑さん。竹尾も行くんだろう?」

「ん?君は……?」

「わたしの友達です。同乗させて下さい」

 既に助手席に乗り込んだ佳奈の有無を言わさぬ声に、田畑は    

「まあ石川さんがいいならいいか」とだけ言って、許可した。    

 同時に速人が後部座席に乗り込み、ランドクルーザーは急発    

進する。

「田畑さん……。もうちょっとゆっくり……」

 車酔いし易い佳奈が控えめに抗議の声を上げる。

「時間があまり無いんだ。状況が悪過ぎる。火事は鎮火しそう    

 にないし、ヘリも危なくて使えない。守護巫女でなければ救    

 助できそうにないんだ」

「マイクロバスの人たちはどうして取り残されたんです?」

「なんでも買い取った廃工場を見学していて火事に巻き込まれ    

 らしい。詳しい事は判っていない」

「どうやって救助するんです?救助を求める人たちは工場の中    

 にいるんじゃないんですか?」

 後部座席から身を乗り出して、琴美が質問をぶつける。

「いや。バスごと広い場所にいるらしい。ただ、かなり奥まっ    

 た場所の上に唯一の道は火災で使えなくなっている。となる    

 と手段は一つ」

 フロントガラス越しに、吹き上がる黒煙が見えてきた。

 大型の建物が炎上しているのがわかって、佳奈は一段と恐く    

なってきたが、田畑は止めを刺すように言い切った。

「守護巫女が巨大化して、廃工場を壊しながら突き進んで救助    

 に当たる。それが一番確実な方法だ」

                                

 火災現場は消防車やパトカー、そしてマスコミやら野次馬で    

混雑していた。

 白のランドクルーザーはそれらの間を巧みにすり抜けて、立    

入禁止区域の手前で停車する。

「大丈夫?顔色が悪いけど……」

 最初に車を降りた琴美だったが、当の守護巫女にあまり生気    

が感じられないので心配になった。

「済みません……。ちょっと酔ったみたいです。わたし、あま    

 り車に強くなくて……。でも大丈夫です」

「もしかすると、初出動なのに重大な任務を負わされたからじ    

 ゃないかな……。いきなり人命救助だなんてさ」

 デジタルビデオカメラを持ったまま下りた晶も困惑している    

ようだった。

「先輩、ちょっとまずくないですか?」

「まずいけれど……ここは守護巫女の出番だから元気になって    

 もらわないと」

 そう言いながら、琴美は速人と目線を合わせた。

 気の置けない間柄らしい幼なじみならば援護を期待できると    

思ったのが、視線に気づいた当の本人は目を逸らしただけだっ    

た。

「とにかく急いで。火の勢いが強くてやはりヘリでは難しいそ    

 うだ。頼りになるのは守護巫女しかいない」

 警備の警官から許可を貰って、立入禁止区域に入りながら田    

畑が促す。

「でも……。工場を壊してもいいんですか?それに危険物があ    

 ったりしたら……」

「建物破壊の許可は貰っている。それに近日取り壊し工事をす    

 る予定だったから危険物は存在しないそうだ。救助を待って    

 いるのが持ち主だから遠慮する事はない」

「そう言われても……」

 琴美はショートにした髪を揺らしながら現場の方を見た。

 平成二十二年度の守護巫女の初出動としては最悪としか言い    

ようが無い任務だった。

 でも、これで上手くいけば自信がつく。それにあの子ならば    

きっと出来るはず。

 思うのと同時に、佳奈と目が合った。

 まだ多少顔色が悪かったが、何かを決意したかのように頷い    

てみせる。

「覚悟はできた?」

「はい。初めてですけどやってみます」

「上等。まずはボクが先に巨大化して様子を見る。石川さんは    

 ボクが指示したら続いて。あと、巨大化する時は周囲の様子    

 に気をつけて」

 やや早口になって言い切ると、琴美は人込みから離れた。

 すかさず晶はビデオカメラを構え、田畑は<救助開始>に安    

堵したような表情を見せる。

 速人は幼なじみの様子を気にするわけでもなく、ただ火災の    

様子だけを眺めていた。

 ブレザー制服姿で琴美が巨大化したのは、直後の事だった。    

 すっかり見慣れているとはいえいつもとは違う服装での巨大    

化に驚いたのか、野次馬の間からはどよめきが沸き起こる。

 よく見ると携帯やらのカメラを向けている人間もかなりいた    

が、琴美は気にしたりせずに上空四十数メートルから現場の様    

子を確かめる。

 火災を起こしたのは、敷地の北側にある建物だった。

 すでに半分近くが焼け落ちてなおも延焼中だったが、消防隊    

の放水があまり届かず苦戦を強いられているようだった。

 その手前には敷地を貫く広い通路があったが、焼けて崩れ落    

ちた建物の一部が完全に塞いでいて、マイクロバスどころか人    

間すらも通れそうにない。

 問題のマイクロバスはその通路の行き止まりにあった。

 周囲は建物で囲われており、細い通路はあったものの、どれ    

も広い通路に通じるだけで逃げ道にはならなかった。

 最悪だな……。放っておけば火事に巻き込まれるだけ。助け    

るにはこの工場を壊してしまうしかないと……。でも、やるし    

かない。その為の守護巫女なんだから。

「佳奈、そろそろ準備して」

 琴美の声が頭上から聞こえてくるのと同時に、今年の守護巫    

女は小さく肩を震わせて顔を上げた。

 まるで大型ビルのように巨大化した先輩と目が合う。

 不安は全く収まっていなかったが、ここまできたらやるしか    

なかった。

 何も言わないまま、小走りに人混みから離れる。

 まだ車酔いの影響が残っているので気持ち悪かったが、それ    

を堪えながら立ち止まると周囲を見回す。

 やや離れた場所では消防隊が消火活動に励んでいたが、邪魔    

にならない事を確かめて。

 佳奈は一気に巨大化した。

 この前と同じような奇妙な浮遊感に、車酔いがぶり返しそう    

になったが、それを抑えている内に巨大化は完了した。

 身長四十七・四メートル。

 よく似合うセーラー服姿でも凛々しい平成二十二年度の巨大    

守護巫女だった。

「車酔いは治った?」

 緊張をほぐす為か、琴美が明るい声できいてきた。

「はい。……でも、状況悪過ぎですね」

「確実に救助するにはどうやっても建物を壊して進むしかなさ    

 そうだな。どうする?ボクが先に行こうか?」

「やっぱりわたしが先に行きます」

 口ではそう言いながらも。

 佳奈はかなり躊躇いを覚えていた。

 幾ら「壊してもいい」と言われていても、いざ巨大化して自    

分の膝ぐらいの高さの建物を目の前にすると、足がすくんで仕    

方なかった。

 ……でも、今回は非常手段だから。壊さなくちゃ誰も助けら    

れないんだし。

「先輩」

「なに?」

「この建物とか……。本当に壊してもいいんですよね?」

「もちろん。近日取り壊し予定の建物ばかりだから遠慮しなく    

 てもいいんだって。人助けのついでに取り壊し費用を浮かせ    

 るのも悪くないと思うけどね」

「そういう考え方もあるんですね。だったら……行きます。先    

 輩もついて来て下さい。どうやって救助したらいいのかちょ    

 っと判らなくて……」

「もちろん」

 琴美の笑顔を見た瞬間、心から最後の躊躇いが消えた。

 軽く右手で拳を握るのと同時に。

 セーラー服姿のまま巨大化した佳奈は、ソックスとローファ    

ーに包まれた足を廃工場の屋根の上に下ろした。