第2話 守護巫女の絆

                                

 春の穏やかな風が吹き抜けていった。              

 稲穂市の南にある旧市営陸上競技場。

 約十年前に現在の陸上競技場にその役目を譲った古ぼけた施    

設は久しぶりに賑わっていた。

 駐車場は車で埋まっており、中には黒塗りの公用車や地元放    

送局の中継車も暖かな日差しを浴びている。

 千人も収容すれば満員になりそうな正面スタンドには現職の    

市長や市議会議員、マスコミ関係者、そして物見高い見物客が    

陣取っており、<儀式>の開始時間を待ち続けていた。

 その表情は一様に明るく、中にはカメラなどのセッティング    

に余念が無い者もいた。

 ……凄い人。<儀式>ってもっと地味だと思ってたのに。

 スタンドの真下にある旧屋内練習場に戻ってきて、佳奈は内    

心溜息を漏らした。

 こんな大したものだと思わなかったわね。<たかが>守護巫    

女交代の儀式だっていうのに。……そんなわけないか。

 <稲穂市の守護巫女>といえば、日本で知らぬ者はまずおら    

ず、最近はネットの普及の為に海外でもかなり有名になってい    

ると説明の時にも聞かされた。                  

 その為に巫女として行動する時には一挙一動にも注意せよと    

念を押されたのだった。

 そうよね。わざわざツアーで押しかけてきた外国人の集団も    

いるぐらいなんだから。これからわたしもそんな人たちの相手    

もしなければいないのね。失敗したかな……?

 思ってみても今更仕方がない。

 それでも、守護巫女に選ばれた事には運命を感じていた。

 まさか本当に選ばれるなんて思わなかった。あの時……あの    

女性は「いつかあなたは守護巫女に選ばれるから」と言ってく    

れたけど……。

 今から十年以上前の出会いと別れを、まるで昨日の事のよう    

に思い出しながらセミロングの髪の一部を束ねる髪飾りにそっ    

と手を伸ばす。

 別れ際に付けてくれたものだったが、佳奈には約束の象徴の    

ような気がしてならなかった。

 これから何かあるのかな……? そんなわけないわね。今ま    

で何も無かったんだから。

 過去から現在に意識を戻して、守護巫女に選ばれた少女は髪    

飾りから手を離した。

 胸元まで上げた右手を握りしめて決意する。

 こうなったら何でもやるから。座礁した貨物船の片づけとか    

災害救助とか、違法駐車した車の整理とか。でも、人前に出る    

のにこの格好は地味過ぎって気もするわね。後で着替えるから    

いいのかもしれないけど。

 改めて、今の自分の姿を確かめる。

 身長一五八センチ、ごく普通の体(もう少し細くて胸があれ    

ばと思ってはいるけれど)を、コットンシャツにやや丈の短い    

ジーンズ、スニーカーで包み込んでいる。

 セミロングの髪は髪飾りで一部を束ねているだけで、どう控    

えめに見ても色気一つ無かった。

 ま、仕方ないわね。これが<条件>なんだから。守護巫女は    

地味に貢献せよ。派手になるべからず、だから……。そういえ    

ばわたしが引き継ぎを受ける<先輩>は……。

 ふと、今日でその役目を終える昨年度の<守護巫女>の事を    

思い出した時だった。

 まるで規則正しい地震のような震動が、古ぼけた旧室内練習    

場を揺らした。

                                

 稲穂市民にはお馴染みの音に、佳奈はすぐに外に出た。

 グラウンドの方向を見て、思わず言葉を失う。

 最初に視野に入ってきたのは乗用車の倍以上の大きさがある    

キャンバススニーカー両足分だった。

 もちろんそれには黒のソックスに包まれた足という<中身>    

もあり、見上げていくと……。

 ジーンズ生地のショートパンツ、Tシャツ、丈の短いジャケ    

ットと続いて、約四十数メートル程先で。

 ボーイッシュな雰囲気を漂わせたショートカットの少女と目    

が合った。

 陽光を正面から受け止めるその姿は、同性の佳奈でも十分に    

魅力的だった。

「次の<守護巫女>の石川佳奈さんだね。先週も会ったね」

 天から降ってくるような声に、佳奈はそれこそ弾かれたよう    

に反応した。                          

 精一杯の大声で返事する。

「は、はい……。初めまして!……じゃなくて、えっと……」    

「そんなに叫ばなくても聞こえるよ。ボクは高田琴美……って    

 知ってるか」

「もちろんです。よく姿を見かけてますから」

「そりゃあこんなに大きければね。……ちょっと座らせてもら    

 うよ。<儀式>までもう少し時間があるし」

 そう言って。

 平成二十一年度の<守護巫女>である琴美は芝生がほぼ剥げ    

ているグラウンドにゆっくりと腰を下ろした。

 身長四十九・二メートル、体重約一千数百トンの巨体でも、    

どこか中性的な雰囲気を漂わせた美少女である事には変わりな    

かった。

 格好いいわね。男の子みたいで。でも小牧さんも言ってた通    

り目立ちたがり屋かも。わざわざ巨大化してここに入って来る    

んだから。

「あの、いいんですか?もうすぐ<儀式>じゃないんですか」    

 トラックレーンまで駆け寄って、佳奈は少し口ごもりながら    

きいた。

「公務員というのは時間になるまで何も始めないから大丈夫。    

 それよりマスコミの皆さんや見物客が喜ぶから話でもしてた    

 方がずっとましじゃん」

「そういうものですか……?」

「覚えておくといいよ。キミも一年間付き合う事になるから」    

「わかりました。えっと……」

「琴美でいいよ。言いにくかったら先輩でもオーケー」

 新入部員に自己紹介する部長のように言い切って、琴美は無    

邪気に笑った。

 それで緊張が緩んだ佳奈は、ようやく自分から質問する。

「<守護巫女>って、いつも三十倍まで巨大化しますけどどん    

 な気分ですか?」

「それは今から判るよ。最初は大変かもしれないけど、慣れる    

 と楽しいから。色々とやらされるけどね」  

「わたし……昨年秋の貨物船座礁騒動の時見てました。先輩一    

 人で貨物船を沖まで引き戻しちゃって……凄いなって……」    

「あれは大変だったけどね。秋なのに水着の上からTシャツと    

 スパッツ着ただけで海に入ったんだから。といっても、そん    

 なに寒くなかったけどね」

「いえ、そうじゃなくて……。あんなに重そうな貨物船を力任    

 せに動かすから……」

「あれはボクでもぎりぎりだったけどね。小牧先輩は運悪く上    

 京中でいなかったから一人だけだったし。でもとても感謝さ    

 れたんだ」 

 現在、正式に守護巫女に選ばれるのは一人だけである。

 しかしサポート要員として先代の守護巫女も同時に活動する    

事が多い。

 当然の事ながら、佳奈もしばらくは琴美から色々教わりなが    

ら活動する手筈になっていた。

 思ってた通りの人ね。優しいし、頼りになりそう。異性だっ    

たら惚れてたかも。それにしても……。

 改めて、目の前に堂々と座っている巨大少女を見つめる。

 間近で見るとあまりに非常識な光景に、目眩を起こしそうに    

なる程だった。

 でももうすぐわたしも非常識の仲間入りなのね……。なんだ    

か妙な事になりそう。

「どうかした?そんな顔して」

「いいえ。なんでもありません。これから守護巫女になって巨    

 大になったりするんだなって思ってました」

「色々な経験が出来るから楽しみにしてるといいよ。ボクもこ    

 の一年、とても楽しかったんだ。先輩も優しかったし。もっ    

 とも、この春東京の大学に入ったけどね」

「そうだったんですか……」

「おっと。そろそろ儀式が始まるか。一度着替えをしないとい    

 けないんだった」

 稲穂神社で会った先々代の守護巫女を思い出していると、い    

きなり琴美の体が一気に縮み出した。

 これまた初めて目撃する光景に何も言えずにいる内に、三十    

分の一……身長一六四センチまで小さくなって止まる。

 体はとにかく、着ているものまで均等に縮むのはやはり異様    

といえば異様だった。

 よくできてるわね……。巨大化する時には着ているものもち    

ゃんと大きくなるし。これが神様の与えてくれた力?

 そんな事を考えていると、元のサイズに戻った琴美が小走り    

に向かってきた。

「更衣室の場所は解る?」

「いえ……」

「だったら一緒に行こう」

「はい。……これからよろしくお願いします」

 儀式の時に改めて挨拶を交わすと知っていたが、佳奈は心を    

込めて頭を下げた。

「こちらこそ。ボクも全力で支えるよ」

 先輩となる少女の言葉は簡素だったが、今の天気のように穏    

やかで温かなものだった。

 この時、二人の守護巫女の間に確かな<絆>が生まれたのだ    

った。

                                

 更衣室に行く為にさっきまでいた旧室内練習場に入ると、そ    

こには先客がいた。

 佳奈の幼なじみ……または腐れ縁の<友人>竹尾速人が、ど    

こか怒ったような表情で壁に寄りかかっていたからである。

「あ、ハヤト早いわね。いつも学校には遅れるのに」

 近寄りがたいオーラを漂わせた少年に、佳奈は無邪気な笑顔    

と共に呼びかけた。

「特別な日だからさ。付き合ってやっただけだ」

「先輩、紹介しますね。幼なじみの竹尾隼人です。怒っている    

 ように見えますけど、これが<地>なんで気にしなくてもい    

 いですよ。いっつもこんな顔してるんです」

「顔は生まれつきだって言ってるだろ。……よろしく」

「愛想も無いですけど、単なる照れ屋なんです。ま、ツンデレ    

 な男の子と思ってくれればいいです」

「へえ、面白いな。もしかして今時珍しい硬派?」

「天然記念物ものの硬派です。ケンカも強いんで学校では誰も    

 余計な事はしないんです」

 鋭い目線で琴美を見ていた速人だったが、当の本人と目が合    

うとすぐにそっぽを向いてしまった。

 あまりに予想通りな反応に琴美は笑いを堪える。

「じゃ、ハヤト。後で。わたしの巨大化した姿を見ても腰を抜    

 かさないでね」

「誰が腰を抜かすんだよ。どうせお前が三十倍の大きさになる    

 だけだろ」

「可愛くないわね……。三十倍の大きさになったら覚えてなさ    

 いよ」

 速人の返事を待たずに、佳奈は歩き始めた。

 ちょっとびっくりして琴美も続く。

「ちょっと……。今のは冗談?」

「冗談に決まってるじゃないですか。あれぐらいのやりとりい    

 つもやってますから気にしないで下さい」

「ならいいんだけどね」

 琴美は本気で心配したようだったが、単なる<じゃれあい>    

と知って安堵したらしかった。

 大きく息を吐き出すと、着替えに使う更衣室に案内する。

「ところで、田畑さんとはもう会った?」

「会いました。市役所の守護巫女担当ですよね。こんな仕事を    

 してる人がいるなんて思いませんでした」

「いないと大変だからね。話が大きくなったらまずは田畑さん    

 に相談。それだけは忘れないで」

 佳奈は曖昧に頷いただけだった。

 <相談するように>と言うものの、相手が父親とほぼ同い年    

の<おじさん>では無理もない。

 しかも趣味は競馬で、別の市職員の話によると、一年も付き    

合うとすっかりその世界に精通してしまう程、話を聞かされて    

しまうという。

「あ、それは本当。ボクもお蔭ですっかり詳しくなったんだ。    

 ミスターシービー以降のダービー馬の名前言えるしさ」

 質問に対する答えは、佳奈を唖然とさせるものだった。

「現役の女子高生の言葉と思えないんですけれど……」

「いいのいいの。田畑さんの話は面白いから」

 にっこり笑って言い切ると、更衣室への扉を開く。

 ここで<守護巫女>らしく巫女姿に着替えて、儀式に臨むこ    

とになっていた。

「その衣装、大事にするように。支給品だけど本物だから」

 少しだけ真面目な声で琴美が言ったのは、佳奈が着替えを終    

えた時だった。

 巫女装束を着たのは初めてだったので、ポーズを決めたりし    

てはしゃいでいたが、すぐに先輩の方に顔を向ける。

「その姿で人前に出る事も多いからね。観光客相手の時はほと    

 んど巫女さんだったかな。……ボクは似合わないから気乗り    

 しなかったけど」   

「そうですか?」

 鏡に映る巫女姿の自分を確かめて、佳奈は口ごもった。

 すぐ隣に立つ先輩もまた同じ衣装に身を包んでいたが、どう    

見ても、平凡な自分とは大違いだった。

 先輩って背が高くて、出るところ出てるから羨ましい。わた    

しなんか平均的過ぎるのに。

「やっぱり石川さんは似合うな。いい巫女になれる。きっと」    

「なれますか……?」

「大丈夫。ボクも色々教えるし、石川さんだって人の役に立ち    

 たいという気持ちがあるはず。だったら問題なし」

 言い切るのと同時に、琴美が肩に手を置いたので、佳奈は少    

しだけ鼓動が早くなるのを感じた。

 油断していると、<中性的な魅力溢れる男の子>と話してい    

るような気分になってしまうから困る。

「そろそろ時間だな。守護巫女最初の仕事は儀式に出る事。さ    

 あ、行こう」

「はい、先輩」

 履き慣れぬ草履や袴に戸惑いながらも、佳奈は歩き始めた。    

 着替えをしただけでも気持ちが引き締まってくるのは、少し    

だけ不思議な感じだった。