港町の守護巫女                    

                                

     第1話 受け継がれる役目

                                

 まだ少し肌寒い春風が石造りの階段を吹き抜けた。

 薄着をしてした事を少しだけ後悔しながら、石川佳奈は足を    

止めて石段の終点を見上げた。

 かなり登ったような気がしたが、本殿は見えてこなかった。    

 いつも思うんだけど、遠いのよね……。あ、でもこの季節に    

ここに来るのは初めてじゃない。

 スニーカーに包まれた足で再び石段を上りながら、佳奈は初    

めて気づいた事実に少しびっくりした。

 初詣の時ぐらいしか来ないから当然ね。でも、本当に選ばれ    

るなんて思わなかった。競争率も高かったし、面談もあまり自    

信が無かったから。

 佳奈が平成二十二年度の<守護巫女>となったのは、今から    

数日前の事だった。

 市役所から電話があったかと思うと、地元マスコミがまとめ    

て押しかけてきて、一躍<時の人>になったのだった。

 思ったよりも注目されるのね。守護巫女って。世界中を探し    

ても似たような人はいないんだから当然かもしけないけど。こ    

れから授けられる<力>ってどういう感じなのかな……。

 小首をかしげながらも、軽やかな足どりで階段を上がる。

 両側に広がる林からはかすかな木々のざわめきが聞こえてき    

て、自分が豊かな自然の中にいる事を実感する。

 ……やっぱり普通の神社ね。ここで<力>を授けられるとい    

ってもちょっと信じられないわね。

 鳥居の下まで来て、佳奈は再び足を止めた。

 子供っぽい髪飾りで一部をまとめたセミロングの髪を揺らし    

ながら周囲を見回す。

 日本海に面した港町・稲穂市の象徴とも言うべき稲穂神社の    

境内は春の日差しを受け止めて静まり返っていた。

 正面には主祭神・豊受媛神(トヨウケビメ)を祭る本殿があ    

りその横にはその他の神々を祭る相殿が見える。

 境内はかなり広かったが、石畳の上で鳩が数羽せわしげに首    

を動かしているだけで、人気は無かった。

 いつもはこんなに静かなのね。初詣の時なんか身動きするの    

も大変なのに。

 今年の初詣の事を思い出しながら歩き始めようとした佳奈だ    

ったが、右手にある銅像に気づいて体の向きを変えた。

 一見すると、巫女装束姿の少女をモデルとした像だった。

 しかしその足元には少女の約三十分の一の大きさしかない人    

間が複数配置されており、その周囲にはまるで模型のようにし    

か見えない江戸時代の農家の建物が幾つか配置されている。

 そして、<巨大な>少女は両手で杉の木を持ち、どこか安堵    

したような笑みを浮かべていた。

 どこかの芸術家が冗談で作ったとしか思えない酔狂な構図だ    

ったが、実際は約三百年前の出来事を<忠実に>再現した銅像    

だった。

 初代守護巫女・蒲原妙の像だったのね。初めて<力>を授け    

られて、町の人たちの為に尽くした巫女さん。頑張ります。     

 一瞬真剣な表情を浮かべてから、佳奈は無邪気に笑った。

 銅像に向かって心の中で決意を固めた自分が少しだけおかし    

かったからだった。

 複数の鳥の羽ばたきが聞こえてきて、少女は半ば反射的に振    

り向いた。

 すぐに、神社の本殿から二人の少女と神職の老人が出てきた    

事に気づく。

 神職の方はとにかく、少女たちの方には見覚えがあった。

 自分よりも二代前の守護巫女と一代前の守護巫女だった。

 二人とも神社に来てたんだ。あ、そっか……。小牧さん今日    

で最後だから<力>を返上しに来たのね。

 平成二十年度の守護巫女……小牧里穂が神職と何かを話して    

いるのを見ながら、佳奈は自分が<力>を授けられる日に先々    

代の守護巫女が引退する事を思い出していた。

 初めて生で見るけど、なんかお姉さんっぽい人ね。わたしよ    

り二つ上だけど、ずっと大人じゃない。そしてわたしの先輩に    

なるのは……。

 初代守護巫女の銅像の前で足を止めたまま、佳奈はわずかに    

目線を動かして、里穂の隣にいる長身の少女を見た。

 平成二十一度の守護巫女・高田琴美。

 まるで少年のように短い髪とどこか日本人離れした彫りの深    

い顔だちが印象的な少女が、新たに守護巫女となった佳奈を支    

える事になっていた。

 やっぱり役得ね。高田さんと組めるなんて。格好いいし、優    

しい性格だって聞いてるし。挨拶ぐらいはした方がいいのかし    

ら……?

 自分が好きな男子生徒に告白するか迷うヒロインになったよ    

うな気分に浸っていると、二人の少女は神職の老人に挨拶して    

歩き始めた。

 佳奈の存在に気づいたのは、琴美の方だった。

「もしかして、今度守護巫女に選ばれた石川さん?」

 少し低いながらもよく通る声に、別世界に意識を飛ばしてい    

た佳奈は全身が弾け飛びそうになった。

 顔を真っ赤にして、俯きながら首を縦に振る。

「まずはよろしく。来週会えると思ってたけど、ここで挨拶し    

 ておくかな」

「えっと……。よろしくお願いします」

「こちらこそ。ゆっくり話をしたいけど、これから先輩と行く    

 所があるから来週でいいかな?」

「はい、もちろんです」

 姿勢を正し、落ち着きを取り戻してから、佳奈は答えた。     

 間近で見る琴美は想像していたよりもはるかに<美少年>だ    

ったが、その細やかな気遣いは紛れもなく女性のものだった。    

「先輩、後輩の後輩に何か言う事はありますか?」

「守護巫女は大変で、苦労も多いけれどとても面白いの。とに    

 かく楽しんでね」

 平成十八年度の守護巫女・里穂の声と言葉は、外見に違わな    

い大人びたものだった。

 それに対して佳奈が「ありがとうございます」と礼を述べて    

頭を下げると、年相応の微笑を浮かべる。

「琴美も先輩になるのだからしっかりやるのよ。あなたは目立    

 ちたがりだから、あまりでしゃばらないようにね」

「判っています。でも目立つのって気持ちいいんです」

「まったく、さっぱり変わってないのね。こんな子だけど、い    

 ざとなったら頼りになるから心配しなくてもいいわよ」

「はい。……分かりました」

 テレビでは決して見られない琴美の<素顔>を見たような気    

がして、佳奈は戸惑いを隠せなかった。

 そんな後輩に二人の少女は軽く別れの挨拶をすると、鳥居の    

方へと歩き去って行った。

 なんかイメージと違ったわね。もっと理知的な人だと思って    

たのに。でも、本当に頼りになりそう。

 階段の下へと消えた二人の少女を見送って、佳奈は落胆と高    

揚感が入り混じった複雑な感情に心を支配されていた。

 ま、来週になればまた会えるわね。その時確かめればいいだ    

け。まずは羽田さんに会わないと。

 気持ちを切り換えて、体の向きを変える。

 すぐに神職の老人が歩いて来る事に気づく。

 稲穂神社の宮司である羽田だった。

「あ、羽田さん、ですか……?」

「そうだ。準備はいいかな?」

「はい。いつでもオーケーです。……時間かかりますか?」

「少しはかかるな。まずは身を清めてもらわなくてはならんし    

 <力>を授けたら色々と説明しなくてはならないからな」

「大変なんですね、守護巫女になるのも……」

「守護巫女は強大な力を持つ。その力は使い方を誤ると恐ろし    

 い事になる。当然といえば当然だな」

 守護巫女とは、奇跡の力によって三十倍に巨大化できる力を    

身につけた少女の事である。

 江戸時代から途切れることなく受け継がれており、その名の    

通り事故の後始末や人命救助など人々を<護る>為に活動して    

いる。

 戦後になってからは稲穂市の臨時職員扱いで毎年一人が選ば    

れており、佳奈は平成二十二年度の守護巫女だった。

「でも信じられません。自分が着ているものごと巨大化してし    

 まうなんて」

「それが奇跡の力というもの。科学にも解明できぬ領域だ。ま    

 ずは信じよ。私に言えるのはそれだけだ」

「信じるしかないんですね……」

 老人らしくアナログな精神主義だな……と内心首をすくめて    

いると、その羽田宮司が鳥居の方へと歩き始めた。

 さっそく儀式を始めると思っていた佳奈は不思議に思いなが    

らついていく。

 宮司が足を止めたのは、鳥居の真下だった。

 つられるように立ち止まった佳奈だったが、眼下に海に面す    

る町・稲穂市を一望すると思わず息を呑む。

「この街を護る為に守護巫女は存在する。まずはそれだけは忘    

 れないでほしい」

「わたしに出来るんですか……?」

「みんなやってきた事だ。出来ぬことではない」

「まあ、やってみます。でもわたしは使命とかそんな大袈裟な    

 話は苦手ですから……」

「そうだろうな。最近はみんなそう言うからな。でも、さっき    

 まで来ていた二人もちゃんとやってのけたのだ。心配する事    

 はない。とにかく信じろ。それだけだ」

 相変わらずの精神論だったが、佳奈は嫌ったりしなかった。    

 単純なだけに、かえって感心していたからだった。

 どれだけやれるかまだ判らないけど、きっとやってみせるか    

ら。少しは頑張らないと。

「羽田さん。……そろそろ<力>を授けさせて下さい」

「わかった。ならばついて来るとよい。まずは着替えをして身    

 を清めてもらう。これから行うのは神事だからな」

 神事という言葉に緊張しながらも、佳奈は頷いた。

 すぐに、宮司に続いて歩き始める。

 奇跡の力を授けられるという事実に緊張しながらも、心のど    

こかでは楽しみで仕方無かったのだった。

                                

 科学の目では決して探れない真の<闇>の奥で。

 <それ>はゆっくりと目を覚ましつつあった。

 まだ自分が何をすべきかも分かっていなかった。

 何があって闇の奥に身を沈めていなければならないのかも分    

かっていなかった。

 それでも、意識は少しずつ覚醒しつつあった。

 地上へ……。地上へ行きたい……。

 漆黒の心の中に単調な声が響き渡る。

 まるで呪詛のように何度も何度も繰り返されるその言葉は、    

意識を少しずつ呼び覚ましていく。

 地上へ……。地上へ行きたい……。

 自分の正体が分かっていなくても、願望はあった。

 それを叶える為ならばあらゆる手を尽くす覚悟もあった。

 しかし、まだ本格的に目覚めていない<それ>はまだ単調に    

繰り返すしかしなかった。

 地上へ……。地上へ行きたい……。

 闇の奥からの願いが地上に届くまで、まだ少しばかりの時間    

が必要だった。