日曜日は二日酔い                    

                                

 いつもより遠くで目覚まし時計の音が聞こえてきた。

 慌てて止めようとした狩野大輔だったが、幾ら手を伸ばして    

も馴染みのある感覚が指に触れず、思わず体を伸ばす。

「……うっ。き、き、気持ち……悪い……」

 目を開けるよりも早く。

 頭の中に巨大な嵐が発生したかと思うと、大暴れを始めたの    

で大輔は顔を枕に沈めて玉砕した。

 これまでに経験した事が無い程強烈な二日酔いだった。

 な、なんで俺こんなに飲んだんだ……?確か昨日はゼミのコ    

ンパでえっと、三次会に行ってそれから誰かと一緒に帰って来    

て……ってうるさい!

 自分の存在意義を最大限主張するかのように鳴り続ける目覚    

まし時計に気づいて、大輔は無謀にも体を起こした。

 起こした瞬間、頭をハンマーで殴られたような衝撃が襲って    

きて、その場にへたり込む。

 ゴールデンウィークに観たアクション映画にも似たような場    

面があったような気がしたが、少なくとも相手は二日酔いでは    

なく人間だったような気がした。

 だ、駄目だ……。立てない……。でも止めないとうるさいし    

近所迷惑だしどうしたら……。

 突然、六畳一間の部屋に沈黙が戻ってきた。

 目覚まし時計の音が止まったからだと気づくのに数秒を要し    

たが、思考がアルコール漬けの脳を駆けめぐるのと同時に。

 ある重大な事実に気づいた。

 目覚まし時計はいつものようにベッドの小物置きの上にあっ    

たものの、そこに白く細い手が伸びていたからである。

 女性のものらしい美しい手だったが、ゆっくりと付け根の方    

向に目を移して。

 大輔はその場から一目散に逃げ出したくなった。

 よく目立つセミロングの黒髪。

 きめの細かい白い肌。

 そして、どこかあどけなさの残る寝顔。

 ベッドにはゼミ仲間である和田文香(ふみか)が薄い毛布に    

くるまって横になっていたからである。

 な、なんで文香がベッドに寝てるんだ!?あいつとは駅で別れ    

た……違う違う!電車が無くなったっていうから俺がここまで    

連れてきて……やばいっ!

 すぐに疑ったのは自分が<やってしまった事>だった。

 幾らお互い二十歳は過ぎたとはいえ、不同意で行為に及んで    

は当然警察の厄介になる。

 そうなったら人生は終わったも同然だろう。

 お、落ち着け自分。俺は何をした?何もしてないだろ?幾ら    

相手が文香だからって……。するわけないよな……。

 頭の中で暴れていた台風が温帯低気圧に変わる頃になって。    

 大輔はようやく落ち着きを取り戻した。

 たとえ泥酔しても強引に相手に迫る積極性は存在しなかった    

からだった。

 ……まあいい。何もなければいいんだ。もう一度寝てこの二    

日酔いを治す……わけにはいかねえな。

 ベッドを文香に譲ったので、毛布一枚だけで床に作った寝床    

に転がった途端。

 今度は胃の辺りでデモが発生した。

 酷い二日酔いだというのに、何かを食わせないと暴れるぞと    

いう分かりやすい意思表示だった。

 そりゃないぜ、びっくりしたばかりなんだ。少しゆっくりさ    

せてくれよ。頼むからさ……。

 それこそ土下座でもしそうな勢いで頼み込んでみたものの、    

胃袋と言う名のデモ隊は抗議活動を止めようとしない。

 しかも、頭の中ではまた台風が発生しようとしていた。      

 ええいくそっ!分かった分かった!何か買ってくればいいん    

だろ!?少しは静かにしてろ!

 まだ自分が半分酔っている事を自覚しながらも、大輔は慎重    

に体を起こした。

 目眩は酷く、吐き気まで込み上げてきたが、ふらふらと玄関    

まで歩くと靴を突っかける。

 文香は……寝かせておくか。どうせあいつも二日酔いだろう    

な。酒は強くないって言ってたからな……。

 自分で自分に言い訳するように心の中で呟くと、重い扉を開    

けて外に出たのだった。

                                

 ワンルームマンションの面する大通りに出ると、いつもより    

車も少なくて少しだけ静かに感じられた。

 くらくらする頭を押さえながら空を見上げると、五月の穏や    

かな青空が広がっていた。

 日曜日だっていうのに何してんだ?俺は。馬鹿騒ぎし過ぎた    

な……。しかも文香を連れ込むなんてな……。

 わずかに夏の訪れを感じさせる空気にすらも吐き気を覚えな    

がら、大輔は自分の行動を猛烈に後悔していた。

 よりによって男の部屋に転がり込むなよ、文香も……。後で    

誰かが覚えてたらどうすればいいんだ?

 あらぬ噂は立つだろうし、露骨に関係を訊ねる人間も複数い    

るだろう。

 荷物をまとめて遠いどこかの国に逃げてしまいたかった。

 あーくそっ!だからってゼミ辞めるわけにはいかないんだよ    

なあ。ここで辞めたら卒業だって怪しくなっちまう……。

 考えれば考えるほど頭痛と目眩は酷くなり、歩き方までおか    

しくなってくる。

 もし警官にでも見られたら職務質問を覚悟しなければならな    

い程だったが、幸い見咎められずに。

 マンションから一番近いコンビニまで来ていた。

 自炊という面倒な行為をあまりしない大輔が一日に一度は訪    

れる場所なので、いつものように扉を開けて入る。

 来店を告げる電子音と店員のあまり心のこもっていない声に    

すらうんざりしながら、目線を落とした時だった。

 スポーツ新聞などが売られているスタンドが視野に入ってき    

て、反射的にそこに書かれた見出しを読んでいた。

 ホウオー親子ダービー制覇確実……?あ、今日はダービーだ    

ったか……。

 どんよりとした雲が覆い尽くす頭で意味を理解するのと同時    

に、大輔は適当なスポーツ新聞を抜き取っていた。

 最強の三歳馬決定戦にして、競馬界の<祭り>とも言われる    

日本ダービー(東京優駿)。

 今年はダービー馬ジャングルポケットを父に持つフサイチホ    

ウオーが単勝で圧倒的な人気を集めているようだった。

 ダービーか……。親父が生きてたらきっと足を運んでただろ    

うな。毎年行ってたからな……。

 新聞を小脇に挟み、パンなどが並ぶコーナーに向かいながら    

大輔はふと思った。

 俺も連れて行かれたっけ。小学校の時だからもう十年ぐらい    

になるんだな。あの時はまだ親父も元気だった……。

 父親を病気で失ったのは高校最後の年だった。

 転移の速い癌で、検査で見つかった時には手遅れだった。

 それでも。

 死ぬ間際まで<治ったら競馬場に行きたい。サラブレットが    

走るのを見れば病気なんか治る>とまで言っていたのだった。    

 いつも仕事ばかりで家庭なんかどうでも良かったのに競馬の    

事になると人が変わったからな……。唯一の楽しみだったっん    

だな。きっと……。

 複雑な気持ちに、二日酔いも少しだけ忘れてしまった。

 それでも、傍若無人な胃がまたも暴れ始めたので、適当にパ    

ンやらおにぎりを選んで、スポーツ新聞と共にレジに持って行    

ったのだった。