少女神官の勇気

                                

 古城塞都市・ルベルの北側を貫く木工職人通り。

 その名の通り木を材料に色々なものを制作する職人が集まる    

緑豊かな街路を、あまり人相の良くない男が逃げていた。

 目を血走らせ、罪の無い通行人を容赦なく突き飛ばし、息も    

上がりそうになりながら、男は走り続ける。

 もし足を止めたならば、その瞬間には全て終わる。

 恐怖が心を支配し、酒に溺れて不摂生な体を突き動かす。

 捕まりたくなかった。

 なぜなら自分を追いかけているのはルベルのヴァルネス神殿    

でも一番恐れられている……。

「待て! 止まらないと<実力行使>するぞ!」

 紅のマントを翻して走り続けながら、エレン=フィッツロイ    

は街路中に響き渡る大声で呼びかけた。

 色白な肌に活気に満ちた茶色の瞳、そして軽く束ねただけの    

薄金色の長い髪。

 武骨で機能一辺倒の神官服に軽量のアーマーを纏っていても    

魅力的な少女だったが、今現在彼女の頭の中を占めているのは    

逃げ続ける連続窃盗犯を捕らえる事だけだった。

「逃げるならばこっちにも考えがある! 大人しくしろっ!」    

 形のよい唇から出る言葉は、警察でもあるヴァルネス神殿の    

神官戦士のものだった。

 あまりの違和感に、木工職人通りの通行人たちは足を止めて    

奇妙な捕り物を見つめていたが、エレンが足を止めた瞬間。

 皆顔色を変えてその場から逃げ出し、物陰に隠れた。

 <触らぬエレンに祟り無し>

 ルベルの住民ならば誰でも知っている合言葉を思い出したか    

らだったが、連続窃盗犯はなおも逃げ続ける。

 半ば本能的な逃亡劇だったし、何をされるか分からない以上    

足を止めるわけにもいかなかった。

「逃げるとはいい度胸だぜ。いくぞ! 食らえ、神罰!」

 周囲の逃げまどう通行人たちにも構わず。

 少女神官は口の端に自信に満ちた笑みを浮かべて、短い祈り    

の言葉を唱えた。

 同時に胸の前で組んだ両手を一気に突き出す。

 その瞬間、ヴァルネス神の<奇跡>の力が発動した。       

 周囲の空気が圧縮されて少女の両手に集まったかと思うと、    

見えない矢となって解き放たれたからだった。

 神官戦士の基本攻撃魔法<風の一矢>。

 普通ならばそのまま目的に向かって一直線に飛んで行くだけ    

だったが、エレンのそれは少し違った。

 周囲の空気を巻き込んで一気に巨大化したからである。

 ただの矢が、地面と平行して飛ぶ小さな竜巻に成長するまで    

あっと言う間の出来事だった。

 逃げる窃盗犯は何が起こったのか分からないままその渦に飲    

み込まれたが、それだけでは終わらなかった。

 近くで店を出していた簡素な作りの露店も巻き込まれてしま    

ったからである。 

 間一髪難を逃れた主人の目の前で、エレンの起こした竜巻に    

よって原形を失い、ばらばらになっていく。

 その一部は哀れな窃盗犯にも命中し、何とも表現しがたい悲    

鳴を街路に響かせる。

 突然現れた竜巻が消えたのは、直後の事だった。

 宙に浮いていた窃盗犯は突然浮力を失って地上に落下し、そ    

の痛みを感じる間もなくかつては露店だった瓦礫に直撃されて    

完全に気を失ってしまう。

「これで一丁上がり、だな。後はしょっ引くだけだ」

 魔法を放つ姿勢を解いて、エレンはやんちゃな少年のように    

笑った。

 ようやく捕り物が終わった事を悟った住民たちが恐る恐る物    

陰などから出てきた事に気づくと、片目を閉じて言い切る。

「もう大丈夫だぜ。連続窃盗犯はあたしが捕まえたんだ。今夜    

 から枕を高くして寝ろよ。……さてと、逮捕逮捕っと」

 <あんたがいるから枕を高くして眠れないんだ>と言いたげ    

な住民たちの空気に気づいているのか気づいていないのか分か    

らなかったが、エレンは最後の仕上げをする為に歩き出す。

 その歩様はいつも通り、自信に満ちたものだった。

                                

ルベルのヴァルネス神殿は、街のほぼ中央付近……街領主の    

館のすぐ近くに存在する。

 警察も兼ねているその建物の一角で、街北部の治安責任者で    

あるシュルツ副神殿長は頭を抱えていた。

「連続窃盗犯は捕らえたのですが、例によって例のごとく巻き    

 添えが発生して苦情がきています。今回は露店が一軒壊され    

 たそうです」

「露店一軒で済んだんだな?」

「はい。……まあ、不幸中の幸いというべきか……」

「馬鹿者! 街を守るヴァルネス神の神官戦士が住民の財産を    

 破壊してどうする! 今すぐエレンを呼べっ!」

「分かりました」

 副神殿長の大声を、報告役の神官長は平然と受け流すとその    

まま退室して行った。

 殺意すらも込めた目でそれを見送ったシュルツだったが、や    

がて椅子に背中を預けて大きく息を漏らす。

 またあいつか……。まったく、優秀な事は優秀なんだが、犯    

罪者にまるで手加減しないのは問題だな。さらに言うならば巻    

き添えも多過ぎる。

 <犯罪者に人権は無い>というのが基本的な考えとはいえ、    

エレンが逮捕してくる犯罪者が無傷だった事は無かった。

 よくて軽傷、悪ければ即座に治療所送りだったからである。    

 しかし逮捕率が一番いいというのが問題だな。他の連中が無    

能というわけじゃない。エレンが優秀過ぎるんだな。

 扉の外から声が聞こえてきた。

 考え事を中断して呼びかけると、薄金色の髪がよく目立つ少    

女神官戦士が部屋に入ってくる。

 外見からは想像もつかない程身体能力は高く、信仰心の篤さ    

と正義感の強さも申し分無かったが、シュルツはある決断下さ    

ざるを得なかった。

「エレン、大事な話がある。心して聞いて欲しい」

「はい。シュルツ様」

「今から一週間、休暇を命じる。この神殿にいてもいいが、捜    

 査などには一切関わるな。分かったな?」

「休暇……? 待って下さい。一昨日発生した強盗事件の捜査    

 があります。あれはあたしの担当じゃないんですか?」

「その件についてはドルムントに任せる事にした。エレンはし    

 ばらく休むといい。休暇も取らずに働き続けているからな」    

「待てよ! どうしてあたしを外すんだ!?

 突然、エレンが大きくを身を乗り出してきたので、シュルツ    

は反射的に体をのけぞらせた。

 間近で見ても、ヴァルネス神殿の神官戦士には見えない程の    

美貌だったが、目をつり上げていては魅力も半減だった。

「あたしの成績が悪いなら分かるぜ。でもあたしは一番成績を    

 上げてるはずだ。それでも休ませるのか!」

「ま、待て……。上司に向かって男言葉は無いだろう?」

「そういう問題じゃないぜ。あたしを外すならちゃんと理由を    

 説明してくれなきゃ困るぜ」

「だったら説明しよう。……これは命令だ!」

 仰け反った体から振り絞られた大声は、エレンの両耳を正確    

に直撃した。

 思わず耳を押さえて下がってしまったが、そこにさらに追い    

打ちをかけられる。

「私が命令するまで休め! 話は以上だ! わかったな!」

「そんなのありかよ……」

「話はそれだけだ。下がっていいぞ」

 取り付く島も無いとはまさにこの事だった。

 なおも顔全体で不平と不満を表明していたエレンだったが、    

シュルツが頑固な容疑者を取り調べる時と同じ表情を浮かべる    

と、「わかったよ。勝手にするぜ!」と言い捨てて部屋から飛    

び出して行った。

「……よろしいのですか? 本当に」

 扉を開けた途端、エレンとぶつかりそうになった神官長が心    

配を隠せない様子で尋ねてくる。

「よくはない。しかし、何かきっかけが必要なのだ。彼女が本    

 当に優秀な神官戦士となる為のきっかけが……」

「もしかすると、どうにもならなくなって休ませたのではあり    

 ませんか?」

「……」

「否定して下さい。副神殿長ともあろう方が」

 シュルツが沈黙の檻の中に逃げ込んだので、神官長は武骨な    

外見に合わない溜息を漏らした。

 優秀なのにも関わらず暴走する少女神官・エレンの存在はル    

ベルのヴァルネス神殿における最大の問題点だった。