王女と王妃の事情                 

                                

 ヤノーツク王国の首都・ヤノーシェルに少しずつ春の夕暮れ    

が迫りつつあった。

 白を基調とした町並みは傾く太陽の光を受けて一段と美しく    

輝き、夕市が立つ大通りは買い物客で賑わっている。

 隣国・サイレノス王国の首都と比べると小さな街だったが、    

調和のとれた美しさは街の人たちの誇りでもあった。        

 そんな絵画のような光景を眺め下ろす街外れの丘に。

 小さな人影があった。

 わずかな風を受けて流れる栗色の髪に、色白な肌をラブレと    

いう膝下までの長衣で包んだ美しい少女である。

 両手を胸元で合わせ、真剣な横顔で何かを祈るその姿は、宗    

教画のような神々しささえ漂っていた。

 吹き続けていた風が凪いで、羽のようにやわらかな髪が元の    

場所に戻るのと同時に。

 少女は祈りを終えて、顔を上げた。

 夕空を飛ぶ鳥を目だけで追いかけていたが、その先に孫を連    

れて散歩に来ていた老婆を見つけると、にっこりと笑う。

 少女が祈る姿をずっと見ていたのだろう。

 老婆は有り難いものを拝むように深々と頭を下げた。

 空は見事に染まり、盆地の中央にある街にも夜の帳が少しず    

つ迫りつつあった。

 周囲から少しずつ色が失われていったが、それで<決意>が    

固まったのだろう。

 少女は両手を広げると、大きく息を吸い込んで心に浮かんだ    

言葉を忠実に紡ぎ出した。

「静かながらも美しき王国・モンベリアルはあたしこと、アル    

 ベルティーヌ=オキア=クロンヌ=アントワーヌ・グランノ    

 ブルが再興してみせるわ!あの憎っき若禿王の軍なんかぜー    

 んぶ叩き出して、バティスト=アラグティス=クロンヌ=ア    

 ントワーヌ・センノブル様をもう一度迎えるんだから!その    

 時は遠くないわ!覚悟してなさい!若禿王!アルベルティー    

 ヌ=オキア=クロンヌ=アントワーヌ・グランノブルは必ず    

 帰ってくるんだから!」    

 早口言葉のような長台詞をとちらずに大声で一気に言い切っ    

たのは立派としか言いようがなかった。

 しかし、散歩の老婆には刺激が強過ぎたのだろう。

 不思議そうな顔をする孫を引っ張って、転びかねない程の勢    

いで丘を降りて行ってしまった。

 それでも、栗色の髪の少女は再び吹き始めた風を全身で受け    

止めながら、満足そうな表情を浮かべていた。

 自分の心の拠り所を確かめられたかのように。

                                

 街の東の外れ、どこかうらぶれた酒場などが建ち並ぶ地区の    

片隅に、酒場<風の使い>亭はある。

 扉を開けて中に入っても、カウンターとわずかなテーブルし    

かない小さな薄暗い店であるが、眠そうな顔をした老主人にと    

ある言葉で合図すると事情は一変する。

 鷹のように目を鋭くした主人が、秘密の入り口を開けて地下    

へと案内してくれるからである。

 そこにあるのは、ヤノーシェルの裏社会を支配している言わ    

れる盗賊ギルドの本拠地だった。

「……で、間違いないの?その話は?」

 奥まった場所にあるテーブルで、ディアナ=フランシュは向    

かいに座った男に念を押すようにきいた。

 膝までのラブレで長衣ですらりとした肢体を包み、髪の半分    

をバンダナで覆った活動的な雰囲気を持つ少女であるが、表情    

は真剣そのものだった。

「ああ。周囲の街から食い詰めた傭兵やらが続々と集まってき    

 ている。お嬢、これはまずいぜ」

「そうね。でも雇い主は何をしたいのかしら?高給で傭兵を集    

 るなんて。戦争でもする気?」

「ありえるな。この辺りは平穏だが、大地の背骨山脈を超えた    

 先では国同士の戦争も珍しくないからな。しかし、肝心の雇    

 い主が分からないんじゃなあ……」

「それを調べるのがあんたの仕事でしょう?とにかく、調査を    

 続けて。この街でドンパチやられると困るのはわたしたちな    

 んだから」

 決然と言い切って、<お嬢>ことディアナは立ち上がった。    

 そのままギルドから出て行こうとしているのに気づいて、情    

報屋はその背中に声をかける。

「そうだ。今度はどこを狙うんだ?」

「しばらく<紅>は動かないから情報はいいわ。さっきの件に    

 全力を投入して」

「なんだ。つまんねえな。あのスカっとするような盗みがまた    

 見たいんだがな」

「それはまた今度。ちょっと用事があるからこれで」

 言うだけ言って、ディアナは本拠地を後にした。

 あまり気が進まないものの、行かねばならない場所があった    

からだった。

                                

 ヤノーシェルの街は、中央を流れるフォーザイン川によって    

二つに分けられている。

 北側には王宮や貴族の屋敷、行政府が建ち並び、南側には商    

人や色々な職人などが住んでおり、上から見ると白い二枚貝の    

ように大きく広がっている。

 街の南北は川に架かる何本かの橋で結ばれており、その中で    

もひときわ立派なフォーザイン橋は、街で一番賑わう場所とし    

て有名だった。

 しかし、じっちゃんが呼び出すなんて何事なんだ?なーんか    

嫌な予感がするんだよなあ。

 橋を北から南に渡り終えるのと同時に、ユベール=サントメ    

ルは心の中でぼやいた。

 黒に近い茶色の髪の人の良さそうな少年であるが、マントを    

留める金具には正義闘神の聖紋が輝いている。

 まだ若いながらも、警察を兼ねるヴァルネス神殿の神官戦士    

だったからだった。

 だいたいろくでもない事に決まってるんだよな。店の整理を    

手伝えとか、隣町まで護衛しろとか。年寄りなんだから大人し    

くしてればいいのに……。

「あ、ユベール。久しぶり」

 頭に手をやるのと同時に。

 聞き慣れた声が横から飛んできた。

 その方向を見てみると、朱色のラブレを翻しながら、同い年    

の従姉妹であるディアナが駆け寄ってきたところだった。

「ああ。……まさか、お前もじっちゃんに呼ばれたのか?」

「え?まさか、ユベールも?」

 しばらくの沈黙の後。

 少年と少女は大きく肩を落として溜め息をついた。

 性格は違っても、元気過ぎる祖父に悩まされているのは同じ    

だったからだった。

「って事は、なんで俺たち呼ばれたんだ?」

 マントを翻してゆっくりと歩き出しながら、ユベールは心の    

中の疑問を口に出した。

「さあ。暇だから話し相手になって欲しいんじゃないの?」

「そりゃ暇だろうな。でも、俺も忙しいんだぜ。なんたって、    

 義賊<紅>を捕らえないといけないからな」    

「ふうん。大変なのね。でも、簡単には捕まらないと思うわ。    

 神出鬼没の義賊なんでしょう?」

「それでも捕まえなくてはいけないんだ。ディアナも何か聞い    

 たら教えてくれよ」 

「うん。なんたって従兄弟同士だし」

 そう言って微笑した少女だったが、目線を外すのと同時に。    

 ほっとしたような呆れたような複雑な表情を浮かべた。

 小さい時から鈍いと思ってたけど、本当に気づいてないんだ    

から。義賊<紅>は目の前にいるわたしなのに。

 ディアナは普段河港の食堂で働いていたが、盗賊ギルドの女    

幹部としての顔も持っていた。

 盗賊ギルドと言っても、志高い人間の集まりであり、悪徳商    

人などから金を盗んでは、スラムの解消などに役立てている秘    

密組織だった。

 結成されてから十数年が過ぎていたが、ヴァルネス神殿も未    

だに気づいていない程、その存在は知られていなかった       

 <紅>の正体を知ってるのは、ギルドの人間を除けばおじい    

ちゃんぐらいね。ああ見えてもなんでもお見通しだから。

 そんな事を考えながら歩いている内に、目的地である酒場・    

<赤竜の鱗(うろこ)>亭の前まで来ていた。

 まだ真新しい赤い竜を象った看板を眺めながら、扉を開けて    

店の中に入る。

 カウンターでは、真っ白な髪と髭を生やした老店主がワイン    

で一杯やっていた。

 ブルーチーズをつまみに、悠然と至福の時間を楽しんでいた    

が、孫たちの来訪に目を細める。

「よく来たよく来た。意外に早かったな」

「じっちゃん、また店の酒飲んでるんじゃないよな?」

「そうかもね。そのワインの瓶、見覚えあるわ」

「やかましいわい!お前たちにワシの唯一の楽しみがわかって    

 たまるか!まったく、口の減らん奴らじゃ」

 高級ワインを一気に飲み干して、老店主……レーモン=サン    

トメルはワイン混じりの泡を飛ばしながら反論した。

 優に七十歳は過ぎているはずだったが、元気が有り余って仕    

方ないのが一目で分かる。

 かつてはヤノーシェルの魔術師ギルドの導師だった事もあっ    

て頭脳も明晰で、近所の人たちからは色々な意味で慕われてい    

るという。

 もっとも、本人の話なので当てにはできなかったが。

「口が減らないのはおじいちゃんの方じゃないの?未だにお父    

 さんを子供扱いしてるんだから」

「俺の家も似たようなものだぜ。じっちゃんが来るとワインだ    

 けを残して、みんな逃げ出すぐらいだからな」

「あ、わかった。だから可愛い孫二人を呼んで話し相手になっ    

 てもらいたいのね」

「そんな事で呼んだりしないわい。お前たちに頼みたい事があ    

 るのだ。……って、話す前から逃げるな!」

 二人の<可愛い孫>が、回れ右して店から出て行こうとした    

ので、レーモンは真っ赤になって怒鳴った。

「逃げてばかりいては卑怯な大人になるだけ。ワシはお前さん    

 たちにそうなってもらいたくないわい。だから……」

「出たな。じっちゃん必殺泣き落とし」

「うん。小さい時から見てるから今更ね。じゃ、わたしたちは    

 これでお暇(いとま)させてもらうから」

「だから逃げるなって言っとるだろうが!お前たち、本物の王    

 女様に会いたくないのか?」

 最後の力を振り絞って放たれたレーモンの一矢は、正確に孫    

たちの心を射抜いた。

 誘惑に負けたくないと思いつつも顔では振り向き、満面の笑    

みを浮かべる祖父と目が合ってしまう。

「ワシの頼みを聞いて手伝ってくれれば間違いなく会える。な    

 んでも歳はディアナと同じぐらいで、その美しさは近隣の国    

 にも伝わっているそうじゃ」

「そんな王女様がこの街に滞在してるの?」

「お忍びでな。どうだ?ワシの手伝いをしてみないか?」

 そう言って、レーモンは「ぐふぐふぐふ」と白髭の中でこも    

ったような妙な笑い方をした。

 普段ならば、その不気味な声で身を引いてしまうユベールた    

ちだったが、足が動かなかった。

 小さい時から童話などで聞かされてきた<麗しの王女様>に    

会える機会を逃したくなかったからだった。

「わかったよ。俺は手伝うぜ。ディアナはどうする?」

 躊躇と打算、警戒が短い沈黙の奥で交差した後。

 肩を落としてユベールは頷くと、隣の従姉妹に話を振った。    

「……わたしも手伝うわ。でもおじいちゃん、王女様ってどこ    

 の国の人なの?」  

「それは秘密じゃ。さてと、さっそく行くとするか」

「え?手伝いって今からなの?」

「当然じゃ。困っている人を助けに行くからな。ワインで前金    

 を貰っているし、やらねばならぬのだ」

 その時になって、二人の孫たちは祖父が楽しんでいた高級ワ    

インの本当の出所に気づいて、愕然となった。

 しかし、レーモンは「全ては世の為人の為じゃ」と言いなが    

ら意気揚々と自分の店を後にしたのだった。