おとぎ話は終わらない
                 
               
<……。こうして、激しい戦いの果てに、勇敢な青年は自らの    
 持つ力の全てと引き換えに、赤魔の山に復活しつつあった全    
 ての魔物を封じたのです。
 山の麓に住む住民たちは青年に感謝を捧げました。しかし、    
 青年は自らの役割を終えたことを悟ったのか、そのまま村か    
 ら去っていき、その行方は誰にも分からないままでした。
 それでも、村人たちは魔物を封じた青年の事をずっと、忘れ    
 ずにいるのでした。
          「ランビエール地方のおとぎ話」より>    
                                
 大陸中央部に覇を唱える大国・シャス王国の南部は俗にラン    
ビエール地方と呼ばれている。
 <山と森の土地>という意味の古い時代の言葉が転じたもの    
であり、その名の通り豊かな自然が残り、平原に広がる王国北    
部・中部とはまた違った風景が広がっている。
 そんなのどかな地方の中心都市・アルントの一角にある商業    
ギルドの事務所から大声が響き渡ってきたのは、穏やかな春の    
昼下がりのことだった。
「俺に出来る仕事が無い、だと!? もう一度言ってみろ!?
 酷い屈辱をうけたような気がして、アンリ・ヴェーネルトは    
椅子を倒しながら立ち上がった。
 鍛え抜いた身体に野性味のある風貌が目立つ青年だったが、    
眼光だけで人を射殺せそうな程の殺気を全身から放っていた。    
「何度でも言う。今、きみに頼めそうな仕事はこのギルドには    
 上がってきていない。嫌なら隣町を当たってくれたまえ」
 向かい合って座る青年……商業ギルドで求人係を務めるセザ    
ール・フランクはいつものように冷静だった。
 それどころか、指の先で眼鏡を上げて追い打ちをかける。
「これで話は終わりだ。僕も他の仕事があるから用が済んだら    
 帰ってくれ」
「て、てめえ! 幼なじみだからって嘘をついたら本気で怒る    
 からな!」
「分かってる分かってる。だから本当の事を言ってるんじゃな    
 いか。親愛なる幼なじみのアンリ・ヴェーネルトくん」
「この野郎!」
 言葉が終わるよりも早く、全身の血が沸騰した。
 アンリは拳を握りしめるなり、向かい合って座る幼なじみに    
殴りかかった。
 恰幅のいい青年の身体が鈍色の風となり、相手の澄ました顔    
を直撃するかに見えたが……。
 怒りの拳は軌道を逸らされて、固い木の床に大穴を開けただ    
けだった。
「まったく、きみの行動は昔から変わってないな。よくそれで    
 赤魔の山の魔物を封じられたものだ」
 身体の向きを戻して、セザールは何事もなかったかのように    
言った。
「だから何度も言ってるだろ! あの魔物は俺が全ての力を懸    
 けて封じ込めたと!」
「その結果、力を失ってただの力が強いだけのごろつきになっ    
 たんじゃ世話無いね。まあ、おとぎ話ではそこまで触れられ    
 るわけないか」
「おとぎ話なんて言うな! 俺はこれから暮らしてかなきゃい    
 けねえんだ!」
 セザールの口元から、不敵な微笑が消えた。
 今更のように幼なじみの置かれた立場に気づいたのか、大げ    
さに溜め息をついて頭を振る。
「まあ、そういう考え方もできるな。ここからは真面目な話だ    
 が、今このギルドにきみが出来そうな求人はきていない。た    
 だ、仕事が必要なら紹介状を書いてやってもいい」
「セザール……」
「僕の紹介なら近隣の街のギルドでも仕事を紹介してくれる。    
 今日はそれで勘弁してくれ」
「……。ああ」
 親友でもある青年の言葉に、アンリは素直に頷いた。
 親身になっているのは長い付き合いで十分に分かっていたし    
何よりも建物中に響く大声を出すのも馬鹿らしくなっていた。    
「だったら少しだけ待っててくれ。今紹介状を書いてくる。ま    
 あ、体力だけは無尽蔵にあるから意外といい仕事が見つかる    
 かもしれないな」
 多少の照れもあるのか、わずかに目線を逸らしながらセザー    
ルが席を立った時だった。
「あの……。仕事を紹介してくれると聞いて来たのですけど」    
 どこかのんびりした少女の声が、二人の耳に届いた。

 警戒心すらも起こさせない間延びした声だったが、身につい    
た癖でアンリは振り向いて相手を確かめた。
 そこにいたのは、非常に古いデザインのワンピースに身を包    
んだ栗色の髪の少女だった。
 殺気どころか、周囲を和ませる穏やかな雰囲気を漂わせてい    
たが、緊張のためかその表情は強張っていた。
「そうですよ、きれいなお嬢さん。さ、こちらへどうぞ。アン    
 リ、どいたどいた」
「お、おい! 俺の紹介状は……」
「後で書いてやるから待ってろ」
 セザールが街のあちこちで浮名を流している事を思い出し、    
アンリは渋々席を立った。
 そんなやりとりに戸惑ったような表情を浮かべながら、少女    
は椅子に座る。
 一見すると、貴族の屋敷で働くメイドを思わせたが、それだ    
けに着ているワンピースの<古さ>が目立った。
「まずはお嬢さん、名前は? どこに住んでいて、どのような    
 仕事を希望ですか?」
「ふん、まるでナンパだな」
「うるさい。……済みません、お嬢さん。このむさ苦しい大男    
 は放っておいても構いませんよ。仕事が無いと言って幼なじ    
 みの私に泣きついてきたような奴ですから」
「仕事が……無い?」
 何かを思いついたかのように、仕事を探しに来た少女がアン    
リに視線を向けた。
 人を疑うことをまるで知らない小動物のような瞳に、勇敢な    
青年は警戒するよりも戸惑いを覚える。
「いや、まあ……なんだ、ちょっと訳ありでな。力仕事ならで    
 きるんだが、あいにくこの街には無いらしいんだな。それで    
 紹介状を……」
「だったら、貴方にお願いします。簡単な力仕事をしてくれる    
 人を探してたのです」
「は?」
「私の仕事は後で探します。今はとにかく、片づけを手伝って    
 くれる人を探してたので助かりました。ではさっそく案内し    
 ますのでついて来てください」
 いきなり能弁になった少女の言葉を、アンリが理解するまで    
たっぷりと時間がかかった。
 しかし、全て分かった途端抑えていた感情が爆発した。
「おいちょっと待て! おかしいだろ! 金がないから仕事を    
 探しに来てどうして俺を雇えるんだ!?
「えっ……。あ、済みません!」
「そもそもお前何者なんだ? そんなに古くさいワンピース着    
 てる奴、今どきいないだろ?」
「あ、これですか? 一応一番最新のものを引っ張り出してき    
 たんですけど」
「お前の家は古着屋か!?
「済みません、これ以上古いとさすがに街を歩けないと思った    
 んですけど……。変ですか?」
「変なのはお前自身だ!」
「済みません! 昔から言われてるんですけど……」
 反論する気も無くして、アンリは大きな肩を落とした。
 わずかな間に三度も「済みません」と言われてはさすがに良    
心が痛んだ上に、親友のセザールが眼鏡の奥で目を細めて攻撃    
の機会を伺っていたからである。
「えっと、まず……名前は?」
 その場を取り繕うように、アンリは質問した。
「クロエ・オイギンスといいます。貴方は?」
「アンリ・ヴェーネルトだ。しかし、クロエったあ古風な名前    
 だな。今どきそんな名前の奴ほとんどいないぜ」
「済みません」
「な、名前のことで誤られても困るんだがなあ……。だからセ    
 ザール、俺を睨むなって」
「年頃の女性に対する侮辱は僕への侮辱と判断する」
「わかったわかった。とりあえず仕事は引き受けるから案内し    
 てくれ」
「はいっ!」
 かしこまっていた少女だったが、アンリの言葉に快活な笑顔    
と共に頷いた。
 古くさいワンピースに身を包み、古い名前を持つ少女だった    
が、勇敢な青年の心を動かすのには十分魅力的だった。
 まあ、いいか。どうせ暇だし、ちょっくら片づけてから紹介    
状を書いてもらうのも悪くないか。
 そんな事すら考え始めているのだった。