猫をめぐる冒険                  
                              
 ジェロ大陸南部「大半島」東側の一角にある町・ミラン    
は特異な形態をしていることで有名である。
 海と山に挟まれたわずかな平野部に、坂の多い町並みが    
帯のように広がっているのは他の町と同じであるものの、    
温南洋に面した海には無数の船が集まってできた海上都市    
が広がり、山側には著名な光輪石の産地ということもあっ    
て、鉱山都市が展開しているからである。   
 いわば三つの町が一つになっているかのような不思議な    
構造をしているのであるが、そんな町の片隅に。        
 「よろず捜し物承ります」というつたない手書きの看板    
が掛けられた小さな家があった。
                              
 「指物屋通り」という名前のある小さな石畳の通りを歩    
きながら、シュン=トラバースは悩んでいた。
 正義闘神・ヴァルネスの聖紋入りのレザーアーマーを身    
にまとい、背中にはマント、腰にはブロードソードを下げ    
た少年神官戦士である。
 小柄な体にふさわしい童顔からすると、まだ見習中とい    
う感じだった。
 まいったな……。テラリルさんも出払ってるとなると、    
この街の「捜し物屋」はみんな依頼を受けてるってことだ    
よな。夕方までに探さないと大変なことになるっていうの    
に、まいったな……。
 よく目立つチェリーブロンドの髪をかき上げながら、シ    
ュンは苛立ちを隠せないまま思った。
 でも、言いにくいよな。神殿長様の部屋の掃除をしてい    
たら、飼っていた猫が暴れたんで窓の外に放り出したら、
そのまま逃げてしまったんで探してくれなんて。これでも    
ヴァルネス様にお仕えする身なのに……。           
 さいわい、神殿長は外出中だったのでばれてはいないも    
のの、可愛がっていた猫がいなくなった原因を知ったら雷    
が落ちるのは確実だった。
 ほかに捜し物屋なんていないよな……。全部当たって駄    
目だったんだし。今更一人で探してもなあ……。心の中で    
ぶつぶつ言いながら、あてもなく歩き続けていた時のこと    
だった。                          
 海風に揺れる一枚の看板が目に入った。
 ……!?<よろず捜し物承ります>……?こんなところに捜    
し物屋なんていたかな?まあいいや。もしいれば……!
 希望を失ってやけになりかかっていたこともあって、た    
めらうことなく看板の手前にある扉を開けたシュンだった    
が、声を出すよりも早く。
 驚きのあまり、言葉すらも忘れてしまった。
 にっこりと、かわいらしく笑って「客」を迎えてくれた    
のは、自分よりも年下にしか見えないローブ姿の少女だっ    
たからである。
「いらっしゃいませ。何かお捜しですか?」
 暇つぶしにしていた編み物をテーブルにおいて、セリ=    
サゲイドは愛嬌たっぷりに言った。
「え?えっとその……。ここ、捜し物屋だよな?お母さん    
 かお父さんはいる?」
「捜し物ならわたしが承りますけど?こう見えても、ミラ    
 ンのマジックギルドに所属している「魔法使い」ですか    
 ら……。まずは座ってください」
 そう言って、セリは立ち上がった。
 小柄なシュンよりもさらに小さな女の子である。
 あまりに予想外な展開に、さすがの少年神官戦士も驚き    
を表に出してしまっていたが、とりあえず向かい合わせに    
腰かける。
 少女はお茶の準備をしていたが、部屋の隅に魔法の発動    
体であるメイジスタッフがあるところをみると、少なくと    
も身分に偽りはないようだった。
「ところで、なにをお捜しですか?みたところ、ヴァルネ    
 ス神殿の方のようですけど……」
 入れたばかりの龍茶をそっとテーブルにおいて、セリは    
漆黒の瞳をくりっとさせてきいた。
「えっとその……。とにかく、神殿長様が飼っていた猫を    
 探して欲しいんだ。掃除していて、いなくなっちゃった    
 から……。しかも、夕方までに探さないと神殿長様帰っ    
 てきちゃうから急いでいるんだ」
「猫、ですか?どんな猫ですか?手がかりになりそうなも    
 のとかはあります?猫を探すのは初めてなんで……」
「初めてって、よく迷子の飼い猫とか探さないのか?」
「実は……お客さんを迎えるのは初めてなんです。ギルド    
 で初歩の魔法を修めたのは三日前ですから」
 セリの偽りない言葉を聞くのと同時に。
 シュンはめまいを起こしそうになった。
 藁にもすがる思いだったが、本当に藁を掴んでしまった    
気分だった。
「お、おい……。本当に大丈夫なのかよ。だいいち、捜し    
 物屋っていうのはそれなりの魔法使いが副業でやるもん    
 なんだぜ。そりゃあ物捜しの魔法は初歩の初歩だってい    
 うのは知ってるけどさ」
「大丈夫……なはずです。呪文なら、本を見れば唱えられ    
 ますから」
 またも嘘のないセリの言葉と同時に、シュンは恥も外見    
もなくテーブルの上に突っ伏してしまった。
「お、お前本当にマジックギルドで修行したのか?そりゃ    
 オレだって見習いだから人のことは言えないけどさ。で    
 も……。お前に頼むしかないんだよな。よし、オレも手    
 伝うから夕方までに神殿長様の猫を探してくれ!」
 あまりに切実な言葉に、さすがのセリも一瞬、返事に困    
った。
 正直なところまだ魔法には自信がない。
 人の役に立つ為に、腕を磨く為にあえて捜し屋を開業し    
たのだから当然ではあるが、ここで断るわけにもいかなか    
った。
「わかりました。全力で、探してみます。……何か、手が    
 かりになりそうなものはありますか?」
「ああ。だったらこれ……その猫が使ってるご飯皿なんだ    
 けど、これで大丈夫かい?」
「ええ。いつも使っているものならば、何らかの思念が残    
 りますから。では、始めます」
 そう言って、壁に立てかけていたスタッフを手にしたセ    
リだったが、次の行動は見守るシュンを不安にさせるのに    
十分なものだった。
 魔法使いの少女は本棚からギルドで使っていた魔法の教    
科書を取り出すと、それを見ながら呪文を唱え始めたから    
である。                          
 本当に、大丈夫だよな−?
 一生懸命にやっているのはわかっているので、あえて口    
に出さないままシュンが考えた時のことだった。
「お捜しの猫の居場所がわかりました。神殿から南東の方    
 向にいるようです。すぐに行きましょう」
「え?きみも行くのかい?」
「近くに行けば、もっと確実に場所がわかります。そうす    
 れば、見つけやすくなるでしょう?」
 そう言って、スタッフを持ったセリはにっこり笑った。    
 無邪気な笑顔に、かすかに頬を赤くしたシュンだったが    
すぐにそれを振り切って、外へと飛び出したのだった。
                              
 セリの言う場所は、神殿からやや離れた住宅地の一角だ    
った。
 人通りも無く、潮風だけが静かに吹き抜けてゆく平和な    
地区だったが、シュンは後ろをふり返ると溜息をついた。    
 頼みの綱の小さな魔法使いは、猫用のご飯皿と魔法の教    
科書とスタッフを持ったままついて来ていたからである。
「あのな。人がないからいいけど、せめてご飯皿ぐらいは    
 隠せよな。あまり言いたくないけど」 
「え?これがないと猫の居所は分かりませんから。……す    
 ぐ近くにいるのは確かなんですけど」
「だから、そのローブの下にでも隠して欲しいんだ。本当    
 は魔法の教科書もな−。一つぐらい、本を見ないで唱え    
 られる呪文はないのか?」
「えっと−。ライトニング・アローぐらいなら−」
 あっさりと初歩の攻撃魔法の口にされて、シュンは石畳    
の出っ張りで転びそうになった。
 最初に習う魔法で一番難しいのは攻撃系のはずなのであ    
るが−。
「役に……立ちませんか?すぐ発動しますけど」
「そんなの町中でぶっ放したら大変なことになるだろ?そ    
 れより、猫はどこら辺にいる?」
「え?目の前にいる猫、違いますか?」
 いまさら気づいたようなセリの言葉に、正面を見たシュ    
ンだったが、すぐ目の前に神殿長の愛猫がいるのに気づい    
て驚いた。                         
 一瞬目が合ったものの、窓から放り投げられた事を根に    
持っているのか、すぐに踵を返して走り始める。
「な、なんで言わないんだ!?大事なことなのに!」
 慌ててマントを翻して走り始めながら、シュンは叫ぶよ    
うに言った。
「それはその……。気づいてると思ってたので……」
「もうそれはいい!それより、あの猫を動きを止めるか、    
 オレの動きを速くするかする魔法はないのか!?
「はい。……ちょっと待ってください」
 突然、セリが立ち止まった。
 まだ手に持っていたご飯皿を道の上に置き、小わきにか    
かえていた教科書のページをめくり始める。
「ええっと、光を呼び出す呪文……じゃなくて、小さな火    
 をつける呪文……これも違うし。……あ、ありました。    
 相手の動きを遅くする呪文。えっと、まずは相手の目を    
 よく見つめて……あら?」
 ようやく顔を上げた時、セリの視野にいたのは猫でも少    
年でも無く、不思議そうな顔で魔女の卵を見つめる散歩中    
の老婆だけだった。
                              
 それと同じ頃。
 呪文をかけられた時と同じぐらいの速さで坂を駆け降り    
ながら、シュンは激しい後悔に襲われていた。
 確かに彼女を頼りにするしかなかった。
 とはいえ、あそこまで「ひどい」とは思わなかった。
 オレの信仰が足りないのかな−?ヴァルネス様、今度か    
らもう少しちゃんとお祈りしますから今度ばかりは助けて    
ください−!
 自分の信じる神が正義ある戦いを司る神様であって、韋    
駄天の神様ではないことも忘れていたシュンだったが、目    
の前の猫が不意に横に曲がったので、慌てて続いた。
 そのままさらに加速しようとしたのだが−。
 両足が、空を切った。
 足元が道路ではなく急な下り階段である事に気づいた時    
にはすでに遅く、シュンの小柄な体はそのまま転がり落ち    
て、突き当たりの扉を大きな音と共に破って、ようやく止    
まる。
「おや、婆さん珍しいのう。そんな派手に扉を開けて帰っ    
 てくるとは−」
 あまりの痛みに、床に転がったまま呻いていたシュンだ    
ったが、この家の主らしい老人の声に、今度は精神的に痛    
みを感じる羽目になった。
「ふうむ。猫を連れて帰って来たのか。ならば無理ないの    
 う。おっと、窓から逃げてしまった。惜しいのう。婆さ    
 んは話し相手になってくれんし、ワシは寂しくてかなわ    
 ん。昔はこれでも−」
「神官さーん。いませんか−?この辺りで猫の気配を感じ    
 たんですけど−」
「おお、婆さん声まで若返ったか。ええ声じゃのう。昔の    
 声そのままじゃ。若いというのはええものじゃ」
「あ、神官さん。どうしたんですか、こんな所で?寝てた    
 ら猫なんて探せませんよ。え?何か言いました?<若い    
 からって、いいとは限らない>神官さんって、さすがに    
 哲学的なんですね」 
「哲学、あれもいいものじゃ。ワシみたいな年寄りが言う    
 と、みんなそれらしく聞こえるからな。<少年の心、少    
 女は知らず>という感じじゃな。うむうむ」
                              
「あの−、神官さん?怒ってませんか?」
「怒ってなんかいるかよ。ただ、いじけてるだけだ。オレ    
 はなんでこんなに不幸なんだろうってさ」
「……。済みません。わたしのせいで……」
 町の一角にある小さな公園。
 そこに植えられた木の下で、シュンとセリは互いに顔を    
合わせないように座っていた。
「わたし、やっぱり無理なんでしょうか?魔法使いになる    
 なんて。小さい時からの夢だったんです。魔法使いにな    
 って、人の役に立つのは」
「セリは悪くないさ。ただ、オレは元々星の巡りが悪くて    
 さ。そもそも親の顔だって知らないんだ。赤ん坊の時に    
 名札と共に神殿の前に捨てられてたぐらいだしさ」
 投げやりなシュンの言葉に、意味もなく地面の草をいじ    
っていたセリの手が止まった。
 顔を伏せ気味にして、小さな声で言う。
「えっと、それは不幸かもしれませんけど……。今はどう    
 なんですか?わたしみたいな見習いに頼んで不幸……で    
 すよね?ギルドでの成績も下から数えた方が早かったぐ    
 らいですから……」
「いや、オレもただの見習いなんだ。セリは「神官さん」    
 なんて言ってくれるけど−。オレだって人のことは言え    
 ないんだ」
「でも、神官さんはいい人だと思います。わたしみたいな    
 見習いにちゃんと頼んでくれたんですから」
 他に頼る人間がいなかったからな。
 冷たく言いかけて、シュンはすぐに口をつぐんだ。
 それは<本心>ではない。
 セリを見て頼りないと思ったのは確かだった。   
 しかし、あの無邪気で温かい笑顔を見ていると、<彼女    
を信じてもいい>と思うようになったのも事実だった。     
「そう言ってくれると、こっちだって頼んだかいがあるっ    
 てものだな。……よし、そろそろ行こうぜ。早くしない    
 と夕方になってしまうからな。さっそく、頼むぜ」
「はい。まかせてください」
 シュンに続いて、セリも立ち上がった。
 そして、なんとか教科書を見ることなく呪文を唱えたの    
だった。
                              
 二人が次に向かったのは、海に近い地区だった。
 大半島を一周する街道が中央を貫く繁華街でもある。
「こんなところまで逃げてるのか−。思ったよりもとんで    
 もない距離を進んでるんだな」
 露天の並ぶ大通りを歩きながら、シュンは感心したよう    
な、あきれたような口調で言った。
「まあ、あんなに追いかけ回したんだから無理ないかもし    
 れないな。……それにしても、なんでここなんだ?」
「お魚が、一杯ありますね。もう海に近いんですね」
「魚−。そうか!おびき出せばいいんだ!よし、そうと決    
 まったらさっそく−。おじさん。この魚幾らだい?」
「その魚は−。猫は食べないと思います。小骨が多くて食    
 べにくいんです」
 さっそく目についた露店で品定めを始めたシュンだった    
が、意外な声と言葉にすぐにその方向を見た。
 スタッフを両手で握ったセリだった。
「へえ、詳しいんだな。猫飼ってたことあるのか?」
「いえ。わたし、元々海上都市の生まれで魚には詳しいん    
 です。猫が好きそうなのといえば、これですね」
「ほう、魔法使いの嬢ちゃん詳しいね。その通り。猫には    
 格好のごちそうだ。少しまけるからどうだね?」
 露店のおじさんが感心したように言うので、それを買っ    
たシュンだったが、内心ではすぐ横にいる少女の意外な一    
面を見つけたような気がして少し驚いていた。
「さすがに海生まれだけあって詳しいな。釣りとか、泳ぐ    
 のも得意なんだろ?」
 再び歩き始めながら、シュンは改めてきいた。
「ええ。釣りなら少し自信があるんです。神官さんは?」    
「オレは生まれが生まれだからそういうのはな−。それに    
 まったく泳げないんだ。恥ずかしい話。だから海上都市    
 の方には行ったこともないんだ」
「ふーん。だったら、今度教えましょうか?簡単な泳ぎ方    
 ぐらいならすぐに覚えられますし−」
 海と共に育ってきたこともあり、多少の自信を込めてセ    
リが言った時だった。
 目の前を、見覚えのある猫が走り抜けて行った。
「あっ、今の猫がそうです。早く捕まえないと……」
「わかってるって!待て!」
 セリのマイペースな性格に取り込まれていた事を後悔し    
ながら、シュンはまたも走り始めた。
 こういう時セリはあてにならない。
 自分でなんとかしなければ、とさえ思い込んでいたのだ    
が、なにぶん通行人の多い大通りである。 
 人の足の間を器用にすり抜けてゆく猫とは違って、何度    
も人にぶつかりながらも追いかけていったのだが−。
 ついには避けきれず、通行人の一人に正面からぶつかっ    
てしまった。
「痛っ−。ごめんなさい!」
「ごめんだと?それで済むのかよ?あんちゃんよ」
 とりあえず謝って、なおも追跡を続けようとしたシュン    
だったが、腕を強引に締め上げられるのと同時に。       
 頭上から降ってくるような野太い声を浴びせられて、全    
身が冷たくなった。
 相手は船乗りとおぼしき大男だったからである。
 たまたま虫の居所が悪かったのだろう。
 その顔は怒りで真っ赤になっていた。
「だ、だからごめんって言ってるじゃないですか−!そん    
 なに怒らなくたって」
「ふん。俺様はな、説教臭いから坊さんって奴が嫌いなん    
 だ。ついでいうとな、青臭いガキだって嫌いなんだ。そ    
 んなのにぶつかられたら俺様は決して許さないことにし    
 てるんだ。泣きわめいても許してやんねえからな」
 そう言って、大男は力を込めて腕を締め上げてくる。
 あまりの痛みに悲鳴を上げそうなったシュンだったが、    
見習いとはいえ誇り高き神官戦士なので、ぐっと歯を食い    
しばって堪える。
 周囲には人が集まりつつあったが、怒りに燃える大男を    
相手に回す度胸はないので、みな遠巻きに見つめるだけで    
ある。
 さすがに少年が我慢できずに、声を上げようとした、そ    
の時のことだった。
 突然、人だかりの間からごく小さな雷光が飛んできたか    
と思うと、大男の手の甲を直撃した。
 あまりの熱さと痛みに、船乗りは獣のような悲鳴を上げ    
て力を緩め、シュンはその間に一気に脱出する。
 後ろをふり返ることなく、それこそ息が切れるまで走り    
続けたが、追いかけて来る様子は無かった。
 助かった。あれがなければ気を失ったな。でも、一体誰    
が?まさか、セリが……。
「神官さーん!ま、待って下さい……!」
 ごく自然にそのような結論に至るのと同時に。
 聞き慣れた舌足らずな声が背後から追いついてきた。     
 チェリーブロンドの髪を揺らして振り向いて見ると、ロ    
ーブ姿の女の子が、転がるように走ってきた。
「セリ……l。おまえなのか?今の?」
「う、うん。ほとんどとっさに呪文唱えちゃったんです。    
 お師匠様からは万一の時以外には使うな、ときつく言わ    
 れてたんですけど……」
「いや。おかげで助かったぜ。見習いとはいえさすが、魔    
 法使いだな」
「そ、そんな大したことはないです……l。それより、本    
 当に大丈夫なんですか?」 
「ああ。まだ痛むけど、鍛えてるからこれぐらい平気だ。    
 それより、落ち着いたらまた探そうぜ。また見失ってし    
 まった……」
「そうですね。とにかく、まかせて下さい」
 にっこり笑って、セリはうなづいた。
 その笑顔に、シュンもつられるように笑みを浮かべたの    
だった。
                              
 少しずつ、夕方が近づきつつあった。
 大通りでの騒ぎの後も、雑踏の中に消えた猫を探し続け    
たシュンとセリだったが、その気配を追い続けている内に    
とうとう海上都市まで来ていた。
 元はといえば、自分の船を家代わりにしていた漁師など    
が自衛などの為に集団で生活するようになったのが始まり    
で、今では町の人口の三分の一が海の上に住んでいるとも    
言われていた。
「ややこしいところに逃げられたな。探せるのか?もう日    
 没も近いしさ」 
 茜色に染まり始めた空を見上げて、シュンは弱気になっ    
て言った。
 二人は今、遠浅の海の上に敷かれた板張りの「道路」の    
上を歩いていた。
「気配は確かにここにあります。それにわたしはこの町の    
 生まれですから近道とかもよく知っています。なんとか    
 なると思います」
「でも、今捕まえて神殿に戻ってもぎりぎりだな。神殿長    
 様は確か、町領事様のところに行かれたはずだから日没    
 過ぎたら戻ってきてきてしまうし……」
「まだあきらめない方がいいと思います。また、突然目の    
 前を横切る偶然があるかもしれませんし、神様を信じて    
 はどうですか?わたしはリ=ウ様の信者ですけど」
 突然、シュンが立ち止まった。
 俄に表情を崩して言う。
「まったく、セリの楽天主義には負けたよ。セリに言われ    
 るとなんとかなるような気がしてくるもんな。見習い神    
 官のオレよか人を救えそうだな」
「そんな−。わたしは当たりの前の事を言っただけです」    
「その<当たり前>が難しいんだ。それに、万一日没まで    
 に猫を見つけられなくて神殿長様に雷を落とされてもオ    
 レは後悔しない。とても面白い友達ができたからさ」
 今度はセリが立ち止まる番だった。
 漆黒の丸い瞳をぱちぱちさせて、ずっと行動を共にして    
きた少年神官の顔を見ている。
「というわけで、今後もなにかあったらよろしく頼むぜ。    
 オレも協力するからさ」
「……。はい!」
 ようやくシュンの言おうとしている事を飲み込んで、魔    
法使いの少女は大きくうなづいた。
 この少年とならばまたわくわくするような<冒険>がで    
きるかもしれない。
 そんな期待がこみ上げてきた時だった。
 心の中でくすぶっていた猫の<気配>が突然大きくなっ    
たかと思うと、板張りの道のやや先にまたも猫が飛び下り    
てきた。
「神官さん!」
「わかってる!最後の機会だ!逃すものか!」
 言うよりも早く、シュンは走り出していた。
 とはいえ、海の上に作られた人工の道はかなり不安定で    
すぐに足をとられて転びそうになる。
「真ん中を走るようにしてください!隅はぐらぐらしてま    
 すから!」
 的確なセリの助言を背中に受けながら、シュンはひたす    
ら目の前の猫を追いかけた。
 捕まえてしまえばこの<冒険>も終わりになるとわかっ    
ていたが、だからといって逃がしたままにするわけにもい    
かなかった。
 十字路まできて、猫は右に曲がった。            
 一瞬、階段から落ちた時のことを思い出しながらそれに    
続いた少年だったが、その道が行き止まりになっているの    
に気づいて、心が冷たくなった。
 海上都市の行き止まりの先には海しかない。
 ヴァルネス様、一度だけお力を……!
 こうなると、後先を考えている余裕はなかった。
 口に出さずに自分の信仰する神の名前を唱えると、最後    
の力を振り絞って足を速めたからである。
 猫は追い詰められているせいか、横に住居代わりの船が    
あるのにも係わらず、海に向かって逃げ続ける。
 ついに足元の道が無くなった時だった。
 たまりかねて、猫は海に向かって飛んだ。
 すぐに<自分>がとんでもないことをしたのに気づいた    
が、四本の足は虚しく空を切るだけである。
 そのまま海の中へと落ちてゆくかに思われた、その瞬間    
だった。
 道の切れ目で思いきり足元の板を蹴ったシュンが、空中    
でその体を捕まえたかと思うと、後ろに来ていたセリに投    
げ渡したからである。
 ほとんどとっさという事もあり、魔法使いの少女はスタ    
ッフを落としたが、しっかりとそれを捕まえて、その場に    
しりもちをつく。
 勢い余ったシュンが派手な水しぶきと共に、海の中へと    
落ちてゆくのと同時だった。
                              
「それにしてもよかったですね。海が浅くて。あんなに大    
 騒ぎするんで溺れるかと思いました−」
 なんとか自力で板張り道路まではい上がってきたシュン    
を見て、セリはあけすけに感想を述べた。
 その腕の中では今回の<冒険>をきっかけを作った猫が    
少女になつくように顔をすり寄せている。
「まったく、立ったらひざ下までしかないんだからな。で    
 も、本当に助かったぜ。色々な意味で。セリがいなかっ    
 たら今頃オレもこの猫もどうなってたか……」        
「とにかく、捜し物が見つかってよかったですね。わたし    
 も初仕事でとんでもない事ばかりして……」
「いや。大変だったけど、楽しかったぜ。本当に。よし、    
 神殿に戻るか。悪いけど、付き合ってもらえないか。そ    
 の猫、セリになついてるみたいだしさ。また逃げられた    
 らしゃれにならないし」
「はい。……また、こんな冒険ができたらいいですね」
「ああ。ヴァルネス様にお願いしてみるからその時はよろ    
 しく頼むぜ」
 笑いながらのシュンの言葉に、セリはいつもの無邪気な    
笑顔を返すと、肩を並べて歩き始める。
 広大な夕日が、小さな冒険の終わりを告げるように海に    
沈もうとしていた。
                  <FIN>