この二つに分けられた世界で

                                

 遠くではまだ、城壁への攻撃が続いているようだった。

 投石機から放たれる石の弾丸が、頑強に作られた壁を破壊す    

る度に響き渡る音が、アレン・マーティンの耳にも届いた。

 灰白色の空に太陽は見えず、ぼんやりとした光だけが、攻城    

戦の最終段階に差しかかりつつあるケルベロス城の全体を浮か    

び上がらせていた。

 城内に残っていた兵士たちはあらかた降伏し、抵抗している    

のは自己満足の為に戦っている連中だけだったので、アレンの    

周りに敵兵の姿は無かった。

「決着は自分でつけろ、という事か」

 低いながらもよく通る声でつぶやくと、右手に抜き身の剣を    

持ったまま、ケルベロス城攻撃隊指揮官を務める少年騎士は瓦    

礫を踏みつけながら歩き始める。

 自分の周囲に味方もいない以上、その意図は露骨過ぎる程に    

明確だった。

「ま、無理もないか。反乱を起こしたお嬢様伯爵を討伐する檄    

 を飛ばしたのは俺だからな。というより、俺しかいなかった    

 というべきか」

 <彼女>と戦うのはこれで何度目だろうか?

 今回はオーソドックスなファンタジー世界物……今、世界で    

一番人気があると宣伝している仮想現実型MMO「ベテルギウ    

ス・ファンタジー」での戦いだった。

 しかし、ハンドルネーム「アレン・マーティン」は他のゲー    

ムでもハンドルネーム「お嬢様伯爵」と戦っていた。

 宇宙空間を舞台とした艦隊戦もあったし、対戦型シューティ    

ングゲームでも、ネットワーク上の格闘ゲームでも戦ったこと    

があった。

「なぜか俺の行く先に現れるんだよな。しかも、正体はまった    

 く不明。ま、当たり前だけどさ。分かっているのはハンドル    

 ネームだけだし、今の姿だってアバターに過ぎないしさ」

 ぶつぶつ言いながら、仮想空間上に作られたケルベロス城内    

を歩いていく。

 気がつくと投石機による攻撃も小康状態になっており、どう    

やら戦いも終わりに近づきつつあるようだった。

「後は首謀者のお嬢様伯爵を捕らえるだけ。さてと、今度は何    

 を言われるのやら」

 内心の本音が口をついた時だった。

 一瞬、日が翳ったような気がした。

 反射的に頭上を見たものの、その時には小柄で漆黒のワンピ    

ース姿の少女はアレンの目の前に着地していた。

 その手には抜き身の長剣が握られていたが、その青い瞳には    

ただの分身にも関わらず、強い感情が浮かんでいた。        

「よ、久しぶり。さあ、今日も一戦やるか?」

「ここまで簡単に反乱を潰しておいてよく言うわね! こっち    

 は苦労して人を集めたのに……!」

 最初に叩きつけられたのは、怒りと困惑、多少の嫉妬が混じ    

った複雑な感情だった。

「あたしが呼びかけてもみーんなあんたの所に行っちゃうんだ    

 から! 物好きばかり集めるのは大変だったのよ!」

「人徳の差だな。俺なんかちょっと呼びかけただけで部隊を編    

 成できたぜ。多過ぎで一部を断ったぐらいだ」

「気に入らないわね……その態度! さぞかし現実世界でも大    

 活躍なのかしら?」

「ああ。お蔭様で。俺の経営している会社は好調だぜ」

 剣を肩にかけて、アレンは平然と嘘を言った。

 どうせ本当の事なんか分かるわけがない。

 せめて、仮想現実では人望厚い少年騎士でいたいと思っても    

誰も笑ったりしない。

「あんたのやっている会社がどうしても分からないのよね。こ    

 こまで鮮やかな手並みをしてるなら分かるはずなのに」

「ほう、お嬢様伯爵は上流階級の出身か。いい事を知ったぜ」    

「馬鹿。そんなはずないじゃない。一般庶民よ。覚悟!」

 言い切って、お嬢様伯爵は手にしていた剣を構えて正面から    

突っ込んできた。

 アレンもまた、俊敏な動作で迎撃の準備に入ったのだった。    

                                

 物語の終了を告げるアナウンスを全て聞くよりも早く、藤堂    

ジュンはバーチャルリアリティ(VR)ヘッドギアを外した。    

 ケルベロス城の景色は脳裏に消え去り、代わりに目に飛び込    

んできたのは約四畳半の長方形の部屋だった。

 部屋の隅には布団が無造作にまとめられ、タンスが無いので    

衣服は全て部屋を渡したロープに吊るされている。

 後は色々な用途に使うテーブルとVRヘッドギアが、ジュン    

の持ち物の全てだった。

 これが二十一世紀も後半になってからの部屋だって言ったっ    

て昔の人間は信じないだろうな。なーんにも変わってないんだ    

ぜ。二十一世紀の最初から。

 技術の進化は止まったわけではなかった。

 かつて現実世界やネットで行われた事は全て仮想空間上に移    

り、用事はVRヘッドギアを使って済ませる事も多くなった。    

 車は今や全て電気自動車に代わり、そのエネルギー源である    

電気も宇宙太陽光発電やようやく実用化した核融合発電などに    

よって供給されるようになっていた。

 しかし、それでも貧しい青年の住む場所の広さは遠い昔から    

まったく変わっていなかった。

 いや、むしろ悪くなってるらしいな。どうやら昔はもう少し    

広い部屋には住めたらしいからな。それが今では……。

 壁に寄りかかったまま、とりとめなく考えていた時だった。    

 粗末な作りのドアがノックされたかと思うと、長髪の青年が    

顔だけを覗かせた。

「おい、そろそろ仕事行くぞ。楽しい楽しい仕事だ」

「ああ。わかってる。行くしかないから」

「仕事するか、メシ食うか、寝るか、VRするしかないないん    

 だぜ。オレたちには」

 長髪の青年……タオは大げさに肩をすくめただけだった。

 一時、人間の会話からボディランゲージは失われかけたのだ    

が、猛烈な復古運動が起こった結果、感情を体の動きで表現す    

るのは当たり前に戻っていた。

 隣の部屋に住む中国系日本人の友人に、ジュンもまた大きな    

溜息で応じてみせると、のろのろと部屋の外に出た。

 狭い廊下の両側には、下層で暮らす住民たちの<家>がずら    

りと並んでいた。

 色彩は白系統で統一されているので、不潔という言葉からは    

程遠かったが、その奥に多くの命が息づいているとはやはり思    

えなかった。

「ところで、ゲームはどうだったんだ?」

 出入り口に向かって歩きながら、タオが聞いてくる。

「もちろん、俺が勝ったぜ。お嬢様伯爵はあえなく敗北して、    

 そのまま自決してしまったぜ」

「また自決かよ。好きだよな」

「しかも見せつけるように死ぬんだぜ。ありゃ絶対、俺たちの    

 同類だな」

「ネカマか、もしかすると?」

「違うな。証明書付きの若い女性だ。俺より三〜四歳下だな」    

 タオは下手な口笛を吹いただけだった。

 相手を称賛しているのか、そんな相手に何度も絡みつかれる    

自分を小馬鹿にしているのか分からないまま、低所得者向の集    

合住宅を出る。

 途端に生暖かい外気と雨が肌にあたり、ジュンは思わず舌打    

ちする。

 二十一世紀後半の東京は、大幅な気候の変化から高温多雨と    

なっており、この日も例外ではなかった。

「こんな日に外で働くなんてついてないよな。しかも夜勤だか    

 らな。朝までの」

「これしか仕事を見つけられなかったんだ。文句を言うな」

「仕事があるだけマシか」

 自虐的につぶやくと、ジュンは傘も差さずに歩き始める。

 時刻は午後九時。

 狭い路地の間に見える夜空は昔よりも激しい地上の光を反射    

して、薄灰色の雨雲をくっきりと浮かび上がらせていた。

「しかし、酷い道だな。水たまりだらけだ」

「最近はどこもこうらしいな。修復する予算も無くて、高規格    

 道路以外は放置しているらしい。ここが最後に舗装されたの    

 はもう八十年も前だな」

「新宿通りも穴が空いていたぜ。あの道は高規格道路じゃない    

 のか?」

「違うらしいな。高規格か否か決めるのは、あそこに住んでい    

 る連中だからな」

 憎々しげに言い切って、タオは濡れた長髪を揺らしながら、    

顔を路地の先へと向けた。

 雨のスクリーンの奥に浮かんでいるのは、新宿再開発地区に    

建ち並ぶ超高層ビルの群れだった。

 住民の数はせいぜい数千人だったが、彼らだけで日本全体の    

富の九十八パーセントを独占していると言われていた。

「今では世界中どこに行っても似たような景色が展開してるら    

 しいぜ。金持ちは全てを独占して高層ビルに住んで、残りは    

 全員地上に暮らしているって話しだ」

「らしいな。でも、俺には関係ない話だ。どうやっても変える    

 のは不可能だからな」

「かつては選挙で全てを変えられたそうだが、今では無理だ。    

 あいつらが全部法律を作ってるからな」

 言葉は途切れ、二人の青年はぬかるみと水たまりだらけの粗    

末な道を歩き続けた。

 この先にある新宿大気循環管理センターで、ロボットが修理    

した後を点検して回るのが二人の仕事だった。

 何の為に、誰の為に働いているのか、依然として分からない    

ままだったが、それはどうでもいい事だった。

 一カ月後ごとに銀行口座の残高が、わずかに増える事にしか    

意味を感じていなかったからだった。