第9話−6 最後の戦い
                                
 自分に向かって飛んでくる死の使者を、薫は呆然と見つめる    
しかなかった。
 黒羽と戦って負けたと同じだった。あの時も身体の自由を奪    
われ、牙を首筋に突き立てられたのだった。
 今度もきっとそうなるのだろう。
 緩慢に流れる時間の中で、遺言のように考えていた……その    
時だった。
 突如として目の前に現れた黒い影が、ナイフを受け止めた。    
「えっ……」
「ぼんやりしてないで。戦えるなら反撃しなさい!」
 ふわりと揺れる長い漆黒の髪。
 細身ながらも均整の取れた後ろ姿。
 そして、すっかり聞きなれた、有無を言わせない命令口調。    
 箱庭の中に落とされてからずっと動かなかった黒羽その人だ    
った。
「ご無事、だったんですか……?」
「そんなはずないじゃない。説明は後! 吸血鬼ハンターなら    
 ば目の前の吸血鬼を狩りなさいっ!」
 何が起きたのか理解できなかったが、薫は慌てて刀を構える    
と、巨大化しているのも構わずジャンプした。すぐに、沙耶が    
動揺して棒立ちになっていることに気づく。
 いける!
 迷いは無かった。
 跳躍した勢いを生かし、吸血鬼ハンターでもある少女は真上    
から沙耶へと斬りかかる。先祖伝来の刀ならば、一撃で倒せる    
はずだったが……。
 渾身の一撃は空を切り、その場にあった建物を盛大に吹き飛    
ばしただけだった。
「しまっ……」
 吸血鬼お得意の幻影であることに気づいた時には遅かった。    
 少し離れた場所にいた沙耶のナイフが数本飛んできたからだ    
った。風切り音で軌道を判断し、何とか回避したものの、最大    
のチャンスは最早失われていた。
「まさか黒羽が死んだふりをするなんて思わなかったわね。プ    
 ライドの塊だからそんなことはしないと思ったのに」
 新たなナイフを構えながら、沙耶が笑って言い切る。
「でもこの手が使えるのは一度だけ。もう奇襲は成立しないわ    
 よ〜。どうやって始末してあげようかしら?」
 目だけを動かして、薫は黒羽の様子を確かめた。プライドの    
なせる技なのか両足で立っていたものの、顔色は悪く倒れる寸    
前だった。
 長くはもたないのは明らかだった。
 ……わたしも駄目。体力が続かない。さっきの一撃で無駄に    
してしまったから……。
「……戦いなさい」
 不意に、耳にわずかな声が届いた。主人である黒羽の声だっ    
た。
「その程度でくじけたら絶対に許さない。この私の従者なんだ    
 から最後まで諦めないで」
「黒羽様……」
「状況は悪くないじゃない。箱庭の中にいるんだから。何度も    
 戦ってきたじゃない。箱庭世界の巨大少女剣士として。ここ    
 は貴方が一番力を発揮できる舞台のはずよ」
 弱々しい声による指摘に、薫は弾かれたように周囲を見回し    
た。戦いによってかなり破壊されたものの、まだ原形を留める    
街並みが目に入ってくる。
 慣れている自分ならばとにかく、一度しか経験のない沙耶に    
は戦いにくい場所……。
「といっても、全て作り物の世界だけど。何をしても平気だか    
 ら大暴れしてきなさい。……。一部作り物じゃない部分もあ    
 るけど」
 一瞬、黒羽の言葉の意味が分からず、薫は目線だけで問い返    
した。しかし、主人の少女は突き放すように言い切る。
「行きなさい。妹のことは心配しないで。烏丸黒羽の名に懸け    
 て私が守るわ」
 最後の言葉を聞いた瞬間、なぜか薫は身体が軽くなったよう    
な気がした。激しい痛みが後退し、全身に力が漲る。
 主人……黒羽が背後にいると思えば、怖いものはなかった。    
 沙耶を牽制するように刀を構え直す。新たな動きに気づいた    
のか、黒幕の少女吸血鬼も身構えたが、薫の動きは予想外のも    
のだった。
 口元に笑みを浮かべたかと思うと、いきなりまだ破壊されて    
いない地区へと動いたからだった。降り積もった新雪を蹴散ら    
すかのように建物が無造作に破壊されていき、次々に瓦礫へと    
変わっていく。
「とうとう自棄になったのかしらね〜。私を倒さないとここか    
 らは出られないのに」
 視線だけで黒羽が動かないように牽制しながら、沙耶もまた    
後を追いかけてくる。しかし、足元の建物が邪魔なのかその足    
取りは少し鈍い。
「巨大化するのは面白いけど、壊すのは楽じゃないわね〜。足    
 にも絡んでくるし」
 面倒くさげに電線を足先で薙ぎ払い、電柱を倒す。踏み潰す    
と派手に火花が散って火災が発生したが、気になって仕方がな    
かった。
 そんな沙耶を牽制しながらも、薫もまた破壊行為を続けてい    
た。妹手製の吸血鬼ハンターとしての衣装に身を包んだまま、    
立ち塞がる建物を次々に壊しては瓦礫に変えていく。
 いつの間にか、中心部付近は薫によって破壊され、ただの瓦    
礫となっていたが、それでも足りないのか今度は工業地帯へと    
向かっていく。
 道路上の車などはブーツによって蹴散らされ、スクラップと    
化す。マンションはついでとばかりに刀で両断され、住宅に至    
っては無造作にまとめて破壊されていく。
 はたから見ていると、破壊行為を楽しんでいるようにしか見    
えなかった。
「やっぱり自棄になったのね。箱庭の中の建物を全部破壊する    
 と何か仕掛けがあるのかしら? ……そんなはずないわね」    
 沙耶の心の中から、少しずつ警戒心が消えていく。自分が完    
全に「アウェー」の舞台にいることすらも忘れて、ひたすら薫    
を追いかけていく。
「黒羽も簡単には助けられないし、自分から不利になるように    
 仕向けてるようにしか見えないわね。好都合好都合♪」
 唯一気になったのは薫の瞳にまだ、抵抗する意志が感じられ    
た点だったが、強がりと判断して無視する。
 先を行く薫がついに工業地帯を破壊し始めた。足元の建物を    
蹴り上げては爆発を起こし、黒煙を噴き上げる。派手な火災が    
発生して視野を紅色に染めたが、架空世界の中なので当然熱く    
はなかった。
「こうやって動揺させるつもりかしら? だったら無理ね。前    
 にも戦ってるんだから」
 薫がわずかに動揺したような顔を見せたので、沙耶は勝利を    
確信した。大方、派手な爆発が発生しやすい工業地帯に引き込    
んで乱戦に持ち込むつものだったのだろうが、その程度で負け    
たりはしなかった。
 ひときわ大きな工場の中央部付近で、薫が立ち止まった。沙    
耶と正面から向かい合って構える。
「ここで決着をつけるつもりね。周囲には爆発しやすい施設が    
 いっぱいじゃない。ここなら勝てると思ったの?」
 吸血鬼ハンターの少女は何も言わない。強がってはいるもの    
の体力も限界に近いのだろう。この一撃をかわせば決着がつく    
と判断し、沙耶も工場の建物を壊しながらナイフを構える。
「正面から挑んでくるなんていい度胸ね。その覚悟に免じて、    
 一撃で葬ってあげる。すぐに玲の元に逝かせてあげる♪」
 その言葉が引き金となった。
 裂帛の気合を込めて、薫が踏み込んできた。足元の建物はめ    
ちゃめちゃに破壊され、またもや爆発が発生する。派手な火柱    
が吹き上がり、巨大化した少女たちの戦場となった工場は地獄    
絵図と化す。
 それでも、沙耶はナイフだけで振り下ろされた刀を受け止め    
てみせた。
「このナイフは特製品よ〜。下手な刀より強力な武器なの。貴    
 方に勝てるわけないわ」
 一瞬だけ瞳に紅い光を宿らせて、沙耶は薫の刀を押し返す。    
あまりの圧力に巨大化した少女は無傷の建物を巻き込みながら    
後退する。さらに爆発が発生し、黒煙が視野を塞ぐ。
「この程度では混乱しないわ〜。貴方の方が不利じゃないの?    
 何も見えないんだから」
 気配だけで薫の動きを完全に掴みながら、沙耶は嗤った。
 爆発も炎上も連鎖を繰り返し、止まる様子を見せなかったが    
所詮は「作り物」なのでまったく怖くなかった。それよりも、    
薫の愚かさがおかしかった。
「さあ、どうするのかしら? どこから仕掛けてきても分かる    
 わよ〜。貴方の攻撃なんて大したことは……」
 突然。
 ワンピースのスカートの裾が燃え始めた。ほとんど反射的に    
手で払ってすぐに消したものの、残った焦げ跡は「作り物」で    
はなく現実だった。
「どういうこと……? まさか……」
 巨大化して工場を破壊しながら戦っていることもあり、周囲    
には炎と黒煙に満ちていた。<箱庭>の中にいるので全て架空    
だと思っていたが、もし<本物>が混じっていたら……。
 再び、スカートの裾に火が点いた。払えば消える程度の弱々    
しい炎だったが、「本物」ならば話は別だった。
 このままではいずれ、炎に焼き殺されてしまう。
「まさか……これが作戦……」
 今まで経験したことが程の恐怖に心が揺さぶられ、沙耶を小    
心で臆病な少女に引きずり戻す。とっさに、従者の少年の名前    
を呼ぼうとしたが、自分で「始末」したことを思い出し、絶望    
がさらに深まる。
 その瞬間を、薫は見逃さなかった。
 最後の力を振り絞って瓦礫を蹴ると、架空の炎と黒煙の奥か    
ら沙耶の心臓目掛けて刀を突き立てたからだった。
「そんな……はず……ないのに……」
 無実の人間を大勢殺してきた少女吸血鬼の最期の言葉は、戸    
惑いだけで構成されていた。
 それでも薫は、敵の背中まで貫通した刀を引き抜くと、無表    
情のまま構えを解き……その場に崩れ落ちる。
 命を失った沙耶の身体が塵となって作り物の世界へと散らば    
っていくのを見ることはできなかった。