第9話−(3)強襲
                                
 不安を心の中で膨らせながら、薫は屋敷へと戻った。
 主人の黒羽の体調はまだ万全ではない。
 こんな時に沙耶に狙われたりしたら……。
「そんな……」
 予感は最悪の形で的中した。ついさっきまでは何ともなかっ    
た瀟洒な屋敷は、一部だけを残して崩壊していたからである。    
巨大化して架空世界の中で暴れる時には幾らでも見る瓦礫を、    
現実世界で見せられて、少女は酷く動揺する。
「済みません、入れてください! この屋敷の人間です!」
 通報を受けて駆けつけた警察官たちが非常線を張りつつあっ    
たが、半ば強引に通り抜けて何とか敷地内に入る。
 その先にあったのは無残な姿を晒す屋敷だけだった。
「黒羽様! 無事ですか!? 黒羽様!」
 原形を留める塀の向こう側にも聞こえそうな程の大声で、薫    
は叫んだ。こんな時に外に出てしまった自分の愚かさを悔みつ    
つ、主人の姿を探し続ける。もし黒羽に何かあったら……。
「黒羽様! 黒羽様!」
「どこに行ってたのよ、この非常時に」
 極限まで高まっていた不安と焦燥は、棘だらけの言葉で一瞬    
の内に吹き飛んだ。漆黒の髪をふわりと揺らし、不機嫌極まり    
ない表情と共に黒羽が瓦礫の影から姿を現したからである。
「黒羽様! ご無事だったんですね! よかった……」
「全然よくないわ。せっかくの屋敷を全部壊されたんだから。    
 沙耶の仕業でしょう?」
「間違いありません。宣戦布告だと、玲が言ってました」
「いかにもやりそうな手ね。この程度で私を倒せると思ったの    
 かしら?」
「あの、お身体は……」
「お陰様で全然よくないわ。さっきは半分ロッテが守ってく     
 れたようなものだから」
「対策が甘かったのは認めるわ。でも私がいなかったら犠牲者    
 が出ていたわよ。今の黒羽は半分も力を発揮できないんだか    
 ら」
 異郷の吸血鬼・ロッテも瓦礫をどかしながら姿を見せる。黒    
羽同様、埃一つ無いその姿を見て、薫は屋敷にいた全員の無事    
を確信する。
「ロッテ様……。ありがとうございます!」
「礼は後。それより、これからどうするの? いきなりこんな    
 に派手な騒ぎを起こしたら動けないじゃない」
「表向きは寺尾に任せておくわ。それより、問題は沙耶の動き    
 ね。この程度で済むわけないじゃない」
「異世界(うち)に来る?」
「セブンシスターズが逃げるわけいかないじゃない。それより    
 立ち話は嫌だからあそこに座らない?」
 苛立った様子で黒羽が指さしたのは、西洋の庭園の片隅に設    
置された屋外用の白いテーブルと椅子だった。周囲の状況との    
ギャップに薫は内心げんなりしたが、主人とその友人が言葉通    
りに行動したので仕方なく従う。
「言ってなかったけど、屋敷内の人間は全員無傷だから安心し    
 て。寺尾は警察とかの相手をしてるけど、春奈たちは……避    
 難させた方がいいわね」
「手配してるから安心して。もう少ししたらユラが迎えに来る    
 手はずになってるわ。事が済むまで私の屋敷で保護するわ」    
 ため息交じりの黒羽の言葉に、すかさずロッテが答える。
「それより問題は沙耶ね。こんな派手なことをして勝算がある    
 と思う?」
 一瞬だけ、黒羽は何かを言い淀んだように思えた。しかし、    
ロッテの視線に促されるように続ける。
「沙耶一人だったら大したことないけど……。背後にはセブン    
 シスターズの誰かがいるわね」
「え? まさか……」
「まさかって……考えてなかったの?」
「お互い睨み合ってるから手を出せないと思ってました。……    
 違うんですか?」
「私もそう思ってたわ。でも、沙耶がどうしてここまで強気に    
 出てくるのか考えたら、セブンシスターズの誰かが糸を引い    
 ていると考えるのが自然じゃない」
 溜息交じりの黒羽の言葉に、ロッテもスノウも無言のまま同    
意した。実力者たちの間では既に規定事項になっているようだ    
った。
「迂闊だったわね。しかもこっちは誰が糸を引いているのかす    
 ら分からないんだから。ま、すぐに寺尾に調べさせるけど」    
「時間がかかるわ。私にも手伝わせて」
「ロッテはこっちの世界につては無いじゃない」
「でも何もしないわけには……」
<ロッテ様! 緊急事態です!>
 突然、異世界にいるはずの少女の叫び声が響き渡った。
 声だけ時空を超えて伝えていることに気づくよりも早くロッ    
テが反応する。
「ユラ!? 何があったの!?
<ダーナ配下のサイクロプス軍団がこちらに向かっています!    
 後続も来ています! 今すぐお戻りください!>
 異郷の少女吸血鬼の顔色が変わった。薫が初めて見る怒りと    
困惑に満ちた表情だった。
「スノウ……」
「戻らないと駄目ね。私も含めて。どちらか一人だけではダー    
 ナ軍の相手は出来ないわ」
「でもこのままでは黒羽が……」
「白塔館がどうなってもいいなら止めたりしないわ。戻ったら    
 屋敷が無くなっていても知らないわよ」
「スノウだけ戻って。私もこっちを片付けたらすぐに行く。そ    
 の間だけでももたせて」
「幾ら私でも出来ないことがあるわ。その一つがダーナ軍相手    
 にロッテ抜きで戦うこと。それ程の相手なのよ」
「どうなってるのよ一体!」
 ついにロッテの怒りが爆発した。椅子を蹴倒しながら立ち上    
がると、天すらも砕きかねない程の声で叫ぶ。
「黒羽が襲われたと思ったらこっちにも襲撃!? 全部仕組まれ    
 てたみたいじゃない! まさかセブンシスターズはこっちの    
 世界にも手を出したってこと!?
「その可能性は無きにしも非ず、ね。私たちと黒羽の同盟関係    
 は公然の秘密だったから。もしかするとダーナから接触した    
 のかもしれないわね」
 黒羽は何も言わずに呆然としていた。薫も言葉の意味を整理    
しきれず、口を挟めないでいた。
 このままでは、本調子ではない黒羽と自分だけで沙耶と戦わ    
なければならない……。
「黒羽。私<たち>は今すぐ戻らせてもらうわ。でも、すぐに    
 片付けて戻ってくる。約束するわ」
「出来ない約束になりそうね。ダーナが相手では」
「スノウは黙ってて。やってみないと分からないじゃない。あ    
 と薫」
 いきなり、ロッテが右手を掴んできた。言葉を見つけらずに    
いる内にぐっと引き寄せられる。
「え? わたし、ですか……」
「貴方は黒羽の従者なんだから命を懸けて守りなさい」
「……分かりました。命に代えても守ります」
「それでいいの。今の貴方たちならどんな相手にも勝てる。こ    
 のミアキス=ロッテが名前に懸けて断言するわ」
 口元に笑みを浮かべて言い切った瞬間、薫は自分の身体に力    
が注ぎ込まれたような気がした。黒羽も同じだったのか、弾か    
れたように顔を上げる。
「ロッテ様……?」
「ちょっとした魔法よ。……スノウ、戻るわよ」
 ロッテが微笑んだのはほんの一瞬だけだった。
 何も言わずに<万能の魔女>が頷くのと同時に、ロッテはそ    
のまま異世界へと戻っていった。
 後に残されたのはわずかな風と、形にならない励ましだけだ    
った。

 止まりかけた時間を無理やり動かしたのは、黒羽だった。
 ロッテが倒した椅子を元に戻すと、主人として命令したから    
である。
「薫。沙耶がいつ襲ってくるか分からないから準備だけはして    
 おいて。沙耶と戦えるのは私たちだけよ」
「でも、武器が……ありません!」
 自分の部屋すらも瓦礫と化したことを確かめて、薫は抗議す    
るように言った。油断していたのが悪いとはいえ、八つ当たり    
しなければ気が済まなかった。
「あの刀が無くては吸血鬼とは戦えません。それに……」
「刀ならあるわよ。それに貴方の衣装もね」
 不快そうに黒羽が眉を顰めるのと同時に。何もない空間から    
大きな箱が現れたかと思うと、芝生の上に落下した。
「この箱は……」
「覚えがあるでしょう? 私が<箱庭>の術を使う時に使うも    
 のだから。万一に備えて貴方の武器と衣装はここに移してお    
 いたのよ」
「黒羽様……。ありがとうございます!」
「礼はいいわ。それより、早く準備しなさい」
 そっぽを向いた横顔に、わずかな照れが浮かんでいるのを薫    
は見逃さなかった。今まで見たことが無い表情だった。
「黒羽様でもそういう表情をするのですね」
「莫迦。無駄口を叩いてないで着替えて。いつ沙耶が襲ってく    
 るか分からないんだから」
「……この衣装をまた、黒羽様の前で着る日が来るとは思って    
 ませんでした」
 周囲には主人の少女しかいないと分かっていても、躊躇いを    
隠せない様子で薫は着替えを済ませた。かつてこの衣装に袖を    
通したのは黒羽を討ち取る為だった。しかし、今では……。
「やっぱりよく似合うわね。本当のことを言うと、その姿が一    
 番好きなのよ。古より血筋によって受け継がれてきた吸血鬼    
 ハンターとしての実力、見せてほしいわね」
「吸血鬼が主人だなんて変な気分ですけどね」
「まさか知らないの? 我が烏丸家と藤間家は元々繋がってる    
 の。そもそも私の箱庭の能力だって、貴方のご先祖さまの一    
 人から受け継がれてるのよ」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。しかし、前に杏梨    
と交わした話を思い出して、飛び上がらんばかりに驚いた。
「その話、本当なんですか!?
「私が嘘を言うと思う? なんなら、名前に懸けて誓ってあげ    
 てもいいわよ」
「べ、別にそこまでしなくてもいいです。でも……」
「私と貴方は遠いけど同じ先祖を持つのよ。人間と吸血鬼って    
 実は意外に近い関係にあるってことね」
 延々と回り道をした挙句、元の場所に戻ってきたような徒労    
感に襲われて、吸血鬼ハンターの少女は小さく首を落とした。    
 ならば何のために、自分の家は吸血鬼を狩ってきたのだろう    
か……。
「決まってるじゃない。人間に害を及ぼす吸血鬼を討つため、    
 でしょう? でも私は人間に手を出さない。それだけの話」    
 薫の疑問に、黒羽は誇りを込めて答えた。
「何度も言うけど、貴方の妹を狙ったのは貴方を手に入れるた    
 め。元から命を奪うつもりはなかったわ」
「そうですけど……」
 ふと、目を覚ましたばかりのはずの妹……響の姿が心に浮か    
んだ。
 騒ぎが収まったら一度会いに行きたい。
 そんな思いがこみ上げてきた時だった。
 強烈な殺意を感じて、薫と黒羽は反射的にその場から飛びの    
いた。