第9話−(2)宣戦布告
                                
 翌日、薫はスマホの着信音で叩き起こされた。
 時計を確かめてまだ午前六時にもなっていないことにうんざ    
りしながら電話に出る。
<薫! ついに黒羽を倒したの!? 響が、響が目を覚ましたの    
 よ! 沙耶と手を組んだ成果が出たんでしょう!?
 寝起きのぼんやりとした頭に、いとこの杏梨の声が乱反射す    
る。正直、何を言っているのかよくわからない。
<今すぐ報告に来て! 藤間の家は大騒ぎなんだから! あん    
 たの家の一番近くの<T>にすぐ来て!>
「杏梨……。ちょっと待って……。色々わけがあるの」
<知ってるから早くして! 上層部(うえ)への報告もあるん    
 だからお願い!>
「……分かったわ」
 本当は簡単に経緯を説明しようとした薫だったが、すぐに諦    
めた。半ば投げやりになって話を終えたからである。
 ……とにかく、説明しないと。響には……当分会えそうにな    
いわね。黒羽様の従者に戻ってしまったから。
 杏梨には裏切ったところまでしか説明していないことを思い    
出しながら着替えを済ませ、そのまま屋敷を出る。
 興奮と怒りと焦りが複雑に混じり合っていつも以上にテンシ    
ョンの高い杏梨と向かい合ったのは、それから三十分後のこと    
だった。
「どうしてこっちの<T>だと思ったのよ! 沙耶の屋敷に一    
 番近い方だって言ったじゃない!」
 徹夜したのか、目が受血しているいとこは薫の姿を見るなり    
機関銃のように言葉を浴びせてきた。
「ごめん。昨日から黒羽様の屋敷に戻ったから」
「だったら仕方ない……って今なんて言った!?
「響が目を覚ましたのは黒羽様が呪いを解いたからなの。わた    
 しが本当に従者になったから」
 杏梨の顔色が壊れた信号のように複雑に変わった。しかし、    
薫の言葉が脳に染みわたった瞬間、さっきの何倍もの勢いでま    
くし立ててきた。
「ちょっとちょっと! それどーいうこと!? あんた沙耶の従    
 者になったんじゃなかったの!? それに黒羽が呪いを解いた    
 ってそんな馬鹿な話あるわけないじゃない! まさか力任せ    
 に屈服させたの!?
「……色々あったのよ」
 興奮する杏梨の相手は不機嫌な時の黒羽並みに大変であるこ    
とを思い出しながら、薫は今までの経緯を説明した。
「ちょ……それって……薫、あんた本当に吸血鬼の眷属になっ    
 てしまったの?」
「血を与えられた時から眷属になってたのよ。ただ、反逆の意    
 志が残ってただけの話。もう戻れないし、戻る気もないわ」    
「馬鹿なこと言わないでよ! あたしが話つけてあげる! 響    
 の為に犠牲になるなんて許せない!」
「違うの。自分で選んだんだから。必要とされてるんだし」
 興奮のあまり立ち上がっていた杏梨だったが、やがて力尽き    
るように座り直した。今にも泣きそうだった。
「薫……。本当にいいの?」
 確かめるような言葉に、薫は笑って頷いた。それを見て、杏    
梨は諦めたような溜息を漏らす。
「まさかこうなるなんて思わなかった。あんたは元々藤間の家    
 では日陰者で、どーなるか心配だったけど……。こういう運    
 命だったのかもね」
「別に悪くないと思ってるわ。ようやく道が開けたような感じ    
 ……かも」
「あたしはまだ納得できないけどね。あーもう説明が面倒で嫌    
 になるわね。結局<鮮血の夜明け>事件の真犯人は沙耶だっ    
 たってこと?」
「そうよ。黒羽様に罪を擦りつけて追い落とすつもりだったの    
 よ。表面上は穏やかなんだけど内心は……」
 そこまで言って薫は言葉に詰まった。
 従者の玲は全てを知っていて沙耶に寄り添っている……。
「どうかした?」
「ん、別に……。何でもないわ」
「大方、沙耶の従者のことを気にしてたんでしょう?」
「うん……」
「沙耶の従者ということは二つの事件にも直接関わったのかも    
 しれないわね。ほら、黒羽の前の従者……七瀬って名前だっ    
 け?……が最後に会ってたのもその子みたいじゃない」
「間違いないの?」
「映像も残ってたし、頼んで調べ直してもらったのよ。そうし    
 たら間違いないなかったわ。あたしも確かめたし」
 テーブルの下で、薫はぐっと拳を握り締めた。漠然とは疑っ    
ていたが、その衝撃は簡単に受け止められなかった。
「そう言えば面割りで思い出したけど、銀座の事件では防犯カ    
 メラの画像に黒羽が映ってたはずよ。あれどういうトリック    
 かわかる? 変装はありえないと思うけど」
「簡単よ。沙耶は<魔眼>の力で面割りの担当者に偽の記憶を    
 植え付けただけよ」
「……。本当に?」
「それしか考えられないじゃない。<魔眼>の力は一人に一回    
 しか使えないけど、恐ろしい武器になるってこと」
「やられたわね。面割りをしたの公安の吸血鬼担当だからみん    
 な信じちゃったのね。……沙耶ってもしかして、意外と恐ろ    
 しい相手じゃないの?」
 薫は何も言わずに肯定した。一週間だけ側にいたが、手の内    
はまったく分からないままだった。
 それよりも……。
「これからわたしと黒羽様は沙耶に反撃するけど、杏梨も気を    
 付けて。沙耶が無差別に巻き込む可能性もあるから」
「……そうね。一応関係者全員には伝えておくわ。もちろん、    
 響にもね」
「響は……どうなの?」
「ずっと寝てたから起きることもできないけど元気よ。ま、リ    
 ハビリしてからじゃないと復帰できないと思うけど。しばら    
 くしたら連絡させるから安心して」
 できることしか約束しないいとこの性格を思い出して、薫は    
期待を込めて頷いた。本当は、今からでも病院に直行したいぐ    
らいだったが、今藤間の家の人間と顔を合わせるのは避けたか    
った。
「とにかく、何かあったらすぐに知らせて。こっちも協力でき    
 ることがあったら協力するから」
「その時は頼むわね」
「りょーかい! ま、万事あたしに任せておいて」
 力強い返事に、薫は思わず杏梨の両手を掴んでいた。
 この時ほど、いとこの言葉が心強く思えたことは無かった。    

 久しぶりに晴れ晴れとした気分になって、薫は<T>を出て    
屋敷に戻ることにした。まだ朝七時前だったが、主人の黒羽が    
起きてくるはずだった。
 スノウ様の話では黒羽様の体調が元に戻るまでもう少しかか    
るはず。ロッテ様もいてくれるから何とかなると思うけど……    
沙耶の次の手が見えないわね。
 昨日も自分なりに考えてみたのだが、答えは出なかった。た    
だロッテは「最悪の手段も想定していた方がいい」と言ってい    
たのだが……。
 不意に、背後に人の気配を感じて、薫は吸血鬼ハンターとし    
ての本能と共に振り向いた。構えた先にいたのは……。
「玲……」
「どうしても話がしたかったんだ。すこしだけ、いい?」
 沙耶の少年従者の態度はいつもと変わらなかった。主人を見    
つめる子犬のような瞳で、薫を見据えていた。
「もう沙耶の元には戻らない。黒羽様は嘘なんかついてなかっ    
 たじゃない」
「知ってる。まさか黒羽様が自分を犠牲にして無実を証明する    
 なんて思わなかったんだ。こんな手を使われたらこっちもお    
 手上げだけどね」
 そう言って、玲は言葉通り両手を上げてみせた。しかし、そ    
の瞳に諦めの色はなかった。
「本当は、薫なら仲間になってくれると思ってたんだ。黒羽様    
 に対する反逆の意志を秘めてたからね。でも期待外れだった    
 ってわけだ」
「期待されても困るわ。迷ってたのは事実だけど。で、なんで    
 またわたしの前に来たの? 説得?」
「まさか。とっくに諦めたから別のことを言いに来たんだ。沙    
 耶様からの言葉を伝えるよ。<黒羽の元に戻った以上、黒羽    
 に対して宣戦布告する>ってね」
 一瞬、薫は言葉の意味が分からずその場に棒立ちになった。    
 しかし、すぐに玲の両肩を掴んで問いかける。
「宣戦布告……って、戦うつもり!? 貴方たちでは勝てる相手    
 じゃないわ!」
「知ってる。異世界の吸血鬼が応援に駆けつけてることもね。    
 でも僕たちは負けたりしない。黒羽様は薫が思ってるほど強    
 くないしね」
「思い違いよ! 今すぐ止めて!」
「こうなることは分かってたんじゃないか? でも僕とは戦い    
 たくないんだろ?」
「当り前じゃない! 好きなのにそんな……」
 言ってから、薫は自分の言葉に気づいて手を離した。顔を真    
っ赤にして俯く。
「そうだけと思ったけど、もう止めることはできない。だから    
 最後に警告に来たんだ。七瀬のように死にたくなかったら何    
 もしないようにってね」
「七瀬さん……。玲も、何かしたの?」
「僕は何もしていない。実際に自殺に追い込んだのは沙耶様だ    
 からね。僕はただ様子を見に来ただけ。気の毒だったけど、    
 黒羽様を追い込むには最高の手段だったからね」
 玲の瞳に悲しみの色は無かった。
 いつもと変わらない人なっこい子犬のような表情だったが、    
その裏に隠されていたのは……。
「……。沙耶の従者だから当然、よね……」
「やっと分かったんだ。何度も言ってたじゃないか。僕は沙耶    
 様の従者。最後の時まで寄り添うって決めてるんだ」
「戦わないと、駄目……?」
「そんな事ばかり言ってると負けるよ。箱庭の中で戦った時も    
 言ったじゃないか。薫は色々甘過ぎるからね」
 俯いたまま、薫は首を大きく振った。目頭が熱くなっていた    
が、気にならなかった。
「それじゃ、言うことは言ったから僕はこれで。次に会う時は    
 僕を敵だと思って」
 当たり前のように言い切って、少年従者は身を翻した。数歩    
進んでから、思い出したように付け加える。
「念の為に言っておくけど早く戻った方がいい。戦いはもう始    
 まってるからね」
 その言葉に、薫は我に返ったかのように顔を上げた。
 しかし、玲の姿は既に曲がり角の奥へと消えた後だった。