第8話−(5)貴方の従者はここに
                                
 その後も、薫と黒羽の<箱庭>内部でのバトルは続いた。
 正確には、黒羽による一方的な攻撃ばかりで、薫は必死にな    
って身を守り逃げ回るだけだった。
「何をしてるのよ。あの時と同じじゃない」
 ぎりぎりと音をたてそうな程眉を釣り上げ、黒羽は思わず叫    
んだ。
「最初に箱庭の中で戦った時もそうだったわね。武器を失った    
 ら一方的に逃げ回るだけで……。本当にイライラするっ!」    
 半壊したマンションに背中を預けた状態のまま、薫は何も言    
わなかった。髪についた瓦礫の破片を拭い去り、すがるような    
目でかつての主人を見返しただけだった。
「その表情は嫌い! 自分の運命すら切り開けないくせに吸血    
 鬼ハンターになった愚かな顔。従者にして少しは鍛えてやっ    
 たのにまるで変わらないんだから!」
 薫が身体を動かす余裕も与えられなかった。スカートにも構    
わずジャンプした黒羽のキックが腹部に炸裂したからだった。    
内臓全てを破壊されるような衝撃に、薫の意識は一瞬完全に吹    
き飛ぶ。
「つまらないわね。こんなに反応が無いなんて。初めて私に立    
 ち向かってきた時のことを忘れたの? あの気迫、気に入っ    
 てたのに」
 一瞬だけ、黒羽は何かを躊躇うような表情を浮かべた。しか    
し、すぐに振り捨てると<箱庭>の外に向かって呼びかける。    
「ロッテ、例のあれをこっちに寄越して。やっぱりあれが無い    
 と駄目ね」
<本気で言ってる? そんな危険な賭け、友人として認めるわ    
 けにはいかないわ>
 すぐに<外>からロッテの驚きに満ちた声が返ってくる。し    
かし黒羽は動じたりしない。
「私だってこんな事はしたくないわよ。でも薫の誤解を完全に    
 解くには私も賭けに出るしかない。説明したじゃない」
<貴方の説得の仕方が悪いのよ。一方的に嬲っておいて服従を    
 求めるなんて普通じゃないわ>
「私のやり方に口を出さないで。私は私のやり方で薫を取り戻    
 してみせるんだから」
<引きこもりから回復したと思ったらこれなんだから……。極    
 端過ぎるのよね>
「文句あるの?」
<大ありよ。こんな馬鹿な吸血鬼が親友だなんて信じられない    
 ぐらい>
「その馬鹿を手助けしたのは誰かしらね」
<……>
<ロッテも同類じゃない。例のあれを送ればいいのでしょう?    
 受け取って>
<あ、スノウ! 何するのよ!>
 <外>で異世界の少女たちが揉めている内に、黒羽の手に一    
振りの刀が握られた。薫がようやく目を開けたのを確かめると    
勝ち誇ったように宣言する。
「薫。いいものをあげる。受け取って」
「えっ……」
 無造作に投げて寄越された刀を、薫は半ば反射的に受け止め    
た。その瞬間、顔色が変わる。
 初めて黒羽と戦った時から行方知れずになっていた刀……吸    
血鬼を一撃で仕留める必殺の武器だったからだった。
「これで少しは戦う気になったかしら?」
「……どういう、こと?」
「私は嘘なんかついていないという証拠の一つよ。もし嘘つき    
 だったらこんなことをするかしら?」
 そんな……。これで斬りつければ幾ら黒羽といえど無事じゃ    
済まないのに。もしかして本当に嘘をついてないの?
 ようやく意識の焦点がはっきりした薫だったが、またもや混    
乱する羽目になった。黒羽が諸悪の根源であり、沙耶が味方だ    
と思っていたが、それも揺らぎつつあった。
「さあ、続けるわよ!」
 長い黒髪を揺らし、足元の瓦礫を盛大に蹴散らしながら黒羽    
が向かってくる。しかし、まだ落ち着きを取り戻していない薫    
は刀を持ったまま逃れる。
「逃げないで! 戦って!」
「何が……正しいのか、間違ってるのか、その……」
「優柔不断! 私が正しいに決まってるじゃない!」
 悔し紛れに薫が半壊させた大型ビルをローキックで破壊して    
黒羽は凄んでみせた。その隙に薫は立ち上がり、ようやく刀を    
抜く。
「やっと表情が変わったわね。少しは落ち着いた?」
「いいえ。全然」
「正直なのはいいことなんだけど……。甘いわね!」
 スカートを大きく翻し、黒羽がふわりと宙に舞った。薫の注    
意が上に逸れてしまい、正面ががら空きになる。そこ目掛けて    
黒羽の拳が腹部に炸裂する。
「幻影に二度も引っかかるなんて甘過ぎるわね。もっと訓練す    
 ればよかったかしら?」
 宙に舞った自分の幻を消し去って、黒羽はわざとらしく溜息    
をついてみせた。薫が瓦礫の上に膝をついて崩れ落ちているの    
を見ると、無警戒に近づく。
 しかし……。
 次の瞬間、薫の飛び上がるようなタックルを食らって黒羽の    
巨体は近くにあった遊園地の駐車場まで吹き飛ばされた。停ま    
っていた車がまとめて巻き込まれ、スクラップになってしまっ    
たが、体を起こすよりも早く薫が反撃に転じる。お返しとばか    
りに黒羽を思い切り蹴り上げて、その身体で遊園地の正門を思    
いきり破壊してしまったからだった。
 この遊園地……最初に戦った時はわたしが負けを認めた場所    
だったわね。体を動かなくされて首筋に牙を突き立てられて、    
吸血鬼の眷属となった……。
 その後は黒羽の従者となり、反逆の機会を伺い続けてきたが    
やっとのその機会が訪れた……はずだった。
 でも、本当に黒羽を討ち取れば全て終わるの? 響は戻って    
くるけど、もし黒羽が無実だったら……。
 自分もまた駐車場に足を踏み入れた巨大化少女剣士だったが    
そのような考えが浮かんできて足が止まった。
 藤間の家の決まりでは人間に災いをもたらす吸血鬼は狩るこ    
とになっていたが、無害な吸血鬼は見逃すことになっていた。    
 もし黒羽が何もしていなければ……。
「何をしてるの? 薫。攻撃はどうしたのかしら?」
 その本人の声が耳を打って、薫は慌てて我に返った。対戦相    
手である少女吸血鬼は遊園地の施設を一部破壊して、悠然と立    
っていた。
「この遊園地を見たら色々思い出したのかしら? 貴方が従者    
 になった後も<箱庭>にこの街を再現して随分遊んだわね。    
 最初の時なんかあんなに躊躇ってたのに、好き勝手に壊しま    
 くるんだから」
「……。随分楽しませてもらいました。こうやって巨大化して    
 壊し尽くすのがとにかく快感で、幾ら遊んでも飽きませんで    
 した」
「この遊園地なんか貴方一人で何度も壊してたわね。カジュア    
 ルな私服姿とか、制服姿とか……。見てても楽しかったわ」    
「でも、今は……」
「時間は戻せるわ。貴方がその気になればいいだけ。……藤間    
 薫、もう一度私の従者になりなさい。一度ぐらい裏切っても    
 許してあげるから」
 返事はなかった。即座に拒否しようとして、薫が躊躇ったか    
らだった。
「ゆれてるようね。だったら面白いことを言ってあげる」
<黒羽! 止めて! それをやったら無事じゃ済まないわ!     
 ロッテ、ぼんやりしてないで私を箱庭の中に入れて!>
<黙って見てたら? いざとなったら手はあるんだから>
<何よ! 絶対零度の氷結魔女!>
 <外野>の騒々しささえも楽しむかのように、黒羽は無邪気    
に笑った。そのまま平然と宣言する。
「<鮮血の夜明け>事件と銀座の事件、二つの虐殺事件の犯人    
 はこの私よ。烏丸黒羽としての名に懸けて断言するわ」

 薫は当初、その宣言の意味を呑み込めなかった。
 最初はただ<自分が犯人でない>という宣言を繰り返しただ    
けだと思っていたが、まるで反対のことを自分の名前に懸けて    
言い切ったことに気づいて心底驚いた。
 待って……。自分の名前を懸けて言い切ったということは絶    
対に嘘はつけないはず。ということは黒羽はやっぱり犯人とい    
うことになって……。
 突然、黒羽が崩れ落ちるようにその場に両膝をついた。遊園    
地の施設がさらに巻き込まれいったが、構ったりせずさらに転    
がる。明らかに苦しそうだった。
「え……? まさか……」
 すぐにある可能性に思い当る。もし黒羽が自分の名前に懸け    
て嘘をついたならば、呪いとなって自らに降りかかる……。
「……思ってたより、苦しいわね……」
 弱々しい黒羽の声が薫の耳に届いたのはその時だった。
「覚悟は……してたけど、死んだ方が……ましなぐらい……。    
 薫……止めを刺して……」
「えっ……」
「それが貴方の……望みなんでしょう? 私を……討てば……    
 貴方の妹も目を覚ます……のだから……」
「そんな……」
 薫の手から愛用の刀が滑り落ちた。いつになく動揺する心を    
必死になって宥めながら、もう一度考える。
 自分が犯人だと名前に懸けて言い切ったら嘘になって、黒羽    
は呪われてる……。逆のことをさっき言った時は何も起こらな    
かったからこれってもしかして……。
 黒羽は最早何も言わなかった。浅い呼吸で喘ぎながら、その    
巨体で遊園地を壊すだけで、薫に見向きもしなかった。その姿    
に、最強レベルの吸血鬼としてのオーラも力も感じられなかっ    
た。
 今なら確実に仕留められる。隙だらけだし、仕留める武器も    
ある。でも……。
 心の奥底でくすぶり続けていた何かに火が点くの同時に。
 薫は瓦礫を蹴散らし、遊園地を盛大に破壊しながら黒羽に駆    
け寄っていた。そっと、抱き起す。
「黒羽……様! 何馬鹿なことをしてるんです! しっかりし    
 てくださいっ!」
「薫……?」
「貴方の従者はここにいます! もう一度貴方のお側に仕えさ    
 せてください!」
 ただ夢中だった。主人の危機を従者として見捨てることがで    
きなかった。それだけの話だった。
「そう……。だったら今回は……特別に許してあげる……。二    
 度目は……無いと……思いなさい」
「分かっています。黒羽様」
 力を込めたつもりだったが、薫の言葉は震えていた。
 正直、許してもらえるとは思っていなかった。
 それだけに黒羽の言葉が胸を打った。
<スノウ、早くして! 仲違いは終わったわよ!>
<今準備してるから待ってて。……こんな最悪の手を使わなく    
 てもいいのに>
<でも少し憧れるわね。黒羽が羨ましい>
 本音ただ漏れの親友の言葉に、黒羽はかすかに笑った。
 それを見て薫は、ようやく自分が元の立場に戻ったことを実    
感しているのだった。