第8話−(3)ロッテ動く
                                
黒羽の従者である薫が家出してから、一週間が過ぎた。
 その間、執事である寺尾はそれこそ不眠不休で働いていた。    
主人である黒羽の世話はもちろん、「本業」である烏丸商事グ    
ループの運営、そして行方が分からない薫の捜索などを一人で    
引き受けていたからだった。
「寺尾さん、いい加減休まれたらどうですか?」
 たまりかねたように厨房担当のメイドである春奈が忠告した    
のは、夕食の後のことだった。
 義務的に食事を済ませ、そのまま食堂から出ていこうとした    
若き執事を呼び止めたのだった。
「お忙しいのはわかります。ですけど、みんな心配してます。    
 このままでは倒れてしまうと……」
「私のことは気にしないでください。黒羽様が動けない以上、    
 私が動くしかありません」
「黒羽様は依然として部屋に引き込もったまま……。薫さんの    
 行方も分かないのでは無理もありませんが……」
「薫さんの行方は全ての情報網を使って探しています。きっと    
 見つかります。では失礼」
「待ってください! 話は終わってません!」
 おとなしくてたおやかな性格の春奈からは想像もつかない声    
だった。驚いた寺尾が振り向くと、抑えてきたものを全てぶち    
まけるように続ける。
「寺尾さんだけでは対応しきれません! ここは事情を説明し    
 てロッテ様たちの助けを借りるべきです」
「……ロッテ様たちに迷惑はかけられません」
「薫さんが行方不明になって、黒羽様が行動不能になってるん    
 です。贅沢は言ってられません。それとも、貴方は忙しさに    
 かまけてるだけじゃないんですか?」
 プライベートでは深い関係にあるメイドの言葉に、さすがの    
青年執事も顔色を変えた。一瞬、何かを言いかけたものの、や    
がて大きく肩を落とす。
「……その通りです。忙しくしていれば何も考えなくて済みま    
 す。それだけの話です」
「寺尾さん……」
「貴方に言われるまで気づかないとは……。私もどうかしてい    
 たようです」
「……。今日はもう休まれてはどうですか? 後のことは私が    
 引き受けます」
「……」
「私も含めてみんな貴方のことを心配しています。こうなった    
 らロッテ様に救援を求めましょう」
「……。分かりました。ではさっそく手紙の準備をします」
「それも私がやります。手順については以前黒羽様から聞いて    
 いますから問題ありません。とにかく休んでください!」
 最後は半分金切声だった。
 あまりの気迫に押されたのか、寺尾は「……わかりました」    
と小声で返事して、食堂から出て行った。
 その後姿を見送って、春奈はその場に倒れそうになる程の疲    
労感を覚える。
 なんで薫さんはいなくなってしまったの……。あんなに黒羽    
様に忠実に仕えていたのに……。
 正直、今でも家出したことが信じられなかった。書置きなど    
も無かったので、理由すらも分からないままだった。
……考えても分からないわね。こうなったらロッテ様たちに助    
けてもらわないと……。
 迷っている余裕は無かった。
 決意を固めて、春奈もまた食堂を後にしたからだった。

 異郷の吸血鬼・ロッテと親友の魔法使いであるスノウが突然    
<出現>したのは、翌朝早くのことだった。
 春奈がいつものように厨房で朝食の準備をしていたところ、    
異世界から瞬間移動してきたのである。
「薫が家出したって本当なの!? どうしてもっと早く知らせな    
 かったの!?
 白いワンピース姿も印象的な少女吸血鬼は、メイドの姿を見    
るなり飛びかかるようにして言葉を浴びせてきた。
「セブンシスターズの仕掛けた罠の可能性が高いわ。黒羽はど    
 こにいるの!? ぼんやりしてたらぶちのめしてやるから!」    
「ロッテ様……」
「今すぐ案内して! 時間がないの! さっさとして!」
「ロッテ、落ち着いて」
 スノウの言葉が、その場の熱気を一瞬の内に冷ました。
 今にも春奈に食ってかかりそうだったロッテだったが、我に    
返ったかのように慌てて居ずまいを正す。
「まずは黒羽に会うのが先よ。ただ、ぶちのめすのは無し。こ    
 の屋敷を破壊する気?」
「ふん。あいにくそういう趣味はないわ」
「私もよ。さ、行くわよ。春奈、邪魔したわね」
「い、いえ……。ありがとうございます、スノウ様」
「礼を言われるほどでもないわ」
 いつものように感情のこもらない声で答えると、スノウはロ    
ッテを引っ張るようにして厨房を出て、黒羽の部屋へと向かっ    
た。
「本当にロッテは見境がないんだから」
「あんな手紙を読んだら誰でも慌てるわ。薫は行方不明で黒羽    
 は引きこもり? 吸血鬼とその従者とは思えないわね」
「メイドにまで食いつくのは吸血鬼らしいのかしら?」
「終わったことはもういいじゃない!」
 親友の冷静な突っ込みにロッテが反論しているうちに、前か    
ら執事の寺尾が向かってくるのが見えた。足早に駆け寄ってく    
ると深々と頭を下げる。
「ロッテ様、この度は本当に申し訳ありません。わざわざ来て    
 いただいて……」
「挨拶は後。黒羽はどうしてるの?」
「部屋に引きこもったままです。幾ら呼びかけても応える様子    
 はありません」
「……。厄介ね。黒羽はああ見えても繊細そのものだから」
 小さな肩を落として、ロッテは心の底からの溜息をついた。    
 この世界では有数の実力を持つ少女吸血鬼ながらも、内面は    
呆れるほど脆く崩れやすいだけに心配はしていたのだが、ここ    
まで酷いは思わなかった。
「スノウ、黒羽に会うのは後回し。今は黒幕を探すのが先ね」    
「私もそうすべきだと思うわ。黒羽は何も知らないわ」
「まさか、薫さんが家出したのは誰かの手引きによるものだと    
 おっしゃられたいのですか?」
「決まってるじゃない。それを突き止めないと何も始まらない    
 わ。……悪いけど、居間まで来て。状況をもう一度確認した    
 いから」
 それから十分後、主人と従者のいない居間に、ロッテとスノ    
ウ、寺尾と春奈が集まった。
「全員集まったわね。始めるわよ。本当は黒羽が仕切るべきな    
 んだけどそれどころじゃないから不肖ミアキス・ロッテが代    
 行するわ」
「いちいち形式ばらなくてもいいのに」
「スノウは黙ってて。まずは薫の行方ね。警察には届けた?」    
「はい。ただ、何の情報も上がってきていないようです。烏丸    
 商事グループの方も利用していますが、やはり手がかり無し    
 です」
「やっぱりセブンシスターズの誰かの仕業でしょうか?」
 恐る恐る春奈が口を開く。一瞬だけびっくりしたような表情    
を見せたロッテだったが、すぐに悠然と口を開く。
「違うわね。セブンシスターズだったらとっくにここは襲われ    
 てるはずよ。黒羽は腑抜けなんだし」
「とすると、誰なんですか?」
「確実な証拠は無いけど……五橋沙耶が怪しいわね」
 反ってきたのは沈黙だけだった。寺尾も春奈も信じられない    
という様子で、お互い顔を見合わせるだけだった。
「沙耶の屋敷に出入りする人間は調べた?」
「……いいえ。セブンシスターズの線だけを疑っていました」    
「だったらすぐに調べて。簡単に見つかると思うわ」
「了解しました」
 有能な青年執事としての顔に戻って寺尾は頷くと、すぐに携    
帯電話を取り出してどこかに連絡をし始めた。それを見ながら    
ロッテは自分の推理を話し続ける。
「沙耶は実力が無いから何もできないというのは思い込みに過    
 ぎないわ。最初からこれが狙いだったはずよ」
「全ては黒羽様を狙うため……ですか?」
「そういうこと。だから薫を狙ってきたのよ。薫を引き抜けば    
 黒羽は弱体化するんだから。……でも、作戦は完璧ではない    
 わね」
「ロッテ様の存在を軽視しているからですね」
 携帯電話をしまった寺尾が話に加わる。
「そういうこと。薫から情報を仕入れてそれから動くつもりな    
 のかもしれないけど、その前にこっちから動くわ」
「どうされるつもりです?」
「別に難しい話ではないわ。薫と黒羽を直接引き合わせるだけ    
 よ。主従関係を結んだ仲だから直接話し合わせればいいじゃ    
 ない」
「そんなに単純な作戦でうまくいくと思う?」
 無言を貫いていたスノウが皮肉っぽくつぶやいたのはその時    
だった。親友の言葉にロッテは眉をひそめたが、万能の魔女は    
寺尾の淹れた紅茶を飲んで淡々と続ける。
「そもそも薫が家出した理由が分からないじゃない。あの子は    
 いずれ本当に従者になるはずだったのに縁を切ったんだから    
 余程のことがあったはずよ」
「……。そんなことは分かってるわよ。だからお互い逃げられ    
 ないようにしてぶつけてやるのよ」
「単純。単細胞。いつも以上に酷いわね」
「だったらどうしろっていうのよ! 薫が裏切った理由なんて    
 誰が分かるのよ!」
「……よろしい、でしょうか?」
 険悪になりかけた空気を吹き飛ばしたのは、春奈の控えめす    
ぎる小さな声だった。
「別に許可を求めなくてもいいわ。ロッテは勝手に騒いでるだ    
 けだから」
「済みません。家出する前から薫さんは何か迷っていたようで    
 した。銀座の事件の翌日に外出した先で何かあったようなの    
 です」
「私も気づいてました。おそらく、藤間家で情報収集を担当し    
 ているいとこと会ったのだと思います」
「話の内容は分かる?」
「いえ。ただ、衝撃的な話だったのは間違いありません。もし    
 かすると銀座の事件と関係があるのかもしれません」
 何かを思いついたかのように、ロッテが隣に座るスノウの顔    
を見た。親友が何も言わずに頷くのを確かめると、いつもの不    
敵な態度で口を開く。
「そういうことね。だったらさっきも言った作戦で何とかなる    
 わね」
「本当ですか?」
「後は任せておいて。沙耶が動いていない今ならまだ間に合う    
 から」
「お願いします」
「というわけで、スノウ。箱の準備しといてね。最高の見物に    
 なりそうね。黒羽と薫がもう一度戦うんだから♪」
 無言のまま同意していたスノウが突然、驚きの表情を浮かべ    
た。しかし、ロッテはそれすらも計算の内だったのか「だから    
来てもらったのよ」と言い切って平然としているのだった。