第8話−(2) 作戦会議
                                
 翌日から、薫の新たな日々が始まった。といっても、仕える    
主人が変わっただけでやることはほとんど変わらなかった。
「さすがに慣れてるね。僕が教えることなんかないぐらいだ」    
 数日後の昼下がり。昼食を終えたばかりのテーブルで、玲が    
感心したように言った。
「そんなことないわ。まだ屋敷の構造も覚えきれないし、他の    
 メイドたちの名前と顔も一致しないし」
「そんなに焦らなくてもいいよ。この屋敷は基本的には僕が切    
 り盛りしてるんだから。ゆっくり慣れればいい」
「でも住み込みのメイドが玲だけだったなんて思わなかった。    
 ……玲とわたし以外は普通の人間だし」
 周囲を見回して、薫は小声で戸惑いを打ち明けた。黒羽の屋    
敷にいるメイドたちは全員、黒羽に血を分け与えられた<吸血    
鬼の眷属>だったので、意外だった。
「しかも全員沙耶様が吸血鬼だということを知らないなんて。    
 何て言ったらいいのか……」
「普通の人たちは吸血鬼はお伽話とかゲームとかの世界にしか    
 いないと思ってるからね」
 笑って言い切ると、玲は淹れたばかりの紅茶を飲んだ。主人    
の沙耶が部屋にこもっている為か、ずっと薫の話し相手になっ    
てくれるのはありがたかった。
 やっぱり普通の人間と一緒に働くのは疲れるわね。何も知ら    
ないし……。
「でも、現実問題として吸血鬼に殺される人間は決して少なく    
 ない。下等な吸血鬼ほど殺戮を好むから幾ら狩っても被害は    
 減らない。薫も知ってると思うけど」
「被害は確実に増えてるわね。藤間の家のエース格だった響も    
 いないし」
「妹さんの為にも黒羽は倒さないとね」
 玲の言葉に、薫は大きく頷いた。
 最悪、自分はどうなってもよかった。妹の響が目を覚ませば    
状況は好転するはず……。
「でも、だからといって薫が命を投げ出す必要はないからね」    
 心を読んだかのような少年従者の言葉に、薫は内心飛び上が    
った。意味もなく長い髪をいじり、俯いて目線を外す。
「薫は自分を過小評価し過ぎてる。薫のことを必要としている    
 人はきっといるんだからそれを忘れないで」
「玲……」
「もちろん、僕もその一人だけどね」
 驚きのあまり言葉を返せないでいる内に、席を立った玲は少    
女の背後に回って、そっと両肩に手を添えた。
「薫がここに来て本当に嬉しかった。ずっと一緒にいたいって    
 思ってたんだ」
「玲……。いいの? わたしなんかで。それに沙耶様だってい    
 るじゃない」
「沙耶様との関係は特別。僕をここまで引き上げてくれた恩人    
 であり絶対の存在だからね」
「そうなのね……」
「だから僕から離れないで欲しい。幾ら沙耶様がいても僕一人    
 だけでは寂しいことだってあるんだからさ」
 薫は何も言わずに頷いた。
 藤間の家で吸血鬼ハンターをしていた時も孤独を噛みしめる    
ことが多かっただけに、玲の言葉は心に染みた。
 もう黒羽の元には戻れないんだから。わたしもいい加減腹を    
決めないと……。
「玲……」
「ごめん、勝手にこんな事言ったりして。薫の気持ちも考えな    
 いと駄目だね」
「え? ……そんなことないわ。わたしだって……」
 言いそびれそうになった言葉を紡ごうとした瞬間。
 突然、首の後ろ……リボンで隠したうなじに痛みが走って、    
薫は思わず顔をしかめた。
 今のは……何? 確かここには……。
「返事はまた今度でいいから。ゆっくり考えてほしいんだ。と    
 っても大事なことだしね」
 薫の表情を、少年従者は躊躇いと誤解したようだった。慌て    
て両肩から手を離すと、少し泣きそうな表情で言い訳した。
「あ、そうだった。まだ教えてないことがあったんだ。後で教    
 えるから」
 薫が言葉を探しているうちに、さっきまでの甘い空気は霧散    
していた。内心溜息をついた少女だったが、思い出したように    
うなじに手を当てる。
 吸血鬼ハンターとしての心構えを最後の瞬間まで保つという    
護符がなぜ反応したのか分からないままだった。

 その日の夕方。
 夕食の後、自室に戻ろうとした薫だったが、主人である沙耶    
に呼び止められた。
「そろそろ一度作戦会議をしたいから付き合ってもらえないか    
 しら?」
「はい。いよいよですか?」
「そういうわけじゃないけど……。何もしないままだと貴方も    
 落ち着かないでしょう?」
 口元に指を当てて困惑するポーズを作られてはそれ以上追及    
する気にもなれず、薫は言われるまま居間のソファーに腰掛け    
た。それに合わせて玲も隣に腰かけたので、屋敷の住民が全員    
揃う形となる。
「まずは黒羽の様子だけど……。玲、分かる?」
「黒羽様に特に動きはないようです。薫の行方を捜す為に手を    
 尽くしているようですが、まだこちらには気づいていないよ    
 うです」
「まだ気づいてない? 本当に?」
「実際に捜索を指揮してるのは執事の寺尾さんのようです。黒    
 羽様が何をしているのか、僕には掴めませんでした」
「それなら簡単よ。ただぼんやりしてるだけよ〜」
 笑いながら口を挟んだのは沙耶だった。呆気にとられる従者    
たちの顔を楽しそうに眺めながら、言葉を続ける。
「だって信頼していた従者に突然家出されたのよ。何もする気    
 が無くなってるわ」
「前の時と同じですね。だとすれば」
「前の時?」
「薫も知ってるでしょう? かつての黒羽の従者だった七瀬の    
 ことよ〜。どういうわけか自殺してしまったけど」
 思いがけないところで出てきた少女の名前に、薫は動揺が顔    
に出るのを抑えられなかった。
 彼女がいなくなったから、黒羽は代わりに自分を従者にした    
のだった……。
「黒羽は本当に運が悪いわね。ま、仕方ないけど。あんな事件    
 を起こしておいて従者一人で落ち込むのも変だけど」
「黒羽は……見かけによらず脆いところがあります。たぶん、    
 わたしみたいな人間がいないと駄目なのかもしれません」
「だから貴方を黒羽から引き離したかったのよ。効果は抜群じ    
 ゃない」
「でも黒羽様には異世界の同盟相手がいます。率直に言って、    
 非常に厄介な相手です」
 はしゃぐ主人を戒めるように、玲が静かに口を開いた。
 一瞬だけ、不機嫌そうな表情を見せたお嬢様吸血鬼だったが    
すぐに「そうだったわね」とつぶやいて真顔に戻る。
「薫から詳しい情報を貰うまでは大したことがないと思ってい    
 ました。しかし、黒羽と同じ程度の実力を持つ吸血鬼や魔法    
 使いをまとめて相手に回す余裕はありません。正面からでは    
 沙耶様に勝ち目はありません」
「言ってくれるわね。私もれっきとした吸血鬼なのに」
「不都合な真実を言うのが従者としての役割です」
 玲の言葉に迷いはなかった。今までに何度も似たようなやり    
取りを繰り返してきたのか、沙耶は小さく頷く。
「それもそうね。で、作戦はあるの?」
「同族相手には効果がありませんが、魔眼を使うしかないと思    
 います。相手は複数いますから仲間割れを仕掛けるしかない    
 と判断しています」
「……。難しいと思う。たぶん」
 何も考えずに、薫はつぶやいた。このまま議論の流れを静観    
しているわけにはいかなかった。
「スノウ様は特に弱点のない強力な魔法使いだし、ユラもロッ    
 テ様には忠実そのものだから。下手に仕掛けたら返り討ちに    
 されるのが落ちだと思うわ」
「だったらどうすればいいの?」
 やや低い声で沙耶が問いかけてくる。機嫌を損ねているのが    
丸わかりだったが、今更引くわけにもいかなかった。
「まだ……思いつきません。玲と協力して考えます。とにかく    
 今のままでは無理です」
「……。ふふ」
「え?」
「黒羽が気に入るのも分かるわね〜。おとなしそうな顔してる    
 のに言うことは言うんだから。私も気にいったわ♪」
「ええ。仲間にできて本当に助かりました」
 一瞬漂った剣呑な空気はすぐに霧散した。薫はきょとんとし    
 ままだったが、玲はスカートの埃を払いながら立ち上がる。    
「作戦会議はまたにしましょう。僕と薫で色々考えてみます」    
「それがいいわね。黒羽が動けない内に何とかしたいけど」
「焦りは禁物です」
 その場をまとめるような玲の言葉に、薫も微笑した。
 ようやく自分がこの屋敷に受け入れられたような気がした。    

 自室に戻ってきて、薫は思わず肩を落とした。
 夢中になって意見を述べたものの、かえってこれからの大変    
さを実感したからだった。
 黒羽が動けないのはいいけど、ロッテ様たちがそろそろ動き    
そう。いざとなったら寺尾さんが連絡するはずだし。
 そうなれば、自分がここにいるのもバレる可能性も十分にあ    
る。もしかすると、ロッテが直接乗り込んでくるかもしれなか    
った。
 そこまで言えばよかった。でもさすがに確信は無いし……。    
 新しい主人と、かつての主人の親友の間で心が大きく揺れ動    
くのを感じながらベッドのへりに腰かける。
 既に数日をこの部屋で過ごしていたが、まだ<お客さん>気    
分は抜けきらなかった。
 もう、戻れないんだから……。ロッテ様が来たらどうするか    
考えないと……。
 扉がノックされた。
 慌てて返事すると、メイド服もよく似合う少年従者が心配そ    
うな顔をして入ってきた。
「玲……」
「さっきの続きだけど、いい?」
「うん。……言い過ぎた?」
「まさか。言わないと駄目な場面だったと思うよ。隣り、座っ    
 ていい?」
 薫が無言のまま頷いてみせると、玲は悠然とした動作で言葉    
に従った。少年なのに、やっぱり少女にしか見えなかった。
「あそこでは言わなかったけど、沙耶様は認識が甘過ぎる。黒    
 羽様と対決するならもっと策を練らないと駄目だ」
「今まで言ってなかったの?」
「何度も言ったけど、一蹴されてたんだ。今回、ようやく認識    
 が変わったみたいだ」
「……。大丈夫なの? この調子で」
「だから作戦を考えるしかないんだ。僕たちの最大の武器は沙    
 耶様の魔眼だけど、肝心の吸血鬼には効果がない。何とかし    
 て周囲を巻き込まないと」
「難しいわね……」
 ロッテたちのことを心に浮かべて、薫は溜息をついた。こう    
なったら……。
「逆の手は考えられない? ロッテ様たちを味方につけるの。    
 黒羽が二つの虐殺事件の犯人だと知ったら態度も変わると思    
 うわ」
「……。その手があったね。僕たちとロッテ様が手を組めば黒    
 羽様もセブンシスターズも怖くない」
「わたしが何とか説得してみる。その内、ロッテ様たちが接触    
 してくると思うからその時にでもやってみるわ」
「お願いするよ。全ては黒羽様打倒の為に」
 ぐっと拳を握った玲の言葉に、薫は笑って頷いた。
 虐殺事件の真犯人である黒羽を討てば全てが終わる。
 そう確信していたからだった。