第7話―(2)事件現場にて
                                
 事件のことが屋敷内全体に伝わるまで、ほとんど時間はかか    
らなかった。
 スマホを持ったまま薫が居間に駆けつけると、寺尾や春奈、    
黒羽に仕えるメイドたちが顔を青ざめさせて集まっていたから    
だった。
「まだはっきりとは分かりませんが、犠牲者はかなり出ている    
 ようです。普通の人間が起こした事件とは思えません」
 その場を落ち着かせるように、寺尾が口を開いた。
「推測に過ぎませんが、昨年起きた<鮮血の夜明け>事件の犯    
 人と同じと思われます。おそらく、吸血鬼の仕業でしょう」    
「まさか海外の吸血鬼が……起こしたんじゃないんですか?」    
「ありえると思います。正直、迂闊でした。まさか二度も同じ    
 ような事件を起こすとは思っていませんでした」
「……黒羽様は?」
「まだ連絡が取れません。携帯にもかけているのですが、呼び    
 出しに出ないのです」
 寺尾の言葉に、メイドたちの溜息が重なった。全員、黒羽に    
血を分け与えられて人間以外の存在……吸血鬼の眷属となって    
いたが、皆心の底から主人を慕っていた。
 こんな時にどうして黒羽様がいないの? まさか、犯人の動    
きに気づいて動いたから……。
「寺尾さん、わたしが現場の様子を見てきます」
「薫さん……」
「わたしは元吸血鬼ハンターですから万一の時は逃げる事もで    
 きます。寺尾さんたちはここで待ってて下さい」
「それが一番いいようですね。お願いします。私は念の為にロ    
 ッテ様に連絡しておきます。今海外の吸血鬼に狙われたらひ    
 とたまりもありませんからね」
 寺尾の言葉に、薫は俄に恐怖がこみ上げてきた。もし犯人が    
海外の吸血鬼ならばここも危ない……。
「ならば連絡がついてロッテ様が手を打つまでここにいます。    
 万一の時はわたしが戦います」
「そんな……。無理をしなくてもいいのよ」
「春奈さん……。わたしは黒羽様の従者です。これぐらい任せ    
 てください」
 言い切った瞬間、胸の奥がわずかに痛んだが、何とか誤魔化    
した。まだ完全に従者になったわけでないことを知っているの    
は主人の黒羽だけだった。
 やり取りをしている内に、寺尾は居間から出て行った。異世    
界の少女吸血鬼と何らかの手段で連絡を取るのだろう。残った    
薫はテレビの電源を入れる。
 案の定、どこのチャンネルも起こったばかりの事件を大々的    
に伝えていた。
「犯人は……。誰なのかしら?」
 口元に手を当てて、春奈がぽつりとつぶやく。
「寺尾さんの話では海外の吸血鬼が日本を狙うのは考えにくい    
 らしいの。黒羽様はロッテ様と同盟しているから簡単には狙    
 えないはずだって」
 薫は何も言わずに頷いた。黒羽とロッテの実力はほぼ互角な    
ので、黒羽を敵に回した場合、勝ち目があるとは到底思えなか    
った。
 でも実際に二度目の事件は起こった……。誰かが黒羽様を狙    
ってる? それとも……。
 ある可能性がよぎって、薫はすぐにその考えを振り払った。    
 黒羽が事件の真犯人というのは一番考えられなかった。

 異世界のロッテとはすぐに連絡がついた。
 さすがの少女吸血鬼も事態の異様さに驚いたようだったが、    
すぐに行動を起こしてくれた。
 親友であり<万能の魔女>のスノウと忠実な従者で魔法剣士    
のユラを送り込んできたからだった。
「ロッテは今ちょっと手が離せないから私たちが代理というこ    
 とらしいわ。二人で一人前という意味かしらね」
 得意の魔法で一瞬の内に屋敷の居間に現れた少女魔法使いは    
寺尾や薫の視線に気づくと、開口一番親友を皮肉った。
「私たちがいればどのような攻撃にも対応できるというのがロ    
 ッテ様のお考えです。後はお任せ下さい」
 ユラは相変わらず真面目だった。スノウの言葉に眉をひそめ    
ると本当の目的を明かしてくれた。
「スノウ様、ユラ。来てくれてありがとう。助かったわ」
「感謝される程でもないわ。同盟関係を結んでるのだから。と    
 ころで黒羽は?」
「今からわたしが探しに行ってきます。ついでに事件現場も見    
 てきます。何か分かるかもしれません」
「気になるわね」
「え?」
「黒羽は普通、何も言わずにいなくなったりしないはず。もし    
 見つけたら理由を確かめた方がいいわ」
「スノウ様……」
「薫さん、私からもお願いします。従者の貴方が聞かないと答    
 えてくれないと思います」
 寺尾にまで言われて、薫は返事に窮した。あの黒羽が素直に    
口を開くとは思えなかったからだった。
 ……でも、確かめないと駄目ね。タイミングが悪過ぎるし。    
「分かりました。もし見つけた時には確かめてみます。スノウ    
 様、ユラ、そして寺尾さん。後をお願いします」
「わかってるわ」
「どうかお気をつけて」
「無理はしないで下さい」
 三者三様の返事を受けて、私服に袖を通した薫は外に出た。    
降りしきる雨を気にしながら、地下鉄を利用して事件の起きた    
銀座へと向かう。
 現場となったビルはニュースなどからすぐに特定出来た。銀    
座通りから一本奥に入った大きなテナントビルだった。ニュー    
スによると、<鮮血の夜明け>事件同様にビル内で五十人以上    
の人が惨殺されたということだったが、案の定マスコミや野次    
馬だらけで近づくことは到底不可能だった。
「これじゃ意味ないわね……」
 傘を持つ手とは反対の手で前髪をかきあげて、薫は思わず溜    
息を漏らした。予想はしていたが、まさか現場から百メートル    
以上も離れた場所に非常線が張られているとは思わなかった。    
 昔だったら藤間の家の名前で入れたけど、今はね……。逆に    
疑われて引っ張られそう。立場は最悪だし。
 薫が吸血鬼・黒羽の従者となったという事実は、政府や警察    
の上層部にも知られていた。ねっとも、連絡役となった従姉妹    
の杏梨によればその反応は「思い出すだけで腹が立つ」との事    
だったが。その後の情報提供で少しは風向きが変わった可能性    
もあったが、薫はそもそも<お偉いさん>を信用していなかっ    
た。
 困ったわね。大見得を切って出てきたけど、空振りだったり    
したらどんな顔をされるかわからないし。せめて……。
 辺りを見回しながら、吸血鬼ハンターとしての特殊能力を利    
用して気配を探る。<犯人>の特徴的の痕跡が残されているこ    
とを期待していたのだが……。
「薫? なんであんたがここにいるのよ」
 いきなり肩を掴まれたかと思うと、杏梨の大声が耳に飛び込    
んできた。
「まさかと思うけど、あんたのご主人様が関わってるわけじゃ    
 ないんでしょう? 早く離れた方がいいわ。みんな凄く気が    
 立ってるから」
「別にそういうわけじゃないわ。様子を……見に来ただけ」
 肩を掴まれた状態のまま、薫は振り向いて言い訳した。黒羽    
の行方が分かっていないとはさすがに言えなかった。
「ま、そんなことだと思ったけど。でものこのこ出てくるなん    
 て思わなかった。あんたの所にはあたしみたいな情報担当は    
 いないの?」
「いないからわたしが来たの。吸血鬼の仕業で間違いないんで    
 しょう?」
「間違いないわね。あたしも一応中に入ったけど、すぐに逃げ    
 てきたわ。この前の事件と全く同じだったから。殺すために    
 殺してる。そんな事件現場だったわ」
「だったら吸血鬼の仕業で間違いないわね」
「で、そっちは目星はついてるの? こっちは再発を防げなく    
 て大騒ぎするだけだし、後はお決まりの責任のなすりつけ合    
 い。やってられないわ」
 杏梨の不機嫌はそのあたりに理由がありそうだった。下手す    
ると自分にまでとばっちりがきそうだったが、その場から離れ    
るわけにはいかず、薫も話を合わせる。
「犯人はおそらく、海外の吸血鬼だと思うわ。黒羽様と対立し    
 ている吸血鬼もいるから」
「海外じゃこっちは手も足も出ないわね。とにかく、それが黒    
 羽の見立てなの?」
「黒羽様の意見ではないけど……。みんなそう言ってるから」    
「はっきりしないわね。何か隠してる?」
 杏梨の言葉に一段と棘が混じってきた。疑っているのは明ら    
かだったが、黒羽が現在所在不明だとは言えなかった。
「別に……。そういうわけじゃないけど」
「あんたは元々誤魔化すのが下手なんだから。正直に言ったら    
 いいじゃない? 黒羽が関わってるんでしょう?」
「関わってないわ。黒羽様はむやみに人間に危害を加えたりし    
 ないんだから」
「本当に? だったら響は? あの子は黒羽のせいで昏睡した    
 ままじゃない」
「それは……」
「薫、ここで何をしてるの?」
 突然、思ってもみなかった声が背後から飛んできて、薫は文    
字通り飛び上がりそうになった。主人であり、日本最強の吸血    
鬼である黒羽その人だった。
 思ってもみなかった人物の登場に、吸血鬼ハンターとしての    
実力は無いに等しい杏梨が顔色を変える。
「黒羽様……? どこに行ってたんです。みんな心配してたん    
 です。ロッテ様もスノウ様たちを寄越してくれて……」
「ロッテもお節介なんだから。ま、どうせ寺尾が連絡したんで    
 しょう? こんな事件が起こったんだから無理ないわね」
「犯人は分かりますか?」
「わかるわけないじゃない」
 不機嫌そうな声で言い切って、黒羽は下ろしていた黒髪を煩    
わしそうに揺らした。赤みがかかった瞳を細め、薫と向かい合    
っていた少女を睨みつける。
「ところで、目の前にいるのは誰? 貴方よりずっと弱い力し    
 か感じないけど藤間家の人間?」
「従姉妹の杏梨です。ハンターとしての力はあまり無いので情    
 報担当をしてるんです」
 黒羽の口元にわずかに笑みが浮かんだ。刺々しい雰囲気が弱    
まったことに薫が気づいている内に歩を進めて杏梨と向かい合    
う。最高レベルの吸血鬼に目の前まで迫られて、さすがの杏梨    
も怯えきっていた。
「初めまして。烏丸黒羽よ。貴方のことは薫からよく聞いてる    
 わ。小さい頃からの知り合い?」
「と、当然よ! 家も近かったし、一緒にハンターとしての訓    
 練も受けたんだから!」
 黒羽を目前にしても、杏梨は強気な態度を崩さなかった。も    
っとも、足は震えており顔色も悪いままだったので、強がって    
いるのは明らかだった。
「薫は藤間の家では冷遇されてたっていうけど、貴方は仲がい    
 いのね」
「当たり前じゃない。ハンターとしての実力が大したことない    
 からって差別するのはおかしいからよ」
「そう。薫も少しは味方がいたのね」
「あたしと響ぐらいしかいなかったけど。別にいいじゃない。    
 従姉妹同士なんだから」
 目を逸らしながらも、杏梨は言い切った。照れ隠しにしか見    
えないその動作がおかしかったのか、黒羽は無邪気に笑う。
「貴方は薫と同じぐらい信頼できるわね。機会があったらまた    
 話をしたいわ」
「え?」
「薫から聞いてると思うけど、私は藤間の家と手を結びたいの    
 よ。もう一人ぐらいパイプ役がいると助かるわ」
「本気で言ってる?」
「私はいつでも本気よ」
 平然と少女吸血鬼は言い切った。いつもの黒羽に戻ったこと    
に薫は気づいたが、杏梨は事態の急変の連続についていけない    
でいるようだった。目線で必死になって助けを求めてきたので    
少し恩着せがましく話に加わる。
「黒羽様、杏梨にはわたしから話しておきます。パイプ役の話    
 はその後でもいいと思います」
「そうね。後は任せるわ」
「……。薫の言う事は聞くのね」
「当たり前じゃない。私のたった一人の従者なんだから。結構    
 役に立つのよ。藤間の家では役立たず呼ばわりだったようだ    
 けど」
「見る目が無かっただけの話よ」
 薫の加勢に力を得たのか、杏梨はいつもの調子を取り戻しつ    
つあるようだった。見ているだけでおかしくなる程の豹変ぶり    
だったが、黒羽は悪い印象を持ったようには見えなかった。
「話はここまで。薫、戻るわよ。それとも従姉妹ともう少し話    
 をする?」
「いえ、大丈夫です。……杏梨、また連絡するから」
「今度は黒羽を連れこないでね。こっちは寿命が十年ぐらい縮    
 まったんだから」
 従姉妹の憎まれ口に、薫は無邪気に笑った。
 色々と心配なことがあって屋敷を出てきたが、いつもと変わ    
らない黒羽を見つけてようやく安心できたのだった。