第6話―(4)沙耶の実力
                                
 動揺を抑えきれないままの薫が黒羽に呼ばれたのは、それか    
ら一時間ほどしてからのことだった。
 様子を窺うように居間に入ってみると、黒羽・沙耶・玲が既    
に揃っており、テーブルの上にはアンティーク風の箱が置かれ    
ていた。
「来たわね。薫、沙耶が箱庭の中での対戦を希望してるから準    
 備して」
「沙耶様が? わたしと?」
「前から巨大化して大暴れしてみたかったのよ〜。黒羽が相手    
 だと勝負にならないし、貴方と勝負するわ」
「人の従者と対戦するなんて物好きね。貴方には玲がいるじゃ    
 ない」
「玲はこういうのがあまり得意じゃないのよ。それに薫は元と    
 はいえ吸血鬼ハンター。実力が知りたいわ」
「黒羽様。あの……」
「聞いたわね。舞台を用意してあげるから対戦しなさい。服装    
 は自由に選んでいいそうよ」
「個人的には私服姿が見たいわね〜。私も私服だし、ストリー    
 トファイトというのはどう?」
 何とか言い訳をひねり出して対戦を避けようとした薫だった    
が、黒羽と沙耶に畳み掛けられて言葉を失った。
 このまま沙耶と戦ったら聞きたくもない<真実>を無理やり    
聞かされることになる……。
「それも面白そうね。チョイスは任せるから私服で戦うこと。    
 命令よ」
「……。わかりました。すぐに着替えてきます」
 これ以上この場にいられないような気がして、薫は頭を下げ    
るとすぐに居間を後にした。自分の部屋へと戻りながら大きく    
肩を落とす。
 沙耶様はこの為に来たのね。わたしに本当のことを教えるた    
めに。でも……。黒羽様が嘘をついているなんて考えらない。    
何かの間違いかも……。
 いつの間にか、薫は自分の主人を擁護する方法を探し始めて    
いた。かつての自分ならばありえないことだったのだが、当の    
本人は気づいていない。
 こうなったら話を聞くだけ聞いて、黒羽様に報告するしかな    
いわね。沙耶様の狙いがどうしてもわからないし、色々気にな    
ることもあるし。
 ふと、七瀬のことが心に浮かぶ。
 沙耶の魔眼に対する警告を残し、自殺したかつての従者。そ    
の直前には玲とも会っていた……。
 もしかして、今度はわたしが狙われる番? でもそんな事を    
しても意味があるとは思えないし。
 どうしても沙耶の狙いが分からなかった。もし、<鮮血の夜    
明け>事件の犯人が黒羽だとしても、それを薫に打ち明けるメ    
リットがあるとは思えなかった。
 気が付くと、自分の部屋の前まで来ていた。扉を開けて中に    
入ると、早速着替えを始める。
 いつもならば、箱庭の中で巨大化して暴れとる思うと心が浮    
き立つのだが、今回ばかりはそんな気持ちにならなかったのだ    
った。

 箱庭の中に用意されていたのは、見覚えのない海沿いの地方    
都市だった。黒羽によれば箱庭の中には制約なく<世界>を展    
開できるというので、どこにも存在しない街なのかもしれなか    
った。
 ……。やっぱり、気持ちが熱くならないわね。いつもなら興    
奮して仕方ないのに。
 胸元で右手を握りしめたまま、今の自分の姿を確かめる。T    
シャツに薄手のパーカー、キュロットスカート、長めのソック    
スにキャンバススニーカー。黒羽に呆れられた程地味な服装だ    
ったが、あくまでも動きやすさを重視したコーデだった。
 沙耶様は何かを打ち明けてくるはず。聞いたことは全部報告    
しないと。何を狙ってるのかさっぱり分からないし。
「お待たせ♪ そういう服装もいいわね〜」
 一瞬、気配を感じたかと思うと、少女吸血鬼の沙耶が巨大化    
した状態で現れた。薫から少し離れた交差点に足場を置き、パ    
ンプスで車を何台か踏み潰していた。
「黒羽が従者にしたくなるのも分かるわね。地味なのに不思議    
 と存在感があるからどうしても気になるのよね」
「沙耶様……」
「それにしても、こんなに簡単に巨大化出来るなんて思わなか    
 った。さすがは黒羽よね。この建物なんか本物みたいにしか    
 見えないし。えいっ」
 薫があっと思う間も無かった。沙耶が足を振り上げたかと思    
うと、交差点に面した建物を破壊したからだった。一撃で正面    
が破壊され、階層がむき出しになる。
「脆いわね〜。簡単に壊れるじゃない」
「いきなりですね……」
「だって前から楽しみにしてたのよ。こーやって大暴れするこ    
 とをね。どんどん壊していくから!」
 薫が言葉を探すよりも早く、サマードレス姿の巨大少女吸血    
鬼は自分が壊した部分を足場にして次々に周囲の建物を破壊し    
ていった。腕が振り下ろされてはビルが崩壊し、蹴りによって    
瓦礫が吹き飛んでさらに複数の建物が破壊される。
 亜麻色の髪がよく似合うお嬢様だけに、その容赦無い破壊ぶ    
りは不思議と絵になった。
「薫は暴れないの? 貴方も凄いって言うじゃない」
「あの……。戦わないんですか?」
「もう少ししたらね。今は怪獣の気分を味わってみたいの。そ    
 れに黒羽だって見てないし」
「黒羽様は箱の側にいるのではありませんか?」
「惚けるのが下手ね。とっくに玲が引き離してるわよ。こっち    
 だって大事な話があるんだから」
「黒羽様のこと、ですね?」
「当然じゃない〜。この機会を待ってたのよ」
 口ではそう言いながらも、沙耶は壊したばかりのビルを両手    
で持ち上げて大通りに叩きつけてしまった。道路上の車が簡単    
に吹き飛び、一部が爆発炎上したが、巨大な令嬢はそれすらも    
踏み潰して澄ましてみせる。
「でもそれは後。まずは貴方の暴れぶりが見てみたいわね。大    
 人しそうな顔をしてえげつないんでしょう?」
「そんなことは……ないと思います」
「本当に? ちょっと試してみるのも悪くないわね」
 アスファルトに足跡を残し、電線を断ち切りながら沙耶が歩    
いてきた。何をすればいいのか分からず、最初に降り立った地    
点から動かずにいた薫の両肩を掴む。
「あっ……」
「油断大敵」
 何もできなかった。一瞬、沙耶の瞳に赤い光が浮かんだかと    
思うと、薫は受け身を取れないまま住宅地に背中から叩きつけ    
られていた。全身が建物をめちゃめちゃに破壊し、伸ばした腕    
もマンションを巻き込んで両断する。束ねただけの髪がふわり    
と広がって道路にかかる。
「そんな顔をされるともっと苛めたくなるわね。元は吸血鬼ハ    
 ンターだったと思うと尚更ね〜」
 住宅を蹴散らしながら、沙耶が近づいてきた。さらに建物を    
壊しながら逃れようとした薫だったが、パンプスに包まれた右    
足で腹を踏まれて全身が冷たくなる。
「まったく。本当に甘いんだから。本気の戦いだったらとっく    
 に死んでるわよ〜」
 そう言いながらも右足に力を込めてくる。痛みは大したこと    
がなかったが、沙耶は明らかに本気だった。
 戦いは始まってる……。負けられない!
 心の奥で何かが動いた瞬間。
 薫は全力を込めて沙耶の右足を振り払った。予想外な反撃に    
相手が驚く内に、離れるように転がって立ち上がる。足元で住    
宅のなれの果てを踏み潰していることに気づくと、すかさず蹴    
りあげる。
「あっ……!」
 瓦礫に直撃されて、さすがの沙耶も驚いたようだった。それ    
を見て薫は一気に間合いを詰めると、少女吸血鬼の両肩に手を    
かけながら力を込めて足を払う。油断していたのか、相手の巨    
体が崩れたのをみると体重をかけて寄りかかる。
 次の瞬間、複数のマンションや住宅、そして中型のビルがあ    
たりの巨大少女が倒れてきたことによって一度に崩壊した。派    
手に埃が舞い上がり、視野を塞いだが、薫は熱くなる心に背中    
を押されながら沙耶を投げ飛ばす。洒落た衣装に包まれた巨体    
が街の中心部付近を瓦礫に変えていく。
 今度は……あ、いいものがあるじゃない!
 自分の近くに電話局の建物があることに気づいて、巨大化し    
た普段着少女は笑みを浮かべた。沙耶が体を起こしつつあるこ    
とを横目で確かめながら、電話局の屋上にあった大型アンテナ    
を簡単に引き抜く。
 この建物……邪魔!
 アンテナを両手で持ちながら、薫は電話局の建物を蹴りだけ    
で破壊した。秘められていた破壊衝動が高まっていき、全身が    
熱くなっていく。たとえ相手が日本有数の実力を持つ吸血鬼で    
も怖くはなかった。
 この感覚久しぶり……。最初に黒羽様の戦った時以来? あ    
の時は敵同士だったから。
「やっぱりえげつないわね〜。瓦礫を思い切り潰しながらそん    
 な物まで持ってるんだから」
 沙耶もまた、破壊したばかりの建物を踏みつけていた。
「しかもさっきまでとは表情が違うし。別人じゃない」
「わたしはわたしです。別人ではありません」
「そう思ってるのは本人だけよ〜。玲も言ってたんだから。本    
 気になったらかなりの力を持ってると」
 その言葉を全て理解するよりも早く。沙耶の姿と気配が完全    
に消えた。慌てて探りを入れたが、真上に殺意を感じるのと同    
時に、背中に痛打を受けた。呼吸が止まりそうになり、意識も    
遠のきかけたが、本能だけで手にしていた大型アンテナを振り    
回す。予想していなかった反撃に、空中から攻撃を仕掛けた沙    
耶は中心街のビルを派手に巻き込みながら倒れる。
「お返しっ!」
 キュロットから伸びる足で建物を破壊しながら、薫は瓦礫の    
上に転がる沙耶の巨体に大型アンテナを振り下ろした。力がこ    
もっていたので一撃でバラバラになったが、すかさずスニーカ    
ーの先で蹴飛ばす。確かな手応えを感じて、薫は思わず笑みを    
浮かべる。
 思ったより弱い……? 黒羽様の時と違ってわざとでもなさ    
そうだし。黒羽様との差も大きい?
 優秀な吸血鬼ハンターだった妹の響ならば互角に戦える程度    
の実力。薫の吸血鬼ハンターとしての本能は沙耶の力をほぼ正    
確に見抜いていた。同時に、黒羽が沙耶を格下扱いする意味に    
気づく。
 これだけ差があるなら黒羽様は相手にするわけないわ。でも    
なぜ沙耶様は何度も……。
「やっばりやるわね。油断してたかも〜」
 暢気なお嬢様そのものの声でぼやきながら、沙耶が体を起こ    
した。「ドレスが汚れちゃったじゃない〜」と言いながら埃を    
払っていたが、薫の視線に気づくと苦笑してみせる。
「この程度の力しか無いからろくに相手にされないのよね。こ    
 れでも日本では二番目の実力があるはずなのに」
「黒羽様が強過ぎるだけではありませんか?」
「そうでもないのよね〜。単純に実力があって家柄がいいから    
 って強いわけじゃないのよ」
「どういうことですか?」
「黒羽はね、ああ見えても心が弱過ぎるのよ〜。下等な吸血鬼    
 と同じぐらいかもね。だから<鮮血の夜明け>事件を起こし    
 たのよ」