第6話―(3)黒羽様は嘘をついている
                                
 それから数日後。
 黒羽の屋敷に思いがけない来客があった。少女吸血鬼・沙耶    
とその従者である玲だった。
「アポも無しに来るなんて、貴方らしいわね」
 居間に客人たちを通して、黒羽は不機嫌を隠せない声で言っ    
た。突然の来訪を嫌がったのではなく、オンラインゲームのプ    
レイ中に来たことが気に入らないのであるが、その事を知って    
いるのは従者の薫だけだった。
「ちょっと顔を見たくなったのよ。同じ吸血鬼同士、仲良くし    
 ないと駄目じゃない」
 黒羽の向かいに座った沙耶は平然としていた。亜麻色の髪に    
薄手のサマードレスという姿からは、日本有数の実力を持つ吸    
血鬼には見えなかった。
「この前だってホテルのプールで会ったじゃない」
「あれはただの偶然。本当はこの屋敷で会いたかったのよ」
「何か目的があるの?」
「色々とね。でもまずはイケメン執事さんの淹れる紅茶が飲み    
 たいわね」
「失礼します」
 沙耶の言葉を待っていたかのように、寺尾が紅茶をトレイに    
乗せて入ってきた。烏丸家の執事らしい無駄のない動作でテー    
ブルにカップを置くと、薫の横に並ぶ。
「執事と従者、二人揃えてるなんて羨ましいわね」
「沙耶には玲がいるじゃない。とっても有能なんでしょう?」    
「もちろんよ。しかもとっても忠実で、何でもしてくれるの。    
 いつも頼りにしてるわ」
 沙耶の言葉に、メイド服姿の少年従者は小さく頭を垂れた。    
 その姿に、薫は胸騒ぎを覚える。
 七瀬が自殺する直前に、玲と会っていたという事実を思い出    
してしまったからだった。
「で、用事は本当にそれだけ?」
 黒羽は苛立ちを隠せないでいるようだった。指を細かく動か    
して、爆発するのを抑えているのが薫にもわかった。
「まさか。話もあるわよ〜。人間どもを襲う下等な吸血鬼たち    
 だけど、どうするつもり?」
「……。いきなり何の話?」
「鈍いわね。貴方が散々頭を悩ませているというのは聞いてる    
 わよ。無意味に人間を襲う吸血鬼を放置してたら私たちも危    
 ないじゃない。その対策よ」
「貴方がその話をするなんて思わなかったわ。今まで話しをし    
 ても上の空だったじゃない」
「そうも言ってられないのよね〜。昨年秋の<鮮血の夜明け>    
 事件。あれの犯人は国内に住む複数の吸血鬼みたいなのよ」    
 その場の空気が凍りついた。薫は思わず息を呑み、隣に立つ    
寺尾も全身を緊張させる。表情は見えなかったが、黒羽も明ら    
かに驚いたようだった。
「どこからの情報なの?」
「私が独自に調べた結果としか言えないわ。ま、私の能力を最    
 大限に利用したのも事実だけど。でもこれで謎が解けたじゃ    
 ない。下等な吸血鬼たちは団結して、事を起こしたのよ」
 沙耶の言葉に、薫は底知れぬ恐ろしさを感じていた。
 現在、日本国内には人間を無分別に襲う吸血鬼が多数存在す    
る。その事実は政府などの手によって慎重に伏せられ、藤間家    
など吸血鬼ハンターと呼ばれる一族が狩っているものの、数の    
多さに追いついていないのも事実だった。
「対策ならば考えてるわ。今は言えないけど」
「想像つくわね。大方、薫を仲立ちにして藤間家と手を結ぶつ    
 もりでしょう? 吸血鬼といっても貴方の手は白いからいず    
 れは信頼してもらえる。そんなところかしら?」
「私は無目的に人間を襲ったりしないわ。血を吸う時だって同    
 意の上。それが烏丸黒羽の流儀なんだから」
「どこまでもお嬢様なのね〜。本当に甘ちゃんなんだから」
 沙耶の言葉には嘲りすら込められていた。思わず拳を握りし    
めた薫だったが、ダークスーツから伸びる手に肩を掴まれた瞬    
間、すっと心から熱がひく。
「寺尾さん……」
「時には忍耐も必要です」
 頼りになる青年執事は無表情のままだった。その横顔に対し    
て小さく頷いてみせると、ふたりの少女吸血鬼のやり取りに再    
び耳を傾ける。
「甘ちゃんでも結構よ。流儀は流儀。変えられないわ」
「そんなことだから七瀬を自殺に追い込んでしまうのよ。あの    
 子はね、<鮮血の夜明け>事件の真相を知ってしまったから    
 ……殺されたのよ」
「そんなはずないわ! 嘘を言わないで!」
「ちゃんと調べないのが悪いのよ。すぐに人のせいにするのは    
 貴方の悪い癖ね〜」
「なんで貴方が全部知ってるのよ!」
「調べたから。それだけの話しよ。威張っていればいいどこか    
 のお嬢様とは違うのよ〜」
「くっ……。そこまで言われて……」
「黒羽様」
 少女の声と、青年の声が完璧に重なった。二人とも、言葉を    
発してから顔を見合わせたが、すかさず寺尾が頷いてみせると    
薫が続ける。
「落ち着いて下さい。聞きたくなければ無視すればいいだけで    
 す」
「薫……。貴方がそんな事を言うなんて思わなかった」
「藤間の家で似たようなことを言われてたからです」
「少しは従者らしくなったじゃない。これからもその姿勢を忘    
 れないでほしいわね」
「別にそういうつもりではないんですけど……」
「薫も少しはらしくなったわね〜。ま、今回はこの程度にして    
 おくわ。ただ、<鮮血の夜明け>事件の真犯人はセブンシス    
 ターズの誰かかではないことは覚えていてほしいわね」
 それで沙耶は事件に関する話を終わりにした。紅茶を一口飲    
むと「やっぱり寺尾さんの淹れる紅茶は美味しいわね〜」と脳    
天気な声で感想を述べたからである。
 <鮮血の夜明け>事件の犯人は国内の吸血鬼? もしそうだ    
したら藤間の家も、黒羽様も思い違いをしていたことになるけ    
ど……。本当にそうなの?
 黒羽の後ろに控えたまま、薫は内心疑問を隠せずにいた。セ    
ブンシスターズの誰かが犯人だという説には説得力を感じてい    
たので、どうしても納得できなかった。
 それに、七瀬さんはその真実を知ったから自殺に見せかけて    
殺されたっていうけど……。だったら自殺する直前に玲と会っ    
ていたというのはどういう意味?
 頭の中は混乱していたが、どうしても整理できそうになかっ    
た。

 居間での会話は、どこか奇妙な空気を残したまま終わった。    
 沙耶がいきなり、黒羽の私室でチェスをしたいと言い出した    
からである。
「貴方は私の所に来ると必ずそれなんだから……」
 付き合わされる立場の黒羽の声は刺々しかった。それでも亜    
麻色の髪をもつ少女吸血鬼は動じたりしない。
「いいじゃない。玲とばかりだとつまらないし〜」
「分かったわ。付き合ってあげる」
「ありがとう♪ あ、玲は好きにしてていわよ。薫と話をして    
 てもいいし」
「僕はいいですけど、薫の方が……」
「わたしもいいわ。チェスの間だけはいいですよね?」
「構わないわ。ただ突っ立ってるのも暇でしょう? 何かあっ    
 たら寺尾に頼むからいいわ」
 沙耶の相手をするのが余程嫌なのか、棘だらけの声で答える    
と黒羽は沙耶と共に私室の方へと去っていった。寺尾は紅茶の    
カップを片付けるためにいなくなっていたので、居間には薫と    
玲、ふたりだけが残る形になる。
「付きあわせて悪いね。沙耶様我侭だから……」
 メイドの姿をした少年従者は心の底から申し訳無さそうな声    
で謝った。まるで子犬のようなその姿に、薫も表情が緩む。
「気にしなくてもいいわよ。黒羽様だって同じだから」
「でも薫も大分馴染んできたね。前はどこか余所余所しかった    
 のに」
「少しは慣れたのかも。……慣れたくないんだけど」
「立場が立場だからね。でも、黒羽様のことは前より信頼して    
 る?」
「うん……。傲慢で、高飛車で、我侭なんだけど憎めないの。    
 響……妹をあんな目に遭わせた張本人なのに」
「気持ちは分かる。でも、油断するのはよくない。薫はそもそ    
 も黒羽様を倒すためにここに潜入したはずだからね」
 無意識の内に忘れようとしていたことを突きつけられたよう    
な気がして、薫は内心驚いた。
 ……。そうだったわね。わたしは反逆の従者。いつかは黒羽    
様と決着をつけなければいけないのに。でも、あの事件の犯人    
では無かったし……。
「その様子だけどすっかり忘れてたみたいだね。ま、仕方ない    
 けど」
「ごめん……。なんか最近考え方が変わってきたのかも」
「……。庭に出よう」
 短い言葉と共に、玲は踵を返して歩き始めた。一瞬戸惑った    
薫だったが、慌ててその背中を追いかける。
「玲、どうしたの?」
「あまり人に聞かれたくないんだ」
「何の話?」
「黒羽様のこと。前も話したと思うけど、あの方に心を許した    
 ら駄目だ。見かけは綺麗に取り繕ってるけど、本性はとんで    
 もないからね」
「どういう意味?」
「黒羽様は恐ろしいほどの力を持つ吸血鬼。しかも、血に飢え    
 た冷酷な吸血鬼ってこと。普段は恍けてるだけなんだ」
 薫の足が止まった。少年にしては華奢な背中に向かって反論    
する。
「そんなはずない。ずっとお側にいるけど、少しずつ分かって    
 きたの。黒羽様は吸血鬼だけど本物のお嬢様で、理由もなく    
 人間を傷つけたりしないって」
「前とまったく違うことを言ってるね。もしかして、<鮮血の    
 夜明け>事件の犯人は黒羽様じゃないって信じてる?」
「黒羽様は名前にかけて誓ったのよ。犯人は自分ではないと。    
 たぶん、嘘じゃないと思うわ」
 玲がゆっくりと振り向いた。その瞳には、まるで憐れむかの    
ような光が浮かんでいた。
「やっぱり籠絡されたんだ。前にも話したのに。詳しいことは    
 後で分かるけど、黒羽様は嘘をついている」
「そんな……。そんなはずない! 自分の名前にかけて誓った    
 ら嘘なんてつけるはずないじゃない!」
「出来るんだ、黒羽様は。だから恐ろしいんだ。詳しいことは    
 沙耶様が話してくれると思う。僕に言えるのはそれだけだ」    
「玲っ!」
 後先考えずに、薫は玲の両肩を掴んでいた。子犬のように純    
真な少年の口から、黒羽を侮辱する言葉を聞かされるとは思っ    
てもみなかった。
「目を覚ましてほしい。今の薫は最初の目的を見失って完全に    
 黒羽様のものになっている。それじゃ何も解決しないんだ」    
「……でも……」
「後で沙耶様が色々と話してくれる。知りたいことも、知りた    
 くないことも全部」
「黒羽様が、<鮮血の夜明け>事件の犯人なのね……」
 何も言わずに玲は目を伏せると、そのまま庭の方へと去って    
いった。
 その後ろ姿を、薫は呆然としたまま見送ったのだった。