第6話―(2)杏梨再び
                                
 八月最後の日曜日。
 私服に袖を通した薫は、屋敷を出ると地下鉄で池袋に向かっ    
た。久しぶりのオフだったが、今日は大事な用事があった。
「まさかまたここで待ち合わせすることになるなんて思わなか    
 ったわね」
 JR池袋駅の北東口にあるふくろうの像の前で、従姉妹の杏    
梨はよく目立つ派手な私服姿で薫を待っていた。
「杏梨の家からも近いじゃない、ここなら」
「ま、そうだけど。でも何の用? 買い物なら付き合うわよ」    
「それもあるけど、話もあるの。色々とね」
「だと思った。こっちも話したいことがあるし、まずは近くの    
 <T>にでも行く?」
 薫が無言で頷くと、杏梨はツインテールにした髪を揺らしな    
がら歩き始めた。いつものように、肩で風を切るような堂々と    
した歩き方だった。
「にしても、今回の外出のことは話してきたの?」
「一応ね。言わなくてもすぐに分かってしまうし、前にも言っ    
 たけど別に禁止されてるわけでもないから」
「その考え方が信じられないのよね。お陰で散々疑われたんだ    
 から。今でも一部の連中は信じてないわ」
「誰なのか想像つくわね」
 溜息半分薫は答えた。今日話すことが藤間の家に伝わったら    
どんな騒ぎが起こるのか想像もつかなかった。
 ま、無理ないけど。黒羽様が藤間家と手を結びたがってるな    
んてわたしだって信じられないぐらいだから。
 杏梨が案内した<T>は池袋駅から南東に少し歩いた所にあ    
った。商社の看板が掲げられた玄関から入り、階段を上がった    
2階にこの前同様、専用の部屋があった。
「ここなら幾らでも話せるわ。あんたから呼び出してきたって    
 ことは大きな動きがあったんでしょう?」
 質素な椅子に腰掛け、テーブルに肘をついて杏梨は待ちきれ    
ないように話を促した。一瞬、躊躇いを覚えた薫だったが、ま    
ずは<鮮血の夜明け>事件のことについて話すことにした。
「信じられないと思うけどまずは聞いて。例の事件……<鮮血    
 の夜明け>事件の犯人は黒羽様ではないの。証拠は無いけど    
 間違いないわ」
「……。いきなり過激な冗談ね」
「黒羽様は自分の名前にかけて誓ったの。もし嘘をついている    
 とすれば、おそらく黒羽様はその嘘のために死ぬことになる    
 わ。自分自身に対する強力な呪いのようなものだから」
「のっけから強烈なのがきたわね……。この話だけでも一週間    
 は大騒ぎになるじゃない。この前みたいな騒ぎは嫌なのに」    
「信じてくれるの?」
「あんたが嘘をつかない性格なのはよく知ってるわ。それに黒    
 羽が自分の名前をかけたんだったら間違いないわね。あーで    
 も報告したくない……」
 前回余程嫌な思いをしたのか、杏梨はテーブルに突っ伏して    
しまった。ツインテールにした髪が広がり、薫は従姉妹の困惑    
ぶりに溜息をつく。
「ついでに言うと真犯人は分かってないわ。おそらく海外の吸    
 血鬼の誰かだと思うけど」
「この前の電話はそういう意味だったのね。だから響は海外に    
 も気をつけろって言ってたのね。あたしも賛成だったけど他    
 の連中ときたら……」
 うんざりした表情で、杏梨が体を起こした。意味もなく髪を    
いじりながら言葉を続ける。
「海外の吸血鬼に関する情報だけど、こっちにはほとんど無い    
 わね。そっちから貰いたいぐらい。黒羽級の大物が他にも六    
 人いて世界を分けあってるなんて、安っぽい陰謀論みたいじ    
 ゃない」
「でも本当なのよ。だから黒羽様は異世界の吸血鬼であるロッ    
 テ様と同盟を結んでいるの」
「そういうことね。はあ……。とすると響はまるで無駄骨だっ    
 たのね。事件とは関係ない黒羽を倒そうとして返り討ちにさ    
 れたんだから」
「響はまだ死んでないわ」
「似たようなものじゃない。黒羽に頼んで呪いを解除してもら    
 うことができないの? 吸血鬼の従者さん」
「出来ないと思う。……今のところは」
 投げやりな言葉に返ってきた返事が意外だったのか、杏梨は    
瞳を何度か瞬かせた。しばらくの沈黙の後、言葉を選ぶように    
質問する。
「今のところは、って言ったわよね? どういう意味?」
「わたしが本当に従者になった時には解除するかもしれないか    
 らよ。ただそれだけ」
「だったらありえないわね。期待して損したわ」
「そうでもないと思うわ。黒羽様は藤間家と同盟を結んでもい    
 いと言ってるの。目的は人間を襲う下賤な吸血鬼を狩る為。    
 黒羽様とわたしたちは手を組めるのよ」

 一瞬、時間が停止したかのような沈黙が訪れた。
 あまりに驚いたのか、杏梨は表情を変えずに同じ姿勢のまま    
動かなかったが、薫が俯いて目線を外すと、いつもより低い声    
でつぶやく。
「その話……。本当なの?」
「誓ったわけじゃないけれど、黒羽様は嘘をつかないはずだか    
 ら。……信じられないと思うけど」
「もう。どーしてあんたはそんなに厄介事ばかり持ち込むの!    
 この前だって警察庁(サッチョウ)のお偉いさんとかに囲ま    
れて散々だったのに今回は二つもあるじゃない!」
「ごめん。本当にごめん……」
「あ、謝らないでよ! 別にあんたが悪いわけじゃないんだか    
 ら。人の言うことを信じない連中に言っただけだから」
 今にも泣き出しそうに思えたのか、身を乗り出した杏梨は薫    
の両肩を掴みながら言い訳した。
「大丈夫。ちゃんと報告するから。あたしはこう見えても優秀    
 な情報担当で通ってるんだから。ね?」
「うん……。でも大変じゃないの?」
「まーね。藤間家から政府のお偉いさんまで飛び上がると思う    
 けど仕方ないじゃない。後はあたしに任せて」
 椅子に腰掛けなおして、杏梨は腕組みをして言い切った。
 その切り替えの早さに、薫は改めて感心する。
「だったらお願い。黒羽様は本気だから」
「分かってる分かってる。にしても、薫が黒羽の元にいるお陰    
 で色々な情報が入ってくるわね」
「たぶん、それもあるからわたしを従者にしたんだと思うわ」    
「吸血鬼の思惑通りに動くのは気に入らないけど、悪い話じゃ    
 ないわね。もし話が本当なら、黒羽と敵対する必要も無くな    
 るし、響も助けられるかもしれないわね」
 薫が何も言わずに頷くと、従姉妹の少女は「そうなったら嬉    
しいわね」と言って笑った。薫と響、そして杏梨は年が近いこ    
ともあって元々仲が良かった。
「薫の話はもう終わり? まさかまだ何かあるの?」
「一番伝えたい事は伝えたわ。そっちも何かあるの?」
「もちろん。まずはご先祖様の件だけど、調べてみたら小さな    
 箱の中に「世界」を再現する能力を持つ人がいたわね。かな    
 り昔……江戸時代終わりから明治頃の人だけど」
「本当に?」
「とにかく変わり者だったみたいね。吸血鬼狩りにはあまり参    
 加しなかったし、最後には行方不明になったんだから」
「じゃ、黒羽様には繋がらないわね」
「そうでもないかも。行方不明になった直後に手紙が来て、烏    
 丸家で世話になってる、と書かれてたらしいのよ。これは機    
 密情報だけど」
「烏丸家……まさか、黒羽様のところ?」
 薫の心の中で何かが結びつきつつあった。
 確か黒羽は言っていた。黒羽の先祖は元人間との間に子供を    
産み、能力を強化したこともあったと。もし、元人間が杏梨の    
言うご先祖様ならば……。
「もしかして、思い当たるところがある?」
「……。証拠はまったく無いけど」
「それも一応報告しておくわ。もしかして、黒羽が手を結びた    
 がってるのも過去のいきさつがあるからかもしれないし」
「あっ……。言われてみればそうかも」
「なんか大変なことになってきたわね……。吸血鬼を狩る一族    
 が吸血鬼と繋がってたなんて。警察庁(サッチョウ)のキャ    
 リアがどんな顔するかしら」
 口ではそう言いながらも、杏梨はどこか楽しそうだった。薫    
が目線だけで問いかけると「ああいうエリート意識の塊みたい    
な連中を困らせるのが楽しいの♪」というお気楽な回答が返っ    
てきて吹き出してしまう。
「変わらないわね、杏梨も」
「まーね。あんたの為にも響の為にもあたしが頑張らないとい    
 けないし。あ、そうそう。調べてみたわ。七瀬って子の事」    
 突然、かつて黒羽の従者だった少女の名前が出てきて、薫は    
鼓動が高まるのを感じた。なぜなのかは分からなかったが、ど    
うしても落ちつかなくなる。
 それに構わず七瀬はスマホを取り出してまとめた情報を読み    
上げる。
「えっと、本名は大野七瀬。都内の高校生だったけど、今から    
 二年ぐらい前に家出して行方不明。で、昨年の秋に東京湾で    
 遺体で発見された。他殺と思われる痕跡はなく、自殺として    
 処理されたわね」
「……。それだけ?」
「遺体の引き取りに来たのは家族ではなく烏丸商事の人間だっ    
 たわね。寺尾っていう若い男性だけど、知ってる?」
「もちろん。黒羽様の執事よ」
「例のイケメン執事ね。その後のことはあんたの方が詳しいん    
 じゃないの?」
「七瀬さんの家族には連絡がいかなかった? 身元が分かった    
 んだから」
「警察も最初はそっちに連絡したのよ。そうしたら引き取りを    
 断られたみたいね」
 従姉妹のなにげない口調に、薫は底知れぬ深淵を覗き込んだ    
ような気がした。
 七瀬という少女が孤立した存在に思えてならなかった。
「どうも気になってさらに調べてみたら案の定、家出した時に    
 も捜索願は出されていないし、家族との繋がりは切れていた    
 みたいね。ごく普通の家に生まれ育ったはずなのに、おかし    
 な話よね」
「……。別におかしくないと思う。わたしと似たような立場に    
 あったかもしれないじゃない」
「あんたより酷いかもね。あんたには響もあたしもいるんだか    
 ら。七瀬って子は本当に寂しかったみたいね。……黒羽の従    
 者になったのも分かる気がするわね」
 薫の脳裏に、写真で見た七瀬の姿が浮かんだ。吸血鬼の令嬢    
に従うことで、やっと居場所を見つけた少女。それなのに一年    
ほどで自殺した……。
「自殺の状況について何か分からない?」
「警察も調べたみたいだけど、不審な点はなかったみたいね。    
 分かったのは自殺当日に人と会った形跡があったことぐらい    
 だけど、無関係だったし」
「ちょっと待って。誰と会ってたの?」
「たまたま防犯カメラの映像に写ってたらしいんだけど、同い    
 年ぐらいの女の子。画像が荒くて誰なのか特定できなかった    
 けど、背は高めで髪を三つ編みにして垂らしてたみたいね」    

 一瞬、目の前が真っ暗になったような気がした。
 背が高くて髪を三つ編みにした少女で、七瀬も知っていたは    
ずの人物といえば一人しかいなかった。
 そんなはずない……。玲が、七瀬さんの<自殺>にも関わっ    
てたなんて……。
「杏梨、その事は寺尾さんには伝わってる?」
「ん? 伝わってないわね。事件性も無いし、誰なのか分から    
 ないんじゃ話の聞きようがないじゃない。……まさか、思い    
 あたる人がいるの?」
「べ、別にそういうわけじゃないけど……」
「ふーん。ま、別にいいけど」
 言葉とは裏腹に、杏梨は明らかに疑っていた。目を細めて従    
姉妹を見据えていたが、やがて目線を外して話題を変える。
「ま、いいわ。あたしの話はこれで終わり。帰ったら黒羽にも    
 伝えるんでしょう?」
「もちろん。そういう立場だから」
「そう言わなくてもいいじゃない。黒羽に仕えてる今の方がず    
 っと幸せなんでしょう?」
「そんなわけないわよ。従者といってもこき使われてるだけな    
 んだから」
「人間、誰かに必要とされてるなら幸せなのよ。あたしが情報    
 担当なのもみんなが必要としてるからだし」
「杏梨……」
「とにかく話は終わり。さ、買い物行くわよ。たまのオフなん    
 だし、付き合ってあげる」
 藤間家の情報担当としての顔から、歳相応の快活な少女の顔    
に戻って、杏梨は席を立った。それに付き合いながらも、薫は    
七瀬が最後に玲と会っていたという事実が気になっていたのだ    
った。