第6話―1 私がいつ人間と敵対したの?

 なんとなく、食が進まなかった。
 厨房の片隅に設けられた屋敷付きのメイドたちの食事用の席    
で、薫はひとり遅い夕食を摂っていた。黒羽に付き添って外出    
していた為、いつもより帰りが遅くなったからだった。
 ……。結局、黒羽様はわたしを従者にしたくて仕方なかった    
のね。だから響を利用してここにおびき寄せた。全ては罠だっ    
たのに……。
 一人でいると、どうしても数日前の<告白>のことを思い出    
してしまう。自分を立場を全て否定されてしまう程の衝撃を受    
けた為か、未だに立ち直れずにいたのだった。
 全てはわたしが黒羽様の従者になれば済むことなの? そう    
すれば響にかけられた呪いは解除されるはずだから。でも、本    
当にそれでいいの?
 響を救う為だけならばそれでもいいと思っていた。黒羽が約    
束を簡単に反古にするようなタイプではないのは十分に承知し    
ていたし、何よりも最愛の妹を助けたかった。
 何か引っかかるのよね……。七瀬さんのこともあるし、<鮮    
血の夜明け>事件の真犯人も分かっていないんだから。吸血鬼    
の誰かであることは間違いないけど、世界各地にいる吸血鬼の    
ことなんてわたしの家でも押さえてなかったぐらいだし。
 <セブンシスターズ>のことを知った後、情報担当の従姉妹    
である杏梨に連絡を取って詳しいことを聞いたことがあった。    
 返事は「そんなの初耳よ!」という大声だったので、すぐに    
諦めるしかなかっのだが。
 いっそこのまま本当に従者になって、犯人探しをするしかな    
いのかも。どうせ家には戻れないんだし……。
 投げやり半分考えながら、食事を続けていた時だった。
 食堂に通じる扉が開いて、寺尾が顔を出した。
「食事中でしたか。今日は遅かったようですね」
「はい。黒羽様に散々振り回されました」
「ついに黒羽様から本当のことを聞いたようですね。あの事件    
 のことについて」
「……。寺尾さんの言うとおりでした」
「当然です。黒羽様は吸血鬼ですが、人を殺めるような方では    
 ありません。もしそのような方だったならば私はここにはい    
 ませんでした」
 言い切りながら、寺尾は薫の向かいに腰掛けた。予想もしな    
い行動に戸惑いを隠せない従者の少女に対して言葉を続ける。    
「これで分かったと思います。正式に従者になる決意はついた    
 のではありませんか?」
「いえ、全然……。わたしは元とはいえ吸血鬼ハンターだった    
 んです。どうして吸血鬼の従者なんかに……」
「過去は関係ありません。それに黒羽様には薫さんが必要なの    
 です。あの方は外見以上に繊細で寂しがり屋なのです。誰か    
 が支えていないと倒れてしまいます」
 寺尾の言葉に、薫は小さく首を振った。
 黒羽が寂しがり屋だというのが信じられなかったし、自分自    
身どうしたらいいのか分からないままだった。
「ま、すぐにどうこうという話ではありませんからこの辺りに    
 しておきます。ただ、薫さんはこの屋敷に来て少しは楽にな    
 ったのでありませんか?」
「そんなことはありません。黒羽様に振り回されてばかりで楽    
 になんかなってません」
「でも必要とされているのは事実でありませんか?」
 青年執事の言葉は、薫の痛いところを的確に突いてきた。
 吸血鬼ハンターだった頃は妹の影に隠れてばかりいて、心な    
い陰口すらも耳に入ってくる状態だった。しかし今は……。
「誰かに必要とされているということは重要なことです。私も    
 必要とされていると分かったから黒羽様に従うことにしたぐ    
 らいです」
「分かっていますけど……」
 もはやまったく食事が進まなくなっていた。それでも、食事    
を作ってくれた春奈のことを思うと残す気にもなれなかった。    
「ま、今すぐとは言いません。時間はありますからゆっくり考    
 えてください」
「……。いつもは優しいのにこの時ばかりは悩みを押し付けて    
 いくんですね」
「薫さんも言うようになりましたね。黒羽様の従者になること    
 が全ての人たちにとって最善の選択だからですよ」
 笑って言い切ると、寺尾は席を立った。「まだ仕事が残って    
いますのでこれで失礼します」と言い残して厨房から去ってい    
く。それを見送りながら、薫は溜息と共に食事を再開するのだ    
った。

 薫が黒羽に呼ばれたのは、夕食が終わった直後だった。まだ    
<仕事>の時間ということもあって、従者の少女は急いで呼ば    
れた先へと駆けつける。
「別に大した用じゃないわ。ただここにいて」
 黒羽は自分の部屋から通じるテラスに立って、中庭を眺めて    
いた。急用だと思っていたので慌てて駆けつけた薫はその言葉    
を聞いてげんなりする。
「そんな事で呼ばないで下さい……」
「そんな事だから呼んだんじゃない。従者たるもの主人の側に    
 いなくてどうするのよ」
「分かりました」
 とても分かっているとは思えない口調で薫は答えると、黒羽    
の隣に並んだ。癖ひとつない黒髪を夜風になびかせ、悠然と立    
つその姿は生粋の令嬢そのものだった。
「どう? 綺麗でしょう?」
「何がですか?」
「私に決まってるじゃない。見とれてたんでしょう?」
「別にそういうわけでは……」
「だったらそういうことにしてあげる」
 いきなり、黒羽が体を寄せてきたかと思うと、右腕を体に回    
してきた。抵抗しようとしたものの、間近で黒羽の顔を見てし    
まうとその気も失せる。
 漆黒の髪に、漆黒の瞳。そしてきめ細やかな白い肌。
 たとえ性格はひねくれていても黒羽は美少女だった。
「そんな反応をする貴方が好きよ、薫。何もかも忘れて私の従    
 者になりなさい。悪いようにはしないわ」
「黒羽様……」
「貴方のことを初めて知った時から気の毒で仕方なかったの。    
 吸血鬼ハンターとしての力を持つのに実力がないばかりに家    
 では日陰者。妹に庇ってもらわなかったら生きていくのも大    
 変だったんでしょう?」
「……。はい。普通の家に生まれればこんな苦労はしませんで    
 した。藤間の家は特別過ぎるんです」
「世の中の裏側で、人間を襲う下劣な吸血鬼ども成敗する狩人    
 の一族だから仕方ないじゃない。ま、私も似たようなものだ    
 けど」
 一段と黒羽が体を寄せてきた。ふっくらとした胸が腕にあた    
ったが、不快からは程遠かった。
「日本を代表する名門吸血鬼の一族、その宗家なんだから。ま    
 だ気づいてないけど、色々苦労があるのよ」
「無実の罪で犯人に仕立てられたりするからですか?」
「それもあるわね。どこの誰か分からないけど、犯人が分かっ    
 たら絶対に許すつもりはないわ。烏丸黒羽の名にかけて」
「やっぱり無実なんですね」
「当たり前じゃない。無意味な殺戮に走るのは下劣な吸血鬼の    
 することよ。そいつらを根絶するためなら藤間の家と協力し    
 てもいいわ」
 驚きのあまり、体が一瞬震えた。
 吸血鬼ハンターの一族と大物吸血鬼が協力して、人間を狙う    
吸血鬼を狩る。
 もしそれが可能になれば、人間を襲うしか能のない下等な吸    
血鬼に対する最強の抑止力となるだろう。
「黒羽様、今の話本当ですか?」
「私が嘘をつくのが嫌いなのは知ってるでしょう? なんなら    
 名前にかけて誓ってもいいわ。機会が来たらの話だけど」
「それは……いつになるんですか?」
「愚問ね。貴方が本当に私の従者になった時に決まってるじゃ    
 ない」
 自分の足場が崩れたような気がして、薫はその場にへたり込    
みそうになった。黒羽はその為にも自分を従者にしたに違いな    
い……。
「そもそも私がいつ人間と敵対したの? ま、見下してるし餌    
 程度にしか思っていないのは事実だけど、だからといって無    
 意味に殺戮してもいいなんて思ってないわ」
「自分は人間の敵ではない……と言いたいんですか?」
「当然じゃない。いちいち聞き返さないで。そもそも吸血鬼の    
 イメージを悪くしてるのは下等な連中ばかりじゃない。そい    
 つらをどうするのか、ずっと悩んでたんだから」
「他の吸血鬼はどう言ってるんですか?」
「ロッテはもちろん同意見よ。だから同盟も結んでいるのよ。    
 問題はセブンシスターズね。中国の王(ワン)は好意的だけ    
 ど、それ以外の連中ときたら……」
「黒羽様、痛いです。力を込めないでください」
「腹が立つんだから仕方ないじゃない。あいつらは人間をただ    
 の物としか思ってないわ」
 薫に抗議された為か、黒羽は体を離した。なおも興奮が収ま    
らない様子で言葉を続ける。
「今のままでは全ての吸血鬼たちは滅ぼされる。それが分かっ    
 てないのよ。人間を甘く見過ぎなのよ」
「そうでしょうか? 力の差があり過ぎます」
「違うわ。吸血鬼と人間、どちらが多いと思う? しかも人間    
 は軍事力や科学で武装してるわ。結集されたら幾らセブンシ    
 スターズでも無事ては済まないじゃない」
 黒羽の横顔には、恐怖と危機感が混在していた。そこまで怯    
える必要があるのかと薫は問いかけたかったが、一段と辛辣な    
言葉を浴びせられそうな気がして止めた。
 少なくとも黒羽は何も考えずに怯えたりはしない。
「だから危険な芽を摘んでおきたいの。その為には人間に手を    
 出す下劣な吸血鬼は全て滅ぼす。それが今の私の考えよ」
「だから協力も厭わないんですね」
「そういうこと。別に感情だけで貴方を従者にしたわけじゃな    
 いの。ま、好みに合ったのは事実なんだけど」
「それでわたしなんですか? こんなに地味なのに」
「貴方は自分を低く評価しすぎ。私に言わせれば磨けば光るダ    
 イヤの原石なのよ。本当に従者になったらもっと磨いてあげ    
 るから覚悟してて」
 最後は笑いながら言い切ると、黒羽は体の向きを変えた。
 夜風になびく長い黒髪を眺めながら呆然としていた薫だった    
が、主人が飲み物を持ってくるように命じたので、慌ててそれ    
に従ったのだった。