第5話―5 花火
                                
 海を渡ってくる潮風が心地よかった。
 洒落た浴衣に身を包んだ薫は、風を受け止めながら辺りを見    
回し、驚いたような表情を浮かべた。
 箱庭の中でのバトルの翌日。黒羽は異郷からの客人たちを約    
束していたとおりに花火大会に招待した。毎年テレビでも生中    
継される日本有数の大花火大会だけあって、見物客は大変な数    
だったが、黒羽はもちろん手を打っていた。
「こんなにいい席に座れるんですか? 真正面ですよね?」
 寺尾に先導されて案内された席を確かめて、薫は率直な疑問    
を執事の青年にぶつけた。
「ここはスポンサー企業の関係者にだけ割り当てられた特別な    
 席です。何の問題もありません」
「スポンサー企業?」
「烏丸商事はこの花火大会のメインスポンサーの一社です。席    
 ぐらい用意してくれなくては困ります」
 軽く眼鏡を上げながら、寺尾は種を明かした。それを聞いて    
薫は、黒羽が代々受け継がれてきた財産を元に企業グループを    
経営していたことを思い出す。
「そういうことだったんですね。済みません、詳しくなくて」    
「烏丸商事のことぐらい知らない困るわ。その筋では有名なの    
 よ。私は」
 黒羽の棘だらけの声が飛んできて、薫は首をすくめて振り向    
いた。主人である少女吸血鬼はよく似合う紺色の浴衣に身を包    
み、両手を腰に当てていた。
「ただの名門のお嬢様というだけではやっていけない時代なの    
 よ。だから寺尾も私の元にいるの。ま、とってもよくやって    
 くれているけどね」
「ありがとうございます」
「ここで生きるのは大変なのね。私にはちょっとだけ無理かも    
 しれないわね」
 黒羽の後ろから、ロッテがひょっこりと顔を出した。その後    
ろにはリオン・スノウ・アリシア・ユラ・ハクもついて来てい    
る。全員、特別仕立ての浴衣姿なのはロッテがリクエストした    
からだった。
「そんな事ないわ。ロッテだってやり方さえ分かれば適応でき    
 るわよ。それだけの力と才覚はあるんだから」
「あまりロッテをおだてないで。こっちに移り住むとか言い出    
 したら大変なんだから」
「向こうと往復したっていいじゃない。どうせ貴方の魔法があ    
 れば一瞬なんだから」
「ロッテ様はこの世界にが気に入ったんですね」
「色々面白いものがあるからよ。……どこかの魔法使いは世界    
 中の知識を漁るのに余念がなかったけど」
「どこかの吸血鬼も似たようなものじゃない。可愛い制服を着    
 てみたいなんて言ってたのは誰だったかしら?」
「……。と、とにかく席に案内して! 邪魔でしょう?」
 ロッテの慌てぶりは見ていてもおかしかった。薫も笑いそう    
になる程だったが、黒羽が睨みつけてきたのですぐに止めた。    
「貴方は私の隣に座りなさい。従者なんだから」
「はい。……本当によく見える場所ですね」
「毎年恒例なのよ。まさか今年はロッテたちが来るなんて思わ    
 なかったけど」
「楽しそうですよね、ロッテ様たちも」
 浴衣姿の少女たちは、異世界の夏をすっかり満喫しているよ    
うだった。小さな妹たちは寺尾にかき氷を買ってくるように頼    
み、スノウはユラとハクにこの世界の花火の原理を分かりやす    
く説明していた。そして、ロッテはそんな光景を楽しそうに眺    
めていた。
「こういうのは初めてだって言ってたわね。こっちも招待した    
 かいがあったってものよ。……そろそろ始まるわよ。テレビ    
 なんかとは迫力が違うんだから驚いたら駄目よ」
「わかっています」
 とりあえず頷いた薫だったが、わすかな違和感を覚えて内心    
首をかしげた。いつもならば言わないことを、わざわざ言った    
ような気がしたからだった。
 ……。気のせいよね、気のせい。
 寺尾が全員分のかき氷を買って戻ってきた。まるでイクメン    
の若いお父さんみたいだとか下らないことを考えている内に、    
アナウンスが花火大会の開始を告げた。
「……。凄い」
 この花火大会は何度かテレビ中継で見たことがあったが、本    
物の迫力は比べ物にならない程だった。寺尾からもらったかき    
氷も忘れて、薫は光と音の競演に見入った。
「気に入ったかしら? 特等席での花火見物」
 約十分に渡るオープニングの後、小休止に入ったのを見計ら    
ったかのように黒羽が声をかけてくる。
「ま、高いお金を出してるんだからこれぐらいの見返りがない    
 と駄目なんだけど。少しは楽しんでる?」
「はい。……昔、響と一緒に花火を見に行ったことを思い出し    
 ました。生まれ育った街でも毎年大会があって響と行ったこ    
 とがあるんです」
「響……貴方の妹ね」
「もちろんです。貴方が呪いをかけて眠らされたままです」
「言うようになったわね。負けたんだから仕方ないじゃない。    
 弱くはなかったけど、私に勝てるほどじゃなかったわ」
「だからといって呪いをかけなくてもいいじゃないですか」
「勝者は敗者を自由に扱えるのよ。もし結果が逆だったら私は    
 今頃ここにはいなかったわ」
「そして今度はロッテ様が復讐に乗り出すと……」
「分かってるじゃない。だから私を殺そうなんて愚かな考えは    
 捨てなさい。もし私に勝ったとしても今度はロッテが相手に    
 なるのよ」
 横目だけで、薫は異郷の少女吸血鬼の方を見た。無邪気な笑    
顔を浮かべて再開された花火を楽しんでいたが、一瞬だけ視線    
をこちらに向ける。
 獲物を狩る、冷血な捕食者のような視線を。
「……。私はどうすればいいのです?」
「従者になればいいだけのことよ。簡単じゃない。貴方は家で    
 はあまり重んじられてなかったようじゃない」
「そうですけど……」
「ま、その話は後で。花火始まるわよ」
 その言葉を合図にするかのように、小休止状態だった花火が    
盛大に再開された。黒羽は何もなかったように楽しんでいたが    
薫は抱き続けている違和感が一段と大きくなったような気がし    
てならないのだった。

 一時間ほど続いた後で、花火大会は五分間の休憩に入った。    
 そのアナウンスを待っていたかのように、黒羽は席を立つ。    
「どこに行かれるのですか?」
「ちょっと用があるの。薫、貴方も来て」
「わたしもですか? ロッテ様たちは?」
「勝手に盛り上がってるみたいだからいいわ」
 ロッテたちはすっかり寛いでいた。持ち込んだお菓子を食べ    
たり、花火の感想を述べ合ったりしていて、黒羽たちの動きを    
気にしている風でもなかった。
「わかりました。お伴します」
「それでこそ私の従者ね。ついて来て」
 薫が返す言葉を探すよりも早く、黒羽は長い髪を翻して歩き    
始めた。そのまま観覧席を下りていったので、従者の少女も慌    
てて後を追う。
 一般の観客の出入りは規制されているのか、スポンサー企業    
用の特設席の周囲は人気がなかった。海から吹く風が時折髪を    
揺らすだけで、都内とは思えないほどの静けさだった。
「黒羽様、どちらに行かれる気ですか?」
「別にどこでもいいのよ。ただ貴方と話がしたいだけだから」    
「わたしと……? ロッテ様に聞かれたくないのですか?」
「別にそういうわけじゃないけど……」
 歯切れの悪い返事と共に、黒羽が振り向いた。水銀灯を背景    
に腕を組む。いつものポースだったが、薫の目にはなぜか虚勢    
を張っているように見えた。
「知ってると思うけど、吸血鬼というのはプライドの塊なの。    
 プライドがあるから生きていけるようなものかもしれないわ    
 ね。人間風情には理解できないかもしれないけど」
「悪かったですね。人間風情で」
「でも貴方も、貴方の妹も私に立ち向かってきたわね。勝算は    
 あったのかしら?」
「響は分かりませんけど、わたしはありませんでした。でも、    
 やるしかなかったんです。わたししかいませんでしたから」    
「だったわね。それなのに負けてわたしの従者になったんだか    
 らとんだお笑い種ね」
「わざわざわたしをからかうために呼んだんですか?」
「貴方が私を狙った理由は妹の敵討ちの他にもう一つあったわ    
 ね。私が<鮮血の夜明け>事件の犯人だからでしょう?」
「今更のように言わないで下さい! みんな貴方が犯人だと言    
 っています!」
「だったら具体的な証拠はあるの? 事件現場に私の物が残さ    
 れていたのかしら? それとも、誰かが目撃してたの?」
「そ、それは……」
 思いがけない方向から反撃されたような気がして、薫は言葉    
に詰まった。黒羽が犯人という<事実>は藤間の家にいた時に    
何度も聞かされていた。しかし、その証拠は……。
「あと、私がなんでそんな事件を起こしたの? 聞かせて欲し    
 いわね」
「それは……。吸血鬼としての力を見せつけるため?」
「そんな見えっ張りなことを私がすると思う?」
「しません。……あっ」
 黒羽が腕組みを解いたかと思うと、わずかに肩を落とした。    
変な回答をしてまた失望させたかと薫は内心落ち込んだが、少    
女吸血鬼はゆっくりと近づいてきた。一メートル程の間合いを    
とって立ち止まる。
「おかしな話ね。そんな曖昧な理由で私が犯人だと思ってたの    
 かしら?」
「それはその……。家からの命令は絶対ですから……」
「ま、そんな事だと思ったわ。だったら今この場ではっきりさ    
 せてあげる」
 一瞬、黒羽が何かを躊躇うように視線を外した。日本最強の    
吸血鬼とは思えない程の<弱さ>を感じ、薫が驚いている内に    
一気に言い切る。
「吸血鬼・烏丸黒羽の名にかけて断言するわ。<鮮血の夜明け    
 事件>の犯人は私ではない。他の誰かの仕業よ」

 その瞬間、何を言われたのか薫には分からなかった。
 頭の中では色々な言葉が踊り、それら繋ぎあわせても意味が    
まったく通じなかった。
「これで納得した? 元吸血鬼ハンターの藤間薫さん」
「……。本当、なんですか?」
「当たり前じゃない。私が自分の名前にかけて断言した時は絶    
 対に嘘をつかない。知ってるでしょう?」
「知ってます。でも……」
「私はあの忌々しい事件には一切関わっていないわ。なんであ    
 んな馬鹿なことをしないといけないのよ」
 少しずつ、頭の中の霧が晴れてきた。浮かび上がってきたの    
は、自分が黒羽を狙った理由の一つが完全に崩壊したという事    
実。そうなると最初に黒羽を狙った響は……。
「だったらなぜ最初に否定しなかったのですか!? 響は貴方が    
 犯人だと信じてたのに……」
「それも簡単な話よ。貴方をおびき出したかったから。あの子    
 を倒せば貴方が出てくることはすぐに分かったらから」
「そんな……」
 浴衣姿なのも忘れて、薫はへたり込みそうになった。今まで    
信じてきた構図が崩れて、その奥から黒羽の勝ち誇った笑みが    
浮かんでくる。
 自分も響も、罠に落ちた。しかも、その事に今まで気づかな    
かった……。
「だから今まで自分が<鮮血の夜明け>事件の犯人であること    
 を明確にしなかったんですね」
「そうでもないわ。貴方が自分で真実に行きつくまで待ってた    
 のよ。それなのにいつまでも迷ってるから言ってやったの」    
「だから寺尾さんたちは貴方が犯人じゃないと言ってたんです    
 ね」
「屋敷内の人間は誰ひとりとして私を疑ったりしなかったわ。    
 私がそんな事をしないのは百も承知だったからよ」
「だったら、誰があの事件の犯人なのです?」
「分からないわ。未だに」
 あまりにあっさりとした言葉に、薫は自分の耳を疑った。
 黒羽は既に真実に辿り着いていたのではなかったのか……?    
「ロッテとも話したけど、世界には私を含めて七人の有力な吸    
 血鬼がいるわ。おそらく、私以外の誰かであることは間違い    
 ないけど、断言は出来ない状況なの」
「……。そういうことだったんですね」
「これで納得した?」
「分かりません」
 自分でも驚くほど、はっきりと薫は断言した。正確には、分    
かりたくなかったし、納得もしたくなかった。そうでもしない    
と今までの事が全て崩れてしまうから……。
「そろそろ戻りませんか? 花火、始まりますよ」
 薫の言葉を待っていたかのように、夏の夜空に再び花火が打    
ち上げられ始めた。その光を受け止めながらも薫は、何とか自    
分を取り戻そうともがいているのだった。