第5話―2 異世界からの賓客
                                
 その日は朝から屋敷内が騒々しかった。正確には、少しばか    
り浮かれたような空気も混じっていた。
 異世界の吸血鬼であるロッテとその一行が来ることになって    
いたからだった。
「準備は全部終わりました。ロッテ様たちは確か、十時にここ    
 に来るんですよね?」
 広さ数十畳の洋風のリビングルームに入るなり、薫は寺尾に    
改めて確認した。
「ええ。間もなくですね。薫さんもここで待っていて下さい」    
「確かスノウ様が魔法を使って<飛んで>来るんですよね?」    
「時間に遅れる心配がないのが利点ですね」
「そうですよね。黒羽様はルーズなとこもありますけど……」    
「大事な約束に遅れた事はないわよ」
 薫の軽口は最後まで言い終わらない内に、主人によって遮ら    
れた。束ねた髪を揺らしながら振り向くと、黒羽が腕組みをし    
て睨みつけていた。
 目には剣呑な光が浮かんでいたが、ポーズに過ぎないことは    
よく知っているのですかさず切り返す。
「当然ですよね。烏丸家のお嬢様ですから。オンラインゲーム    
 をやり過ぎても時間は守ってますもんね」
「言うようになったわね、薫も」
 腕組みを解いて、黒羽は呆れたように言った。それでも、腕    
組みを解くと何もなかったように続ける。
「それより、花火大会に行く準備は済んでるの? 明日の夜だ    
 けど大人数なんだから」
「それは大丈夫です。寺尾さんも助けてくれました」
「薫さんもだいぶしっかりしてきました。私が助言しただけで    
 全部済ませました」
「やっとらしくなってきたわね。やれば出来るんじゃない」
 何と答えればいいのか分からず、薫は曖昧に頷いた。確かに    
その通りだったが、また一歩<吸血鬼の従者>に近づいたこと    
を意味するからだった。
 もう数ヶ月になるのに何もできない……。このまま本当に従    
者になってしまうしかないの?
 思わず心の中で問いかけた時だった。
 壁際に置かれた大きな置き時計が午前十時を告げた。
 同時に覚えのある魔力がリビングを満たし、遠い世界からの    
来訪者たちを出現させる。
 異世界の少女吸血鬼・ロッテとその妹であるリオン。
 ロッテの無二の親友で<万能の魔女>スノウとその小さな妹    
であるアリシア。
 そして、魔法剣士でありロッテたちの<守護者>というべき    
少女のイリヤ・ユラと アリシアの世話を主に担当する幽霊メ    
イドのクド・ハク。
 いずれもかつて異世界の屋敷<白塔館>の住人たちだった。    
「久しぶりね、ロッテ。来訪を心から歓迎するわ」
 居住まいを正し、黒羽が歓迎の挨拶を述べる。同時に執事の    
寺尾が頭を下げたので薫も少し慌てて続く。
「今回はありがとう。前からこの世界の花火に興味があったの    
 よ。スノウなんか<技術が分かれば持ち帰りたい>なんて言    
 ってた程」
「……概要さえ分かればいいの。こっちの世界には全世界の知    
 識に直結するという情報網があるのだからさっそく利用させ    
 てもらうわ」
 ロッテのからかい半分の言葉に、スノウが少しむきになって    
反論する。冷静沈着な性格で感情を表に出さないはずの魔女が    
見せた反応に、薫は少しびっくりする。
「スノウも珍しく浮かれてるわね。こんなにはっきりと顔に出    
 すなんて」
「私だって感情ぐらいはあるわ。誰かさんは鉄面皮の魔女なん    
 て言ってるけど」
「事実じゃない。魔法で屋敷の半分近くを吹き飛ばした後も平    
 然としてたからよ。ちょっとした事故かと思ったらあの有様    
 なんだから」
「あれは誰かさんが一番悪いと思ってたからよ」
「そう言えば私が帰った後、事故があったって聞いたけど、ま    
さかそれのこと?」
「えっ……。あ、ちょっとした事故よ、ちょっとしたね」
 思い出したような黒羽の問いかけに、異世界の吸血鬼は明ら    
かに分かるほど慌てた。意味もなく辺りを見回すと、「大所帯    
で申し訳ないけど、しばらく世話になるわ」とその場を誤魔化    
したからである。
「ロッテって見てて面白いわね。実力は折り紙つきなのに普段    
 はちょっと威厳が無いのよね」
 ソファに一行を案内しながら、黒羽がからかうように言う。    
「ま、そこがいいんだけど。薫、まずはお茶の準備をして。お    
 菓子の準備もしてあるんでしょう?」
「はい。今お持ちします」
「あの、私もお手伝いします」
「ハクはゆっくりしてていわ。今回は貴方がお客様だから」
 心優しい幽霊メイドの言葉に、薫は笑って言い切った。
 前にロッテの屋敷に泊まった時には世話になったので、今回    
は恩返しするつもりだった。
「私が手伝いましょう。お茶は私が淹れます」
「だったら寺尾さん、お願います」
 ふわりとメイド服のスカートを翻し、薫はリビングルームか    
ら出た。
 その背中をロッテが見つめていたことには気づかなかった。    

「……とりあえず、今の状況を教えてくれない?」
 厨房から居間に戻った途端、ロッテの声が耳に届いた。
 歓迎のティーパーティーが終わったこともあって、リビング    
に残っているのは黒羽と寺尾、客人のロッテとスノウだけだっ    
た。
「大勢には変化ないけど……。薫も入って」
「え? わたしが、ですか? 厨房で春奈さんの手伝いをする    
 つもりだったんですけど」
「リオンちゃんたちはユラとハクが付いているから大丈夫。後    
 は春奈に任せておけばいいわ」
「……分かりました」
 本当は、リオンやアリシアと共に春奈からお菓子作りを習う    
つもりだったのだが、黒羽に言われては仕方なく、躊躇いがち    
にソファーに座った。それに合わせて黒羽が口を開く。
「私を除くセブンシスターズに目立った動きはないわ。ただヨ    
 ーロッパの二人が激しく対立してるのが最大の問題ね。ウク    
 ライナやシリアで代理戦争をやらかしてるわ」
「シリア? あそこはシャーズィリーの縄張りじゃないの?」    
「<学者>はむしろ面白がってるわね。どちらにも手を貸して    
 混乱を酷くしてるだけ。共倒れを狙ってる可能性が高いわ」    
「大人しい顔をしてえげつないのね。……こっちの世界にも似    
 たようなのがいたけど」
「一つ目のゲネス。私たちが本気で相手したら大人しくなった    
 から今は問題ないわ」
「アジアは今のところ平穏よ。私と中国の王(ワン)で分けあ    
 ってるから。もっとも王は権力を持つ人間どもに苦しめられ    
 てるみたいだけど」
「中国ってことは……あの男? 普通の人間じゃない」
「だから苦しいみたいね。倒すのは簡単なんだけど後が怖過ぎ    
 るのよ。もしシリアと同じになったら一番困るのは王自身な    
 んだから」
「ある意味吸血鬼よりえげつない人間もいるのね。……私は一    
 度会ってじっくりと話を聞いてみたいけど」
 ロッテは色々な人間に興味があるようだった。新興の大国の    
トップにすら逢いたがる程の好奇心に、黒羽は苦笑する。
「相変わらずね。ついでに言うと日本も平穏よ。私がいる限り    
 誰も手は出せないわ」
「黒羽が一番強いから当然ね。二番手は確か……」
「五橋沙耶様です。特殊能力はありますが、実力自体は黒羽様    
 とは比べものになりません」
「そうだったわね」
 寺尾の言葉にロッテは小さく頷いた。しかし、正面に座った    
薫はその顔に躊躇い感じた。例えるならば、何かを言い淀むよ    
うな……。
「とりあえず状況には変化が無いわね。薫もだいぶ馴染んだみ    
 たいだし」
「そうでもないわ。まだお客さん気分が抜けていない気がする    
 わ。私を殺そうとしたくせに」
「もうその話は終わりにしたら。薫は従者なんだから。それに    
 七瀬は戻ってこないわ」
 その場の空気が緊張したのを薫は感じ取った。黒羽の前でか    
つての従者の少女の名前は禁句だった。
「この前も話したけど、どうしても気になるのよ。あんなに素    
 直でいい子が突然自殺するなんて考えられない。しかも遺書    
 も残してないんだから。ちゃんと調べ直した?」
「もう終わったことだからいいじゃない。今の従者は薫。貴方    
 もそう言ったじゃない」
「それとこれは話が別。そうじゃないと七瀬が浮かばれないじ    
 ゃないの」
「ロッテは七瀬が気に入ってたから気になるのね」
「貴方が鈍過ぎるだけじゃない。失ってからでは遅いの」
「ロッテ。熱くなり過ぎ」
 身を乗り出さんばかりの少女吸血鬼を諌めたのは、無言を貫    
いていたスノウだった。その名の通り、蒼氷色の瞳で親友を見    
据える。
「私たちはその話をしに来たわけじゃない」
「……。そうだったわね。黒羽、ごめんなさい」
「いいわ、別に。気にしてないから。それより薫が驚いてるじ    
 ゃない。貴方が突然謝ったりするから」
「非があったら詫びる。人間でも吸血鬼でも変わりないわ」
 誇りに満ちた言葉に、薫はようやく驚きが消えた。同時に、    
ロッテが主人ならば従者もいいかな、と思う。
 黒羽様は嫌味も多いし、どうしても合わないのよね。そもそ    
も響のことだってあるし。
「とりあえず問題はなさそうね。しばらくゆっくりさせてもら    
 うわ」
「向こうは大丈夫なの?」
「ナターシャを残してきたし、スノウの魔法で色々仕掛けもし    
 てあるから問題ないわ。ま、私に立ち向かう愚か者なんてい    
 ないけど。遠い昔の誰かさんを除いてね」
「遠い昔の誰かさんは本当に恐ろしかったわ。その日の気分で    
 世界を破滅させかねない程だったのに。ね、ロッテ」
「自分のいる世界を破滅させても楽しくないじゃない。それを    
 知らないで誰かさんは勝負を挑んできたわ。ね、スノウ」
 本人たちは真面目かもしれなかったが、黒羽は笑いをこらえ    
るのに精一杯のようだった。
 薫も口元を抑えてしまう程だったが、同時にロッテとスノウ    
の関係が羨ましくてたまらないのだった。