第4話―(6) 忠誠を誓ったらどう?
                                
 気がつくと、東京の郊外に存在する川沿いの街は半分が破壊    
されていた。川の東側に二人の巨大少女が降りたったこともあ    
り、そこを中心にして全ての建物が原形を失った無残な状態と    
なり、残った西半分も薫が襲撃を開始していた。
「こんな建物、簡単に壊せますね。……ほら、座り込んだだけ    
 でめちゃめちゃですからね」
 マンションの上に平然と座り込んで、薫は笑って言った。そ    
の下では建物が中央から潰れていき、原形を残すことなく破壊    
されていったが、当の本人は楽しんでいる始末だった。
「まったく酷いことをするわね。そんなに可愛い姿なのに」
 川に架かる橋を踏み潰しながら歩いてきた黒羽が呆れたよう    
に言う。
「いつも思うんだけど、どこにそんな破壊衝動を隠してたの?    
 外見はとっても大人しそうなのに」
「……。分かりません。ただ、ハンターの時もよく言われまし    
 た。普段と別人だって」
「わかるわね。今の顔の方がずっと活き活きしてるじゃない。    
 私が惚れそうなぐらいに……」
 言葉の意味を理解する間もなかった。マンションを破壊し終    
えて立ち上がった瞬間、薫は後ろから黒羽に抱きつかれた。
 いつもの上品な石鹸の香りが一段と強く鼻をくすぐり、吐息    
が首筋にかかる。
「黒羽様……」
「そんな姿で無邪気な怪獣になるから悪いんじゃない。私がい    
 つも感情を抑えられると思う?」
「え、えっと、その……」
「貴方は従者だから丁寧に扱ってあげる。痛くしないから体の    
 力を抜いて……」
 言われるよりも早く、薫は腰からその場に崩れ落ちていた。    
瓦礫の上に足を伸ばし、またもや無傷の建物を壊してしまった    
が、その事にも気づかない。
「いい反応するわね。そういうのは凄く好き。貴方を従者にし    
 て本当によかった……」
 一段と強く抱き寄せられて、薫はあられのない声を上げた。    
頬を染め抵抗を試みたが、黒羽は離そうとしない。
「動かないで。まったく、どうしてそんなに慌てるのよ」
「だって、その……」
「かつて私を殺そうとしたから? 私はもう気にしてないわ。    
 過去のことなんだから」
 何もできないまま、薫はそのまま押し倒されていた。通りに    
あった車は全て潰れ、歩道橋も真っ二つになったが、その音す    
らも黒羽を止めることはできなかった。無造作に立ち並ぶビル    
などを壊しながら体を寄せてきたからである。
 かつて、異境の吸血鬼の館でさんざんもて遊んだ時と同じよ    
うに……。
「やっぱり貴方が一番いいわ。私と外見上の歳も変わらないし    
 黒髪で華奢な体つき。理想通りだから……」
「あ……。そ、そこは……ちょっと……」
「スパッツを履いてるからいいじゃない。着衣のまま事に及ぶ    
 のも背徳感があって最高じゃない」
「エロ吸血鬼……」
「ふふ。何とでも言うといいわ。貴方に言われるならば最高の    
 褒め言葉よ」
 隠しようがないほどの恋愛感情をぶつけられて、薫は為す術    
なく黒羽に全身を探られていた。時折嬌声を上げては頬を染め    
たが、黒羽は気にしている様子を見せなかった。
「いいわね〜。こういうのも。巨大化して建物を壊しながら遊    
 ぶなんて。また機会があったらやりたいわね」
「わ、わたしは……遠慮しておきます」
「そんな事を言わなくてもいいのよ。こうしてればいつか私が    
 貴方に甘えまくるって考えないの?」
「それは……」
 わずかに考えていたことを指摘されて、薫は内心慌てた。
 もし自分が黒羽を籠絡できれば、殺す機会も生まれるのでは    
ないかと思っていたからだった。
「ま、そうなっても貴方は私を殺せないわね。それが出来れば    
 とっくにしてるはずだから」
「そんなはずは……」
 反論しかけて、薫は口をつぐんだ。
 確かに、黒羽を殺すのに必要な先祖伝来の刀は奪われたまま    
だった。しかし、一度として自分はそれを真面目に探したこと    
があっただろうか。従者として、屋敷内の大抵の場所に出入り    
できるというのに……。
「まったく……。貴方は本当に面白いわね。口では私のことを    
 殺したがっているくせに」
 黒羽が一段と体を寄せてきて、薫は再び声にならない声を上    
げた。細い腰に両手が回され、ふっくらとした胸が押し付けら    
れてくる。伸ばした手は無傷だった住宅地を派手に破壊し、埃    
を巻き上げる。
「そんな貴方がとても好き。従者にして、本当によかった」
「……寂しがり屋なんですね。名門の吸血鬼のくせに」
「家柄とかなんて関係ないわ。吸血鬼も一人では生きられない    
 ほど弱い生き物なのよ。人間と同じようにね」
「黒羽様……」
 意外な言葉を聞いたような気がして、薫は驚いた。いつも強    
気な黒羽がここまで言うとは思わなかった。
「そろそろ私に心の底から忠誠を誓ったらどう? 貴方の本音    
 は知ってるのよ」
「わたしは……」
 大きく心が揺らいだような気がして、薫は困惑した。
 黒羽の漆黒の瞳は全てを見抜いているような気がしてならな    
かった。自分が完全に吸血鬼の従者となったわけではないこと    
まで全て……。
 ……。駄目。
 不意に。薫は熱くなっていた心が冷めるのを感じた。浮つい    
ていた意識が吹き飛び、吸血鬼ハンターとしての本能が戻って    
くる。
 このままだと響が助からない。わたしが、黒羽様を殺すしか    
方法はないんだから。
「薫? 返事は……」
 従者の少女の様子が変わったことに気づいたのか、黒羽が声    
をかけてきた瞬間。
 薫は全身に力を込めて黒羽を突き飛ばした。いつもの姿から    
は考えられないほど簡単に少女吸血鬼の体は宙に舞い、そのま    
ま無傷のビルなどを巻き込みながら転がる。
「その手には乗りません。わたしはまだ貴方のものになるわけ    
 にはいきません!」
 瓦礫を踏み潰しながら立ち上がって、薫は隠していたもう一    
つの本心をぶちまけた。黒羽が聞いているか分からなかったが    
聞かれても別に構わなかった。
「貴方は数百人もの人間を一度に殺害した吸血鬼。その吸血鬼    
 を狩るのはわたしの役目なんです!」
 洒落た衣装に身を包んだ黒羽の巨体は動かなかった。しかし    
あの程度の攻撃で参るわけがないと知っている薫は、心の中に    
秘めていた衝動をぶつけるかのように行動した。
 すぐ近くに一部が崩壊したマンションを見つけ出すと、力任    
せに土台から引きぬいて、そのまま黒羽に叩きつけてしまった    
からである。それでも反応がないのを見ると、近づいて無理や    
り引きずり起こす。
 いつも強気そのものな少女吸血鬼は、どこか驚いたような表    
情を浮かべていた。
「今日は戦闘訓練も兼ねてますから容赦しません。覚悟!」
 自分に対する言い訳も兼ねて言い放つと、そのまま近くにあ    
ったガスタンク基地へと突き飛ばす。無抵抗のまま黒羽はさら    
に転がり、タンクを巻き込みながらしりもちをつく。
 次の瞬間、薫の視野が真っ赤に染まったかと思うと、爆風が    
長い髪を大きく揺らした。可燃性のガスが詰まっていたタンク    
が一度に爆発し、周囲の建物をまとめて炎上させる。
「少しはやるわね……。ここまで暴れるのは久しぶりじゃない    
 の?」
 ゆっくりと黒羽が立ち上がった。瀟洒な衣装に付着した埃や    
瓦礫を振り払い、挑発するような瞳で見つめ返してくる。
「そんなことはありません。いつも通りです。油断していた黒    
 羽様が悪いのです」
「そうとも言うわね」
 その言葉が終わるよりも早く、黒羽の姿が視野から消えた。    
一瞬戸惑った薫だったが、それが隙となった。吸血鬼の少女は    
真上から飛びかかってきたからである。思ってもみなかった方    
向からの攻撃に薫は為す術なくその場に転がされ、背中で盛大    
に建物を壊してしまう。
「で、誰が油断してるって?」
 それでも黒羽は容赦しなかった。薫が何も言えずにいる内に    
今度は蹴りを放ってきたからである。自分が何をしようとして    
いるのか分からなくなっていたこともあり、従者の少女はさら    
に建物を巻き込んで転がってしまう。大通りに停まっていた車    
がまとめて潰れ、電線が断ち切られて火花を散らす。
 既にふたりの巨大少女が足場にしている地区は壊滅していた    
が、黒羽は両手を腰に当てて溜息を漏らす。
「まったく、なんで逆らおうとするのよ。貴方が私に敵うわけ    
 じゃない。おとなく私のものになりなさい」
「……そんなわけにはいきません。わたしは元とはいえ吸血鬼    
 ハンター。吸血鬼に膝を屈するわけには……」
「下らない。貴方が藤間の家では冷遇されていたことぐらい知    
 ってるんだから。それでも家に忠誠を誓うの?」
「それは……」
「もしかして、私が<鮮血の夜明け>事件の犯人だから? だ    
 ったら尚更くだらないわね。もう真相を知ってるんじゃない    
 の?」
 そんなことはない……。
 薫の控え目な反論は言葉にならなかった。何とか体を起こし    
たのを見たかのように、黒羽が漆黒の影となって覆い被さって    
きたからだった。まだ壊していなかった地区を巻き込みながら    
薫は倒れ、伸ばした手はマンションなどを巻き込む。
「どうもはっきりしないのよね。私に従いたいのか、殺したい    
 のかいい加減はっきりしたら?」
「それは……黒羽様がはっきりしないから悪いんです」
「私がいつはっきりしなかった? いつもはっきりさせてきた    
 じゃない」
「一つだけ例外があるじゃないですか……」
「その言い方が良くないの!」
 言葉は強かったが、黒羽が何かを誤魔化しているのは明らか    
だった。しかし、薫がそれ以上追及することはできなかった。    
 細い腰に両手を回されたかと思うと、きつく抱きしめられた    
からだった。
 ……どうなってるの? どうして黒羽様は<鮮血の夜明け>    
事件のことになるとはっきりしなくなるの? 犯人なのは間違    
いないはずなのにどうして?
 疑問は消えそうになかった。
 しかし、薫は箱庭世界の中でただひたすら黒羽に弄ばれてい    
るのだった。