第4話―(2)事件の犯人は?
                                
 沈黙がその場を支配した。
 目を背け続けてきた事実を突然突きつけられて、薫は返す言    
葉を見つけられなかった。
「元吸血鬼ハンターだから裏の情報は入ってると思うけど、あ    
 の事件は黒羽様が暴走したから起きた。普段は抑えている衝    
 動が爆発したから起きてしまったんだ」
「それで……数百人も一気に殺害したの?」
「たった一晩でそんなことが出来るのは吸血鬼……しかも、特    
 別な力を持った吸血鬼しかいない。とすると、自然と黒羽様    
 が犯人ということになる。それだけの話しだけどね」
「でも、なぜ……?」
「わからない。ただ、余程の事があったのは間違いない。大型    
 ビルに閉じ込められた人間を全て殺害したぐらいだからね」    
 薫は小さく首を振っただけで何も言わなかった。
 普段は文句を言われてばかりだったが、<主人>の悪行が信    
じられなかった。
 ……どう考えても結びつかない。あの事件を起こしたのが黒    
羽様だったなんて。プライドの高いあの方が暴走してそこまで    
するはずがないから。
 そこまで考えて、薫は自分が黒羽を擁護していることに気づ    
いて慄然とした。
 そもそも吸血鬼ハンターとして黒羽を狙ったのは、<鮮血の    
夜明け>事件の犯人だったからではないか……。
「……信じられない」
「従者だから仕方ないけどね。血を分け与えられるということ    
 は主人に絶対の忠誠を誓うということ。その軛からは逃れら    
 れないからね」
「……。わたしはどうしたらいいの?」
「悪いけど、僕には何も言えない。ただ、そのまま知らないふ    
 りをするしかないんじゃないかな? 寺尾さんたちは何か言    
 ってる?」
「何も聞いてないわね。話題にもならないし」
「知ってて黙ってるんじゃないかな。みんな薫と同じように黒    
 羽様から血を分け与えられているからね」
 無言のまま薫は頷いた。おそらく、それが真実なのだろうが    
それでいいとは思えなかった。
「悪い。久しぶりに会ったのにこんな話をしてしまって」
 突然、玲が謝ったので薫はびっくりした。その瞳には、捨て    
られた仔犬のような光が浮かんでいて、胸が締めつけられる。    
「そんなつもりじゃなかったんだ。もっと軽い話でもするつも    
 りだったのに……。ごめん」
「べ、別に謝らなくてもいいわ。今からでもいいじゃない。そ    
 うね、沙耶様は何か趣味でもあるの?」
「とにかくゲームが好きだね。黒羽様と違ってチェスとか将棋    
 とか、囲碁とか。他にもボードゲームが大好きで世界中のも    
 のを集めてるけどね」
「そうなんだ……。なんとなくイメージ湧くわね。黒羽様なん    
 かオンラインゲームばかりだけど」
「でも囲碁とか将棋の相手は僕がするからね。大変なんだ。こ    
 こだけの話、沙耶様ってあまり強くないのに負けず嫌いだか    
 ら一度やり出すと止まらないんだ」
「あ……。それって悲惨じゃないの?」
「色々とね。ま、僕としては沙耶様に強くなってもらいたいか    
 ら色々工夫してるけどね」
「大変なのね。そっちも」
「まあね。ところで……」
 いつしか、二人の従者の話題はお互いの日常生活のことに移    
っていった。
 少しだけ気が楽になった薫は素直に会話を楽しんだが、心の    
奥ではなおも<鮮血の夜明け>事件のことを気にかけているの    
だった。

 薫が屋敷に戻って最初に顔を合わせたのは、黒羽ではなく執    
事の寺尾だった。
 メイド服に着替え直してから、小走りに黒羽の部屋に向かっ    
ていたところ正面から歩いてくるのが見えたからである。
「あ、寺尾さん! 黒羽様は?」
「オンラインゲームに飽きて読書中です」
「あの……」
「最初は戻ってくるのが遅いと文句を言ってましたけれど、す    
 ぐに諦めたようです。もう忘れてると思います」
「済みません。玲……鳴海さんと会ったんです」
「わかっています。さっき連絡がありました」
 寺尾は全て承知しているようだった。片目を閉じていたずら    
っぽい口調で言葉を続ける。
「少しはゆっくり出来ましたか? ずっと黒羽様と一緒では大    
 変ですからね」
「ええ、お陰様で。でも……」
 <鮮血の夜明け>事件のことが脳裏に蘇って、薫は思わず口    
ごもった。誤魔化してその場から立ち去ろうかと思ったが、寺    
尾の真剣な視線に気づくと、意を決して質問する。
「寺尾さん。<鮮血の夜明け>事件の犯人は誰なのか、ご存じ    
 ですか?」
「いいえ。私は存じておりません」
「……。ならばいいです。失礼します」
「私個人は黒羽様ではないと確信しています」
 黒羽の部屋に向かおうとした薫だったが、寺尾の横を抜けよ    
うとした瞬間、明確な意志を込めた声が耳に入ってきて、立ち    
止まってしまった。
 しかし、言った本人は何もなかったように廊下の奥へと歩き    
去っていってしまった。
 犯人は黒羽様ではない……? やっぱり何か証拠があるの?    
寺尾さんは事件の時も執事だったから黒羽様の動きは全て知っ    
てるはずだけど……。
 信頼する二人から相反する言葉を聞かされて、薫は困惑して    
いた。どう考えればいいのか分からないまま、黒羽の部屋へと    
歩き始める。
 どっちも考えられるわね。入ってきた情報が確かならば犯人    
は黒羽様のはず。でも、実際の黒羽様はそんな感じがしないし    
寺尾さんがああ言ってるんだから、わたしが何か大切なことを    
見落としているのかも……。
 その<見落とし>を探す方法を考えながら、黒羽の私室に入    
る。黒髪の少女吸血鬼はソファーに腰掛けて文庫本を読んでい    
るところだった。
「遅かったわね」
 本から目を離さないまま、黒羽が言葉を投げかける。
「済みません。沙耶様のところの鳴海さんと会っていました。    
 ……プリペイドカード、ここに置いておきますね」
「ちゃんと買ってきたんだったらいいわ。後で使うから。それ    
 より、何の話をしてきたの?」
「とりとめない話です。鳴海さんも従者ですからお互いの苦労    
 話とかをしただけです」
「本当に? それ以外の話はしなかったの?」
 本を伏せた黒羽の言葉には明らかな刺が含まれていた。それ    
が肌に突き刺さるのを感じた薫は少し俯くと、「<鮮血の夜明    
け>事件のことも話題になりました」と答える。
「……。そう。何か言ってたかしら?」
 短い沈黙の後に発せられた言葉に刺は無かった。身構えてい    
た従者の少女は内心拍子抜けして答える。
「その……言いにくいのですが、あの事件は黒羽様だと話して    
 いました」
「やっぱりそう思われているのね。そもそも、貴方が私を狙っ    
 た理由も私が犯人だからでしょう?」
「……はい」
「別に気にしなくてもいいわ。言わせておきなさい」
「分かりました」
 反射的に頷いた薫だったが、すぐに黒羽が言質を取らせてい    
ないことに気づく。
 肯定も否定もしない? 犯人なのは間違いないのに? 黒羽    
様の性格ならばはっきり言いそうなのに……。
「黒羽様……」
「明後日だけど、時間はあるかしら?」
「はい。えっと……明後日の黒羽様の予定は午前中買い物があ    
 るぐらいですね」
「私の予定ではなく貴方の予定よ。自分の予定ぐらい把握して    
 るわ」
「わたしは特にありません。通常通りです。ただ、明日はお休    
 みということになってます」
「だったわね。明日はビジネスの方で予定が立て込んでるから    
 寺尾に代わってもらうわ。それより、明後日の午後、久しぶ    
 りに相手してあげるから覚悟してて」
「相手……<箱庭>内での演習ですか?」
「当然じゃない。少しは実力をつけてもらわないとこっちも格    
 好がつかないわ」
 そう言って黒羽は肩をすくめてみせたが、珍しく目元は笑っ    
ていた。<箱庭>内部での演習……巨大化して破壊の限りを尽    
くしながら戦うことが楽しみなのだろう。薫も口元を緩めて言    
葉を返す。
「だったら舞台はあの時と同じように鶴野にしてください。あ    
 の街を破壊しながら戦うのも楽しいんです」
「言うようになったわね。自分の生まれ育った街だというのに    
 壊してしまうなんて。……準備しておくわ」
「ありがとうございます」
「衣装は任せるわ。たまには普段着でもいいわね。私も普通の    
 格好で勝負してあげるから」
「ストリートファイトですね。巨大化してますけど」
 黒羽は笑って頷いただけだった。大量殺人を犯した冷酷非情    
な吸血鬼には見えないその笑顔に、薫は内心引っかかるものを    
感じる。
 黒羽様が犯人だなんてやっぱり信じられない。ずっと側にい    
るけど、怖かったのは従者になる前だけ。今は普通のお嬢様に    
しか見えないし……。
 黒羽が伏せていた文庫本を再び読み始めた。会話を終わりに    
することに気づいて、メイド服姿の少女はそっと後ろに下がっ    
て控える。
 主人の命令にすぐに応えられるようにするのも、従者の大切    
な役目の一つだった。
 <鮮血の夜明け>事件の犯人は誰なの? 黒羽様? それと    
も他の誰か……?
 考えてはみたものの、答えは出そうになかった。