第4話―   少年従者との再会             

 少しだけ、空気が湿り気を帯びていた。
 使用人用の通用口から屋敷の外に出た薫は、薄灰色の空を見    
上げて小さく溜息をついた。雨が降り出しそうな時に外出する    
のは気が進まなかったが、主人である黒羽の命令とあっては仕    
方なかった。
「Qサービス専用のプリペイドカードよ。五千円分でいいから    
 すぐに買ってきて!」
「プリペイドカード?」
「クレカが使えないから仕方ないじゃない。プリペイドカード    
 しか認めない酷いサービスがあるのよ!」
 呼ばれて部屋に入ってみると、少女吸血鬼は自分のパソコン    
の前で苛立っているところだった。いつもとは違う意味で剣呑    
な雰囲気を感じて呆然としていると、命令が投げ槍のように飛    
んできたのだった。
「どこで売ってるんですか?」
「調べれば分かるでしょう! それともお嬢様であるこの私に    
 買い物に行かせる気!?
「そういうわけではないんですけど……」
「だったら行ってきて!」
 黒羽の長い髪が今にも逆立ちそうだった。これ以上質問を続    
けるとろくでもない事になるような気がして、薫は慌てて外出    
の準備をしたのだった。
 Qサービス専用のプリペイドカードって……ネットゲームの    
課金用だったのね。コンビニとかで売ってるじゃない。
 スマホで買ってくるものを確かめて、薫は再び小さな溜息を    
ついた。少なくとも、大金持ちの令嬢が狂乱して求めるような    
物ではなかった。
 でも、コンビニだったら行くわけないわね。もしかして知っ    
てて大騒ぎしたのかも……。
 ありそうな話だったが、それ以上追求するのも無意味なよう    
な気がして、薫は歩き始めた。屋敷から歩いて十分ほどの所に    
よく行くコンビニがあるので、その方向に向かう。
 黒羽の屋敷に住み込むようになって早二ヶ月以上。周囲の地    
理にもようやく慣れてきていた。
 いつまでこんな生活を続ければいいのか……。さっぱり分か    
らない。黒羽様に隙は無いし、わたしもすっかり従者として馴    
染んでしまったし。
 一人になった時に考えるのはたいてい、今までの事と今後の    
事だった。
 でも、それでは響が一生目を覚まさない。わたしはどうなっ    
てもいいからせめて、響が目を覚ましてくれないと……。あの    
子がいないと藤間の家には吸血鬼ハンターがいなくなるし。
 正直なところ、<自分>はどうでもよかった。吸血鬼ハンタ    
ーとしての能力は低かったし、家での扱いも響が戦闘不能にな    
るまでぞんざいだったからだった。
 本当は黒羽様の従者あたりがお似合いなのよね。どうせわた    
しにはその程度の力しか無いんだから……。
 考えている内に、ようやく左側に続いていた烏丸家の塀が途    
切れて大通りに出た。この内部で生活する身だったが、出鱈目    
としか言いようがない敷地の広さだった。
 何度も迷子になって黒羽に皮肉を言われたことを思い出しな    
がら、大通りの歩道を歩いてコンビニへと向かう。平日の午後    
ということもあり、学校帰りの高校生たちとも何度かすれ違っ    
たが、薫はあえてその方向を見たりしなかった。
 学校は一応休学ってことになってるけど、戻れそうにないわ    
ね。ま、これからどうなるか分からないから仕方ないけど。
 すっかり平凡な生活から遠いところに来てしまったと思って    
いる内に、交差点に面したコンビニの前に着いた。内部が高校    
生たちで賑わっていることに気づくと、黒羽が自分に行かせた    
理由がもうひとつあることに気づく。
 黒羽様は目立つからコンビニにも入れないわね。わたしだっ    
て今の服装だから何とも無いけど、メイド服のままではね。
 黒羽が嫌味を言いそうなほどごく地味な私服を着込んでいる    
ことを確かめて、コンビニの中に入る。途端に喧騒が耳に飛び    
込んできて、薫はかつての日常に戻ったような気分になる。
 ……。とにかく、買い物を済ませないと。プリペイドカード    
は確か……。
 このまま懐かしい気分に浸りたいのを堪えて、売り場へと向    
かいカードを探す。目的のものを見つけた時だった。
「薫、久しぶり」
 聞き覚えのある少年の声が背後から聞こえた。

 不意をつかれたこともあり、薫は驚きを隠せないまま振り向    
いた。そこには、少女吸血鬼・沙耶の従者である玲がいつもの    
人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。
 ごく普通の私服姿だったが、お下げにした長い髪はそのまま    
だったので、少年というより男装した少女のようにしか見えな    
かった。
「玲……?」
「買い物かい?」
「うん……。黒羽様に頼まれたの」
「プリペイドカード? そういえば、黒羽様はオンラインゲー    
 ムが好きだって寺尾さんも言ってたっけ。毎月十万円以上使    
 ってるってぼやいてたよ」
「そうなのよね……。暇があればパソコンに向かってるんだか    
 ら。今回はわたしも巻き込まれたの」
「あの方がこんな所に来るわけないからね。黒羽様の従者も楽    
 じゃないんだ」
 玲の言葉に生返事気味に頷きながら、薫はレジで買い物を済    
ませた。お金は寺尾から預かっているので問題なかった。
「ところで、時間ある?」
 軽く頭を下げて、屋敷に戻ろうとした薫だったが、玲の言葉    
に足が止まった。束ねた長い髪を揺らしながら振り向く。
「少しだけでも話をしてくかい? たまには息抜きも大事だか    
 らさ」
「でも早く戻らないと黒羽様が……」
「平気平気。僕が寺尾さんに話しておくよ。それに黒羽様も半    
 分忘れてるはずだからね」
「……。そうね」
 自分の主人が熱しやすく冷めやすい性格であることを思い出    
して、薫は玲の誘いにのることにした。やっぱりたまには息抜    
きもしたかった。
「ところで、仕事はどうしたの?」
 コンビニを出て、まだ雨が降り出してこないことを確かめな    
がら薫は少年従者にきいた。
「今日は休み。僕だってずっと沙耶様のお側にいるわけじゃな    
 いからね」
「大変よね、従者というのも」
「……薫が言うと説得力皆無だけどね」
 呆れ半分の玲の言葉に、薫は自分の失言に気づいた。自覚は    
しているつもりだったが、<天然>気味の性格はどうにもなら    
なかった。
「ま、まあわたしも大変だけど……。黒羽様とっても我儘だし    
 高飛車だし」
「でも大事にしてくれてるんだろ? 黒羽様は薫みたいな子が    
 好きだからね」
「そう……?」
「吸血鬼は本当に好みなタイプを従者にする。これは世界共通    
 だから覚えておくといいよ」
 玲の言葉に嘘があるとは思えなかったが、薫は曖昧に頷いて    
ごまかした。
 いくら好きなタイプだからといって、自分の命を狙った吸血    
鬼ハンターを従者にするのものだろうか。
 心の中ではそう思っていたのだが、口に出す気にはとてもな    
れなかった。
「それより、どこ行く? ここら辺って適当な店あった?」
「そこの交差点に珈琲店があったはずだけど、そこでいい?」    
「もちろん」
 いつもの仔犬のような笑みを浮かべて、玲は颯爽とした足取    
りで歩き始めた。薫も慌ててその後を追う。
「ところで、玲ってどこら辺に住んでるの?」
「ここから少し北の古い住宅街。黒羽様の所のように大きなお    
 屋敷じゃないけどね。敷地はおおよそ五分の一ぐらいかな」    
「……大きいのか小さいのかよく分からないわね」
 異世界の吸血鬼が住んでいた屋敷のことを思い出して、薫は    
思わず本音を漏らした。
「大きい方だと思うよ。沙耶様だって五橋家の吸血鬼だから。    
 ま、格の上では黒羽様の方が上なのは事実だけどね」
「五橋家は……あまり知らないのよ。吸血鬼ハンターをしてた    
 時もあまり情報が入らなかったし」
「沙耶様はおとなしい性格だからね」
 玲の言葉に、薫はかすかな違和感を覚えた。黒羽の屋敷に来    
た時、底知れぬ狂気を秘めた紅瞳で見つめてきたのは……。
「玲……」
「ここでいいかい?」
 少女の問いかけは、全て言葉になる前に消えた。気が付くと    
目的地である珈琲店の前まで来ていた。
「うん。……こういうお店に入るのは久しぶり」
「だろうね。黒羽様はこんな所には来ないからね。沙耶様も似    
 たようなものだけど」
「吸血鬼ってみんなそうなの?」
「プライドが高いから普通の人間が利用するような店にはまず    
 行かないんだ」
 少年従者の言葉に納得している内に、薫はアイスコーヒーを    
注文して店の奥の席に陣取った。ごく普通のシートに腰掛ける    
と、黒羽の従者になる前の事が思い浮かんだ。
「……懐かしいわね」
「昔はよく来てたのかい?」
 同じくアイスコーヒーを手にして向かいに座った玲が聞き返    
してくる。
「たまにだけどね。友達と話をしたい時とか。でも、わたしあ    
 まり友達がいなかったから……」
「そういう風には見えないけど?」
「内気な性格だったし、裏では吸血鬼ハンターをしてたからど    
 うしても気後れしてしまったのよ。知ってると思うけど、ハ    
 ンターの事は世の中に知られたくなかったし」
「だろうね。この世界の裏側には吸血鬼が本当にいるなんて誰    
 も思わないだろうし」
 訳知り顔で頷いて、玲はアイスコーヒーを飲んだ。薫も合わ    
せるように口に運んだが、あまり味は分からなかった。
 こんな風に男の子と一緒になったのって初めて……。外見は    
半分女の子だけど。でも、やっぱりちょっと格好いいかも。
「一つ聞いていい?」
 半分近くコーヒーを飲んで、薫はこの前聞きそびれた疑問を    
口にした。
「なに?」
「玲はどうやって沙耶様の従者になったの? やっぱり沙耶様    
 に気に入られたの?」
「もちろん。さっきも言ったけど、吸血鬼は本当に気に入った    
 タイプを従者にするんだ。だから僕は沙耶様に一番気に入ら    
 れてるんだ」
「じゃ、後悔してないんだ……」
「最初はびっくりしたし、躊躇ったけどね。でも口説き落とさ    
 れて従者になったんだ。沙耶様は見かけによらず情熱的な方    
 でね。結局根負けしてしまったんだ」
 そう言って玲は心からの笑みを浮かべた。自分の立場に満足    
していることに気づいて、薫は居心地の悪さを感じる。
 わたしぐらいなのね。吸血鬼の従者になったのに迷ってるの    
って。でもわたしは<反逆の従者>だし……。
「ま、薫の言いたいこともわかるけどね。元吸血鬼ハンターだ    
 し、黒羽様を狙って失敗してるんだから。でも、黒羽様はそ    
 んなことを気にしてないんだろ?」
「と思うけど……」
 自信が無かったので、薫は言葉を濁すしかなかった。俯いた    
まま、残りのアイスコーヒーを飲み干す。やっぱり味はよく分    
からないままだった。
「だったら気にしなくてもいいんじゃないかな。黒羽様が血を    
 分け与えるのは特別なことなんだから。寺尾さんとかを見て    
 れば分かると思うけど」
「そうね。でもなんか落ち着かなくて……」
「ま、無理ないけどね。黒羽様はあの<鮮血の夜明け>事件の    
 犯人だからね」
 沈んでいた心が波立ったような気がして、薫は顔を上げた。    
 向かい合う少年は笑みを消して言葉を続ける。
「黒羽様は何も言わないと思うけど、間違いない。普段は普通    
 のお嬢様だけど、本当は殺戮に飢えている吸血鬼なんだ」