第3話―(3) 貴方は私のもの

 居間は重厚感のある内装で統一されていた。
 部屋の大きさのわりには窓が小さいこともあって室内は暗く    
重々しくさえあったが、ソファーやテーブルは古風ながらも非    
常に上品で、趣味の良さが感じられた。
「ここに来るのも久しぶりだけど、何一つ変わらないわね。壁    
 に掛けられた絵も同じだし」
 大きなソファーの中央に腰掛けて、黒羽はからかうような口    
調で言った。
「今度私の屋敷に来たら驚くわよ。かなり雰囲気が変わってる    
 から」
「黒羽は模様替えが好きよね。吸血鬼には珍しいけど」
「そうなんですか?」
 かつては吸血鬼ハンターだったこともあり、誰よりも吸血鬼    
には詳しいという自負のあった薫がびっくりして聞き返す。
 その反応がおかしかったのか、ロッテは苦笑して言葉を続け    
る。
「吸血鬼はあまり自分の屋敷の雰囲気を変えたりしないものな    
 のよ。黒羽なんか本当は現代版武家屋敷に住んでてもおかし    
 くないわ」
「どうも和風は趣味に合わないのよね……。だから今の屋敷を    
 買い取ったのよ。あそこなら執事やメイドがいてもおかしく    
 ないじゃない」
「それもそうね。だから薫なのね。なんか納得」
 突然自分の名前が出て、言われた本人ははびっくりした。何    
もなかったかのように、ナターシャが血のように赤い紅茶をテ    
ーブルに置く。
「大人しくてもの静かで、いかにもメイドに向いてそうね。ナ    
 ターシャはどう思う?」
「ロッテ様の言われる通りだと思います」
「でも……。まだ慣れてないって感じ。昔々ナターシャがここ    
 に来た直後がこんな感じだったじゃない〜」
 黒羽が持ってきた異世界のお菓子……老舗の和菓子を頬張っ    
ていたリオンが思いついたように言う。口の周りには黒いあん    
こがこびりついていて、小さな人形のように可憐な雰囲気も台    
無しだった。
「少なくともナターシャは堂々としてたわ。私に絶対の忠誠を    
 誓ってたから吸血鬼を怖がる素振りなんかまったく見せなか    
 ったし」
「わたしが……怖がってるように見えますか?」
 思いがけないことを言われたような気がして、薫は思わず聞    
き返していた。
「わたしは黒羽様の従者です。怖がってるなんてことはありえ    
 ません」
「そうやって聞いてくる事自体怯えてる証拠よ。ま、ここには    
 吸血鬼が三人もいるんだから無理もないわね。<死を呼ぶ黒    
 き蝶>黒羽、<天翔ける白い月>と呼ばれてきた私、そして    
 <守るべきものを知らない守護者>リオン。吸血鬼は普通仲    
 が悪いからこんな光景自体が奇跡ね」
「わざわざ二つ名まで言うことないじゃない。しかも私の二つ    
 名なんか勝手に名付けられたのに」
「吸血鬼に二つ名は必要よ。人間や下等な同類たちを牽制する    
 ためにもね。黒羽はその当たりが甘いのよねえ〜」
 ロッテの茶化すのような口調に、黒羽は形のいい眉をひそめ    
た。主人が怒り出すのではないかと思った薫は内心身構えてい    
たが、すぐに「それもそうなんだけどね……」と肩を落とした    
のでほっとする。
「いつも思うんだけど、黒羽は育ちが良すぎるのよね。向こう    
 の世界では文句なしの名門で、力もあるけどその分甘いとい    
 うか……。ま、その鷹揚さも黒羽のいいところなんだけど」    
「私は私、貴方は貴方よ。私は私のやりたいようにやらせても    
 らうわ」
「それでいいわ」
 ロッテはあっさりと引っ込んだ。薫から見ると彼女も黒羽と    
同じように見えたが、確信が無かったので何も言わなかった。    
 吸血鬼ってこういうものだったの? 私が今まで戦ってきた    
連中は人間を襲うことばかり考えてるようなのばかりだったけ    
ど、黒羽様やロッテ様はずっと理性的だし。でも、黒羽様は例    
の事件の犯人で……。
「ごちそうさま。異世界のお菓子、とっても美味しかった!」    
 薫の考え事は、リオンの無邪気な声によって遮られた。気が    
つくと、薫が買ってきた老舗の和菓子一箱分が綺麗になくなっ    
ていた。
「え? 全部……食べちゃったの?」
「うん。美味しかった。薫……だっけ? ありがとね」
「リオンちゃんは本当に甘いものが好きね」
「目を離すとすぐにお菓子を食べたがるから困ってるのよ。ナ    
 ターシャは甘やかすし、虫歯になったらどうするのよ」
「虫歯ぐらいへーきだよ」
 そう言いながら、リオンは隣に座っていた姉の左腕に飛びつ    
いた。金色の髪がふわりと揺れて、仔犬がじゃれついているよ    
うに見えた。
 魔力は凄いけどまだ子供ね……。自分の力をすべて出し切れ    
てないようにも見えるわね。だから<守るべきものを知らない    
守護者>……?
「貴方たちも相変わらず仲がいいのね」
 ふと訪れた沈黙を破ったのは、黒羽だった。
「私もリオンちゃんみたいな妹が欲しかったわね。見てると羨    
 ましいし」
「私たちの方が珍しいじゃない。兄弟姉妹のいる吸血鬼なんて    
 あまり聞かないわよ」
「それもそうだけど……」
「吸血鬼はたとえ血が繋がっていも相手を潜在的なライバルと    
 思うから無理ないわ」
 思いがけない声が会話に割り込んだ。少し離れた場所で一人    
椅子に座って、黒羽から貰った異世界の物理学の本に目を通し    
ていたヒナだった。窓から差し込む光を横から受けながら、淡    
々と言葉を続ける。
「私が今まで見てきた限りでは兄弟姉妹のいる吸血鬼で仲が良    
 かった例はほとんど無いわ。ロッテたちは例外中の例外とい    
 ったところね」
「私も初めて聞いたけど……。本当なの?」
 親友の吸血鬼の言葉に、万能の魔女は小さく頷くと目線を手    
元の本に戻した。これで話は終わりということなのだろう。ロ    
ッテは小さくため息をつくと「ま、ヒナが言うんだったら間違    
いないわね」とつぶやく。
「そういうものだったのね。でも、やっぱり妹は欲しかったわ    
 ね。薫も妹がいるんでしょう?」
「……。います」
 主人の言葉の真意が掴めず、薫は俯き気味に答えた。そもそ    
もその妹を死に近い昏睡状態にしたのは誰だっただろうか?     
心の中だけで反論する。
「だったら大事にしないと駄目よ。人間は弱いんだからそうで    
 もしないと生きていけないんだし」
「……心得ています」
 一瞬、人間と吸血鬼の間に底知れぬ断層を見たような気にな    
りながら、薫は答えた。
 従者になったのにも関わらず、依然として黒羽の心は読むこ    
とができないままだった。

 あてがわれた客室は、下手なホテルのスイートルームより広    
く豪華だった。内部は古風ながらも重厚感があり、ベットも屋    
敷で使っていものより大きかったが、驚くよりも先に戸惑って    
しまったことがあった。
「この部屋……。わたしと黒羽様の為に割り当てられたんです    
 よね?」
 ベットが二つ置かれていることに気づいて、薫は確かめるよ    
うにきいた。
「当然じゃない。それがどうかしたの?」
「いえ。別に……。ただ、わたしと黒羽様は別の部屋だと思っ    
 てたので……」
「従者が別の部屋にいてどうするっていうのよ」
 むすっとして黒羽は言い切ると、ベットに腰掛けた薫の目の    
前まで来た。両手を腰に当てて注意する。
「まだまだ従者としての自覚が足りないようね。いい機会だか    
 ら少し鍛えてもらった方がいいわね」
「鍛える?」
「ここにいる間はメイドとしての仕事はしなくてもいいから従    
 者らしくふるまいなさいってことよ。そんな事も分からない    
 の?」
 分かるわけ無いじゃないですか……。
 薫は声に出さずに反論した。戦いに敗れて従者になったもの    
の、もっぱら身の回りの世話などメイドらしい仕事ばかりで、    
従者としての役割について考えている余裕もなかった。
「ここにはナターシャといういい見本もいるんだから少しは勉    
 強しなさい。いい? これは命令よ」
「分かりました」
 血を分け与えられた以上、主人の黒羽の命令は絶対だったの    
で薫は頷くしかなかった。かつての立場を思うと屈辱でしか無    
かったが、ぐっと堪える。
「分かればいいの、分かれば」
 ふと、黒羽が表情を緩めた。高貴な家に生まれた令嬢にふさ    
わしい品のある笑みを浮かべると、薫のすぐ隣に腰掛ける。
 艶のある黒髪が揺れて、かすかにいい香りがした。
「たまにはいいわね、こういう所で二人だけでゆっくりするの    
 も。ロッテには感謝ね」
「はい。……わたしは落ち着かないですけど」
「正直なのね。もっとリラックスしなさいよ。ここには私しか    
 いないんだから」
 黒羽の手がゆっくりと伸びてきたかと思うと、うなじで束ね    
た長い髪の先に触れた。主人の行動の意味が分からず、薫は思    
わず身体を固くする。
「貴方の髪って少しだけウェーブしてるのね。綺麗なのに勿体    
 無い。私みたいにストレートだったら良かったのに」
「天然なんです。妹の響も同じですから」
「あの子は髪が短かったから分からなかったわね。雰囲気だっ    
 てまるで違うし。やっぱりこっちの方がはるかにいいわね」    
「はあ」
「褒めてるんだからもっといい反応をしなさいよ。貴方はいつ    
 も気の抜けた返事しかしないんだから」
「……。分かってて、言ってるんですか?」
 我慢できず、薫はついに内に秘めていたものを言葉にした。    
 一度は言いたいと思っていたことだった。
「わたしはかつて黒羽様を殺そうとした吸血鬼ハンターなんで    
 す。それなのに従者なんかにして……。本当にそれでいいと    
 思ってるんですか?」
「私の勝手よ。貴方が気にすることじゃないわ」
「でも……」
 薫の反論は、黒羽が両手を腰に回してきたことによって途切    
れた。そのまま、純白なシーツの敷かれたベットに力任せに押    
し倒される。不意を突かれては、かつての吸血鬼ハンターだっ    
た少女でも何もできなかった。
「なんなら、もう一度力任せにいたぶってあげようかしら?     
 箱庭の中であんなに酷い目に遭ったのに懲りないわね」
 高い天井を背景にして、黒羽の顔が目の前にあった。その紅    
い瞳には剣呑な光が浮かび、その秘められた魔力が半ば実体と    
なって肌に突き刺さってくる。
「巨大化して、自分の住んでいる街を盛大に破壊しながら逃げ    
 回る姿は最高だったわ。しかも、瞳は抵抗する気満々なんだ    
 から征服してやりたくなるのも当然じゃない」
「と、当然です。私は吸血鬼ハンターなんですから……」
「そんなつまらない意地捨てなさいよ。今は私のものなんだか    
 ら。身体も、心も……」
 一段と黒羽が顔を近づけてきた。息が耳にかかり、温もりも    
直接感じられるようになる。
「な、何をする気です……」
「別に何もしないわ。ただ楽しんでるだけ。従者なんだから大    
 人しくしてて」
「でも……」
 薫の小ぶりな胸に、黒羽の発育のいい胸が当たっていた。全    
てを自分の全身で受け止める形になり、黒羽は混乱していた。    
「そうやって無駄な抵抗をするされるとかえって征服したくな    
 るのよね。やっぱり貴方を従者にしてよかった。素直な従者    
 もいいけど、反発心のある従者というのもいいわね」
「……」
「貴方は自分では気づいてないと思うけど、理想的な身体をし    
 てるのよ。背が高くて細身で、髪と瞳が綺麗で……。しかも    
 たまに反発してるんだから。従者にしてよかった」
 黒羽の言葉の意味を考えるよりも早く。
 薫の唇に主人のそれが重ねられた。あまり出来事に血が沸騰    
し、頭の中は真っ白になる。
「あ、初めてだったのね。悪いことをしたかしら?」
「……え、えっと、その……」
「同性が相手だったらノーカウントでいいじゃない。これから    
 もこうやって可愛がってあげる。貴方が従者である限りね」    
「わたし、その……」
「抵抗したかと思うとうぶなのね。もう、仕方ないわね。どう    
 せ暇だし、しばらく遊んであげる」
 薫は何もできなかった。広いベットの上で、黒羽に何度も抱    
きしめられたり、唇を重ねられたりしたからだった。まるで、    
恋人を心の底から愛おしむかのように。