第3話−1 セブンシスターズ

 日本有数の総合商社「烏丸商事」の司令塔は、都内の閑静な    
高級住宅地に建つ烏丸家の邸宅の一角にある。
 本社ビルは港区にあったが、真の最高経営責任者がそこに行    
ったことは無く、全てここから指示を出していた。
「今期の業績も順調です。今の経営陣はよくやっています」
 屋敷の中央棟の二階にある黒羽の仕事用の部屋。
 その中央に置かれた古風な机に陣取った少女に、もう一人の    
裏の経営者である寺尾が淡々と報告した。
「正確には貴方が、でしょう? 執事としての仕事をこなしな    
 がら指示を出しているのは知ってるわ」
「私はちょっと手伝っているだけです」
「謙遜するわね。ま、上手くいってるんだから問題ないけど。    
 これからもその調子で頼むわね」
「承知しております」
 主人への敬意を込めて、寺尾は丁寧に頭を下げた。偶然のよ    
うな出会いから吸血鬼・黒羽の従僕となったのだが、今の立場    
を心の底から楽しんでいた。
「それより問題は裏の世界ね。北米はどうなの? ヨーロッパ    
 に不穏な動きは?」
「北米は小康状態です。さすがの<テリブル>ゴールドスミス    
も疲れたようです」
「歳は食ってるのに他人に食ってかかってばかりいるからよ。    
 動かないのが最善だってことがどうしても分からないのね」    
「ヨーロッパはまた新たな抗争が始まる可能性があります。ク    
 リミア併合の裏にはやはり例の二人の争いが絡んでいるよう    
 です」
「そんなことだと思ったわ。こっちもとばっちりを受けたりし    
 ないように用心しないと」
「アジアが平穏なのがまだ救いです。王大人も大人しいですか    
 らね」
「ずっと昔だけど手打ちをしたのが良かったわね。王大人なら    
 分かってくれると思ったけど」
 少しだけ安堵したように、黒羽はつぶやいた。両肘を机の上    
につき、息を漏らす。興隆著しい大国の裏側を支配する吸血鬼    
のことを考えると、どうしても心が休まらなかった。
「いつも思うのですが、この狭い世界に七人の吸血鬼は多過ぎ    
 ます。たえずどこかで小競り合いが起きています」
「本当ね。誰か一人、特別強いのがいればいいんだけど、現実    
 世界同様裏の世界も<Gゼロ(無極化世界)>なのよねえ」    
 現在、世界には有力な吸血鬼が七人いた。別名<セブンシス    
ターズ>とも呼ばれ、黒羽もその一人に数えられていたが、そ    
の本人に言わせれば<似たもの同士が七人いるだけ>の状態だ    
った。
 日本には少女吸血鬼・烏丸黒羽。
 中国を支配するのは<大人>王。
 中東には別名<学者>と呼ばれるもの静かな実力者が本拠を    
置き、ヨーロッパではアングロサクソン系とスラブ系二人の吸    
血鬼が呉越同舟の状態で睨み合っている。
 そして北米では最長老でもある<テリブル>ゴールドスミス    
が威張り散らし、中南米はそのゴールドスミスを目の敵にする    
青年吸血鬼が勢力下に置いていた。
「吸血鬼の世界まで無極化しているとはさすがに思いませんで    
 した。ところで黒羽様」
「何かしら?」
「なぜ、この話を薫さんにはしないのです? 従者ならば知っ    
 てて当然のことではありませんか?」
「薫は元とはいえ吸血鬼ハンターなのよ。人間たちにこの事が    
 漏れたら大変な事になるじゃない」
「本当にそれだけでしょうか?」
 軽く眼鏡を上げて、寺尾は少し口調を強めた。反抗的な態度    
に、黒羽は形のいい眉を顰める。
「薫さんを生々しい事実から遠ざけたいと思ってませんか?     
 それとも、薫さんには自分が一番強いと思わせていたいので    
 はありませんか?」
「そんな事はないわ!」
 突然、黒羽が立ち上がった。紅い瞳には殺意が浮かび、長い    
髪が別の生物のようにざわめいている。
 しかし、寺尾は眉一つ動かさずに二の矢を放つ。
「黒羽様、薫さんには全てを知らせるべきです。都合のいい事    
 ばかり伝えていては本当の主従関係は結べません。薫さんも    
 困っているのです」
「薫が……困ってる?」
「かつて吸血鬼ハンターだったから当然かもしれませんが、黒    
 羽様の従者であることに戸惑い続けています。あのままでは    
 いつか七瀬さんのように……」
「それ以上は言わないで!」
 強い口調だったが、表情は半分泣いていた。半年前に自ら命    
を断った少女の名前は、黒羽の前では禁句だった。
「ならば正直に全てを話すべきです。いつか後悔することがな    
 いように」
「分かってる、分かってるわよ……」
「ならばお忘れなきようお願いします」
 そう言って、寺尾は何もなかったかのように話題を変えた。    
 黒羽も椅子に座り直したが、その表情はどこか虚ろなままだ    
った。

 黒羽が寺尾と共に<仕事>に打ち込んでいる頃。
 従者の薫は、食事担当のメイドである春奈と共にキッチンで    
ケーキ作りを楽しんでいた。黒羽が仕事部屋に籠もったので暇    
を持て余していたところ、先輩メイドから誘われたのだった。    
「春奈さんって、パティシエ目指してたんですか?」
 綺麗に飾り付けられていくケーキを見つめながら、薫は興奮    
を隠せずに質問した。
「ええ。専門学校にも通ってて、卒業したら海外に修行しに行    
 くつもりだったの」
「でも黒羽様と出会ってメイドになったんですか?」
「そうよ。黒羽様は甘い言葉で誘ってくれたわ。<貴方を立派    
 なパティシエにするから私に従いなさい>って。そう言われ    
 たら断る訳にはいかないじゃない」
「それって半分詐欺じゃ……」
「そんなことはないわ」
 薫より六歳年上のメイドは悠然と微笑むと、手慣れた手つき    
でホイップクリームをケーキの上に飾り始めた。甘い香りが辺    
りを包み込み、薫はうっとりとしたような表情になる。
「こうやって、黒羽様や薫の為に美味しいお菓子を作れるんだ    
 から私は十分に幸せよ。余計な心配なんかしなくてもいいん    
 だし」
「そうですけどね……」
 春奈の言葉に、薫は釈然としない様子で頷いた。
 この屋敷で働いている限り、住む場所の事も、お金の事も、    
そして人間関係も気にしなくて済むのは事実だった。寺尾の話    
によれば、春奈は見かけによらず人見知りが激しいらしいので    
ここは天国なのかもしれなかった。
 そういえば、春奈さんってオフの時はよく寺尾さんと一緒に    
いるわね。寺尾さんも合わせてるみたいだし、やっぱり、そう    
いう関係なのかも……。
「薫はまだわだかまりがあるのね。寺尾さんも言ってると思う    
 けど、薫は黒羽様の従者なんだからもう少ししっかりして欲    
 しいわね」
「分かってるんですけど、わたしは元はといえば吸血鬼ハンタ    
 ーだったんです。しかも黒羽様を倒そうとして失敗してるん    
 です。それなのに従者だなんて……」
「ま、ゆっくりと慣れていけばいいわよ。私も応援してあげる    
 から♪」
 自然と伸びてきた春奈の手が、白いリボンで束ねた薫の髪を    
ゆっくりと撫でた。自分が愛玩動物になったような気がしなが    
らも、その気持ちよさに少女は自然と笑みを浮かべる。
 おっとりとした性格の春奈は、薫にとって先輩メイドという    
より姉のような存在だった。
「さて、そろそろ出来上がるわよ。お皿を出して」
「黒羽様と寺尾さんの分もですよね?」
「当然よ。仕事で疲れたら甘いものに限るじゃない」
 穏やかな笑顔で言い切る春奈に、薫も微笑して頷くと大きな    
食器棚に向かった。いつも使うケーキ皿を取り出そうとしたの    
だが……。
 その皿の上に、白い横長の封筒がある事に気づいた。
「誰? こんなところに手紙なんて。黒羽様のいたずら?」
 そんな事を主人の少女吸血鬼がするわけないと思いながらも    
手にとって宛名を確かめる。そこには流麗な字で「烏丸黒羽様    
へ」とだけ書かれていた。
「薫、どうかしたの?」
「ケーキ皿の上に手紙があったんです。……あ、裏に名前があ    
 ります。ミアキス・ロッテ……?」
「なんだ、ロッテ様だったのね。だったらすぐに持っていった    
 方がいいわね。黒羽様が喜ぶから」
「ロッテ様? 黒羽様が……喜ぶ?」
 先輩メイドの言葉を繰り返してから、薫は手紙をしげしげと    
眺め回した。これといって特徴のない封筒だったが、今まで感    
じたことがない魔力がかすかに残っているのが分かった。
 こんな波長の魔力、初めて……。響が術を使った時の魔力に    
少し似てるけど、別物ね。
「ロッテ様は黒羽様の親友なのよ。詳しいことは後で分かると    
 思うからまずは手紙とケーキを持って行きましょう。お茶は    
 私が淹れるから」
「お願いします」
 やがて、二人のメイドはワゴンにケーキと淹れたての紅茶を    
載せて、黒羽の仕事部屋の扉を開けた。
「黒羽様、お茶にしませんか? 春奈さんがケーキを作ってく    
 れました」
「ちょいどいいわね。少し休みましょう。……美味しそうな香    
 りが漂ってくるわね」
「はい。ネットで新しいレシピを見つけたので早速試してみま    
 した。……薫、手紙手紙」
「あの、黒羽様。手紙が届いていました」
「誰から?」
「ミアキス・ロッテ様という方からです」
 ワゴンに並べられたケーキを眺めていた黒羽が弾かれたよう    
に顔を上げた。従者の少女が持つ手紙に気づくと、目にも留ま    
らぬ速さで奪い取る。
「黒羽様……?」
「うるさいわね。ちょっと待って。……。久しぶりに遊びに行    
 くのも悪くないわね。薫、貴方も来るのよ。貴方にも会いた    
 いそうよ」
「何が何だか……さっぱり分からないんですけど」
「出発は明日の朝ね。薫はそれまでに準備すること。私の分と    
 貴方の分よ。寺尾、明日からの予定は全てキャンセルして。    
 どうせ大した予定は入ってないけど」
「黒羽様、薫さんは話の内容を理解していません」
 ようやく黒羽が手紙から顔を上げた。きょとんとする薫、笑    
いを噛み殺す春奈、ポーカーフェイスの寺尾、それぞれの表情    
を確かめると、心なしか頬を染める。
「う、うるさいわね! 今から説明するつもりだったのよ!     
 ミアキス・ロッテは私の親友の吸血鬼よ。こことは別の世界    
 ……アヴァロンファンタジーという世界の実力者なんだけど    
 私とは<同盟>しているの」
「……。初めて聞きました。わたしの家にもそんな情報はまっ    
 たく入ってこなかったのに……」
「当たり前じゃない。人間たちには隠してるんだから。そもそ    
 も私たちのいる世界と似たような世界が沢山あるということ    
 も知らないようね」
 人間に対する優位を見せつけることができた為か、黒羽は得    
意げだった。しかし、薫はあまりに意外な話についていけなく    
なっていた。
「それでその……。わたしはどうすればいいんですか?」
「話を聞いてなかったの? しばらくロッテの所に滞在するか    
 らそれに合わせた準備をすればいいの。貴方は私の従者なん    
 だから当然来てもらうわ」
「……分かりました」
 まったく分かっていないまま、薫は頷いた。助けを求めるよ    
うに寺尾の方に目を向けると、青年執事は苦笑して小さく頷い    
てみせた。
 後で寺尾さんから聞こうっと……。でも、こんなに嬉しそう    
な黒羽様も初めて見たわね。
「ロッテに会いに行くのも久しぶりね。リオンちゃんも元気か    
 しら?……あ、そうだった。おみやげもいるわね。いつもの    
 ように「あづまや」の和菓子と物理学の本でいいわね。薫、    
 後で買ってきて」
「……物理学の本をおみやげにするんですか?」
「ヒナが欲しがるのよ。こっちの世界の科学が彼女には魔法に    
 見えるらしいわね」
「ヒナ・スノウさんはかつて人間だった魔法使いです。ロッテ    
 様の親友で、屋敷内に住んでいらっしゃいます。スノウさん    
 の魔法があれば、私たちでも自由に別の世界に行けます」
「そうなんだ……」
 混乱する薫の頭でも、今まで培ってきた<常識>が通用しな    
い世界に行くことだけは理解できた。
 それでも、見知らぬ世界への好奇心がこみ上げてくるのも感    
じていた。
 遊びに行くみたいだからそんなに堅苦しく考えなくてもいい    
のかも。でも、初めてね。黒羽様と二人だけで遠出するのは。    
 何が待っているのか、まったく分からなかった。
 それでも薫は、少しずつ楽しみに思えてきているのだった。