第1話―(5) 反逆の従者誕生

 吸血鬼と、彼女を仕留めようとするハンターの戦いは、実在    
の街・鶴野市を戦場にしてなおも続いた。
 ふたりの巨大少女が組み合い、相手を投げ飛ばしたり転がる    
たびに建物は破壊され、道路上の車は潰されて炎上する。気が    
ついた時には大きな街はほとんどが破壊されるか炎上するかの    
状態になっていたが、それでも決着はつかなかった。
 いや、正確に言うならば決着は先延ばしにされていた。
 よく見ると攻撃を続けているのは黒羽だけで、薫はそれを防    
ぎながら逃げ回っていたからだった。
「あーあ。酷いわね。街がめちゃめちゃじゃない。貴方が逃げ    
 るたびに破壊が進んでる自覚はあるのかしら?」
 壊滅させたばかりの住宅街を足場に、黒羽は両手を腰に当て    
て溜め息をついてみせた。
 その口元に微笑が浮かんでいるのは、穏やかな雰囲気の巨大    
美少女が街を壊滅させながら逃げまわる様を眺めるのが楽しか    
ったからだった。
「そ、それは……」
 薫はまだ破壊の魔手を逃れている遊園地を背景にして、駐車    
場に座り込んでいた。スカートから伸びる足は車を潰し、アス    
ファルトを陥没させていたが、当の本人は混乱する心を鎮めよ    
うと必死だった。
 刀が、見つからない……。あれが無いとわたしどころか響で    
も勝てるわけがないのに。でもいったいどこに……。
「わたしの質問に答えて欲しいわね、藤間薫!」
「誰が……お前の質問なんかに……」
「ふーん。まだ無駄口を叩く余裕はあるみたいね。あんたの狙    
 いはこれじゃないかしら?」
 言い切った瞬間。魔法のように黒羽の手に黒塗りの鞘を持つ    
刀が現れた。それが目に入った瞬間、薫の理性は一時的に吹き    
飛んでいた。
飛び跳ねるように立ち上がると、足元にまだ壊していない車が    
あるのにも関わらず、黒羽に飛びかかったからだった。
「ばか。もう何も見えないのね」
 吸血鬼ハンターの少女の愚行は、吸血鬼の反撃によって断ち    
切られた。真正面からキックを食らわされて、遊園地の正面ゲ    
ートを破壊しながら転がる羽目になったからだった。強烈な痛    
みに薫の意識がまたも薄れそうになる。
「今度は遊園地も壊してしまう気ね。もう、幾らなんでも壊し    
 すぎじゃない。怪獣じゃないんだから」
「くっ……」
「でも、あんたを怪獣にできたら楽しいわね。その衣装はよく    
 似合ってるし、ルックスも人間にしては悪くないし。やっぱ    
 り手元に置いておきたいわね」
「何を……何を言ってるの?」
「そろそろ種明かしをしてもいいわね」
 自分が操る箱庭の中にいる為か、簡単に手に持っていた刀を    
消し去って、黒羽は愉悦の笑みを浮かべた。プレゼントを大好    
きな相手に渡す時のような口ぶりで説明を始める。
「なぜ私が貴方の妹を殺さなかったか、分かるかしら?」
「え?」
「その気になれば殺すことは十分にできたのよ。でも、私はあ    
 えて呪いをかけただけであえて送り返した。私にしては寛大    
 過ぎると思わない? 藤間響のお姉さん」
「何を言ってるのか……わからないわ」
 ようやく薫は体を起こした。壊滅した遊園地の正面ゲートを    
足場に黒羽を見据える。その瞳に光はほとんど残っていなかっ    
た。
「それはね、貴方を私の前に引っ張りだす為よ!」
言葉の意味を理解できず、ぼんやりする薫を黒羽は見逃さなか    
った。すかさず間合いを詰めると、その巨体を遊園地の中央部    
に投げ飛ばしたからだった。
「あっ……!」
「うわーよく壊れるわね。観覧車もジェットコースターも巻き    
 込んでしまったじゃない。みんなめちゃめちゃ。この遊園地    
 で妹とよく遊んだのじゃないの?」
「……」
「図星だったようね。でも、そんな場所を自分で壊すのは快感    
 じゃないかしら? 特別な背徳感があるんじゃないの?」
「……」
「そうみたいね。あんたは可愛い顔をしてとんでもない破壊衝    
 動の持ち主なんだから。小さい時から密かに怪獣に憧れてた    
 ことぐらい知ってるのよ」
 薫の目が大きく見開かれた。
 妹すら知らない事実を、目の前の吸血鬼は知っている……。    
 一撃で根本から倒してしまった観覧車の上に置いていた手を    
きつく握りしめたが、抵抗する力は残っていなかった。
「しかも、ルックスも性格も私の好み。こうなると欲しくてた    
 まらなくなるのよね。今の私には<下僕>はいるけど、<従    
 者>はいないから」
「それが、どうしたのよ……。お前は人間を餌程度に思ってる    
 んじゃないの?」
「そうだけど、たまには役に立つ人間や好みに合う人間がいる    
 じゃない。そういう人間は別。血を吸って闇の眷属にしてし    
 まうの。そうすればただの餌から従僕にまで昇格するわ」
「……まさか」
「そのまさかよ。藤間薫。私は貴方を従者にして、手元に置い    
 ておきたいの。貴方は私のテストに合格したのよ」
 本能的な危機を感じて、薫はへっぴり腰のまま後さずった。    
 すらりとした足がジェットコースターのレールをさらに破壊    
し、両手は施設を潰したが、恐怖に支配された少女に構ってい    
る余裕は無かった。
「栄光に思いなさい。従者というのは普通の従僕よりさらに上    
 の階級……普通の人間に与える最高の地位なんだから。従者    
 になったらあんたの人間性も特別に認めてあげる」
「嫌……。絶対に嫌!」
「思い上がるのもいい加減にして欲しいわね。人間は吸血鬼よ    
 りはるかに下等な存在。わざわざ対等に近い立場にしてあげ    
 ようっていうのにそれを嫌がるなんて」
「わたしは……。わたしは吸血鬼ハンターなのよ! あんたの    
 従者になるぐらいなら死んでやるから! 自殺するのだって    
 怖くないんだから!」
 一瞬だけ、黒羽の瞳の中で何かの感情が揺れ動いた。しかし    
すぐにそれを消し去ると静かな声で反論する。
「だったら妹はどうでもいいのね。貴方の大切な妹はもう二度    
 と、目を覚まさないわ」
「あっ……」
 熱くなっていた心は一瞬の内に冷えきった。戦いが苦手な自    
分がわざわざ刀を握ったのは……。
「貴方が死んだら誰が妹さんを復活させるのかしら? 私が調    
 べた限りでは貴方の家にもう優秀な吸血鬼ハンターはいない    
 わね。妹より弱いとはいえ貴方が切札だったから!」
 無造作に近づいてきた黒羽が、薫の手を掴んだ。無理やり立    
ち上がらせると、まだ壊していない地区目掛けて投げ飛ばす。    
 罪悪感も心から消えていた薫は施設を破壊して踏み留まる。    
「卑怯者……」
「卑怯? 違うわ。これが作戦よ。あんたを手に入れるための    
 ね。さあ、今度はこの遊園地を壊してしまいなさい!」
 その言葉を合図にするかのように、黒羽は攻撃を再開した。    
 呆然とする薫自身の巨体を武器にして、遊園地の残っていた    
部分すらも破壊してしまったからだった。
 それでも、薫は揺れ動く心に翻弄されるだけだった。
 そんな……。どうしたらいいの? このままだと私は闇の眷    
属にされてしまう。でも、ここで死んだら響もいずれ……。
 最悪の二者択一だった。
 闇の眷属になれば吸血鬼ハンターとしての心構えは完全に消    
えてしまう。しかし、ここで命を投げ出したとしても……。
「ついにこの街も壊滅したわね。いい破壊力ね。闇の眷属にし    
 たら暇な時は街を壊して遊んでもらうのもいいわね」
「……」
「じゃ、そろそろ儀式を始めるわよ。念の為に動けなくした方    
 がいいわね。血を吸う時に動かれると服が汚れて嫌なのよ」    
 黒羽が笑いながら言うのと同時に。薫は全身が硬直するのを    
感じた。驚いて体のあちこちに力を込めたものの、まったく反    
応がない。
「慌てなくてもいいわ。大して時間はかからないから。私が血    
 を吸えば貴方は生まれ変わる。楽しみね」
 駄目……。このままだと私は吸血鬼になってしまう……。そ    
うしたら誰も響を助ける事ができなくなる。せめて相打ちに持    
ち込みたかったのに……。
 涙腺が熱くなったが、涙すらもこぼれない。まるで周囲の空    
気が実体化して全身を縛りつけてくるかのようだった。
 これで終わり、なのかしら……。わたしも響も……。
 背後から黒羽の両手が回された。今までと違って、人形を愛    
でるかのような柔らかな手つきだった。
「あら、貴方って意外と胸が小さいのね。ま、いいわ。とって    
 も可愛い顔をしてるし、実力もほどほどにあるから従者には    
 最適ね」
 まさか……。本当に気に入っている? 吸血鬼なのに……?    
でもどうにもならな……え?
 ほんの一瞬、リボンと束ね髪に隠れたうなじで何かが脈打っ    
た。そこにあるのは確か……。
 小さい時に彫られた護符? 確か万一の時は役に立つと聞い    
たけどその効果は……。
 護符の役割を思い出した瞬間。
 首筋に注射の時のような痛みが走り、吸血鬼の令嬢・黒羽の    
牙が突き立ったのを感じた。そこから一筋の血が流れた時、吸    
血鬼ハンターの少女は吸血鬼の従者となったのだった……。

「薫、何をぼんやりしてるの?」
 主人の黒羽の声が耳を打って、かつて吸血鬼ハンターだった    
少女は我に返った。気がつくと、黒羽の端正な顔が目の前にあ    
った。
「く、黒羽様……」
「相変わらずぼんやりなのね。そんなことだから私にも簡単に    
 負けるのよ。ま、こっちとしては好都合だったけど」
 ゆっくりと薫から離れて、少女吸血鬼は溜息をついた。その    
瞳には、いたずらっぽい光が浮かんでいる。従者として仕える    
ようになってからは、本気で呆れたり怒ったりしなくなったこ    
とに、薫も気付いていた。
「わたしにとっては最悪でした。負けてしまったんですから」    
「でも、そのまま死ぬよりは百倍もマシじゃないの? もし貴    
 方のことが気に入らなかったら……殺してたのに」
「<鮮血の夜明け>事件の時のようにですか?」
「……さあ、どうかしら?」
 自分が<犯人>だというのに、黒羽は半年前の大量虐殺事件    
のことを持ちだされると機嫌を損ねる。性格からすると「当然    
じゃない」とでも答えていいはずなのだが、理由は未だに分か    
らない。
「それより、今日はこの街を舞台に好きに暴れてもいいわよ。    
 戦いたければ私が相手してあげる」
「まずはわたし一人で好きに大暴れしていいですか? 怪獣み    
 たいに壊し尽くしてみせます」
「もちろんいいわ。それにしても、この街は自分が生まれ育っ    
 た街なのによくやるわね」
「箱庭の中の架空の街ですから当然です」
 無造作にブーツで足元の車を潰しながら、薫は笑った。
 初めてこの箱庭の中で戦った時には、現実の街とリンクして    
いる可能性が心を縛っていたので怖くてたまらなかったが、後    
で嘘だったことがわかって安堵したものだった。
「現金なものね。まったく」
「嘘を教える黒羽様が悪いんです。後でお仕置きします」
「そんなにお仕置きされたいなら本気で相手してあげるわ」
 短い沈黙の後、薫と黒羽は堪えきれなくなったように声を上    
げて笑った。
 今のふたりの関係は、不思議な絆を結びつつある主人と忠実    
な従者だった。
 ……今は仕方ない。血を与えられて闇の眷属になってしまっ    
た以上、藤間の家には戻れないんだから。でも、黒羽様を討ち    
取れば響は助けられる。いつか、きっと……。
 うなじに彫られた護符によって、わずかながらも吸血鬼ハン    
ターとしての心を残すことができた少女は、<反逆の従者>と    
して生きる決意を固めていた。
 とにかく今は忠実な従者として黒羽様に仕えるだけ。そうす    
ればチャンスも生まれるはず。響、待ってて。
「そろそろ始めてもいいわよ。私は見学してるから。私の巨大    
 剣闘士(グラディアトル)・藤間薫。その実力を存分に発揮    
 しなさい」
「はい、黒羽様」
 心の奥に刃を隠し、薫は笑って頷いた。改めて、自分の周り    
に広がる建物を眺める。三十倍サイズに巨大化しているので、    
見慣れた町並みもただの模型にしか見えなかった。
 面白い<ゲーム>ね。箱庭世界の中の架空の街を戦場にして    
巨大化した剣闘士(グラディアトル)が戦うなんて。ここでな    
ら幾らでも暴れられて、黒羽様の歓心も買える……。
 かつて、古代ローマでは奴隷から剣闘士になって栄華を得た    
者もいたと言われている。そういう意味でも、<剣闘士(グラ    
ディアトル)>という称号は相応しく思えた。
 黒羽が右手を高く上げ、大きく振り下ろした。それを合図と    
するかのように、巨大剣闘士となった少女は眼の前に広がる町    
並みに襲いかかっていったのだった。