反逆の従者 ―箱庭世界の巨大剣闘士―
                         
       
     プロローグ 箱庭世界の巨大剣闘士

 ゆっくりと降下するエレベーターに乗っているかのような浮    
遊感が消えた。
 同時に黒茶色のブーツに包まれた足が道路やその周囲にあっ    
た小さな建物や車を踏み潰し、砂塵を巻き上げる。それでも、    
藤間薫(ふじま・かおる)は何もなかったかのように顔を上げ    
て辺りを見回す。
 視野に入ってきたのは、東京の近郊にある鶴野市の風景だっ    
た。利根川に合流する鶴野川に面して発展した街であり、複数    
の私鉄が乗り入れる交通の要所でもあったが、身長五十メート    
ル近くまで巨大化した薫には、精巧な模型のようにしか見えな    
かった。
 またここに来るなんて思わなかった。しかも、こんな風に巨    
大化して。ま、架空の世界だから当然だけど。
 足元で道路上の車などを踏み潰して炎上させているのを確か    
めて、巨大化した少女は小さく溜息をついた。かつてここに来    
た時も、今と同じように吸血鬼ハンターとしての派手な衣装に    
身を包み、手には愛用の刀を握りしめていたのだが、その時戦    
った相手は……。
「どう? 私特製の箱庭世界は? またここで大暴れできると    
 思うと興奮して仕方ないんじゃないの?」
 皮肉に満ちた声が背後から飛んできた。うなじで束ねた黒髪    
を大きく揺らしながら振り向くと、吸血鬼であり薫の<主人>    
でもある烏丸黒羽(からすま・くろは)が腕組みをして立って    
いた。彼女もまた、薫と同程度まで巨大化して道路上の車を全    
てスクラップにしていた。
「それは黒羽様も同じではありませんか? わたしの大暴れを    
 目の前で楽しめるんですから」
「誤魔化しても無駄よ。貴方は自分の生まれ育った街を壊した    
 くてうずうずしてるんでしょう? 幾ら壊しても被害のまっ    
 たく出ない架空の街でもあるんだから」
 口元に笑みを浮かべた黒羽の言葉に、薫は渋々頷いた。目の    
前の主人は、全てお見通しだった。
「だからこそ、貴方を巨大剣闘士(グラディアトル)にしてみ    
 たいと思ったの。最高じゃない。箱庭世界の中に作った街を    
 破壊して戦う剣闘士というのも」
「そしてわたしは黒羽様のために戦うというわけですね」
「期待してるわよ。貴方は私のたった一人の従者なんだから」    
 黒羽の言葉は、鋭い矢となって薫の心に突き刺さった。
 かつて、薫は吸血鬼ハンターとして黒羽に戦いを挑んだが、    
その結果が今の立場だった。
 わたしは黒羽様の従者。でも……。それは表向きだけ。いつ    
か討ち取ってみせる。響(ひびき)の為にも、吸血鬼ハンター    
としての誇りに懸けて。
 黒羽に戦いを挑んだ挙句呪いをかけられて昏睡状態にある妹    
の顔を思い浮かべて、薫は刀を握る手に力を込めた。大好きな    
妹を助けるには、黒羽を殺すしか方法は無かった。
 わたしは反逆の従者。いつか主人に仇なしてみせる……。
「さて、そろそろ始めるわよ。今日は特別に私が相手してあげ    
 るわ。妹さんと違って貴方は弱いのよね」
「わたしは元々そんなに強くありません。でも、響のためにこ    
 こまで来たんです」
「それなのに吸血鬼の従者になるなんて、本当に皮肉ね。でも    
 貴方をただの人間にしておくのは惜しいわ。これからもずっ    
 と、私の為に働いてもらうわよ」
「そう言っていただければ誠に光栄でございます、黒羽様」
「……力は半人前のくせに口だけは達者なんだから」
 思いがけない形で逆襲されて、黒羽はそっぽを向いて言い捨    
てた。世界でも有数の実力を誇る少女吸血鬼のはずだったが、    
なぜか薫の皮肉には弱かった。
「冗談はとにかく、本当に私の相手をするんですか? わたし    
 は吸血鬼を一撃で葬る刀も持っているんですよ」
 妹が作ってくれた吸血鬼ハンターとしての衣装をふわりと翻    
しながら、薫は刀を構えてみせた。しかし、黒羽はまったく動    
じない。
「貴方が私に反逆できるわけないじゃない。血を与えて従僕に    
 なったからには絶対服従なんだから。それに貴方の剣術なん    
 て遅すぎて退屈過ぎるわ」
「つまり、私では勝てるわけがないと。二重の意味で」
「街を壊して戦ったら夢中になって忘れるんじゃないの? こ    
 の前だってそうだったじゃない」
「……。警告として受け取っておきます」
 やっぱり黒羽には勝てそうにはなかった。
 頭をもたげてきた<野心>を慎重に隠して、薫は気持ちを切    
り替えた。
 今は巨大剣闘士として楽しんだ方が得。黒羽様も喜ぶし、わ    
たしだって楽しいから……。今回は練習よ、練習。
 そう思いながら、改めて周囲を見回す。今から一時間後には    
自分が生まれ育ったこの街はふたりの巨大少女によって破壊さ    
れ、見るも無残な姿に晒すことになるのだろう。
 それでも、無限の破壊衝動を秘めた反逆の従者は、夢見るよ    
うな表情で戦いの合図を待ち続けていた。
 全てはあの日から始まったのね。初めてこの箱庭の中で戦っ    
た日、黒羽様に敗北した日……。
 ふと、そのようなことを考えるのと同時に。
 薫は運命が変わった日へと神経を集中させた。何度思い返し    
ても自分の迂闊さが悔やまれるあの日へと……。