第20話 エリアノール様の為
                            
 海若が自分の屋敷に運び込まれたのは、それからかなり経っ
てからのことだった。
 騒動の元になったエリアノールとジルベールは気がついた時
にはいなくなっていたので、隼人と槍太、なんとか意識を取り
戻した風香が手伝っただけだった。
「海若さん、かなり苦しそう」
 熱を出しているのに気づいた風香が、水を汲んだ手桶と布を
持って戻って来るなりつぶやいた。
「隼人さん、解毒剤はないんですか?医者は?」
「毒の種類は俺にもわからない。医者は薬草に詳しい奴を槍太
 が呼びに行っている。ただ……」
 苦渋に満ちた表情を、隼人が浮かべたのはその時だった。
 絞り出すかのように言葉を続ける。
「呼びに行っても、来るかどうかは五分五分だ。港にいた連中
 が甲龍の言葉を言いふらしてたら来ないかもしれん」
「そんななんで海若さんが人魚の肉を食べた化け物なんです!?
 人魚なんて、ただの迷信です」  
「だといいのだがな。おそらく、娘さんのようにはいくまい。
 海若に不信感を持つ奴が多過ぎる」
 水で冷やした布を海若の額に置いた風香だったが副首領の言
葉に、びっくりして顔を上げた。
「命懸けで戦っているのに分け前が少ないのは事実だ。それに
 不満のある連中が先代の息子である甲龍を担いだ。甲龍だっ
 て、ある意味では哀れな奴だったんだ」
「そうなんですか?」
 再び、その本人が絶命した瞬間を思い出して、顔を歪めて風
香は聞き返したが、元々口の重い隼人はそれ以上言葉を続けな
かった。
 思った以上に複雑だったのね。この島も。でも、もし海若さ
んがこのままだったら、わたしどうすればいいのかしら? 
 海若が倒れて、風香はゆれていた。
 エリアノール・ジルベールと同じ<旅人>とはいえ、帰る場
所が七百年以上先では、孤独感に心が押し潰されてしまいそう
だった。
 これから、どうしたらいいのかしら?この島で暮らし続ける
しかないのかしら?隼人さん何か言ってくれればいいのに。
 何かを考え込む副首領に、内心八つ当たりした時だった。
 大きな足音と共に、槍太が部屋の中に駆け込んできた。
「駄目だ!もう島中に噂が流れてる。兄貴が人魚の肉を食った
 化け物だって。栃柾のじいさんもオレの顔を見るなり閉じ籠
 もって出てこなかった。どうすればいいんだよ!このままだ
 と、兄貴が……!」
「槍太、落ち着け。夜が明けたらおれの命令で船を出す。本土
 の薬師をすぐに連れて来させる」
「それまで兄貴がもたないぜ!風香、様子はどうなんだ?」
「悪くなってはいないと思うけど、良くもなっていないわ。か
 なり高い熱が出てるし」 
 額に水で冷やした布を置いたのにも関わらず、横になった海
若は浅い呼吸で苦しそうに喘いでいた。
 刀を直接握り締めた時の傷の治療は済んでいたが、毒自体は
全身に回っているようだった。
「そういえば、例の客人はどうしたんだ?あいつらが逃げ出す
 からこんな事になったんだぜ」  
「わたしもどこに行ったのか、わからないわ」
「ったく、とんだ疫病神だぜ。あの二人。もう少し……」
 不平を抑えきれず、なおも言葉を続けようとした槍太だった
が、風香に睨まれて慌てて止めた。
 どこか落ち着かない奇妙な沈黙がしばらく続いた後のことだ
った。  
 今にも途切れそうな小さな声が、風香たちの耳に届いた。
 海若が喘ぎながら漢語で何かを言っているのだった。
「なんて言ってるんだ?兄貴は。夢でも見てるのか?」
「さあ。中国語だからわからないわ。エリアノールさんたちが
 いればわかるけど」
 そこまで言って、風香は肩を落とした。
 海若は重体に陥り、エリアノールたちは姿を現さない。
 先程までの心細さがまたこみ上げてきて、未来から飛ばされ
てきた少女はただ悩んでいるのだった。
                            
 それと同じ頃。
 エリアノールたちは港で手に入れた松明を頼りに、島の片隅
にある藪に分け入っていた。
 港での事件の後、ジルベールが、まっすぐ向かった先がここ
だったのである。                    
「ジルベール、急にどうしたの?」
 白い肌を傷つけかねない低木の枝を無造作に払いながら、貴
族の娘は不満を隠せずにきいた。             
「薬草を探しています。おそらく、ここにあるはずです」
「薬草?何の為に?」
「決まっています。海若の為にです」
 突然、エリアノールの足が止まった。
 両手を腰に当て、蒼色の瞳で従者の青年を見据える。
「その必要はないわ。あの男が死ぬことになっても自業自得。
 放っておいても問題ないわ」
「そうはいません」
 蒼い炎を思わせる瞳で射すくめられても、ジルベールの表情
と言葉は変わらなかった。
「あの男は我々にとってまだ利用価値があります。ここで助け
 ておけば、きっと役に立ちます。私情をお捨てください」
「そうはいかないわ。あの男が死ぬのは神罰なのだから。ジル
 ベール。あなたは神に逆らう気なの?」
「神には逆らいません。しかし、エリアノール様の命令には逆
 らわせてもらいます」
 明確な宣言だった。
 言葉の意味を掴みきれず、エリアノールが呆然とする内に銀
色の髪を持つ青年は松明を持って先に進んで行く。
 ジルベールが逆らうなんて。それ程までに、あの男を助けた
いのかしら?あたしたちを閉じ込めたあの男を。絶対に許せな
いのに。
 <神の名>に賭けたわけではなかったが、エリアノールは海
若に復讐したい気持ちさえ抱いていた。
 それ程までに受けた屈辱は大きかったのであるが、それを見
透かした上でジルベールは逆らったのである。
 完全に、混乱していた。
 どうしたのかしら?この国に来てから、様子が少しおかしい
わね。今まで見せなかった一面を見せ始めているわ。
 牢屋から脱出する時に<先祖伝来の秘術>を使った時からの
ような気もしたが、はっきりとはわからない。
 ただはっきりしているのは、ジルベールが前より自分を優先
させるようになった点だけだった。 
 これが今まで隠してきた本心の一部かもしれないわね。もし
かすると、何か目的があるのかしら?
 そんなことを考えながら、後を追い続けていた時だった。
 前方の闇の中で揺れていた松明が今までと違う動きを見せた
かと思うと、エリアノールの方へと戻ってきた。
 何かを手にしたジルベールだった。
「薬草が見つかりました。すぐに戻りましょう」
「戻るって、どこへ?」
「例の屋敷です。あそこに海若は運ばれていきました。急げば
 まだ間に合います」 
「ええ。でも、本当に助ける気なの?」
「エリアノール様の為でもあります。急ぎましょう」
 そう言った瞬間、滅多に表情を変えない従者の青年がかすか
に口許を緩めたような気がして、エリアノールはその場に棒立
ちになった。
 頭の奥が燃えるように熱くなる。
 どうなってるのかしら?ジルベールのあんな表情見たの初め
てだわ。でも、なんでこんな時に……。それ程、海若を助けた
いのかしら?    
 それしか考えられなかった。
 たとえ、心の底では別のことを考えていたとしても。
 <海若には利用価値があるから助ける必要がある。だから屈
辱の事はお忘れください>。そう言いたかったのかしら?あの
屈辱を簡単に忘れられるわけがないのに?
 それも十分に承知の上だろう。
 だからこそエリアノールの意表を突く表情を見せたのかもし
れなかった。
 依然として海若に対する気持ちに変化はなかった。
 しかし、信頼できる従者の言葉と行動に逆らい続ける程、エ
リアノールも意地っ張りではなかった。
 ここはジルベールに任せるべきね。いつものようにうまく立
ち回るはずだから。                   
 そう思うのと同時に。
 エリアノールは闇夜に金色の髪を輝かせて走り始めた。
 少しでも早く、従者の青年に追いつく必要があった。