第19話 死ぬわけにはいかないんだ
                            
 自分の屋敷にいた海若の元に、海賊の一人が訪ねてきたのは
夕方になってからのことだった。       
 朝に続いて副首領の隼人と、地頭の武藤の動きについて話し
合っていたところへ人目を忍ぶように現われたのである。
「海若様、大事な話があります。よろしいですか?」
「ああ。お前が俺を訪ねてくるとは珍しいな」
 海若の返事は皮肉混じりだった。
 その海賊は、どちらかといえば<反主流派>すなわち甲龍に
近い人間だったからである。
「非常に重要な話なので、単刀直入に言わせてもらいます。甲
 龍は、海若様が監禁している異国の客人を今夜島から逃すつ
 もりでいます」
「なにっ!?本当か!?
「たまたまですが、話を聞きました。夜陰に乗じて牢屋から脱
 出させて、港に用意した船で脱出する手筈です」
「で、松潟か一浦の港に着いたところで武藤に引き渡し多額 
 の礼金をせしめる、というわけだな」
「な、なぜそれを……」
「それぐらい気づかない俺だと思っていたのか?甲龍の奴が武
 藤とつるんでいる事ぐらい、前から知ってたぜ。だから一度
 武藤の奴に捕まったんだけどな」           
「……」
「まあいい。知らせてくれたのはありがたい。隼人。このもう
 一人の裏切り者を別の牢に入れておけ。甲龍の奴を捕まえる
 まで出すなよ」  
 驚く間も無かった。
 密告に来た海賊は、寡黙な副首領によって体を押さえられて
しまったからである。
「お、おい!ちょっと待てよ!俺はあんたに大事な情報をもた
 らしたんだぜ!それなのになぜ……!」
「俺は人を裏切るような奴を信頼しない。それだけだ」
 冷たく言い放つと、海若は立ち上がった。
 そして、なおも抗議の声を上げる<裏切り者>の叫びにも耳
を貸さず、部屋から出て行ったのだった。
                            
 何も無かったように日が暮れて、やがて夜が来た。
 午後からは海若から大陸の言葉を教わった風香だったが、部
屋に敷かれた布団に横になってぼんやりしていた
 ……眠れなくなっちゃった。昼間寝過ぎたわね。幾ら気持ち
いいからってあんなに寝ることなかったのに。
 槍太とはしばらく話した後に別れたのであるが、あまりに暇
だったので、結局昼寝の続きをしたのが悪かったのだろう。
 目を閉じてもまったく眠くならなかった。
 やっぱり暇潰しができないのは辛いわね。こればっかりは仕
方ないけど。
 現代にいた時は夜更かしばかりしていたことを思い出しなが
ら、心もとない明かりを眺めていた時のことだった。    
「風香、起きてるか?」
 押し殺したような槍太の声が突然耳に届いた。
 びっくりして起き上がり、障子を開けてみると、仲のいい少
年が真剣な表情を浮かべて立っていた。          
「どうしたの?」
「牢屋の様子がおかしいんだ。なんか甲龍たちの様子が気にな
 るからあちこち調べてたら、見張りが全員入れ代わってたん
 だ。みんな、兄貴に反感を持ってる奴だ」
「え?じゃ、エリアノールさんたちは……」
「わからないけど、今からもう一度牢屋に行く。どうする?一
 緒に来るか?」
「もちろん。気になるし」
 それで同意して、二人は夜陰に紛れるようにして坂を下りて
島の外れにある牢屋に向かった。
 お互い口を開かなかったが、嫌な予感が胸を締め上げて言葉
を探すのも難しい状態だった。
「どうするの?ここまで来て」
 時折波の打ち寄せる音が聞こえる牢屋の近くまで来て、風香
は確かめるように訊いた。
「今からオレが見張りの目を引きつける。その間に風香は客人
 のいる牢の様子を見てくるんだ」
「え?わたしが?」
「オレが行ったって言葉は通じないだろ?とにかく、確認した
 らここを離れて港の方に行くんだ。オレも後から追いつく」
 それだけ言って、槍太は暗闇の中へと消えてしまった。
 夜目がきくようになったので、その後ろ姿が見張りの元に向
かうのがぼんやりと見えた。
 とにかく、行って何が起きてるのか確かめないと。
 一連の出来事を全て理解しているわけではなかったが、槍太
が見張りの目をそらしているのを確認して、風香はエリアノー
ルたちが監禁されている牢屋へと向かった。
 慎重な足どりで近づくと、格子越しに内部を確かめる。
「えっ?」
 中の様子が分かった瞬間、風香は声を上げそうになってすぐ
に飲み込んだ。
 深い闇の奥に、特徴的な姿をした二人の異邦人はいなかった
からである。
 どうなってるのかしら?二人ともいないなんて。見張りがい
るはずなのに抜けられるわけ……あ、もしかして!
 格子から離れるのと同時に、白拍子の少女はようやく槍太の
言いたかった事に気づいた。
 あの甲龍って人が脱出させたんだわ。だとすれば、港に行っ
たはず!
 島と本土を結ぶ唯一の手段が船であることを思い出して、風
香は衣裳の袖を翻して走り出した。
 槍太が見張りの目を誤魔化していなければ見つかりかねない
程慌てながら、港への道を走る。
 どうしてエリアノールさんたち、海若さんと仲の悪い人の言
うことなんて聞いたのかしら?騙されたのかしら?それとも、
わたしが言葉を覚えるのを待てなかったとか……?
 いずれにしても信じられなかった。
 ただはっきりしているのは、止めないと大変なことになると
いう点だけだった。
 ゆるい坂道を中程まで下りた時だった。
 後ろから足音が追いついてきて、興奮した表情の槍太が肩を
並べた。
「甲龍の野郎、大変なことをしてくれたぜ!例の客人を逃した
 んだ!急がないと島から出てしまうぜ!」
「やっぱり……。海若さんには知らせたの!?
「兄貴も隼人さんもいなかった。いつもなら屋敷にいるってい
 うのに。とにかく、オレたちだけでなんとかしようぜ!」
「う、うん」
 勢いに押されてうなづいた風香だったが、作戦も自信もまっ
たく無かった。
 相手はかなりの手下を持つ海賊の副首領である。
 二人だけでどうにかなるとはとても思えなかった。
「おい、見ろよ。港に誰かいるみたいだぜ」
 槍太が声を上げたのは、坂の下に港が見えてきた時だった。
「ほんと。篝火が見えるわね。かなりの人がいるわ」
「みたいだな。って、海若の兄貴に例の客人、甲龍までみんな
 いるぜ!その周囲にいるのは……」 
 走りながら槍太はなおも説明を続けたが、港全体が見えてく
ると、風香にも事情が飲み込めた。
 甲龍が港からエリアノールたちを脱出させようとして、待ち
構えていた海若たちに捕まったようだった。
「海若さん気づいてたみたいね。でも、エリアノールさんたち
 本当に島を抜け出そうしてたなんて。なんで……」
「とにかく、行けば分かるだろう?」
 釈然としない風香とは対照的に、槍太はあっさりと答えると
一段と走る速さを上げた。
 心なしか頬を膨らませて、現代から来た少女も続く。
 夜闇の中で、港は篝火によって明るく照らし出されていた。
 その中心では甲龍とその部下が観念したかのようにその場に
座り込み、海若が尋問しようとしているところだった。   
「お前のやろうとしていたことは全て、こっちに筒抜けになっ
 てたんだ。どうせ武藤に売り飛ばそうとしたのだろう」
 淡々と海若が言ったのは、風香と槍太が人だかりの後ろにつ
いた時のことだった。
「武藤の奴とつるんで何になる?お前は先代頭領の息子なんだ
 ろう?先代のやってきた事を全て無にするつもりなのか?」
「オレはあんたのやり方が気に入らなかっただけだ。オレだけ
 じゃないぜ。島の人間の半分は同じ事を考えているはずだ。
 あんたは苦心して奪い取ったものをみんな仕舞い込んで、オ
 レたちには回してくれないからな」
「槍太、本当なの?」
 甲龍の予想外の反撃に、その場の空気が揺れるのを感じなが
ら風香は小声できいた。
「人聞き悪いこと言うなよ。兄貴は万一の時に備えているだけ
 だぜ。今のところ食いっぱぐれる心配もないし、使う必要は
 無いっていうのが兄貴の考えなんだ」 
「そういうことなのね。海賊だからもっと豊かな暮らししてる
 と思ったら、他と全然変わりないのはその為だったのね。で
 も、だったら……」
 風香の言葉は、途中でかき消された。
 槍太と同じようなことを答えた海若に、甲龍が語気を強めて
反論したからである。
「だったらオレたちはなんの為に命懸けで海賊やってるんだ!?
 いい暮らしをする為じゃねえのか!?それなのにあんたがそん
 な事ばかり言うから、オレの周囲にも人が集まってくるんだ
 ぜ!だからあの時、武藤に情報を流してお前を捕らえさせた
 っていうのにあんたは戻って来るんだからな」
「やはりお前だったんだな、甲龍。裏切ったからには死あるの
 みだ。隼人、後を頼む」
 副首領の言葉にも、海若は表情一つ変えなかった。
 淡々と処分だけを告げると、そのまま背中を向けて立ち去ろ
うとしたのであるが……。
 突然、それを見つめる風香の心の中に突風が吹いた。
 急激に沸き上がる、破滅への予感。
「兄貴!」
「海若、後ろ!」
 槍太や部下が声を上げた時には、甲龍は隠し持っていた小さ
な刀を鞘から抜いて、海若の背中に向かって突進していた。
 風香はただ呆然とし、周囲にいた他の部下たちもとっさのこ
とで間に合わない!
 鮮血が、砂浜に散った。
 思わず目を伏せた人間は顔を上げて驚いた。
 まるで背中に目があるかのように振り向いた海若が、突き出
された甲龍の小刀を右手で握って受け止めていたからである。
「な、なぜ……?」
「俺は簡単に死んだりしない。死ぬわけにはいかないんだ」
 刀身を握る右手からは血が流れ続けてるのにも関わらず、海
若の声に変化は無かった。
「俺にはこの島の人間全てを守る義務がある。それだけは忘れ
 ないで欲しかったな、甲龍」
「相変わらずきれいごとばかりだな、お前さんも。その態度に
 は反吐が出そうだぜ。人魚の肉を食って、不老不死になった
 くせによ!」  
 突然、甲龍が叫んだのはその時だった。
「オレは知ってるんだぜ。お前さんが百年以上その姿のまま生
 きてるってな。この化け物め!みんな聞いてくれ!こいつは
 人魚の肉を食った化け物なんだぜ!そんな奴を……」  
 次の瞬間。
 海若が突き放すかのように右手を離したかと思うと、腰の刀
を抜いて甲龍を袈裟懸けに斬った。
 派手に鮮血が飛び散り、風香は気が遠くなってその場にうず
くまったが、砂浜に物のように転がっても、裏切り者の副首領
の言葉は終わらなかった。
 口から血の泡を吹きつつ、なおも言い放ったからである。
「ちなみにな……オレの短刀には毒を塗っておいた……。そい
 つが効かなければ海若は……化け物だ。忘れるなよ……」
 それが甲龍の最後の言葉だった。
 激しく咳き込んで大きな血の固まりを吐いたかと思うと、力
尽きて絶命したからである。
 それを見届けて、海若が右手から血を流したままがくりとそ
の場に膝をつく。
「……!海若!毒が回ったのか!?おい、誰か手伝え!早く手当
 てしないと手遅れになる!何をしてるんだ!」
 顔色を変えて腹心の隼人が叫んだが、それに対する周囲の反
応は心が冷たくなるものだった。
 気を失った風香を案ずる槍太は別として、甲龍に与していた
人間も、海若に従っていた人間も、誰一人として動こうとはし
なかったからである。
 それどころか、何事も無かったかのように一人、二人とその
場から立ち去ってゆく。
「なにをしてるんだ!海若の奴が化け物なんかのはずがない!
 甲龍の奴に騙されるな!」
 義に厚い隼人の言葉にも関わらず、人は散ってゆく。
 平穏だった小さな島から、何かが失われようとしていた。